Home Search Admin
新・地震学セミナー

このサイトは「地震爆発論学会」の研究発浮フ場を兼ねています。

投稿を希望される方は、管理者ansin@ailab7.com 宛メール送信してください。管理者が内容を
判断して適宜紹介させていただきます。


過去ログは「セミナー倉庫」に収録してあります。次の索引一覧からごらんください。

http://www.ailab7.com/log/seminarsakuin.html





記事のタイトル一覧をHomeにリストアップしてあります。New!


  [2503] 今の時代に『黒潮古陸』を唱えることは勇気の要ることらしい
Date: 2017-05-28 (Sun)
 [2497]に紹介しましたが、横井氏の恩師である市川先生が「黒潮古陸」への反対の声に屈して、取り下げたそうです。

 [2490]に紹介した徳岡先生と一緒に論文を発表した原田 哲朗先生(和歌山大学教授)も、晩年には「付加体論」に押し切られたようで、「北側の大陸に順次付加・合体していった」という想定をなされていたそうです。
大勢の人が言うことが正しいと思えてしまうのでしょうか。

『四万十帯』(中屋志津男=和歌山県立大成高校教諭)から抜粋して紹介します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(6)黒潮古陸

牟婁層群には、オーソコーツァイトと呼ばれる砂岩礫が含まれるのが特徴です。オーソコーツァイト礫は、平瀬一鮎川断層以南の地層中には数〜20%程度の割合で普遍的に含まれ、南部ほどより多く含まれます。とくに枯木灘海岸地域の下露累層ではオーソコーツァイト礫の含有量、礫径がともに大きくなる傾向がみられます。この地帯の礫の大きさは、親指大のものが多く、なかには握りこぶし大のものまであります。

図4・4・10―枯木灘海岸の牟婁層群下露累層(中平見付近並びに双島)の地質と礫種構成および古流向


オーソコーツァイト礫は、徳岡・別所(1980)によって詳細な研究がなされています。オーソコーツァイトは、石英が95%以上を占める砂岩で、その多くは、砂粒の殆どが完全なまでに円磨されています。礫の大部分は、塊状の砂岩ですが、弱い平行葉理や級化構造が認められるものもあります。礫の色は、灰白色や赤色・赤紫色のものが多く、このほかにも様々な色調のものがあります。オーソコーツァイト礫の砂粒には、2次成長を示すダストリング(写真)がよくみられます。砂粒はよく円磨され、角ばった砂粒や、やや角ばった砂粒は全く含まれません。

これらの特徴は、オーソコーツァイト礫が大陸的な乾燥気候下で、花崗岩・片麻岩・まれに堆積岩などが、きわめて長期間にわたって浸食・風化されることによって生じた風成砂に由来するものであることを示しています。

牟婁層群のフリッシュ型砂岩泥岩互層には、カレントクレスセントカスト、フルートカスト、プロッドカスト、グルーブカストなどたくさんの流痕が広い地域に認められます。これらの流痕から求められた牟婁層群の古流系は、東ないし北東からの流れに加えて、南ないし南東からの古流系が存在することを明らかにしています(図4・4・14)。

図4・4・14−牟婁層群の古流向 ...................     図4・5・15−流痕(@〜D)と漣痕(E)


これらの事実から、かつて四万十帯の太平洋側には、オーソコーツァイト礫を含む砕屑物の供給域が存在したとされ、この陸域は黒潮古陸と名付けられました(紀州四万十帯団体研究グループ、1970。原田・徳岡、1974)

なお古流向の計測においては、四万十帯の屈曲変形(第5章)に伴う補正が必要になってきましたが、この補正を行ったとしても、牟婁層群の古流系では太平洋側からの要素を否定することはできません。

その後、四万十帯の研究が進展する中で、白亜系の一部から海洋地殻の沈みこみに伴う付加堆積体が認められるようになりました。

晩年の原田先生は、
「黒潮古陸は、南の太平洋側に島弧列をなして存在し、北側の大陸と南側の島弧(黒潮古陸)の間には、四万十の海が広がっていた。この海は、陸源堆積物と海洋性の岩石(緑色岩・チャート)を混在せしめる現在の海溝のような機構をそなえていた可能性があり、四万十の白亜系は、海溝を伴う縁海に堆積し、北側の大陸に順次付加・合体していったのではないか」
という想定をされておられました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「黒潮古陸」に拘っていると、元・大学教授といっても、世間からは「時流に逆らうおかしな人」という評判になってしまうのでしょう。

『生活をする。つまり給料を貰う』には時流に逆らうことは大変です。少なくとも、文部科学省には相手にされませんから、私学関係者も右へならへで、相手にはしないでしょう。

「プレート論全体主義」の時代に、信念を貫いて生きることは大変勇気の要ることなのです。

  [2502] 南方古陸を想定しないと説明できない四万十帯竜神層の地質
Date: 2017-05-27 (Sat)
「付加体論」の内容は単純すぎます。地質学者はもっと丹念に現地を調べています。

 紀伊半島の四万十帯を調査した論文にも、南方古陸を想定する興味深い論文があります。

 サブダクションを導入するあたりは、既にプレート論の影響を受けていますが・・・。

しかし、精細な調査結果を正しく解釈して、「日本列島形成史」を作って欲しいと思い抜粋して紹介します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
奈良県十津川村南部四万十累帯北帯の日高川層群木村克己より抜粋


第1 図 四万十累帯日高川帯の地質概略図と位置図
    一紀州四万十帯団体研究グループの未公表資料、 栗本(1982)を引用。


 3 . 堆積環境
 竜神累層の堆積環境については、 同累層の堆積盆の形態として、 砂岩優勢互層からなるRb 部層が東から西への軸流を示すことから、やや西へ傾斜したトラフ状の堆積盆が考えられる。また、Rc 部層では側方流が認められ、北方からの流れが卓越している(徳岡ほか、1981)。
 
