仏教の真髄を学ぶ

仏教の真髄を学ぶ

仏教の長い歴史の中で、誤解され続けてきたのが「無我」に関する解釈であります。釈尊の真意は、無我を説くことによって、人々を深い幸福感に導き、それを基にして仏国土を作ろうとされたのであります。インド時代の釈尊が説かれた三法印という仏教の旗印と無我との関係を、現代の言葉で学んでみたいと思います。



第一回 諸行無常 (その1)


 無我なる生き方とは仏神の願いをそのまま素直に生き切る生き方であります。そのためには諸行無常を人生の規範にしていなければ、粘着質の人生、執着だらけの人生になってしまい、とても仏の理想を生き抜くことは出来ません。諸行無常とはいかなる教えなのかを、「分かった」と思うまで、しっかりと探求・吟味しておく必要があります。

 諸行無常とは、全て、この世のものは、変化するということです。岩盤の如く固定的、恒常的に見えていても、何一つとして変化せざるものはないということです。あのダイヤモンドにさえ、誕生の時、活躍の時、使命を終えて消滅する時があるのです。人間の肉体も、必ず老いを迎え、死を迎えます。しかし、これはまことに有り難い仏の慈悲なのです。この地上に何千年も縛りつけられていたら、たまったものではないでしょう。老人介護を受けている方々のお気の毒な姿を見てください、あの姿で百才、二百才と生きねばならないとしたら、それは苦しみです、地獄です。したがって、死は仏の慈悲であることが判るのです。家族も同じ、会社も同じ、常に構成員が変化し、組織の形態が変化していくのです。千年も続く、組織、会社はないのです。この地上には、常なるものは何もないのです。ゆえにこの世のものに執着してはならないのです。この世のものに執着する心は偽物の自分なのです。

 天上界にいた時の心を思い出し、その心で地上生活を生き抜くために、物差しを持っておく必要があるのです。その物差しの一つが、諸行無常です。それは、変化するものこそが、全ての本質であるということです。これを知らずに生きるとき、多くの苦しみに捕らわれてしまいます。まるでハエとり紙にくっついて、もがいているハエのような姿を演じてしまいます。

 たとえばこの大地からして永遠のものではありません。自分の土地だ、高いお金を出して購入した、私の不動産だと思っているかもしれませんが、何万年か前は海の底であったのですし、何万年か後には、また海の底になってしまうかもしれません。少なくとも、この世を去れば、他人の所有になってしまいます。いつまでも後生大事に自分の所有物だと思っている、その心が地縛霊となってしまうのです。

 人の心も変化していくのです。たとえば、こんな人がありました。ご主人がお金にルーズなために借金をつくり、田舎から逃げるようにして、子供二人を抱えて東京に出てきたというのです。主人がお金にルーズだという固定した観念を離そうとしないのです。そして子供にもそれを吹き込むものですから、子供達もお父さんに冷たい視線を投げかけて、家の中が真っ暗だ、子供も可哀相だ、私はどうしてこんなに不幸なのだろう、と嘆いておられるのです。主人の所為で私も子供も全く暗い人生を歩まされているのだ、と主張して譲りません。自分の人生は、諸行が冷たく恒常的で、どうしても変わらないというわけです。つまり、その方は、諸行が無常で、主人も環境も自分の心を変えることによって、変わっていくのだという物差し、あるいは自己責任の原則という物差しを持っておられなかったのです。そこで、その方に、アルジェリアの猿のお話をいたしました。



第一回 諸行無常 (その2)

 『アルジェリアの猟師はね、猿を捕まえるのに、椰子の実にサルの手が入るだけの穴をあけて、エサを入れ、その実を木に括りつけておくんですよ。猿は、エサがほしいから手を入れてエサを握るんですが、握ると拳が引っ掛かって手が抜けなくなるんです。エサを放せば助かるんですが、その知恵がないから、握った拳を放せなくて翌朝猟師に捕まってしまうんですよ。貴女は怒るかもしれないが、冷静に見たら、貴女の姿は、お金にルーズな主人、冷たく不幸な家庭、という映像をしっかりと握っているアルジェリアの猿に似ているかもしれませんよ。』というアドバイスをいたしました。最初は納得出来ないという風情でしたが、すこしずつ正しく見る姿勢を取戻されて、自分の愚かな姿が本当に見えてきたときに、どうしたら、握り拳を放せるでしょうか、と尋ねられました。

 『結婚したときはどうでしたか、優しかったご主人なんでしょう、好きだったんでしょう、子供が無事に生まれたときは嬉しかったでしょう』という問い掛けに、拳がゆるんできたのです。最後は、もう一度やり直します、主人はきっと私が裁判官のように毎日裁いているために、苦しんでいたんだと思います。本当は優しい人なんです。家庭を変えられるような気がします。といって帰っていかれました。正見の反省という仏法真理によって人も環境も変わっていきます。この婦人のように、正しい見方ができるようになると、環境が変わって見えるような、環境の意味を解釈する知恵が生まれるのです。そして次に、環境そのものが変わってしまうのです。この家庭もきっとご主人の姿、家庭の雰囲気が明るいものに、楽しい楽しい家庭に変わってしまうものと思います。



