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2002/07/12(Fri) 00:05
石田 昭
深発地震と浅発地震では異常の原因が違う
ノリマン様 新・地震学をよく理解していただけましたね。たしかにテレビでも報道されるように、浅い地震でも異常震域の現象はあります。しかし深い地震の場合には、もっと広い範囲で異常(異常といっても、現在の定説で理解しようとするから異常になるのですが)が現れるのです。ハバロフスク近辺の地震を、新潟の人は全く感じません(無感)が、東京の人にはかなりの揺れとして感じるのです(有感)。              

また、若狭湾近辺での二つの地震では、深い地震の場合には一分後に北海道まで伝播しますが、浅い地震では、新潟までしか伝播しないという不思議(これも定説で解釈しようとするから不思議になるのですが)なことがあるのです。深発地震の謎に関しては、ライブラリーで学んで頂けるように準備をしています。少しお待ちください。

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2002/07/14(Sun) 18:30
石田 昭
現代の天動説とは
ノリマン様 新説・深発地震に関するライブラリーはもう少しお待ちください。その前に、以前話題になっていた「現代の天動説」がどのような文章の中に現れるかを、調べてみましょう。次のような文章です。     

「地球磁場は数十万年に1回ずつ逆転する。最後の逆転がおこったのは今から約70万年前である。地球磁場が逆転するといっても、地球そのものがひっくり返るわけではない。地球の姿勢はそのままで、磁場の向きだけがひっくり返るのである。                                         

現在の磁場を北向きの磁場とよぶことにすれば、北向きの磁場の強さがだんだんと弱くなり、その強さがゼロになった後で、今度は南向きの磁場ができる。このような磁場の逆転が数千年の問におこったこともわかっている。」                                                 

書籍の名前は控えさせてもらいます。自分で探してみてください。現在の定説はすべて、こういうような表現になるのですが、何年か後には、20世紀の天動説というタイトルがつくことでしょう。

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2002/07/15(Mon) 21:14
石田 昭
地動説のゴールド博士
ノリマン様 名著「地球深層ガス」を著わしたトーマス・ゴールド博士が現代の地動説論者であることを、博士の「未知なる地底高熱生物圏」という書物の序文でフリーマン・ダイソンと言う人が次のように語っています。

1955年にゴールドは「自転軸の不安定度」という表題の革命的とも言える論文を発表した。自転軸が100万年ほどかけて90度回転することがあるというのだ。それ以前の南北両極は赤道上へ、赤道の二点が両極へ移動するのである。質量の運動(石田:移動と訳すべきでしょう)が原因で、それまでの白転軸は不安定になり、新しい白転軸が安定するからだという。たとえば、旧両極に蓄積した大量の氷が質量(重心)の安定性をひっくり返すのかもしれない。その論文を専門家は40年もかえりみようとはしなかった。その間にことこまかに注目されていたのは大陸が動く現象やプレートテクトニクスの理論だった。それらと結びつくものではなかったゴールドの説は専門家には関心がなかったのだ。予測された回転の仕方は大陸が動くよりもはるかにはやく、大陸の位置を動かすようなものではない。ただ、自転軸に対する大陸の位置が変わるだけだ。

この一文でゴールド博士が現代の地動説論者であることは明らかですが、私もこの一文で初めて博士の地動説論を知りました。つまり、正しい論説が河原の宝石のように、石ころの間で埋もれていってしまうのです。アメリカで現在の定説以外の説を唱えるのはLib.28で星野教授が言っている様に大変なことのようです。

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2002/07/20(Sat) 12:55
石田 昭
地震の化石に関するノリマン氏の質問
ノリマン氏からの発言が一つエラーで消えてしまいました。思い出しながら再現してみます。       

石田研究所の理論はすべてにわたって定説を覆す内容になっていますね。「地震の化石」というのも違っています。検索すると次のような説明がのっていました。

【地震の化石 シュードタキライト】                     

マイロナイトとは別に、もう少し浅いところでできる石があります。地震の化石と考えられている、「シュードタキライト」という石です。断層が地震で急激に動いたときに、周りの石が壊れるのと同時に摩擦熱で石が一部融けます。この「砕けたかけら」と「融けた石」が、周りの割れ目に入っていきます。「融けた石」より回りの岩のほうが温度が低いので、一瞬のうちに冷やされてまた石になります。                                 

日高でもこの「地震の化石」が観察できます。この石を見ていると、当時の地表はどんな様子だったろうか、被害を受けた動物はいたのだろうか?としばし不思議な感じがしました。                                         

現在でも、どこかで大きな地震があればおそらく、地下深いところではこうした石ができているだろうと考えられるわけです。というものです。シュードタキライトはたしかに、化けた石といえますが、石田理論での化石は泡の殻という感じですね。シュードタキライトのほうが化石という名に相応しいと思いますが・・・ケチをつけているようですみません。

