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871
2004/10/25(Mon) 16:25
パトロス
余震が続発する原因
地震学者の見解では、余震が続発する原因は、断層面がでこぼこしているため、一気に滑らず断続的に滑るためである、ということです。

「震源周辺に無数の断層、ひずみ連鎖し余震続く?
 新潟県中越地震で、規模の大きい余震が続発している理由として、茂木清夫・東大名誉教授(前地震予知連絡会会長)は「震源が浅く、周辺地域を無数の断層が走り、その断層面が複雑なため」と説明する。
 茂木氏によれば、断層面がでこぼこしているため、一気に滑らず、断続的に起きるという。ひずみの解放が、連鎖的に周辺の断層のひずみを生み、この断層が破壊され、余震が続く。内陸直下の浅い地震のため、マグニチュード(M)の割に、大きな揺れとなるとみられる。
 茂木氏はさらに「余震は周辺にじわじわと拡大していくとみられ、警戒が必要」と指摘する。
 茂木氏は、従来の「本震―余震」型とは違い「群発地震に似ている」とし、「地震活動が、比較的長期に続くかもしれない」と話している。
(読売新聞) - 10月25日14時55分更新

余震が頻発するのは、[869]にもありますように解離層が安定しないからである、というのがANSの解釈ですが、ANSの解釈は地震学者とはまったく違っています。
断層は爆発による傷跡であって、最初の爆発で1.4メートルの傷が発生しましたが、余震では広がっていないと思います。断層がずれることが地震の原因であるというのは、原因と結果という因果関係を逆転させた考え方であると思います。

872
2004/10/27(Wed) 19:37
院生
マントルは液体か固体か?
石田先生
地球科学の大学院生です、地球内部物性が専門で
地震学はあまりよく知りません。
マントルの内部が固体か液体かという話は重要なので、ご質問させていただきたいと思います。
さて、石田先生はマントルが液体だとお考えなのは理解しました。
石田先生はマントルが液体とお考えになる理由を石田先生のホームページから引用させていただくと
> 右の二つの図は、地球内部の深さと名称、そして温度と密度の関係を表しています。地震波の速度から計算して推定したと言われているものです。従来の考え方では、地殻の内部にはモホロビッチ不連続と言う地震の伝播速度が大きく異なる層があって、その下は2900kmまで、マントルという固体が占めていると考えられてきました。そこから5100kmまでは外核という液体層があり、さらにその先に内核という今度は固体の中心部分があると言う認識でした。しかし、図からもわかるように2900kmという深部における温度は 4000℃を超える高温になっています。このような高温下であっても、地震波を伝播させることが出来る固体が存在するのでしょうか。どのような物質であっても熔解してしまうのではないのかと思います。

上の記事から、私は石田先生はコアマントル境界の温度が 4000℃であり、4000℃という温度があまりに高いことが、マントルが液体と考える理由の一つであるとお考えであると認識しました。

そこで質問です
(1)上の私の理解は正しいでしょうか?
(2)4000℃という温度はなぜ4000℃かと考えられているかというと、下部マントルの主成分と考えられているMgSiO3ペロブスカイトの融点をレーザ加熱ダイヤモンドアンビルで測定したから(Zerr and Boehler, 1993)だと私は理解しています。

彼らの実験によると、MgSiO3ペロブスカイトの融点は、圧力が高くなるにしたがって上昇し、圧力30GPa(深さ1000kmに相当)ですでに4000℃に達しています。彼らは30GPa以上の圧力でしか実験していませんが、融点が圧力増加に伴い上昇することから考えて、コア・マントル境界のペロブスカイトの融点は4000℃を超えることは確実であるようにみえます。だから私はコアマントル境界においてマントルが固体でないと実験と矛盾すると考えています。
石田先生はマントルは液体とお考えなので、
[1] この実験におかしい点があるか、

[2] 下部マントルの主成分がMgSiO3ペロブスト以外のもっと融点の低い物質だとお考えかいずれでしょうか?
また、もし[1]なら彼らの実験のおかしい点を、また、もし[2]なら石田先生は下部マントルの構成物質がどのような物質か、理由とともに教えてください。また、[1][2]以外の私の思い至らない第3の理由があればご説明ください。
マントルが液体か固体かは、地球科学においてもっとも重要な問題のひとつと考えます。私の理解の不十分な点があればどうぞ御指摘下さい、大変お手数ですがご指導をお願いします。

