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50.秘密にされた三河大地震の記録


昭和二十年一月十三日午前三時三十八分、三河地方にマグニチュード7.1という大地震が襲った。三河大地震である。・・・(中略)

 地震前日の一月十二日、昼間に軽い地震があった。このため夜中に、一カ月前の東南海地震のような大きな地震があるかもしれないと、妻はつは子供たちに服を一枚ずつ余分に着させ、すぐ逃げ出せるようにして寝かした。桂次郎もガラス戸のカギを一カ所だけかけず、外に逃げやすいように気を配っていた。

「時刻は午前三時四十五分(注・実際には三十八分)、遠鳴の大地ひびきに、すわ大地震なり、皆出よ!と、叫びもあえず障子を引き開け飛び出したる一刹那、四方に輝く大雷光とともに地裂け天落つるかとばかりの上下の大震動。余りの明るさに、これは大火山の噴出ならんと怖れつ見れば、既に家の軒は足元数尺の所に倒れてあり」(富田家財産控) 「恐怖のM8」中日新聞社会部編より

[解説]
 当時は報道管制が敷かれて、敵国アメリカに知られまいと、秘密裏に調査もおこなわれた。戦後40年近い歳月が流れて、愛知県の極秘調査記録所がみつかり、発表されたものです。この地震でも、深夜三時という時刻に、富田家主人は、大地響きと共に昼間のような明るさが襲ったことを証言しています。地震解離爆発説、解離時の電磁波による発光現象説を裏付けるものであると思います。

 また同じ書籍には、形原漁港の隆起現象も報告されています。港内が最高1.4メートルも上昇し、水深の浅いところに繋がれていた漁船が身動きが取れなくなってしまった、と記録されています。直下型地震特有の隆起現象であります。
  

                          (石田)

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