第一回 諸行無常 (その3)

 諸行無常とは、平家物語に書かれた栄枯盛衰、盛者必衰のもの悲しい響きを訴える為にある教えではありません。仏教は幸福論であり、諸行無常も人々を幸福に導くため、「無我」を知って魂の喜びを味わうための教えであることを忘れてはなりません。環境は心に応じて変わっていくのです。思いと行いで良き種を蒔けば、良き結果、良き環境が出現し、悪しき種を蒔けば、悪しき結果、悪しき環境が出現するのです。

 勿論もっと深く諸行無常を探究していくと、そこに仏の慈愛が見えてくるのです。魂修行の乗り船としての、この肉体も、地球という魂修行の環境も、そして、魂が規範とするべき道標、考える方向性、即ち人間の理想像、如来像も全て仏の思い一つで存在していることが見えてくるのです。

 たとえば、肉体や、地球を構成している物質の成り立ちを調べていく程に、その不思議さに驚嘆するのではないでしょうか。手も足も原子や分子からできていますが、もっと細かく、素粒子のレベルで見てみると、一瞬たりとも、同じ粒子ではないのです。常に現れては消え、誕生しては亡くなっていく粒子群、常に入れ代わっている粒子からこの肉体はできあがっているというのです。これを見ても諸行無常が判るのですが、そうならば、青空に浮かぶあの雲が、もとの羊や鳥に似た姿を変えていくように、いつの間にか、手も足も姿を変えてしまっても不思議ではないはずです。でも、粒子が入れ替わっても手は手ですし、足は足のままです。けっして手が足に変化してしまうことはないのです。なんという不思議なことが、なんという素晴らしい奇蹟が起こっているのでしょうか、誰が、どのようにして、何を、素粒子に命じているのでしょうか。その素粒子は誰が、どうやって作るのでしょうか、そんな事が人間に出来るのでしょうか。考えがそこまで及んでくるとき、そこには仏神の力が存在することを感じざるを得なくなってくるのではないでしょうか。

 地上の物質が存在するのは、霊的世界に必ずその種があって、根がはえて、そして地上に芽をだし、葉を出してくるのです。その種に相当するもの、完壁な種の設計図を仏は霊的世界に作ってくださっているのです。その設計図、理念があるから、雲が姿を変えるようなことにはならないのです。もしもその理念が無かったとしたらどうなるでしょう。人間杜会は機能するでしょうか、昨日お会いして、約束したその相手が、今日はまったく違った乗り船に乗っていたら、しかも、グロテスクなお化けのように変わっていたら、魂の修行なんてできません。心のなかで、「私ですよ、昨日は人間の姿でしたが、今日はロバの変形した姿になっちゃったんですよ、でも私は私なんですよ」と言われても頭の中が煙に巻かれるだけでしょう。今日も昨日も家族を家族として、友人を友人として認識できることに、どれだけの感謝を払ったでしょうか。私たちは何と恵まれた世界に住み、恵まれた法則の下に人生を享受しているのでしょうか、素晴らしい魂の磨きをさせて頂いているのです。

 このような仏への感謝に繋がる世界が、諸行無常の探究の先にあるのです。それは当然のことながら、無我を知った魂のたどり着く世界でもあるのです。そして、人間は何を目標にして、己れを変えていけば良いのか、どのように考えて行けば良いのか、どんな思いと行いの訓練をしていけば人間完成の港にたどり着けるのか、こうしたことを、仏が教えてくださっているのです。それが無ければ、どんな航海をして、何処の港を目指したらよいのかも判りません。

 仏の教えを正しく解釈し、手垢のついた薄汚れたものにせず、純粋に生き抜いて、如来となって魂の目的港に入るために必要なものが無我なる生き方であるのです。



第二回 諸法無我 (その1)


 無我なる生き方をするために、諸行無常の物差しが必要なことを述べました。もう一つの物差しが諸法無我という教えです。どちらも地上人生で、肉体煩悩に基づく執着を捨て去りなさいというものですが、諾法無我とはいかなる教えなのかを、学んでおく必要があります。

 諸行無常とは、一切の存在は常に変化変転する、よって、地上の何ものにも執着することなかれ、という教え、即ち時間の流れの中で、この世の存在を見た時に、川の流れのように常に流れ流れて、変化するという見方でありました。一方、諸法無我は地上の存在を空間的にながめてみたときの真理であるのです。

 諸法の法とは、存在と言う意味です。諸々の存在、この地上の一切の存在は、無我であり、我なるものはない。すなわち、重々無尽に重なった縁起の連鎖で成り立っているものであり、永遠に変化しない恒久の存在、その存在が独自にもっている固有の性質、自性なるものはないということです。存在は無自性であるということです。