 丹生ノ川累層は南から北への側方流が卓越する。主にタービダイトおよび関連岩相からなる本累層は、二つの顕著な上方厚層化・粗粒化サイクルをなす。 よく連続して分布する上部のサイクルでみると、堆積体は中央部で粗粒で側方へ薄層化する扇状地状の断面形態をなす。すなわち、中央部で全体の層厚が約2、500m と厚く、かつ粗粒で礫岩層が発達し、側方へ薄層・細粒化する。下部サイクルについても同様の傾向があるように思われる。これらの古流系・岩相の特徴から、丹生ノ川累層は南から北へ広がった海底扇状地をなしていたと推定され、 WALKER & MUTTI (1973)の前進する海底扇状地モデルによく符号する。後背地については、竜神累層は北方、 丹生ノ川累層は南方のそれぞれ異なった後背地より砕屑物がもたらされたものと考えられる。
その根拠は次の通りである。

1 ) 上記した両累層の堆積環境および古流系の違い、
2 ) 両累層が同時異相で砂岩の鉱物組成が異なる、
3 ) 両累屡の現在の分布から丹生ノ川累層の堆積場が竜神累層の南側に位置していた。

また、 北方の後背地は、KUMON (1983)がすでに詳しく述べているように、西南日本内帯に相当し、著しい酸性火成活動を伴う大陸であった、南方の後背地の性格は、丹生ノ川累層の礫岩の礫組成と砂岩の鉱物組成に基づくと、 酸性火成岩類とチャート・石灰岩を含む砕屑岩類を主要な構成岩層としており、成熟した島弧のような古陸と推定される。紀州四万十団研が主張した南方古陸は、カンパニアンには確かに存在していたであろう。カンパニアン以前は美山累層の堆積・変形時(チューロニアン〜サントニァン)であり、 美山累層は下部大陸斜面から海溝での堆積物でサブダクション・テクトニクスにより付加帯を構成したと推定されている

一方、南方古陸の出現による影響は、カンパニアンの丹生ノ川累層で初めて認められることから、古陸は海洋底の沈み込みにともなって当時の西南日本弧に接近したものと想定される。竜神累層中に再堆積した緑色岩の元来の形成場についてあまり議論できないが、緑色岩が海洋性ソレアイトであり殆ど噴出岩からなること、そして上に述べた古地理とから、 南方の古陸と北方に想定される西南日本弧との間に存在していた海洋底において、緑色岩が噴出したものと推定される。なお、緑色岩の起源を竜神累層より古い地層一美山累層や秩父累帯を構成する地層一からの再堆積とする考えは、これらの地層中の緑色岩類に一般に伴っている放散虫化石チャートが、竜神累層にはまったくみられないという問題があり妥当でない。

 以上のことより、 カンパニアンにおいて日高川層群の堆積場は、北側に酸性火成活動を伴う大陸、南側に成熟した島弧(南方古陸)を配置した狭長な海盆であったと推定される。

ま と め

 1・本地域の日高川層群は3 累層からなる。各累層は互いに断層で境され、北より美山累層・竜神累層・丹生ノ川累層の順に配列する。放散虫化石に基づき、美山累層はチューロニアン、 そして竜神累層と丹生ノ川累層はカンパニアン(初期〜中期)で、 同時異相の関係にあると考えられる。

 2・竜神累層は3 部層(Ra 〜Rc 部層)からなり、 厚さは2,800 m + である。泥質岩が卓越し、ターピダイト互層・緑色岩―頁岩ユニットを挾在する。丹生ノ川累層は7 部層(Na 〜Ng 部層)からなり、厚さは4, 900m 十である。種々のタービダイトおよび再堆積性礫岩からなり、二つの上方粗粒・厚層化サイクルをなす。岩相および古流系に基づくと、竜神累層の堆積環境は、東西に伸びたトラフ状堆積盆が想定され、一方、丹生ノ川累層は南から北へ広がった海底扇状地をなしていたと推定される。

 3 ・ 竜神累層にはオリストストロームとしてとらえられる緑色岩―頁岩ユニットが数層準に挾在する。同ユニットは主に緑色岩ブロックと基質の剥離質灰緑色頁岩からなる。緑色岩は半遠洋性頁岩の赤色および緑色頁岩、インターピロー石灰岩、 赤色ジャスパーを随伴する。緑色岩の近傍の基質泥質岩中の石灰岩レンズから、サンゴ化石が 発 見 された

 4 ・カンパニアンにおいて日高川層群の堆積場は、 北側に酸性火成活動を伴う大陸弧、 南側に成熟した島弧(南方古陸)を配置した狭長な海盆であったと推定される。

カンパニアン:
白亜紀で最後から2番目の期。白亜紀後期も終盤に差し掛かる一時代にあたる。約8,360万年前(誤差70万年前後)から約7,210万年前(誤差60万年前後)までの、およそ1,290万年の間続いた。
サントニアン:
白亜紀最後から3番目の期。8,630万年から8,360万年前までの間続いた。
チューロニアン:
白亜紀最後から5番目の期。約9,390万年から8,980万年前までの間続いた。

オリストストローム:
大小いろいろな種類の岩塊を乱雑に含む地質体。

ソレアイト:
玄武岩の一種。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

調査図面は載せませんが、精細な調査結果は貴重なものです。単純な「付加体理論」で解釈を済ますべきではありません。

また、再三指摘しているよいうに、サンゴの化石が見つかるのは、古陸の上の大河が運搬してきたのではなく、日本列島自体が赤道近くにあったと解釈すべきです。

ハプグッド教授の「地殻の滑動説」が地球上の謎を解き明かしてくれそうです。

  [2501]地球化学図が「黒潮古陸」を復活させる
Date: 2017-05-27 (Sat)
「黒潮古陸」が「付加体論」によるメランジュなどに“流行”が移ってしまい、意識の底に沈んでしまった、ことを紹介する記事があります。
 しかし、化学的な方面からの探求が進んできて、「今、地球化学図が燃えている」という「黒潮古陸の復活が期待できる」楽しみな記事なので、少し長いですが紹介します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

