新・地震学セミナーからの学び
10 地殻の歪みは蓄積できない
この図面は坂柳義巳先生の「地震は予知できる」の中にあったものに、手を加えたものです。弾性体に働く力と、それによって生じる歪みの関係を示したものです。応力と歪みが比例関係にある間はフックの法則が働いているといいます。金属は、フックの法則の先、降伏点を超えても、破断しないで歪みだけが増大する性質がありますが、ガラスや岩盤は、いきなり破壊してしまうことが分かります。しかも破壊するまでに蓄積される歪み量は微小量なのです。岩盤(地殻)は金属のような性質が無いことが分かります。自動車のサスペンションのような鋼としての、反発力(元に戻る力)は期待できそうもありません。微小量で破壊されてしまった後は、歪みは存在しません。どうやったら、潜り込んでくる海洋プレートを跳ね上げるような(鋼のような)歪みを蓄積できるのでしょうか。(セミナー 84  88 155

坂柳先生は地震学者達が、歪みを計測して地震の予知ができると考えていること、すなわち、測地的地震予知法にしがみついていることを、痛烈に批判されています。セミナー285でも紹介しましたが、「傲慢無知、烏合の集団、哀れむべき集団」と言う激しい言葉を使っておられます。

坂柳先生の文章からセミナーで紹介した部分以外も含めてを、抜粋紹介します。

  地震予知は出来ないと言う、その源流はどこに在るか

(略)
「地震予知の本道は地震学の進歩につきる。地震現象を捕らえる観測網をより整備し、そのデータを十分に解析できる研究環境を整えることこそ、政治に期待したい」(とある人が言っている)もっともらしい主張である。

ではこれの何処に問題点があるのか。それは今地震学者が行っている測地学的観測で地震現象を完全に捕らえることが出来ると思っていることである。そのため金が欲しい、人も欲しいと言っている。しかし、今行っている観測は地震学の一部であって、地震予知はその圏外にあるかもしれないと言う反省が無いことである。この傲慢無知が30年も研究しても地震予知は難しい、出来ないと言う原因になっていると思う。

 それは地震予知の研究が始まった時、先ず何をすべきかと言うことになり、萩原尊禮先生の提案で今の様な研究がはじまった。(その時)これは10年もたったなら目鼻が付くであろう、その時よく結果を検討して次を考えようと言うことで始まったと聞いている。ところが研究を始めて見ると、思いのほか色々な現象が現れ、地震学的には面白いが、予知には繋がらないことが分かってきた。この時期に大きな反省をすべきであった。それが出来なかったのは萩原先生の呪縛に掛かってしまったのであろうか。それとも狭い地震学的な考えしか浮かばず、物理学的に何が本質かを考えつかなかったのか。いずれしろそれは地震学会全体の責任であると思われる。

今なお測地学的方法が短期地震予知に関係あると信じている地震予知肯定派のいることを残念であるとともに悲しく思うものである。しかし、地震予知否定派もどうすべきかを示さないで、防災につとむべきであると言うのみでは無力である。

そこでこの本を書いたのである。今までと違った視点から地震予知をみてもらいたいものである。(中略)

これからも同じような測定をしてデータの蓄積が必要で、その中に何か見つかるであろうと思うことが地震予知肯定派であるとするならば、これは烏合の集団である。今まで熱心に研究して来た、それでも出口が見つからないとするならば、ここらで徹底的な反省を加えるのが学問の正道である。従来の方法から脱却すべきである。どのように脱却すべきか、その方向が見つけられないのが現状であると思う。それには部外から意見を聞くことであり、いろいろのデータを虚心に検討することである。(中略)

私は短期地震予知は出来ると思う。その意味では地震予知肯定派である。しかし、その原理は今までの方法とは根本的に異なった考えに立つものであり、今までの方法では地震予知は出来ないと言う狭義の地震予知否定派でもある。

地震学者は測地学的観測から地震予知の糸口を見つけたいと思っているであろう。しかし、それは遠い昔の先輩の夢で、それが不可能に近いことは30年の歴史の示すところである。その夢をいまなお追っているとするならば、それは哀れむべき集団である。ここらで従来の考えを捨ててもっと広い地震学を開拓し、そこに立って謙虚に地震予知を考えるべきである。(以下略)

以上ですが、先生が提案されている磁石落下法とは次の図に示すようなものです。事務用マグネットと鉄板の間に紙を何枚か挟んでおくというものです。この原理は、安心センサーの原理と同じものであります。