新・地震学セミナーからの学び
30 関東大震災の最激震地,根府川の山津波
関東大震災における最大の激震地区は神奈川県下であるということが、東京の大火災被害の影に隠れて、見失われがちではないでしょうか。下の図は山崩れ地帯の概況図であります。山崩れ激甚地帯は丹沢一帯、箱根南部に出現しています。東京、横浜は火災による被害が激甚でしたが、震害という面では、一村が消滅するような悲惨なことが起こったのです。特に、根府川で起きた山津波による列車丸ごとの遭難事件は、単なるがけ崩れというものとは違う現象と認識しなければいけないと思います。
根府川で起きた惨状を正記から紹介します。

「小田原の南方約一里半(6km)片浦村以南は、震災に次ぐ海嘯(津波)の襲来を受け、熱海鉄道沿線に当たる片浦村根府川は山岳崩壊して山津波となり、一部落六十余戸は人畜諸共百尺(30m)以上の地下に埋没し、永劫発掘し得べからざるの秘境に陥り、又震災の刹那恰も根府川駅に停車せんとした東京発真鶴行列車は、乗客約二百名を乗せた儘、停車場の建物と共に山津波に呑まれ、土砂に包まれて深く海中に沈下し、生霊は永へに相模灘の幽鬼となって浮かぶ能はざるに至った。」

とあります。また別の項には、次のような説明もあります。

「根府川は本県(神奈川)内に於いて、山壊のため最も惨状を呈したるものの一つである。震災前根府川は川幅約二間(3.6m)内外で、海岸に注ぐ川口は凹地をなし。此処に約三十戸を算する一小部落があった。熱海線根府川鉄橋は此部落上に架したもので、延長五十余間(90m)、高さ百尺(30m)以上の大橋梁であった。然るに、震因により約一里半(6km)の上流なる山体崩壊し、之が為山津波を生じ、海岸に向かって倒木土砂を押し出し、川岸の樹木は悉く埋没して其跡を止むるもの殆んどなく、僅か五分間くらいで下流なる前記の部落全部を埋没若しくは海中に押し出し、為に住民の惨死せるもの八十名内外に及んだ。頑強なる鉄橋も破壊せられ、停車場に停車中の客車一列車は、乗客と共に海中に流没せられたるの悲惨事を発生した。(中略)
同村米神部落もやや同様の状態で、山津波のため部落の約半数三十戸は埋没し、死者五十余名を算するに至った。」

このような山津波という現象はなぜ起こるのでしょうか。震動災害で山体の斜面が崩れるだけで、6kmも流下して、なおかつ強固な鉄橋を破壊する力があるとは思われません。大地震で発生する山津波は噴出ガスが土砂を運搬する粉体流、または岩屑流という現象だと思います。長野県西部地震のときに、御岳山の中腹から発生した、山津波が下流の大滝村に大きな被害を与えたことがありますが、これも噴出ガスが土砂を運搬して高速度で流下する現象だったと思います。

もっと大規模なものになると、セントへレンズ山や磐梯山の山体崩壊現象のようなことになるのだと思います。根府川の悲劇と同じような事件が、名立の崩れとして、岡本綺堂作の戯曲にもなっています。名立は日本海に面し、上杉謙信公の居城春日山の近くにあった集落です。

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