貞観政要 八、
八、 君は舟であり人民は水と同じである

太宗(626〜649)・李世民

唐第2代皇帝

貞観六年に、太宗が侍臣にいった、

「昔の帝王をよく観察するに、その盛があれば衰があることは、朝があれば日暮れがあると同様である。その衰亡するのは皆、臣下が君主の耳や目をおおいくらまして、民衆の困窮も、辺地の反乱も、外敵の侵入も、少しも知らせず、そのため、君主は、時の政治において、どうやったらよいのか、どうしたら悪いのか、ということについて全く知ることがない。そして、忠正の者は、君主の太平ムードにひたっている気嫌を損ずるのを恐れたり、あるいは、君主から煙たがられて、そうした事実について言わず、心がねじけて、おべっかのうまい者ばかりが、日増しに君主のそばに接近している。そのようにして君主自身が政治上の過失を見ることがないのだから、国家が滅亡するようになってしまうのは当然である。自分は、宮中の奥深くに居るようになってしまっているから、天下の出来事のすべてを知り尽くすことはできない。それゆえ、その任務をあなた方に分担させ、私の耳や目の代わりとしているのである。今、天下は無事で、世の中は安寧であるからといって、気にかけずに安易に思ってはならないぞよ。書経に『君が徳をもって人民を愛すれば、民もまた君を敬愛する。君が無道であれば民は離反するから、恐るべきものである』という語がある。天子というものは、りっぱな道徳を持っていれば、人民は推し戴いて君主とする。ところが、無道であれば、人民はその地位を奪って捨てて用いない。ほんとうに恐るべきものである」

 魏徴は、それに答えていった、

「昔から、国を失った君主は、皆すべて国が安らかなときに、危険であったときのことを忘れてしまい、治まっているときに、乱れていたときのことを忘れてしまっている。それが国家を長久に維持することのできない理由であります。今、陛下は、その富は天下のすべてを保有し、国の内外が清平で安泰でありながらも、御心を政治のあり方に留められ、常に深い淵に臨み薄い氷を踏むように、びくびくと用心深く恐れ慎んでおられるから、わが国家が存続する年数は、自然に、国威が輝いて長久になるでありましょう。私はまた、こういうことを聞いております。

『古語に、君主は舟であり、人民は水である。水は舟を浮かべ載せる事ができるものであるが、一方また舟を転覆させるものでもある』と。

陛下は人民というものは恐るべきものであるとお考えになっておられますが、まことに陛下のお考えのとおりであります」

(解説者:原田種成)

民衆は恐るべきものであるという、太宗と魏徴との問答は、為政者のよく味わうべき言である。だから、この魏徴の言の中の、舟と水のたとえが、わが「平家物語」・「源平盛衰記」・「太平記」などの中に頻出しているのも当然である。