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1081
2005/12/06(Tue) 23:59
パトロス
白鳳地震による陥没現象
白鳳地震(天武天皇12年、684年11月29日)によって、高知湾で大規模な陥没現象が起こったことは日本書紀の伝えるところですが、証拠が見つからないことと現代科学(未熟なものですが)で説明がつかないことから、瓜生島の沈没も含めて学者の否定に会い、忘れ去られようとしています。

しかしそれは地震の真相把握に間違いがあり、地震の原因が分からないから否定されるのであって、地震爆発(爆縮)説ならば十分に説明可能な現象であります。
日本書紀には「土佐国田苑五十万余頃没為海」と記してありますが、頃というのは(日本書紀には”しろ”と訓読してある)、今日のおよそ1558町歩にあたり、五十万頃とは広大なものであります。(参考:http://www.ailab7.com/lib_011_data.html)

記録(高知県津波資料史)がありますので、もう少し紹介しておきます。大地震の前、白鳳9年からかなり地震があったようです。

白鳳9年
2月 東方から鼓を打つような音が聞こえた。
6月 灰零(?)雷電甚だし
9月 地震
11月 戌(20時)から子(24時)まで東方が明るかった。
白鳳10年
   3月 地震
   6月 地震
   10月 地震
白鳳11年
   1月地震
   3月地震
   7月地震 信濃・吉備並言、霜が降り大風(台風  か?)
   8月 灌頂幡
http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA4/hiten/jpg/zu005.jpg
のようなものあり。(雲のことか) また火色空に浮かぶ。
   8月大地動く。
   8月また地震、虹あり。
白鳳12年
   7月 旱
   9月 大風
上に記すように、白鳳13年の大地震の前4年間は天災地変が激しかった。

そしてついに13年10月になって前代未聞の大地異がおこった。土佐の国が一番ひどいものだった。
地震のために陥没したのは、東の方は室戸岬から、西の方は足摺岬にわたる、黒田郡という一円の田と島で黒田郡は黒田の外に、黒土、上鴨、下鴨の三郷に分れ石高は26万石ほどであった。当時この海辺には太郎(大良ともある)千軒、小田千軒などという賑やかに栄えたる浦里があったがこの大地震のとき、海底に没した。(以上意訳しました。詳細は防災科学技術資料 第57号高知県地震津波資料参照のこと)

また、各郷土史には「晴れた日に海にもぐると屋敷の石垣の跡や井戸の穴の跡が見えるとか云うことです。」という伝承がありますが、編集された都司嘉宣氏はまえがきで、「伝承を実証的な価値のないものとして捨て去ることをしなかった」その理由は「将来の実地検証によって、その真偽が判定される材料となる可能性があるからでもある。勇敢なダイバーの手によって伝承に真実性の血が脈打ちはじめる、という日を楽しみにして待っていることにしたい。」と述べておられます。

以上紹介したのはほんの一部ですが、このようにかなり詳しい記録が存在するにもかかわらず、地球物理学的に見て科学的根拠無しとして忘れられてしまうのは納得のいかないことであります。

瓜生島の潜水調査も含めてどなたか「勇敢なダイバー」に調査をお願いしたいものです。

1082
2005/12/07(Wed) 15:50
パトロス
理科年表の間違い
白鳳地震で海没した高知湾の件ですが、理科年表には「土佐で田苑約12平方km海中に沈む」となっています。
また過去の災害一覧という資料でも、おなじで、多くの書に12平方kmという記載があります。12平方kmつまり一里四方にしか過ぎない土地が26万石と云うはずがありません。
これは当時使用していた「頃」とい単位の説明を誰かが転記するときに総面積の説明と勘違いしてしまったもののようです。
【日本地震と津波】(沢村武雄著)と言う書籍には
「五十余万頃の「頃」は、日本書紀には「しろ」と訓読してあり、今日のおよそ12平方キロメートル(1157町歩)に当たる。50万という数字があまりにも大きいので、県内のあちらこちらに口碑に残る言い伝えがある。」

とあり、「頃」の単位が12平方kmであると記してあります。

このように伝承は転記されたりしているうちに、錯誤が混入することもありますが、そのときの科学知識によって「これはあり得ないことだ、こうした科学的に疑問が残る内容を記した資料は全体としての史料価値は低い」と言うような評価をされて、資料価値を貶められるようなことがあったのではないかと心配されます。