文献Zerr, A. and Boehler, R. (1993) melting at the interface of an ideal lattice and melt. Science, 262,553–555, 1993

873
2004/10/27(Wed) 21:25
パトロス
Re:マントルは液体か固体か?
大学院生という研究者の若芽(失礼な言い方お許し下さい・・・)の方が、関心を持って質問してくださったことうれしく思います。
>上の記事から、私は石田先生はコアマントル境界の温度が 4000℃であり、4000℃という温度があまりに高いことが、マントルが液体と考える理由の一つであるとお考えであると認識しました。

確かに高温であることはマントルが液体であると考える理由の一つです。残る二つの理由も紹介しますが、その前に私は地球物理学を専攻したことがありませんので土木屋として直感的に納得できないことを探求しようとしておりますことを付記させてください。
納得できない理由のもう一つは、大地震の後で地球は周期が一時間近くもあるような振動を繰り返すと言う事実です。チリ地震の時には53分周期の振動が10日間続いたということです。これは地球内部が固体では起こり得ないと思っています。お寺の鐘が振動するのは内部が空気という流体が占めているからであって、砂を詰めれば振動しないことは明らかです。
さてもう一つの理由は地球には地磁気が存在することです。地球内部のマントルは液体であって対流しているからこそ地磁気が生まれると思うのです。固体としての地球に地磁気が発生するとは考え難いのです。振動といい、地磁気の発生といい液体であるとされる内部コアだけの運動で説明できるとは思えないのです。
>[1] この実験におかしい点があるか、[2] 下部マントルの主成分がMgSiO3ペロブスト以外のもっと融点の低い物質だとお考えかいずれでしょうか?
実験の適否を吟味するだけの力は持っておりませんが。多分正当な実験だろうと思います。ただ下部マントルの構成物質がペロブストなる物質であるとは思えないのです。マントル物質は火山から噴出するマグマと成分において大差の無い物質で、地球内部を対流するのに応じて水の状態が変化しているだけだと思います。つまり浅い部分では結合水が多く、深部では解離水(酸素と水素の混合ガス)の状態になっているのだと思っております。これが海嶺や海溝で地震が発生する理由です。深発地震が起こる仕組みに関してはニューオフィスhttp://www.ailab7.com/tairyu.htmlを参照してください。指導教官様にご報告されたなら、元土木屋の雑な思考から生まれたものだよと一笑に付されるかもしれませんが、マントル固体論は深度700kmという場所でも起きる地震現象を説明できないと思うのです。

874
2004/10/31(Sun) 00:09
パトロス
断層地震説では地震の真相が見えてこない
中越地震の余震域は震央分布が楕円形状に分布しており、しかも震源が一つの面の上に分布していないことは明瞭であります。地震学者の解釈では、次に紹介する二つの新聞記事にありますように、もっと南西に位置する「六日町断層」が動いたとか、最初の地震によって別の断層が誘発されて活動したとか、あくまでも断層が動いて地震になったという解釈であります。本日のテレビ解説でも溝上教授は断層が動いて余震が起こっていると同じような解釈で説明しておられました。
「記事その一」asahi.comより
「六日町断層」動く? 地震の原因との見方、有力に
 新潟県中越地震は、震源の南側にある六日町断層が動いて起きたとする見方が、研究者の間で有力となってきた。余震活動や地殻変動の観測などと矛盾が少ないことが理由。(中略)

