ライブラリー

32.瓜生島が別府湾の海底に消えた
 慶長元年(一五九六年)の豊後地震のときに、別府湾で島が消えた。
 その島は瓜生島である。瓜生島は大小二つの島よりなり、一二の村があって、千を越す住民がいた。地震は七月三日にはじまり、七月中は群発地震がつづいた。このため一部の島民は、島から避難した。
 翌月は閏(うるう)七月となり、しばらく平穏であったが、十一日に至ってまた群発地震がはじまり、十二日の午後一時には大地震が襲ってきた。島も激震であったが、島の対岸にある例のサルで有名な高崎山などでは、大きな山くずれがおきた。その後も余震が続いたが程なくおさまり、島民はやれやれと風呂に入ったり食事をしたが、それもしばらくで十二日の午後三時には再び地鳴りして大地震となった。島民は舟に乗ったり、泳いだりして逃げ出した。
 そうしているうちに、海の水が急にひき出して、五尋(九・〇メートル)の海の底まで岩が露出した。そのあとは古文書の表現のままに記してみると……。
 「然るに海底大いに鳴響百雷落る如し、洋濤忽ち起り来て洋溢、府内の近辺の邑里に大波至る。海上を見渡せば、瓜生島十二村唯一面の海上と成り、瓜生島の姿なし……」
 このとき、七八○名の生命が奪われた。現在、別府湾には瓜生島はない。瓜生島のあったところには浅瀬もない。アトランティスのように、地震と洪水で消え失せてしまった。
「地震のはなし」 浜野一彦 鹿島出版会 より
Back