地球化学図からテクトニクスを読む
−黒潮古陸は再浮上するか?−
田中 剛 より抜粋

2.黒潮古陸
 1970年の前後、堆積物の起源や形成過程の研究が隆盛を極めた。例えば、Adachi(1971)による上麻生礫岩の発見とソールマークによる古流向の推定は、これらの礫岩を供給した後背地が北方大陸に露出し、そこからの供給を示唆する強力な証拠となった。紀州四万十帯団体研究グループ(1968)は、紀伊半島に露出する四万十帯を精査し、牟婁層群では堆積盆の伸張方向に沿った東西方向のタービダイトに加えて、北→南、南→北の側流が顕著に見られることから、そこに含まれるオーソコーツァイト礫を供給した大陸的性格を持った南方陸地を推定した。さらには、上麻生に見いだされた片麻岩礫が、先カンブリアの放射年代を示したことから、先カンブリア基盤を持つ大陸『黒潮古陸』への期待はいっそう高まった。しかし、黒潮古陸は、その後何処に消滅したのだろうか? プレートは先カンブリア地殻を含み密度の低い物質を引きずり込むのだろうか?といった疑問や、四万十帯の白亜系砂岩の供給源は、北側の内帯東部にありとの調査(寺岡、1977)、さらには、四万十帯の『顔』が「砂岩」から「チャートを含むメランジュ」に移ったことより、流行に追随できなかった『黒潮古陸』は、いつしか意識の底に沈んでしまった


第1図 四国および紀伊半島の87Sr/86Sr地球化学図。Jomori et al.(2013)のfig.2から転載。


3. 地球化学図
城森らは、 同一の川床堆積物試料を用いて、 その87Sr/86Sr 同位体比を測定した。その四国、紀伊半島地域の空間分布(地球化学図)を第1図に示す。
ここで注目したいのは四万十帯が花崗岩や片麻岩を含む北の領家帯よりも87Sr/86Sr 同位体比が高く、さらには四万十帯でも若い南方ほど、同位体比がより高くなっていることである。より若い南帯の87Sr/86Sr 同位体比ほど一層高い、その理由はなぜだろうか?

4. 四万十帯の87Sr/86Sr 地球化学図
 良く知られているように、87Rb は488 億年の半減期で87Sr に放射壊変する。したがって87Rb の多い岩石や鉱物ほど、87Sr の増加が早い。第2図は、年代を求めるいわゆるアイソクロンプロットに使われる座標で、同一のマグマから生じ、様々な87Rb/86Sr 比を持つ岩石や鉱物は、時間とその87Rb/86Sr に比例した、右上がりの直線上にプロットされる。堆積岩の場合も年代が経つに従い87Rb/86Sr が大きい程87Sr/86Sr 同位体比は早く上昇する。
しかし、固体粒子から構成される堆積岩は、マグマと異なり、堆積時に化学的に均質化されないので、第2図のようなアイソクロンプロット上の列は、複数の供給源からの物質の混合線である場合が多い。時代が経つに従い、古い堆積岩の混合線もその傾斜が急になるが、新しく堆積した堆積岩も、古い堆積岩とその供給源(後背地)が同じなら、後背地の物質も87Sr/86Sr 同位体比が進化しているので、古い堆積岩と同じ傾斜の混合線をもってプロットされる。
いずれにせよ、古くてRb の多い後背地からの堆積岩ほど、87Sr/86Sr 同位体比が高い傾向には変わりがない。
同位体比が低くなるのは、Jomori et al.(2013)でも紀伊半島東部で取り上げられているように、若い火成岩に起源を持つ物質が混入した場合である。

5. 地球化学図からテクトニクスが読めるか
 第1図の地球化学図では逆に、南方の若い堆積物ほど87Sr/86Sr 同位体比が高いことが示されている、この事象を説明する最も容易な仮定は、南方の太平洋中により古い供給源を仮定することであろう。より供給源に近い南帯ほど87Sr/86Sr 同位体比が高いことを説明し易い。黒潮古陸は再浮上するのだろうか?  

 四万十帯の砕屑物の研究からは、それをもたらした後背地は北方に分布した内帯酸性火山岩類、領家複合岩類、秩父累帯古生層などにあると考えられている。しかし、第1図に示した地球化学図をじっくりと見て頂きたい。四万十帯の北方には、より高い87Sr/86Sr 同位体比を示す地体は見当らない。いやいや、四万十帯に物質を供給した地体は、すでに削剥され、残っていないのだ、と言われるかもしれない。さらには日本海の形成以前、(中国)大陸からの砕屑物が直接太平洋に流入していたと考えることも可能であろう。砕屑性白雲母のK-Ar 年代325〜335 Ma から寺岡ほか(1994)は、三郡変成岩相当層を候補の一つと見た。


第2図  第1図に掲載したデータのうち、四万十帯からの試料に太平洋諸地域の表層堆積物のデータ分布域を太実線で囲み、和文で地域名を表記した図。
図中の細実線で囲んだデータは第1図中で囲った地域(紀州四万十帯)のデータ
CDとIRは、continental detrital materialsおよびigneous-rock-derived materials、を示す。