 これは異なことを、人にも、物にも性質があり、国には憲法が、企業には、社是が、どんな組織でも個性があるではないか、全ての存在には自性があるではないかと反論するかたもありましょう。しかし、自性ありと見えるのは、無明に基づく地上の錯覚、肉体煩悩という色付きのフィルターを通して、地上の存在を認識しようとするところから発生するのです。フィルターを清浄無垢にしてみれば、そこにあるのは、仏神の根源的計画、宇宙創造計画があるだけなのです。かつて、遥かなる昔に、仏神から別れ、再び仏神へ戻る旅にでた仏の子供、仏子たちが、仏との分離感をもったままで、認識しようとしている姿が、我在り、自性ありという心の曇りになるのです。本来無なる自我感を、サナギが殻を脱ぐように、いつの日にか、脱皮し、解け去らせ、洗い清めていかなければならないのです。

 ゆえに、我なるものがあると見えるのは、解脱以前の認識であるのです。解脱を果たした魂に認識出来るのは、無我なる存在、仏神と一体となった本来の自己であり、それこそが追求すべき自己なのです。無我なる自己、仏神と一体である自己を追求するための貴重なる体験フィールド、演習場として、三次元の地上という魂修行の場を仏神は与えて下さっているのです。織田信長がどこまで仏法真理の悟りを得ていたのかは分かりません。しかし、彼はあの桶狭間の戦いで、今川勢の大群を前に、16才で一の谷に散った平家の若武者に思いを馳せ、「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一たび生を得て滅せぬもののあるべきか」と、扇を片手に、幸若舞の「敦盛」を三たび舞ったのです。そして、矢継ぎ早に下知を飛ばし、立ったまま湯漬をかきこむと、単騎清洲城を打って出たそうです。城を出るとき間に合ったのは、五騎だ気だったと云うことですが、その行為の中に、地上人生の放擲をも覚悟して、天下統一の夢、強敵との決戦に懸けようとした、若干26歳、青年信長の心意気を見る思いがします。

 毀誉褒貶の多い、その後の人生は覇道に生きた人生だったかもしれません、しかし、悟りのレベルは別にしても、何がしかの諸法無我の理解を持っていたがゆえに取れた、信長の行動であったのではないでしょうか。信長に学問を教えたのは、臨済宗の禅僧、沢彦(たくげん)でした。その影響でしょう、彼の死生観には、魂の不滅という考えがあるのは確かです。その死生観があったがゆえにこそ、牢固とした旧弊を捨てて、国家的大イノベーションを断行し、日本の新時代を開くことができたのではないでしょうか。

 ましてや、仏道を志すものであるならば、仏国土ユートピアの建設のために、仏の理想実現のために、それのみに生きる人生、を選択しなければなりません。本来の世界から見たならば、信長の言う通り、この世の人生は夢幻の世界なのです。現実と思っている地上こそが夢、夢(あの世)こそが現実、これこそが恐るべき逆説、人生最大の逆説であるのです。諸法無我とは夢から目覚めよという仏の檄でもあるのです。



第二回 諸法無我 (その2)

 かつてこの地球上には、いくつかの文明が生まれては消えてゆきました。その文明の中で、地上生活を送った魂達は、その時点では、社会の規範を金科玉条とし、名誉を求め、民衆の称賛を求めて、これこそが人生の目的であると感じて生きていたことでしょう。しかしながら、何千年も経ったいま、その規範にどれだけの価値があるのか、といったら疑問でしょう。それは恒久的国家理想、永遠の社会規範とはいえないでしょう。その時代を生きるうえでの、人生の海図ではあったでしょうが、重々無尽に重なった縁起の連鎖から出来上がったその時代の海図にしかすぎなかったのです。未来永劫に続く海図というのはこの世にはないのです。だから、諸法無我であるのです。

 宗教も同じです。その時点で地上に生きている人間の理解し得ること、理解可能な範囲での仏神の理想しか、地上には広がらない、降ろせないのです。しかし、その中で得た経験、その時代の海図を頼りに航海を終えた中から得られた心の経験が、仏に近づいていくための、魂の栄養分になっていくのです。それを可能ならしめてくださっている仏神の慈悲、地球という輝ける大地、演習場を提供してくださっている仏神への感謝を忘れてはいけないのです。仏神は、仏子達の織りなす地上生活の進化、進展に応じて、地上の宗教をも計画してくださるのです。

今地上には、釈尊の本体である大如来が下生され、大きな文明の創造を開始されました。いいかえれば、それだけ大変な時代、地上が危機的状況を迎えている時代でもあるのです。地上にすむ一人一人が社会への責任感を持ち、少しでも社会を良くする運動にたちあがらなければなりません。ささいなことかもしれないが、為そうと思えば、行動ができたのに、優柔不断に流れ、何の行動も起こさなかったとしたならば、夢が覚めた時、即ちあの世に帰ったときに、「為さなかったという罪」、不作為の罪に苛まれることになるのです。勇気を出して行動しなければなりません。諸法は仏神の掌にあるのであって、我なるものは本来ないのです。自分の人生、自分の生活、自分の財産等と見えているものは、夢幻なのです。とくにこの混迷の時代・変革の時代をリードする指導者の役割、政治家や、経済人、言論人に求められていることは、諸法無我の奥にある仏神の理想、仏の考えに思いを馳せて、仏の説かれる法に耳を傾け、仏の僧団を大切にすることなのです。そのためにこそ、人生を私物化しないで生きることが大切なのであります。地上の国民を、少しでも仏神に近づけるような、仏に回帰するための経験を提供するために働くことです。ゆえに、指導者は、無我、無私でなければなりません。