 この地震で、地下にある断層の位置を示すと考えられる余震域は、魚沼丘陵に沿って北北東−南南西に延びている。
断層の面が東西どちら側に傾いているかをめぐっては見方が分かれていたが、国土地理院による地殻変動の観測で、断層面が西側に落ちるように傾いているとの見方が有力となった。そのため、断層面を延長すると、六日町断層の地表での位置に重なると多くの研究者が考えるようになった。小千谷市など、地震の揺れの強い地域の分布とも矛盾しないという。
 地震予知連絡会の大竹政和会長は「震源域と少し離れているように見えるが、六日町断層は、知られている位置より北側に延びていると考えられる」と話す。(後略) (10/26 00:01)
「記事その二」asahi.comより
 国土地理院(茨城県つくば市)は28日、新潟県中越地震で27日午前に起きた強い余震(マグニチュード6.1)は、23日の地震(同6.8)で活動した断層とは別の断層が、誘発されて活動した可能性が高いとの見方を明らかにした。全地球測位システム(GPS)による地殻変動データの解析でわかった。
 地理院の観測では、23日の地震の前後で同県小千谷市が約24センチ隆起し、守門(すもん)村が約9センチ沈降したが、27日の地震の前後では小千谷市はほとんど動かず、守門村は逆に約3センチ隆起していた。
 このデータは、23日の地震による地殻変動から推定される断層のモデル(長さ約21キロ、幅約10キロで、西側が東側へ約1.8メートル乗り上がった)では説明がつかず、23日の地震の断層から東へ10キロほど離れた平行な断層の東側が西側に乗り上げたモデルを作ると、うまく説明できるという。
 地理院はモデルの精度を高める作業を続けているが、今給黎(いまきいれ)哲郎・地殻変動研究室長は「27日の地震は23日の地震に誘発された活動とみられ、今後しばらく地震活動の中心が、23日の震源域よりやや東にずれるのではないか」と話している。 (04/10/29)
以上がその二つの記事ですが、たとえ断層が動いて地震になるのだと仮定しても、このように頻繁に余震が起こることは説明がつきません。地震を起こすエネルギーはどこから生じるのでしょうか。最初の地震と同じくらいの地震が数回起こっていますが、断層地震説ならば、断層の規模は相当に大きなものになっている筈です。しかし、最初の断層が数倍に発達している兆候はありません。地震は解離ガスの発生によるガス爆発であることを認めないと、地震の真相は明らかにならないと思います。
地震を起こしているエネルギーは地球内部の熱エネルギーが水を解離させ、解離した酸素と水素の混合ガスが爆発しているのです。地震のエネルギーとは爆発という化学反応エネルギーですが、解離現象が直接の原因という見方をすれば地球内部の熱エネルギーということになります。