 第2図に四万十帯の資料に太平洋各地域の海底表層堆積物のデータを重ねあわせて示した。太い実線で囲い、日本語で地名を書いてある領域がAsahara et al.(1995)から引用した各海域のデータ分布域である。両者を比較して、四万十帯南帯の高い同位体比は、揚子江や黄河からの砕屑粒子が沈積している、東シナ海や黄海堆積物のそれとも異なっている。このことから、かつての四万十帯が東シナ海にあり、大規模な横ずれ断層により、現在位置にまで移動したことも考えにくい(四万十帯に供給された大陸性物質が、現在の黄海や東シナ海の堆積物とは異なっていたと考えることを否定はしない)。
 
 一方、第2図からは四万十帯の87Sr/86Sr–87Rb/86Sr分布は、現在の西太平洋ではなく、中部北太平洋の表層堆積物の分布に似ていることがわかる。中部北太平洋の表層堆積物は、大陸起源の風成塵と火山起源物質や生物遺骸の混合した軟泥とされ、同位体比もそれを物語る。しかし、四万十帯堆積物の主体は砂岩類である。
 もう一つ、四万十帯の87Sr/86Sr地球化学図の特徴は、87Rb/86Srが小さく、87Sr/86Srが低いデータに欠けることである。第2図で言えば、左下の伊豆小笠原弧周辺堆積物の分布するあたりである。Jomori et al.(2013)のfig.6によれば、三波川帯や秩父帯には、この領域に少なからずデータ点が分布する。このことは、四万十帯は、島弧型あるいは海嶺型の塩基性火山活動による物質供給が三波川帯や秩父帯ほど多くなかった地に堆積したことを物語る

6.これからの地球化学図
いま、地球化学図が燃えている。城森らは、今井ほか(2004)による川床堆積物試料の分析を昼夜兼行で進めているという。内帯古生層や三郡帯を含めた、日本列島の87Sr/86Sr地球化学図が完成する日もそう遠いことではあるまい。
 筆者は、地球化学図が資源と環境に加えて、地質テクトニクスを読む強力な助っ人になると信じる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 以上が田中氏の論文の抜粋です。
 どう考えても「付加体論」の内容は単純すぎて、科学的とは言えません。地質学者らが積み上げてきた研究を無視しています。

 
「地球化学図」が“流行”している付加体論を打ち破って、
日本列島の正しい誕生物語を書き上げるくれることを切望します。


 

  [2500] 国を衰退させたこの4年間は無駄だった
Date: 2017-05-27 (Sat)
関西電力の大飯原発3、4号機が正式に合格と判断されたそうです。


審査に要したこの4年間で国家としては他国の発展に後れを取ったことでしょう。島崎氏に対して、田中委員長は「専門家としてリスペクトしていた」のに、辞めてからの発言に不快感を持っているそうです。

 しかし、委員長も「見る目がなかった」のではないでしょうか。

 済んだすことをとやかく言う気はありませんが、入倉・三宅式などを使っていること自体が論理性がありません。
その意味で、反原発派の人たちが言っていることにも一理はあります。

間違いだらけの地震学が国を滅ぼす・・・間違った発言ではありません

  [2499] NHKの地学に関する科学報道を信じてはいけない
Date: 2017-05-26 (Fri)
[2463]劣等な科学実験でも紹介した京都大学の研究がNHKのサイセンスZEROで「再現!日本列島の成り立ち」という番組で放映されたそうです。

こんな動画を見せられたら、「大陸はどんどん拡大していく」「日本列島は鉋屑からできた」というプレート論者の言葉を信じてしまいそうです。

 日本の南沖合いに「黒潮古陸」が存在したなんていうロマンに満ちた話が「学術的には過去の仮説」([2490]参照)となってしまったのも頷けます。

しかしこんな話は間違っています。

 京大の研究チームが出している論文「付加体形成系性過程のモデル実験」には次のような説明図があります。最上部のカラー写真はネット上にあるものです。



解説文には2種類の衝上断層が形成され、一つは剥ぎ取られる断層(FT)で、もう一つは逆方向に向かう断層(BT:着色した部分)であるとしています。

逆方向に向かうという着色した部分を見ると、陸側上がりの地層のように見えますが、カラー写真のケースでは見えていません。BTに見えるようなケースの写真を提示しているだけではないのでしょうか。

たとえ、そのような地層的なものが実験で見られたとしても、一枚の地層の内部で年代が違うようなものは四万十層には存在しないはずです。

実験は、現実の造構プロセスを表現するものではありません。何の実験をやっているのかまったく意味不明です。

実験では左側に固定の壁があって、砂を載せた底板を左に引っ張っています(または、壁を推している)。剥ぎ取られた物質が蓄積されて陸地がどんどん形成されていくように錯覚しますが、

@底板を引っ張る力に相当するものは現実には存在しません。プレートが動くのは自重によって沈降するのであり、機械的に引っ張るのはナンセンスです。

A底板に相当するフィリピン海プレートは誕生する場所がありません。

B四万十帯はほとんどが北側上がりで、南側上がりの構造は褶曲の頂部だけのはずです。

以上から考えて、この種の研究は実験手法に間違いがあります。NHKは国民を誤導しています。


ついでに同じような「砂箱」を使って行っている「サブダクションに伴う上板プレートの変形」という外国の研究も紹介します。



固定した模型海山の乗っている板を砂地に押し込んで地形の変化を調べています。この装置で鹿島第一海山の潜り込みを検討していますが、まったくナンセンスな研究です。

  [2498] 砂漠と河川で円磨された花崗岩よりはるかに硬い正珪岩
Date: 2017-05-25 (Thu)
石川県白峰村に分布する手取層群の礫種と砂岩組成という平教授の高知大時代のノートがありました。

赤岩層に含まれる正珪岩の礫と砂岩の違いを調べたものです。抜粋して紹介します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