 昔、楚の王様がある隠者に、国を治める方法を聞いたところ、身を治める方法を教えたそうです。楚王が重ねて、国を治める方法を間い正すと、隠者が答えたそうです。「今までに君主の身が治まっているのに、国が乱れたという例を聞いたことがありません」と。古来日本の指導者もこれを学んでいます。天子、天皇の地位にある指導者は、国の乱れは己の徳に間題があるのだと自戒して、国政を預かることを、常識としていたのです。天帝から、地上の統治を任されているのが、天子であり、国内に天変地異が起こり、人心が乱れるのは、天子の責任であると考えたのです。

唐の時代には、「十思」「九徳」という指導者の基本的心構えがありました。「十思」とは、@足ることを知って、自戒をし、A民の安楽を願い、B謙虚に自制をし、C満ち溢れる海は全ての川より低いことを思い、腰を低くし、D限度を弁え、E始めを慎重にして、終わりを慎み、F部下の言葉をよく聞き、G悪をしりぞけることを思い、H報償を誤ることのないようにし、I重すぎる罰にならないように心掛ける、ということです。現代の国家指導者に、このような、指導者としての心掛け、国を預かる無我なる指導者の姿勢があれば、邪教とマスコミの中に悪魔がはびこるようなことのない、立派な国家になるはずです。

 無我なればこそ、国家の危機管理にも迷うことなく、判断が下せるはずです。明治維新をやり遂げた、勝海舟は、朝鮮との間の国際的大事件、閲妃事件に困惑していた、小村寿太郎に、「自分も江戸開城などの大きな交渉で、苦労をしてきたが、結局いえるのは、死生を意にとめたら仕事はできないということだ。身命をなげうち、真心をこめてやるという腹さえきまっていれば、あとはその場合その場合で考えたらいい」とアドバイスをしたそうです。未来永劫に渡る恒久的判断基準、物差しは、この地上には見出そうにも、見出せないのです。であるならば、仏神の御心、実在界の視点を、静かな心の中に降ろしていただくような、気づかせていただくような、謙虚な気持ちで、指導者は生きていくことが求められるのです。それが、哲人政治家の姿でしょう。この日本に一刻も早く、哲人政治家が誕生することが待たれます。



第三回 涅槃寂静 (その1)


 諸行は無常、常に変化し、変転していくものである。諸法は無我、全ては仏の念いの中に生かされている仏の子である、故に、この地上の一切のものに執着するなかれ、この地上生活の意味を良く見抜き、仏神に感謝して生きていこう、というところまで述べてきました。三法印の最後は涅槃寂静です。無我なる生き方をするとき、すなわち解脱し、自由自在の境地に達した時の平和な心境が涅槃寂静であります。仏の子としての、霊的自覚の下に生きている境地のことであります。

 涅槃とは、ニッバーナのこと、もともとの意味は吹き消すことであります。何を吹き消すのかといえば、肉体ありとする錯覚から生じる煩悩の炎です。無明に基づく生き方の中で作る愚かしい縁起の連鎖と言ってもよいでしょう。智慧なきが故に、夏の虫が、ガス灯目掛けて飛び込んでいき、身を焼き尽くしてしまうような、愚かな行為のことでもあるのです。無明に基づく愚かしい縁起の連鎖を吹き消して、仏法真理に基づいた良き連鎖に変えるとき、身も心もサッパリとした平和な心境になれるのです。

 そんな綺麗ごとを言ったって、誰も実践できやしませんよ、実生活では、住まいのことや、子供のこと、給料のこと、出世のこと、などなど常に心配ごとの連続で、平和な心なんて持ち得ませんよ、とおっしゃる声が聞こえるような気がいたします。勿論解脱にも、段階がありますから、仏と同じ解脱を得ることは、今世一代では困難でしょう。しかし、先ず第一段階として正しい信仰、仏神への信仰を持つことです。



第三回 涅槃寂静 (その2)

 地上生活を送るなかで、人はそれぞれの役割を、家庭や会社、地域のなかで持っていると思いますが、何のために役割を持っているのかといえば、仏の子として、仏の心に少しでも近づいていくために、実地体験、実習をさせていただいているのだと思うのです。子育ても、会社生活もすべて、そうなのです。地上生活の全ては、仏の心に近づくための修行であると定義するのです。人生をそのように定義したなら、今日一日の自分の思いと行いは、仏が見ておられて、お喜びになるだろうか、悲しまれるだろうか、と推定してみることです。きっと今まで自分の心配してきたことがらは、仏の関心事では無いはずです。なんだ、取り越し苦労だったのか、仏の考えに無いことなら、心配などしなくてよかったんだ、と思えるでしょう。そして、平和な心境が、涅槃寂静への第一歩が訪れることでしよう。解脱の奥行きは広いものがあります。信仰心による解脱は、疑いの克服、猜疑からの自由、仏を信ずるという平安です。禅定を続けるなかに得られる自由は、争い、憎しみ、三次元的な欲望、物質的波動からの自由を得た平安です。三学修行から得られる自由、智慧を得ることによってもたらされる自由が、無明からの自由です。これが阿羅漢になったといわれる段階の解脱、涅槃寂静です。自分自身に科した戒を守り、禅定のなかで八正道を修し、そして、教学を怠らず学び続ける精進の後に、真の智慧を得て果たした解脱、その心境を、大如来は次のように、表現されています。