875
2004/10/31(Sun) 22:29
一般人
花崗岩について
この掲示板を見させていただいて、岩石について詳しい方が多そうなので、質問させていていただいていいでしょうか?
私が疑問に思っていることは、花崗岩の名前の由来です。
なぜ、岩石なのに「花」という字が使われているのか、疑問に思うのです。
火山に関係あるので、「火」とういう字でもいいのではないのか。
本当に一般人ですので、知識はほとんどありませんが、おわかりでしたら是非教えてください。
876
2004/11/01(Mon) 23:55
パトロス
Re:花崗岩について
花崗岩の名前の由来をルフラン広報局長が調べてくださいました。「花にして剛なる石ということで命名されたものかもしれない。」ということです。江戸時代に於ける命名のようですね、ちなみに花崗織という布の織りかたもあるようです。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/ES_Y_02.html
花崗岩の名は中国ではなく、日本で恐らく江戸時代に作られた岩石名らしく、幕末から明治初期の辞書・地質学書にgraniteの訳として「花崗岩」をあて、またこれにミカゲイシと仮名をふっている例が多い。花剛石と書いている場合もある。いうまでもなく御影は、現在の神戸市の六甲山麓の地名で、六甲山塊の花崗岩が石材として京阪地方でよく用いられたところから、この種の岩石の総称となったものである。天正17年、豊臣秀吉が京三条大橋を架けさせたさいの橋脚の石柱にも摂津国御影と刻まれている。
 花崗の字の意味はさだかでないが中国の章鴻サは「石雅」(民国7年・1921)の中で、もと花石という石の名があり、美麗な文様のある石をさしていたが、それからさらに由来して花崗岩の名が日本で作られたとしている。花にして剛なる石ということで命名されたものかもしれない。なお現在の中国でも花崗岩の名を用いている。
877
2004/11/04(Thu) 14:35
一般人
Re:[876] 花崗岩について
花崗岩について、返信ありがとうございます。
とてもよくわかりました。「花にして剛なる〜」凄さを感じます。
また、質問させていただくかもしれませんので、そのときはよろしくお願いします。
878
2004/11/05(Fri) 23:58
パトロス
三つの断層が動いたという解釈
新潟県中越地震は、23日の本震(マグニチュード6・8)と同日の最大余震(同6・5)とは全く別の断層が動いたのであり、さらに27日の余震(同6・1)ではまた別の断層がずれたという分析が、東京大学地震研究所などでなされたそうで、4日の地震予知連絡会で報告されたそうです。「3つの断層が時間をおいて動くという複雑な断層活動」が、規模の大きな余震の続発につながっているのだそうです。
 同研究所の解釈は、「23日午後5時56分に本震が起きたあと、動いた断層から深さ約5キロ下の平行する位置にある断層のずれが誘発され、同6時34分に最大余震が発生。さらに、最大余震の断層と交差する方向にあった別の断層面がずれ、27日午前10時40分、最大震度6弱を観測した余震が起きた。 最大余震と27日の余震を起こした2つの断層は、交差する位置関係にある「共役(きょうやく)断層」というタイプの断層活動だった。」というものだそうです。
 平田直(なおし)・同研究所教授は「こうした断層活動が観測結果からわかる例は珍しく、大きな地震が起きると、震源となった断層の周辺で小さな断層がいくつも割れて余震を起こすが、今回は他に動いた断層が大きかった。この地域の複雑な地下構造が影響している」と話しておられるということです。
ANS的にはこれは全くナンセンスな解釈としか言いようがありません。あの激しい本震の間にも動かないで耐えていたという近くの断層がしばらくたって何故急に動き出すのでしょうか。さらにまたしばらくたってから前の二つの断層と直交するような位置関係にある第三の断層が何故動くのか、百歩譲って動いたとして、クロスする部分では相互の断層はどんな形状になるのでしょうか。断層地震説では大きな地震が起こるたびに、「初めて経験する複雑な地震だった」とか、「この地域の複雑な地下構造が地震に影響している」、というような陳腐な解説を展開せざるを得ないような感想を持ちます。
879
2004/11/08(Mon) 00:35
パトロス
南イタリアの海底遺跡
一昨日(6日)のテレビ番組「世界不思議発見」で南イタリアのナポリ近くで発見された海底遺跡の話をやっていました。2000年も前の古代ローマ時代の貴族達の別荘らしいもので「海に消えた古代セレブの甘い生活」とタイトルにありました。
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/
レンガの壁や円柱、そしてモザイク張りの床などがあって、熱海湊とは比較にならないほど明確に人工物であることが分かる遺跡でした。解説では、斉一説に従って何年も掛けて海に沈んでいったと説明していましたが、私は激変的に海底に沈んだと思っています。斉一説を採れば海抜ゼロの時代が長年あるわけで、その間に波による侵食で遺跡は破壊されてしまう筈です。したがって年間数ミリづつというような斉一的変化で遺跡が海底に残ることは無いと思います。地震現象の一環として熱海湊や瓜生島が沈んだように一気に海底に沈んだからこそ、波浪の浸食を受けないで遺跡として残っているのだと思います。
インドのカンベイ湾にも、海底遺跡があるという話題がセミナー[96]http://www.ailab7.com/log/eqlog91-100.htmlにあります。これも地震によって一気に海底に沈降したのだと思います。
ちなみに波浪による浸食というのは海抜ゼロの付近が一番激しく、半波長分も潜れば波による流れは僅かなものになり、波浪による浸食作用はほとんど受けなくなります。
880
2004/11/08(Mon) 12:12
パトロス
海底遺跡の情報
海底遺跡の話題は、セミナー[399] http://www.ailab7.com/log/eqlog391-400.htmlにもありますが、検索して調べてみましたら、
沖縄の海底遺跡http://www.pref.okinawa.jp/inpaku/iseki/
アレクサンドリアの遺跡http://www.m-matsu.com/egypt/alexandria/alexandria.htm
スンダ大陸文明http://www22.ocn.ne.jp/~p-inpaku/uwruindocs.htm
などたくさんありました。ムーやアトランティスに関連する遺跡も発見されると、なぜ大陸が沈没したのかが話題となり、地震によって水没する理由が認められるようになるでしょう。水中考古学の発展に期待したいと思います。
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