白峰村では、著者らの観察したかぎりでは、赤岩層の礫は、そのほとんどが、正珪岩(オーソクォーツァィト)礫からなる。 ここで問題となるのは、礫種と砂岩の組成がまったく異なるという点である。すなわち、礫は、ほとんど長石を含まない正珪岩なのに、砂岩は、きわめて長石に富んでいるのである。これは、どのように考えたらよいのだろうか。

砂岩の組成については、石川県教育委(1978) のデータによると、 赤岩層下部層において、長石分は、下位より上位に増加する傾向にある 。上部百合谷礫岩層付近では、長石は全体の 30%以上、 長石/(石英+長石)で60%、アルカリ長石が15% 程度のアルコーズ砂岩となっている。
赤岩層上部層についても、著者らの薄片観察によれば、やはリ 30% 以上の長石を含む ものがあり、正長石パーサイトも普通にみとめられる 。日本の砂岩の中でも、これだけアルカリ長石の多い砂岩は珍しいと思われる。

供給地について考えてみよう。砂岩の粒子中には。カコウ岩の岩片と思われるものが含まれている 。さらに、礫中にも、まれに、カコウ岩質岩石が含まれているらしい(石川県 教育委、1978)。これらのことも考えて、砂岩がカコウ岩質供給源からもたらされたのは、間違いない。

したがって、供給地として、カコウ岩質岩石と正珪岩が分布する地域が考えられる。このような層序は、朝鮮半島や中国の先カンブリア系と類似する。たとえば、五台系カコウ岩類と上位の直峴統、あるいは震旦系中のカコウ岩と駒峴統の関係があげられる。さらに朝鮮系陽徳統にも正珪岩が含まれる。

 このような供給源から、なぜ、アーコーズ砂岩と正珪岩礫がもたらされるのかについては。源岩の“強さ”で説明できるかもしれない。正珪岩は、石英粒子のまわりにシリカが overgrowth していて、しっかりセメントされており、個々の粒子に分解されにくい性質をもっているようである。砂岩の粒子をみてみると、 明らかに正珪岩からもたらされたと考えられる粒子は、少なく、上の推論を支持していると思われる。

 一方、カコウ岩の礫がなぜ少ないのかについては、はっきりしないが、 @カコウ岩の方がより個々の粒子に風化されやすかった。 Aカコウ岩礫の方が、正珪岩礫より運搬に弱かった、などが考えられよう。

 手取層群の供給地の問題は、日本海形成以前の日本列島の位置復元上、たいへん重要で、 今後さらにくわしく検討する必要がある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 正珪岩は結晶質の花崗岩が一旦バラバラになり、さらに石英質だけが熱による変性作用を受け、粒子間にシリカが充填されて、とても硬くできているようです。
 石英の粒子そのものが丸いのは、長い年月砂漠の上で飛砂現象を経た結果でしょうし、全体的に丸いのは変成岩となった後に長い年月、長大な河川で研磨されたのでしょう。
こうしてできる正珪岩が何処で生まれたのかは本当に興味深い謎ですが、白峰村の赤岩層の供給地として「カコウ岩質岩石と正珪岩が分布する地域が考えられる。このような層序は、朝鮮半島や中国の先カンブリア系と類似する」というだけで、正珪岩礫の供給地も同じだとは断定できないでしょう。

 日本海側もそうですし、朝鮮半島や、大陸側に産出が見られない(注:参照)ようですから、やはり日本の南に広大な砂漠や大河を持った大陸があったと考えたほうが説得力があるように思います。

手取川と白峰村の地図


当時は「大陸上の大河の流れ」が手取側付近にまで伸びていたということではないでしょうか。福井の平野を恐竜が闊歩する前でしょうか、白山が隆起する前でしょうか、広大な「黒潮古陸」の影響が日本にまで達していたような気がします。

地質学者の再検討をお願いしたいものです。

注:

朝鮮半島、中国大陸でもOq礫は見つかるようですが、対比研究は進んでいないようです。手取層群産Oq礫の研究参照
通説では日本のOq礫も中国大陸産と考えられているようです。

後記:

白山の登山道で見ることができるそうです。

白山登山道の正珪岩礫 imgrumより

  [2497] 正珪岩礫の阿武隈山地由来説はこじつけに過ぎない
Date: 2017-05-25 (Thu)
 横井和夫氏が「黒潮古陸」に関して書いています。恩師が「黒潮古陸」を提案したが、反対にあって引っ込めてしまったそうで、「意外に根性がない」とも書いています。「プレート論全体主義」の雰囲気の中では「給料を貰う、つまり生活する」ためには止むを得ない選択だったのかもしれません。一部を紹介します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

リオグランデ海膨と黒潮古陸より

【太平洋の海膨】

 今度はジャッキー海膨で火山岩が見つかったという報道。火山岩と云っても色々あって、どんな火山岩かが問題。恩師市川浩一郎先生は「黒潮古陸説」を唱えるに当たって、「火の気」を強調していた。「火の気」とは火山活動の事で、おそらく酸性火成活動のことを頭に思い描いていたでしょう。酸性火成活動なら安山岩か流紋岩。しかし海洋地殻の中ではいささか考えがたい。まあ、玄武岩でしょう。それはともかく、古い「黒潮古陸説」が次第に復活する事は、弟子として大変興味深いものがあります。
(13/09/08)

昔1970年代半ば、亡き恩師市川浩一郎先生が南方洋上大陸説(黒潮古陸)というのを提案した。根拠は紀伊半島、主に南端の四万十層群中の中新統に見つかった、オーソコーツアイト礫を含む岩礫泥岩層である。オーソコーツアイトは石英含有量が90%以上になる砂岩のことである。こういう砂岩は、後背地の母岩が花崗岩又は片麻岩で、長い距離を運搬淘汰されなければ出来ない。そういう場所は即ち“大陸”である。

  ところが当時の地質学界では、この説は受け入れられず、それどころかケチョンケチョンにけなされ、先生もとうとう引っ込めてしまった(意外に根性がないのである)。批判の急先鋒が当時岩手大学の助教授だった大上。彼は阿武隈帯の変成岩が得意だったらしく、それを武器に紀伊半島南端のオーソコーツアイト礫を岩石学的に検討した結果、これを阿武隈山地由来とし、又古流向解析から、これらの礫はNE-SW方向の海流に載ってきたのであり、現在の阿武隈山地と紀伊半島の位置関係と矛盾しない、とした。筆者は仙台転勤時にこの論文を見たのだが、その時ひっかったのが

1)中新世当時の日本列島の形が仮に今のままとしても、阿武隈山地から発生した礫が紀伊半島南部までたどり着くだろうか?