「涅槃の境地に達した方は、ちょうど澄みきった湖の底の小石や貝殻を、透き通った水を通して見るようなかたちで、みずからのこの世の苦しみというものが、見えるようになってくるのです。これが「涅槃寂静」の境地です」と。これは、実在界から地上の人生を眺め、苦しみの所在を見抜く境地でもあるのです。この境地は、心の働きの中で知性とか理性の分野の解脱からくる智慧に基づく平安です。さらにその奥に、感情や意思をも含めた心全体が自由になって、平和、安泰を感じる境地があります。一切衆生を救済したいという菩薩の心境、愛を五月の風のように屈託なく、爽やかにお届けしようという心であります。その奥に仏陀の悟りである、最奥の解脱があるのですが、一般人には少々無理であると言われています。

 国難をもたらした、オーム教という殺人集団の頭目とその幹部達が、最終解脱という言葉を弄んでいましたが、何処に心の平安があるというのでしょうか。宗教にはまったく該当しない、単なる収奪を目的にした強盗集団にしか過ぎないのです。それを見抜けなかった世論の、宗教に関する無知、邪見は目を覆うばかりです。最終解脱をしたと自称する者が殺人を犯したのに、その邪教性を論駁できないマスコミ人、また受難者キリストと同列に扱おうとする似非言論人が罷り通る言論界には、正しい宗教を学習するという、謙虚な反省の心が求められる筈であります。

 解脱には各段階がありますが、阿羅漢に達しても、菩薩に達しても、その平安の心境を維持することは地上生活の中では難しいものがあります。一旦は解脱したとしても、うぬぼれてしまえば、それまでであり、転落が待っているのです。悟りはその維持が難しいのです。

 平和な心を維持し続ける要諦は、長期的展望を持つことです。戦略的に生きると言ってもよいでしょう。正しい信仰があっても、短期的な視点で見ていると、いつのまにか、不安感に苛まれることになってしまうのです。人生を長期に展望すること、戦略を持って生きることが、日々の些事に心を曇らせ、魔界の者に倒されてしまわない秘訣であると思います。



第三回 涅槃寂静 (その3)

 春秋時代の話ですが、楚の荘王は、即位して三年になるのに、政令一つ発すること'もせず、「王を諌める者は、死刑に処す」と布告して遊び呆けていたそうです。国の前途を憂えた伍挙という臣下が、恐る恐る申し出たそうです。「丘の上に鳥がおります。三年のあいだ、飛びもせねば鳴きもしません。これはいかなる鳥でありましょうや」と、やんわりと諌めの言葉を発したのです。荘王は、答えました。「三年飛ばずとも、ひとたび飛べば、天のきわみに至るであろう。三年鳴かずとも、ひとたび鳴けば世を驚かすであろう。おまえの言いたいことはわかっておる。」といって、さがらせました。しかし荘王の遊びは輪をかけたようにひどくなり、数カ月後、遂に決死の覚悟で蘇従という二人目の臣下が諌めの言葉を申し出たのです。「諌める者は、死刑だと布告したはずだ、知っているのか」という王の問いに蘇従は答えました。「わが君の迷いを覚ますことができますなら、この身を滅ぼそうとも本望です」と。それ以来荘王はピタリと遊びを止め、素晴らしい政治を展開し、孔子をして「楚の荘王とはなんと立派な人物だろう」と言わしめるだけの英邁な人物となったのです。

 荘王は三年半のあいだ、ただ単に遊んでいたのではありません。真に国の前途を思う臣下と、ただ王に諂って保身を考える臣下とを見極めて、不惜身命の思いで王に従う臣下の名乗り出ることを待っていたのです。戦略的に生きていたからこそ、国政に乱れがあっても、一喜一憂することなく、心乱さず、泰然自若の行動が取れたのではないでしようか。荘王がただちに手がけたのは人事でした。これまで王と一緒になって遊んでいた取り巻き数百人を辞めさせ、新人を登用し、伍挙と蘇従に国政を委ねたのです。国民は大喜びし、荘王は、ひとたび鳴けば世を驚かすだろう、という自分の言葉を実践したのでした。

 宗教的組織あっても、悟りへの戦略的取組を持たないと修行者の霊的生命を殺してしまうことがあります。阿羅漢になりたいとして、焦り、しっかりとした修行も積まずに、霊的能カを追い求めて失敗した団体がありました。ある教団では、かつて、霊能力信仰が強まり、心の修行を忘れて、過去世の言葉を語る異言能力を追い求めていました。霊現象に興味を持ち、その能カを与えられた会員達は、その殆どが、魔界の者の餌食となって、倒されていったのです。

