はじめに  超古代文明は海底に眠る

二〇〇二年一月一七日、大きな見出しが読売・毎日・東京・日本経済新聞などを飾った。

「インド西部世界最古の都市発見 九五〇〇年前の遺跡と測定 政府発表」

ご覧になった方も多いと思うが、主な内容はこうだ。

「発表したのはインドのジヨシ科学技術相で、インド西部グジャラート沖のカンベイ湾海底で九五〇〇年前のものと見られる古代都市の遺跡が見つかった。発見されたのはつぼの破片、人骨の化石、建築に使われていたと見られる資材などで、木片の年代測定から紀元前七五〇〇年前(今から九五〇〇年前)ごろのものと判明した」

文明は、今から五〇〇〇年前に、世界の大河のほとりに同時発生的に生まれた、と私たちは学校で教わっている。それよりはるか昔の二倍も古い時代に文明の代名詞ともいうべき都市があったなどとは、考えられない。しかも海の底に・・・。この新聞記事は全くまちがいないのだろうか?

実はそうではない。単に、現在の歴史学という学間の枠から見ているために判定不能であるにすぎない。目を転じて自然科学の観点から見ると、ひとつの明確な解答が出ているのである。

「数千年より前の大規模な遺跡というのは、今は海底にある。海面変動で沈んでいるからだ」(奈須紀幸・元東京大学海洋研究所所長の言葉本文七三ぺー-ジより)

すなわち、九五〇〇年前の遺跡なら、海面下にあって当然なのである。この点をもう少し詳しく説明しよう。

 自然科学、とくに、古気候学、海洋学、地質学によれば、四大文明発生からはるかにさかのぼる、今から二万〜数千年前に、地球は実に一〇〇〜一二〇メートルに及ぶ、きわめて急激かつ大規模な海面上昇に遭遇したことが、藤井昭二・富山大学名誉教授らはじめ、世界の自然科学者たちの研究によって明らかになっている。現在、四大文明と呼ばれているものは、その大規模な海面上昇の終息するころ、たまたま現在の陸地にある大河のほとりに生まれたものに過ぎない。それよりも古い文明すなわち「超古代文明」は、今では、海面下に沈んでいる。こう考えるのである。インドのカンベイ湾の海底遺跡と同じく約一万年前と計測されたわが国沖縄の与那国海底遺跡ひとつを見ても、海面下二〇〜四〇メートルにあるが、木村政昭・琉球大学教授を中心とする琉球大学海底調査団による二〇〇二年の最新の調査では、南側に都市状集落の他、道路も確認された。これは、当然のことなのである。

今や、歴史学は、新しい段階に入った。世界各地から、時々報道される「謎の海底遺跡」は、UFO(未確認飛行物体)とは違って、むしろ、ほとんどが本物と考えたほうがまちがいがない。科学が強力に保証しているからである。

注目すべきは、深さ一〇〇メートルまでの大陸棚である(しかも川跡のある)。本文で紹介するように、インドのカンベイ湾の遺跡には、当時の川跡に沿って九キロにわたる市街地跡があるし、英仏海峡には、海面下六〇メートル付近に古ヨーロツパ河と巨大な湖があった。米国フロリダ沖の古オーシラ川から一万三〇〇〇年前の一六〇〇点もの遺物が発見されている。

二一世紀は、四大文明をさらにさかのぼる「超古代文明」を大陸棚に探る「大陸棚考古学(海底考古学)」の時代になるであろう。

          「海に沈んだ超古代文明」講談社クォーク編集部・編より