2)オーソコーツアイト礫が見つかった中新世は、独立した堆積盆を形成しており、阿武隈山地とは別個の存在である。

3)そもそも中新世で、日本列島の形が今の状態である保障はない。

 三番目の疑問は、今でこそプレート論によって当然視されるが、70年代半ばの時点では未だ異端だった。

 それはともかく、今回リオグランデ海膨で花崗岩質岩石が確認されたことは、太洋底の海膨から陸地へ大陸性岩石が供給される可能性を示したものである。つまりある時、かつてのテチス海(今の太平洋の先祖)に巨大玄武岩プリュームが出現し、海膨・海山を作った。それはプレートに載って次第に日本列島に近づいてきた。又プリューム内部では結晶分化により、表面に花崗岩質岩石が形成された。このプリュームはその後大陸化し、表層地殻の一部は河川で運搬淘汰され円礫を作った。それらは海底移動によって大陸縁辺に付着した。これがオーソコーツアイト礫を含む含礫泥岩層である。そして元あったプリュームは、大陸縁辺に形成されたサブダクション帯から、プレートの下に沈み込んでいった。こういうことが数1000万年の間に何度も繰り返された。つまり黒潮古陸は実際にあったのだ。これこそアトランテイス。今回リオグランデ海膨で発見された花崗岩質岩石の中に、オーソコーツアイトかそれの元になる岩石が含まれておれば、冒頭に挙げた南方洋上大陸説が、息を吹き返す可能性を示唆している。

 まさかと思う人も多いでしょうが、北太平洋には今回のリオグランデ海膨の数倍の規模を誇る巨大海膨があります。そしてそれは少しずつ日本に近づいています。楽しいですねえ。これが列島に付着すれば日本の領土は数倍以上に拡大します。但しその時は大変な地殻変動が起こり、とても東北太平洋沖地震どころではありません。
(13/05/17)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 紀伊半島南端のオーソコーツアイト礫を阿武隈山地由来と断定したのにも驚きますが、古流向解析から、NE-SW方向の海流に載ってきたと断定する乱暴さにも驚きました。
 
 迷路の中では、声がでかいもの、強心臓のもの、が生き残るのかもしれません。

 なお、中川氏の「黒潮古陸は実際にあったのだ」という主張のベースにあるテチス海とかプリューム論という論理的な内容を支持するわけにはいきません。

ODP Leg 198: Shatsky Riseより

 また後半部の話は「ジャッキー(Shatsky)海台」のことを言っているのだと思いますが、これもプレート論の主張であって、「海洋底拡大説」そのものが間違いですから、「日本の領土は数倍になって、楽しいね」なんてことはあり得ません。「付加体論」を信じてはいけません。

支持できない部分が多いのですが、「黒潮古陸」の復活だけは支持します。

後記:

日本海側にも正珪岩礫が見つかるそうですが、四万十層の再食礫だそうです。

オルソコーツァイト礫より

日本海側のオルソコーツァイト礫


島根県大田市朝山町

新生代新第三紀中新世布志名層の礫岩より産出する。オルソコーツァイトはよく淘汰され、円磨された石英砂よりなる砂岩。普通大陸の大河の作用により形成される。起源は先カンブリア代にまで遡るという(?)。また、日本では礫としてしか発見されない。紀伊半島に分布する四万十帯等から産するものは、古流系を再現すると南方起源であるという。日本の南に大陸基盤が存在するのであろうか?島根県で産するものは、四万十帯等の再食礫であるという。




  [2496] 正珪岩礫が見つかるのは日本の南に大陸が存在した証拠
Date: 2017-05-24 (Wed)
黒潮古陸」のロマンが消えたのは、プレート論や付加体論に押し切られたためのようです。
手取川産の「正珪礫岩」は日本が大陸の縁にあったときに大陸奥地から流れ出たものだ、というのはプレート論の主張です。
しかし、陸地が発泡スチロールのように漂流することはありません。ウェゲナーが見出した(南米とアフリカの分裂)のは特殊な例にすぎません。

 また、日本列島もそうであった、と受け入れたとしても、熊野産の礫のほうが手取川のものより大きいのは説明できません。

 大きな礫のほうが大陸の近くに存在するのは当然です。さらに、見つかるのは、日本の南側からであり、北側の日本海には産しないのも矛盾しています。

 南に大陸がなかったと考えている付加体論では、当然南から運ばれてくるはずがありません。

 グーグルマップをみると、紀州の沖合いには深い谷があります。


大陸上で形成される「正珪岩の礫」が日本の南側で見つかる(赤い●印)のは、南に大陸があった証拠と考えるべきではないのか


日本列島がまだ完成する前の「黒潮古陸」の川筋のように見えます。海底に没してしまったために、川筋の南の先は見えませんが、こうした流れが太古の時代に日本中に「正珪岩礫」を運んだのではないでしょうか。
紀伊水道の南にも、3本の大きな谷があります。日本がもっと浮上していた時代の侵食崖なのかもしれません。