 そうならないように、修行者の組織のなかでも、自分の悟りを目指して、焦らずに、長期視点から、戦略的に修行の計画を練り上げなければいけないと思います。修行者が最後に狙われるのが、名誉心、自己顕示欲と言われています。魔界の者は、修行者の心にある「己心の魔」を見抜いています。大如来は「悟りを開きたいという思いのなかにも、偉くなりたいという気持ちが、やはりどこかに潜んでいるところがあるのです。ここをくすぐられた場合に、どうしても、こじ開けられて入ってこられることがあるのです。」と教えて下さっています。名誉心、自己顕示欲、そのほかにも、嫉妬心、冷淡さなど、完全にはぬぐい去れていない心の汚れがあるはずです。それをよく見抜いて、計画的に反省することです。今与えられた環境、地位、待遇、健康など、全ての条件を自分の悟りへの戦略の中に組み入れてしまうことです。今はこの環境、条件のなかで、この部分の心の汚れを修正しているのだ、これが済めば、つぎはここを磨いていくのだ、という長期戦略があれば、目の前の出来事に一喜一憂することなく、平和な心を楽しむことができるはずです。

 かつて最澄が、空海との確執から悟りの道を踏み外しました。根来の密教僧も間違えました。ルシフェルが地上で失敗したのも、地位欲、名誉欲、でありました。無我、空の教えは、悟りへの道であると同時に魔界のものから自分を守るための大切な教えであるということなのです。決して揺らぐことのない、平安を求めて、戦略を立てていきたいものです。



第四回 無我なる生き方の実例


 それでは、どのような生き方が無我なる生き方で、どのように生きるのが偽我なる生き方なのでしょうか、無我なる生き方にはどのような喜びが、幸福感があるのでしょうか、無償の愛に生きた婦人と、そうでなかった婦人の例から、具体的に学んでみたいと思います。

 無我を理解せずに生きた人は多いと思いますが、偽我のままに生きた例ではこんな話があります。A婦人は優しかった実のお母さんを小さいときに病気で無くし、厳しい継母に育てられたそうです。その継母にもやがて子供ができ、妹が二人できました。妹ができてからの継母は、Aさんに向かって口癖のように言われたそうです。

 『下の妹二人は私がお腹を痛めて生んだ私の子供だけれど、あなたは前のお母さんの子供でしょ、それでも育ててあげているんだから、もっと感謝してくれてもいいと思うけどねえ、もっと家の仕事を手伝ってもいいと思うけどねえ、なによその態度は!』と言って差別して育てられたというのです。Aさんはそのことがとても心の傷として残り、継母を嫌い、早く家を出たいという一念に駆られて、こころを動かされることも無いままに、結婚相手も決めてしまわれました。ご主人は社会的地位もあり、優しい方なのですが、Aさんはどうしても他人に心を開くことができず、家庭の中で本音で語れない、明るい家庭がどうしても作れない、と悩んでおられたのです。些細なことでも隠しごとにしてしまい、感謝のできない、苦しい人生になってしまったのです。苦しみの本当の原因が継母を嫌っている自分の心に在ることが理解できていなかったのです。そんな感謝の心薄い、偽我のままのAさんでしたが、仏法真理に出合われて、縁起の意味、霊界を通しても存在する空間の縁起は、愛の思想として使うのだ、という教えの意味を、深く深く追求されました。そして、この苦海ともいえる人生がどのような意味を持ち、自分が何を目的とし、何を使命として、この地上の人生計画をたててきたのかが、おぼろ気ながら見えてきたときに、実母の役割、継母の役割が理解できるようになって来て、反省が進み、深い感謝の心がもどってきたのです。

 その後の手紙では、「悩みが悩みでなくなりました、嫌っていた継母のことが嘘のように有り難い存在に思えてきました、早く気づかせて頂いてありがとうございました。」という便りをいただいたのです。

 地上の私たちは、縁起が理解できると、継母であっても、実の母以上に有り難い存在であることがわかり、霊的人生観という意昧が深く理解できるようになるのです。しかしAさんも、仏法真理に出合うことがなかったなら、この地上生活も、地上を卒業してからの生活も、地獄的な生き方になったことでしょう。早く知らせなければならない人がこの世には、たくさん待っているのです。地上を去る前に少しでも多くの人に知らせなければなりません。

 一方B婦人からはこんな話をききました。Bさんは、若い頃に看護婦さんをされていました。Bさんの働く病院に、あるとき乳飲み子と、三才くらいの子供を抱えた男性が入院してこられたそうです。子供のお母さんは産後の肥立ちが悪いのを苦にして、自らの命を絶つという過ちを犯してしまわれたそうなのです。Bさんは他人の子供とはいえ、母親のいない、薄幸な二人の子供を放っておくわけにはいかず、面倒をみていたそうです。やがて子供のお父さんが退院されたのですが、自分になついた子供の面倒を見続けるうちに、何となくそのお父さんと結婚生活に入っていったそうです。やがて、自分にも一人子宝が授かり、三人の子供を育てて来られたのです。しかし、何年か経ってお父さんの病状は悪化し、亡くなられてしまったのです。それからは、それこそ無我夢中になって働いて、子供を養育してこられました。何年か過ぎ、子供が成人して、就職試験を受ける時がきました。そして、戸籍謄本を取り寄せる必要が生じました。取り寄せた戸籍謄本を見たときに「しまった、うっかりしてたわ」と思ったそうです。子供達の父親が亡くなった時に、上の二人の子と養子縁組を結び、自分の戸籍に入れておくことを忘れていたのです。「気が動転していたのか、そんなことすっかり忘れて、皆自分の子供と思って育てていたんですよ。」と言われるのです。しかし、子供達はその謄本を見て、自分達二人はお母さんとは赤の他人、お母さんの子供ではない、ということを知ってしまったのです。そのときに、二人の子供達が叫んだというのです。