こんな内容でした。

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2002/07/20(Sat) 13:30
石田 昭
定説を替えないと御伽噺を創る 
ノリマン氏への返信もエラーで消えましたので、思いだしながら再度返信します。             

シュードタキライトという石が地震の化石であるとは思いません。「断層が急激に動いたときに、摩擦熱で石が融ける」などということがあるとは思えません。これは地震の発生する原因を「弾性反発説」というアメリカ生まれの定説に固執している研究者の頭の中で作られた、御伽噺のようなものであると思っています。  

御伽噺はこれだけではありません。太古にはパンゲアという超大陸があって、それが分裂移動して、現在の大陸の配置になったとか、「世界の屋根ヒマラヤの生い立ち:ユーラシアとインドの衝突が大山脈をつくった」とか「海の向こうからやって来た伊豆半島:大陸のかけらがぶつかって丹沢山地ができた」などという、神話にある「国引き物語」のような御伽噺が教科書や、有名な科学雑誌にまで載っているのは、私には驚きです。各大陸には海の底にあった時代があることを示す明瞭な証拠があるのです。大陸移動ではなく、大陸浮沈なのです。定説も進歩していかないと、こうした御伽噺を科学の世界に混入させてしまいます。今は変革科学が求められています。

次に示す写真は石田理論で地震の化石」と呼んでいる紀州の「鬼ガ城」付近で見られる発泡形状の岩石です。カルメ菓子との比較を示した写真です。


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2002/07/23(Tue) 14:43
石田 昭
ライブラリーに深発地震関係を増設
ノリマン様 ライブラリーNo.4447に深発地震関連を増設しました。深い地震では、異常震域とか、走時残差という問題がありますが、地殻が二重構造になっていると考えると、なんら不思議ではなくなることが理解できると思います。異常震域の原因が浅い地震と深い地震では異なることも説明してあります。
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2002/07/28(Sun) 11:22
ノリマン
東海地震も御伽噺? 
まだ工事中で図面が拡大できないようですが、浅い地震と深い地震の異常震域の原因が違うこと、よく分かりました。                                                   

地球に関する知識は誤解に基づくものが多く、御伽噺のようなものが、科学の世界に入ってきているという指摘は重大ですね。現実の社会が御伽噺に振り回されてしまいますから・・・。東海地震が迫っている、というのも御伽噺の世界の話で、何ら明確な根拠はないのではないでしょうか。

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2002/08/01(Thu) 10:59
石田 昭
地震の発生原因探求が大切
私もそう思います。東海地震が迫っている、という根拠は何処にあるのでしょうか。「フィリピンプレートがもぐりこんでいて、それによる歪エネルギーが未解放になっている。駿河湾に地震空白地帯がある。」という話が根拠のようですが、プレート説が間違っているとしたら、こうした話はまったくの御伽噺でしょう。東海地震は明日起こってもおかしくない、といい続けて25年です。地震への備えをすることは大切であると思いますが、地震の原因を探求する努力はもっと大切であると思います。
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2002/08/19(Mon) 13:29
國次 秀紀
相模湾に沈んだ熱海湊を発見致しました
石田先生 こんにちは                                            石田先生がライブラリーで紹介している石本 巳四雄博士のマグマ貫入説での相模湾海底の大陥没ですが、以前にもこの静岡県熱海市でも有ったようです。と言ってもはっきりとした資料も無く時代考証は出来ていないのですが、陥没年がおおよそ1247年頃ではと推定しております。この推定は「百錬抄」の一節に伊豆の國で大陥没の風説ありとうたわれているからです。ここ熱海では太古より火山の噴火が絶えず、新しくは749年に噴火があり熱海の名前の由来となっております。この噴火した火口跡を最近になって(2002.5.2)に発見致しましたが、この場所が以前より宗教儀礼の場所として使われていたらしく階段や遺物等が点在しております。また、火口跡も以前に見つけた所も有り、集落跡、石垣、護岸石垣、石畳、大桟橋の痕跡を見つけております。沈んでいる水深は20m〜46mにも及び範囲も大変広いものです。 マグマ貫入説による陥没かと思い、ここに書き込みました。一度ホームページを見て下さい。
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2002/08/20(Tue) 08:29
石田 昭
熱海湊を始めて知りました
國次さま 情報ありがとうございました。                                    

熱海湊の存在は始めて知りました。こうした話はずいぶんたくさん有るようですね。昔は渥美半島の南側に沿ってお伊勢参りの街道が有ったという話、また伊勢湾の入り口付近には、鯛の島という島が有ったという話などあります。いずれも地震で海中に没したようで、お伊勢参りも内陸を通るようになったとかです。渥美半島の沖合いには、お寺の石柱などがあって、魚網にひっかかって網が破れしまうという話を聞いたことがあります。         

熱海湊の水中考古学的研究が実れば、地震学の発展も期待できると思いますので、頑張って調査を行ってください。今後の調査を期待しております。

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