太古の時代から地殻が沈降したり、隆起したりは頻繁に起きているはずです。紀州海岸にも「不整合」があるということですから、海底にあったときと陸上にあったときの二つの時代があったはずで。

牟婁層群と熊野層群の不整合(下の黒く見える部分が牟婁層群)より


また、赤道近辺にあったことも、極地付近にあったこともあります。それは、赤道付近に育つアンモナイトのような水生生物の化石があること、鹿島海山のような極域で形成される平らな頂の海山があることなどが教えてくれています。

プレート論に固執していると、大陸地殻と海洋地殻が入れ替わってしまうこともあることが理解できません。
深海底にかつての川筋があることは[2435]のマリアナ海域の例でも紹介しました。

大陸移動説、海洋底拡大説、プレートテクトニクス、付加体論などの単純すぎる地殻造構論を信じてしまうと、地球が辿ってきた本当の過程が見えなくなってしまいます。

「蟻の目」のような見方も大切ですが「鷹の目」のように、大局を見る目も大切だと思います。

地質学者には頑張って欲しいと願います。

参考:不整合とは

ある層と次に堆積した層の間に時間的なへだたりがあり、その間に隆起して浸食され、再び沈降して地層が重なるような場合の地層相互の関係を不整合という。不整合で重なる上位の地層の基底面を不整合面という。上下の地層の間に浸食面がなくても、両者の間に長い堆積の休止が明瞭に認められるような場合も広義の不整合である。また下位の地層が火成岩、変成岩で、上位の層が堆積岩の場合にも不整合という言葉が使われる。

  [2495]紀州四万十帯団体研究グループにはムー大陸の実証を目指して欲しい
Date: 2017-05-24 (Wed)
ゆらぐ南紀の玉手箱という記事に「付加体理論」を構築した平朝彦教授の高知大時代の恩師甲藤次郎先生の「黒潮古陸」に関するコメントが載っていました。「黒潮古陸」の考え方に否定的な姿勢が見えますが、ここに平教授を「付加体論」に導いた原点があったように感じました。
最後の「黒潮古陸」の部分を紹介します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最後に 話題の黒潮古陸について一言ふれておきたい。 紀州四万十帯団体研究グループの画く黒潮古陸(1970)はきわめて具体的な様相をおびてきた(立石 1973• 徳岡 1975)。 しかも同団体研究グループによる黒潮古陸論は仮説であるとしながらも 一方ではわれわれに強引にその同意を迫っているように思われる。

即ちかつて四万十地向斜の南側に存在した黒潮古陸の幅は少なくとも現在の日本列島の規模であり 従って黒潮古陸は現在の西南日本海溝(南海トラフ)を越えてさらに南まで拡がっていたと推定している。

この黒潮古陸に露出していた岩石は、普通の堆積岩や西南日本内帯でみられるような流紋岩や花こう岩などのほかに、特に特徴的な岩石としては先カンブリア紀末の全世界的に進行した準平原化作用と、 燥気候下の大陸的環境のもとで形成されたオーソコーツアイトを推定しているのであるから、この黒潮古陸には多種多様の岩石が分布していたことになる。

黒潮古陸推定の大きな根拠は 言うまでもなく、 南紀の地層群から発見されるオーソコーツァイトの礫と、 南方からの供給の流れの方向を示すソール マークによっている。これらについて、ここで詳しく紹介する余白はないが、このような黒潮古陸に対する表だった否定論はまだあらわれていない。 ただ山下昇 (1973) が遠慮がちに疑問を投じているのは、 要するにオーソコーツァイト礫の起源を一方的に黒潮古陸に求めるには無理があるので、飛弾〜手取層地域に求めるのが尋常ではあるまいかということらしい。

筆者は 従来の日本の古地理に関係する諸問題ときりはなすことのできない まだ証拠不充分なこのような論争にまきこまれたくはないが、これに関係する筆者なりのこれまでの考え方を述べさせて頂く。 ただしそれが黒潮古陸の否定につながるのはいうまでもない。

 筆者自身は 南方にある種の島列の存在を信じ、いわゆる地向斜の概念から 四万十地向斜の南側に 点々と連続するような島列(大部分が暗礁であるかもしれない) を考え 古南海道島列と名づけた(甲藤ら 1967)。
 恐らくその主軸はいわゆる潮岬一大隅線(野沢 1975)に平行するものであって、それほど遠い沖合ではあるまいと推定している。 それにしても潮岬火成複合岩体はイミありげな存在である。

 さて牟婁層群相当層は 四国では室戸半島層群(足摺方面では清水層群)と呼ばれるが 結晶片岩礫やオーソコーツァイト礫も含まれている。 後者の礫は 黒潮古陸が話題になってから気づいたことであるが、四国四万十帯南半部をしめる。 上述の古第三系に含まれる片岩礫の供給源については、 北方の三波川系からと考えた(甲藤 1961)。 その後ソールマークとからんで二転三転したことはあるが、結局同供給源についてはもとの考えにおちついている(甲藤 1969)。 古流系は 多様な海底地形にもよるので決定的な要素ではなさそうである

 ところで同団研グループによると、黒潮古陸の消滅を中新世の田辺層群や熊野層群前であるとしているが、かれらのいう規模の黒潮古陸の“沈没”を、単に沈下でわりきるつもりなのであろうか。 或いはさらに横への移動を考えるとしても、いずれの場合でもそれは大変なことなのである。

 このような根本的問題をも秘めた黒潮古陸の出現に対し、強い批判やこれをめぐる是非論が殆んど起らないようでは、日本地質学界沈没につながりかねないと私には思われるのだが・・・。