 「え!、私達はお母ちゃんの子供じゃないの、そんなの嫌だー、私たちはお母ちゃんの子供だよ一、そんなの嫌だ一!」

と言って、泣きじゃくってお母さんにしがみついて来たというのです。Bさんは、『私はそのとき、本当に嬉しかったです。子供がしがみついてきたときに、今までの苦労が一遍に吹き飛んでしまうような嬉しさを感じました。子供に有り難うといって、私も抱きしめてやりました。私の人生であんな嬉しい思いをしたことはありませんでした。』と述べておられます。お母さんの悩み相談は大したことではなく、その後解決したのですが、Bさんの人生をお聞きするなかで、そんな話を聞かせていただくことができました。聞いている私の心にも、涙が流れるほどの深い感動が、よかったなあ一という嬉しさがこみ上げてきたのを覚えています。感動は周囲にも良き連鎖をつくっていくのです。

 Bさんの心の中にあったのは、見返りをなにも求めない、無償の愛、Aさんのお母さんの心には、育てて上げているのだから、感謝を請求するという見返りを求める愛、があるのです。我を張って生きたAさんのお母さんの周囲には、喜びとか、感謝とか、祝福などの光明が無い世界、光かりの無い世界、地獄的な世界が連なってしまいます。しかし、自分のお腹を痛めた子とか、先妻の子とかを区別せずに、仏からいただいた魂、今世お預かりした魂であるとして、無償の愛に生き抜いたBさんには、大きな喜びが与えられ、子供たちの心にも、天国的な雰囲気が流れているのです。その子供達の周囲にもまた良き連鎖、天国的環境がどんどん広がっていくのです。

 この話は、無我なる愛、無償の愛に生きるとき、与えた愛の見返りは、仏から至福の時間という形で与えられることを、そして仏法真理はAさんの家庭のような、光の無かった家庭、無明に基づく連鎖の中にも、法の灯明を灯し、連鎖を改善していくことができること示しています。

 「心の挑戦」という書物のなかでは無我観の効用として次ぎのような教えがあります。

「霊的世界では、地上とまったく逆のことが起きるのです。与えたら与えただけ幸福になる、人のために尽くせば尽くすほど幸福になるのです。それはなぜかというと、仏の子としての自分、仏の分身としての自分が拡大するからです。自分自身がそれだけ仏に近づいて、仏の子として光が出てくるからなのです。この光が出てくることが、じつは幸福感の増大と自己の拡大を、意味しているのです。自分自身が仏に近づいていく成長感があるのです。これが幸福なのです。要するに、あの世の幸福とは何かというと、霊的な幸福です。霊的な幸福とは何かというと、仏に近づいていくことなのです。仏に近づいて行くときの成長感が、幸福のもとなのです。」

 つまり正しい信仰とは、地上世界において、霊的世界の真実を知り、この世でも仏に近づいていく道を教えることにあるのです。したがって、修行の方向、人生航海の、その方向性が大切なのです。方向性とは「何のためにいきるのか」「何のために学問をするのか」ということです。それが、AさんやBさんの家庭に見られるように、天国・地獄を分けてしまうのです。

同じ書物のなかには次のような教えもあります。

「なぜ、口を酸っぱくして仏教が無我を説いたか、無我に基づいて、「自分というものを空しくしなさい」「自分のものという考えにこだわらないようにしなさい」ということを、なぜくり返し、くり返し言ったかというと、結局、その人自身を救うことだからであり、また、その人を中心として地獄ができていくことを、何とかして防ごうとしているからでもあるのです。」とあります。

 無我はよき連鎖、縁起の連鎖を光明荘厳なるものとし、仏の理想どうりの縁起構成にして、地上仏国土を創っていくための必要条件なのです。無我なる愛こそが地上ユートピアを建設する菩薩の行為に必要なものなのです。



第五回 偉人の生き方から学ぶ


 先回は二人の婦人から教えていただいた無我と偽我のお話でした。今回は私の人生に大きな影響を与えてくださった二人の偉人の生き方から、無我を学んでみたいと思います。「稲叢の火」の主人公浜口悟陵と「密林の聖者」シュバイツアー博士の話です。

 安政の大地震による津波が、紀州藩に小さな村、広村を襲った時ことです。地震は夕刻に発生しましたので、津波が広村を襲った時には、陽がおちてしまい、夜の帳が分刻みで迫っていたのです。迫り来る闇の中でたくさんの村人が、波にさらわれ、救助を求める声が、湾内のあちらこちらから聞こえていました。何度も押し寄せる津波、そしてその引き波によって、しだいに沖合に流されてしまった村人は、すっかり暗くなった海面を、泳ぐ方向も分からなくなって、ただただ、身内の名を呼んで、「たすけてくれ一」と叫ぶしかなかったのです。

 高台に屋敷を構える、庄屋の悟陵は、そのとき必死になって救助活動に当たっていましたが、村人の悲惨な状況を目の前にすると、波間を漂う方向を見失った村人のために、自分の田んぼに干してあった収穫したばかりの一年間の実りである稲の束に惜しげもなく火を付けて廻ったのです。そして「頑張ってこちらに泳いでくるんだ一、この火を目掛けて泳ぐんだ一」と叫んで村人を激励し、沢山の村人の命を救いました。話はこれだけで終わりません。津波のあと、村人は家や田んぼを失って、疲弊し、希望を失い、村を捨てて出ていこうとしたのです。またいつ津波に襲われるかも知れない、そんな危険な村に不安を抱いていたのです。そこで悟陵は、村人に呼びかけたのです。「みんなの力で、湾の入り口に津波堤防を作ろう、そして子供や、孫達の時代になっても安心して暮らせるような、安全な村を作ろじゃないか、農作業の忙しい時には、田んぼにでて働いたらいい。でも手の空いたときには、堤防を作るんだ、日当は支払えるように智慧を絞って何とかする。」と呼びかけたのです。

 悟陵は自分の財産もつぎ込みましたが、多くの知名人に向かって、積極的義援金活動を展開したのです。これによって、村人は悟陵をはじめ、富者の蓄財した富を日当として分け与えられ、命と希望を郷土の地に繋いだのでした。津波堤防の築造事業によって、広村は廃村を免れ、その後も多くの村人たちの魂の修行の場、環境を与え続けているのです。広村に今も残っている津波堤防は、その後に襲来した地震津波を見事に防いだのです。

 この話に感激した外国入の小泉八雲は、「稲叢の火」という民話をつくったのですが、西洋に紹介するときには、そのタイトルを「生ける神」としたのです。このような行動がとれる魂は、神が肉体を持たれたように映ったのでしょう。国際津波シンポジュウムに集まった世界の研究者が広村を見学して、悟陵の遺徳に思いを馳せたという記事が新聞に載ったことがありました。御陵のともした稲叢の火は、濁世に灯った希望の明かりのように私には映ります。

「仏陀再誕」と言う書物には、成功者の要諦として次のような説法があります。

 成功者たちが、成功者として存在が許される理由は、

 他の多くの人びとへの愛の実践が、そこにあるからなのだ,

 そう、自らの田畑に、数多くの実りをつくったものは、

 人びとから妬まれたり、

 あるいは謗られたりすることが多いであろうが、

 自らの田畑に数多くの収穫を得ても、

 他の人びとから喜ばれる道はある。

 それは、自らが取り入れた、

 自らが刈り入れた数多くの果物、数多くの稲の穂を、数多くの麦を、

 まわりの人びとに配って歩くことだ。

 さすれば、あなたは存在そのものが善となる。

 その通り、そこに成功の要諦はある。

 人生の成功者、悟陵は自分の収穫したものを配って歩いたのです。村人への愛の実践を行って、「存在そのものが善」となったのです。いくら蓄財しても、いくら地位や名誉を得たとしても、それだけで価値が生まれることはないのです。成功者とは、砂漠に引いた水路の水のようなものです。水をいくら貯えたところで、それが、徳になることも、善になることもないのです。その水が闇夜のような、砂漠のような、この地上に敷かれた水路を流れて行き、水路の先に緑豊かな田畑を作り、花を咲かせてこそ、徳となり、善となり、成功となるのです。

 さて、密林の聖者シュバイツアー博士の生き方も貯えを配った成功の人生でしょう。30歳までは自分のために生きるのだ、それ以降は人のお役に立つ人生を生きるのだ、と考え、実行した博士の人生論を私は若い頃に読んで、感動もし、自分もそうしたいと思ったのです。しかし、ここで述べたいことは、貯えたものを配って歩く時にも、大いなる智慧が必要であるということなのです。あの尊敬するシュバイツアー博士であっても、批判されることがあるという難しさです。博士の無我なる行動を疑う人はいないでしょう。しかし、博士にも次のような盲点があったのです。

 博士が医療行為を行っていた村を日本人の医師が訪れてみると、博士の村には呼吸器系統に疾患を持つ患者が異常に多く、手足を切断した患者も隣村より目立って多かったのです。日本人の医師が調べたところ、原因は博士が西洋流の食生活をアフリカの密林の住人たちに導入したことにあったのです。アフリカに生まれ育った、土地の人には、彼らに合った食生活が必要であったのです。食生活を元に戻したところ、村人の健康状態は目だって、改善にむかったということです。仏教には、応病施薬、「人を見て法を説く」と言う教えがありますが、智慧の獲得がないと、病人に応じて、最適の薬を差し上げて「水路の先に収穫の喜びを得る」と言う作業ができなくなってしまいます。博士であってもこのような盲点があることを思うとき、凡人のわれわれは、智慧の獲得のために、「仏教の真髄を学ぶ」作業を怠るわけにはいきません。





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