 さて筆者は、前述の四国四万十帯全般にふくまれる結晶片岩礫の調査(高知県 3 地点 愛媛県1 地点および九州 2 地点)から 少なくとも新白亜紀の頃には 三波川系はまだ地上に露出しておらず 白亜紀後一始新世前に露出するようになったと述べている(甲藤 1961)。
 このことは 問題のオーソコーツァイト礫の供給ルートを考察する上で きわめて重要な問題につながるようである。 というのは それまでの多くの学者の支持する見解としては新白亜紀の頃には 大観すれば既に現在の基盤配置をなし 三波川系の山地が露出していたという考え方であった。

 さて、 オーソコーツァイトの礫は 四万十帯以北から発見される可能性も大きいので 、やはり主要な供給源としては飛弾―手取層地域に求めて古地理を追究するのが 最も妥当な考え方ではあるまいか。 本地域への供給ルートとしては 現在の紀伊半島の西側よりも東側の方が有力なのであろう。
 可能性としては いわゆる黒瀬川構造帯も考えられるかもしれないが 、供給源としては前者がより具体性があるように思われる。
 従って もし牟婁帯のオーソコーツァイト礫が再食礫でないとするなら、筆者らが識別した中新統の田子層基底(富山礫岩)からは 既に紀州四万十帯団体研究ブループ(1969) によって多くのオーソコーツァイト礫の存在が報告されている反面、 既知の紀伊半島の中新統(田辺層群やいわゆる熊野層群)からはオーソコーツアイト礫がきわめてまれであるという調査結果(徳岡 1967) と矛盾するのではあるまいか。あるいは調査精度に問題があるのであろうか。
 しからば筆者のいう古南海道島列の具体的な姿をどう説明するのかという疑問に対しては 例えばスマトラ・ジャバの印度洋側の小島列やアリューシャンの南側の小島列に似た古地理を画いているのである。さらに本研究の今後の発展をはかるとともに 、まだ公表できる段階にはないが 足摺半島の清水層群(始新統)から多量に発見される比較的保存のよい化石植物群や同地方の堆積岩を主なよりどころとして、古南海道島列を複元してみる以外に方法はなさそうだと思っている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 「黒潮古陸」を推進した徳岡先生も、反対した甲藤先生も、どちらも、「海底が沈没すると、地殻が薄くなって、大陸があったとは思えなくなってしまう」ことに気付いておられないことが、地団研とプレート論者の間の「断絶」を生んでしまっていたように感じます。

地団研グループの情熱は「押し付け」に感じられたようですが、海底を調査しても「大陸の影」は見つからないということが「信念」にも影響し、最終的にはアメリカ生まれのプレートテクトニクスに地震学者を先頭にして海洋学者も地質学者も洗脳されてしまったわけです。

熊野や四国は「付加体研究のメッカ」的な扱いになっているそうですが、本当は「大陸沈没研究のメッカ」になるべき土地だと思います。

縮小したとはいえ、紀州四万十帯団体研究グループは再生したそうですので、これから、「付加体論」を追い抜いて頑張って欲しいと願っています。
目指すところは日本列島形成の原点にも関係するであろう「ムー大陸」の実証であるべきだと思います。

  [2494] 「黒潮古陸」説を復活させよう!
Date: 2017-05-23 (Tue)
徳岡先生の記事で初めて「黒潮古陸」の話を知りましたが(私は土木工学の流体部門出身なので、正式に地学を学んだことがないのです)、付加体論が出てくるまでは結構有力な仮説であったようで、否定されてしまっていることがまことに残念です。

ぜひ復活させたいと思います。

前にも参考にさせていただいた「井戸掘りの進め」にも「黒潮古陸」の話が載っていますが、

「紀伊半島の地層が南の方から来た堆積物からできているということで、「黒潮古陸」があり、そこから堆積物が運ばれてきたとか言っていました。紀伊半島の南といえば直接太平洋です。 しかも太平洋の一番深いところに近いのに、その間に陸地があったというのは変な話です。今ならプレートに載ってやってきた「付加体」だというところなのですが、当時はそんな怪しげな言い訳が語られていたのです。」

と、付加体論に押し切られています。
Wikiにある「学術的に過去の仮説論」が常識になっているようで残念です。株式会社NTO 井戸掘りのすすめから情報の重複を避けて一部を紹介します。
黒潮古陸についてより。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 和歌山県では、30年以上前の郷土の地質の教科書というか副読本に、「黒潮古陸」なるものが大まじめに載っていたそうです。
「ムー」と呼ばれる雑誌によると、「黒潮古陸」=「ムー大陸」だとかと、言われていたそうです。
「ムー大陸」については、当ブログの「ムー大陸の謎」で詳しく説明しています。
http://ntooffice.blog21.fc2.com/blog-entry-933.html

(1)横島の露頭の状況

さて、この「黒潮古陸」ですが、 和歌山県南部に、釣り客だけが渡る無人島の横島にヒントがありました。
そして、1968年に、この島の露頭を研究した地質学者さんたちによって「黒潮古陸」説が唱えられました。
この「黒潮古陸」説は、今から5000万年位前の古第三紀という時代に,紀伊半島の南の太平洋に大きな大陸が存在したという仮説です。
横島の露頭の状況では、
@礫岩の礫にオルソクォーツァイト(正珪岩orthoquartzite)という砂漠の砂でできた特殊な岩石が含まれること
Aそして、その岩石でできた山は紀伊半島以北では見つからないこと
B地層の中の古流系(地層から読み取れる昔の水流の方向)は南の方向からの堆積物の供給を示し、どうしても古第三紀には紀伊半島の南に砂漠を持つような大陸があったと考えないとその島の地層を説明できないことがあります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「黒潮古陸」を発展させてぜひとも「科学的ムー大陸実証論」を構築したいと考えています。



- SunBoard -