それにしても50万頃という数値はどう見ても大きすぎます。どこかでさらなる錯誤が混入したのでしょうか。

1083
2005/12/07(Wed) 22:50
パトロス
白鳳地震と津波
防災科学技術資料 第57号高知県地震津波資料には白鳳地震を体験した人から語り継いだ当時の状況が残されています。地震の状況を同資料から抜粋して紹介しますが、津波に関してはテレビ報道で見たスマトラ沖地震の大津波を髣髴とさせるような記事です。

「この前代未聞、古来いまだなき、白鳳十三年の大震、地変のありさまを、その時の昔より、言ひ伝へ聞きつたへて、つきづきの筆の跡をしたひて、書きつくらんに、

天武天皇、白鳳十三年壬辰十月十四日、さても此の日は、朝のほどより不気味なるほど、のどかにも、且をだやかにして、一天すっきりと晴れわたりて、しるしほどの雲も見えず、風少しも吹かず、その暑きこと夏のころにも似て、人々奇異の思ひをして刻を過る程に、やがて、黄昏ともなれば、夕の空今、白々しくて乳色を帯び、星の光りもなく、夜に入り諸人皆いづれも鎮まりたるころ、東南の方に当りて、ごうごうとおびただしく鳴りひびきわたるにぞ、人こあなやと、いぶかしく思ふほどもあらせず、大地にはかに震ひ出づ。そのゆりわたること、天地も一つに成るかとおもはるるばかりなり、国を挙りて、老若男女童幼の別ちなく、あわてふためき、騒ぎいでて、東西を知らす、南北を分たず、呵鼻狂喚あてどもなく走り廻り、駈けありく間にも山は崩れ、河は埋もり、地は裂け、樹木家居は悉く倒れ、水は湧き火は起り、人畜は無数に死に傷きて至る処修羅の巷の如くなり。

諸人、いつれも、われ先きにと広場に走り逃げ出づる、三人五人互にたふるまじと手に手を取り組むといへども、大地の震動激しければ、皆打たふれて、或はうつふしにあるはあをのけに成又うつぷしになりつ三四間の内を転びまわり、ようやくに立上りて走らんとあせれども、眼もくらみて、足の運びたやすからず。一刻はかり大ゆりありてしばし止まる、此の間に気を失ふ人々数をしらず、気のたしかなるものは、此の間に走らんと、身を起せしは、無惨にも又ゆり出す。ゆりてはやみ、やむかと思へは、またゆり、かくすること幾度といふ限りなし。此の一時の内六七度ゆりやまりたる間にも、浪立つ海にありて小舟になるがごとくにて、大地定まらす、四五尺も大地のわれさけたる所より、泥水わき出で、世界滅尽、この世も限りなるべう思ひなさるる有様、大地も一切今沈むかと覚ゆるなり地の震ひしばらくやみて、やれありがたしと、一息つく間もあらせで、こたびは、沖より大津浪押し入るぞと、人々のなきさけぶ声して、上を下へとかへすこと夥し、山に近き人々はそのほとりの、山の上に逃け上るに高潮の勢激しくて、至るところ堤をみな乗り越え押切りて入込み見渡すかきり一海の大海となる。」

以上が白鳳地震の様子ですが、これは生き残った人の体験語り継ぎであり、浦々と共に海に沈んだ人々は何も語ることができないまま波間に消えていきました。

「ゆりてはやみ、やむかと思へは、またゆり、かくすること幾度といふ限りなし。」という震動がプレート間のつっかい棒が外れて地震になるとするアスペリティー(固着域)理論(セミナー[222] http://www.ailab7.com/log/eqlog221-230.html参照)

で説明できるとは思われません。爆発が何度も起こっているとすれば理解できる現象です。

地震学は地震現象を説明できるような仮説を見出すことが仕事のはずです。まず定説の理論があって、それに合致しない(説明できない)現象は取り上げない、と言う態度では科学的態度とはいえません。
夕焼け現象、蒸し暑くなる現象、異常な電磁波現象、地震の前から聞こえる爆発音現象、揺れては止み揺れては止みの繰り返し現象、などなど定説では説明できないはずです。

1084
2005/12/09(Fri) 22:42
パトロス
地震の定説を支えるマントル固体論
今日はTBS「巨大地震が日本を襲う日」を見ていた。目新しいものは無かったように思うのだが、「ハルマゲドン地震津波」という言葉は始めて聞いた。スマトラ地震の津波のようなものを言うのだそうだ。それが日本にも襲う可能性があるということだった。

ヤッパリと思って聞いていたのが昭和三陸地震(昭和8年)を体験したご婦人が地震のときに「爆弾のようなボーンという音を聞いた」と語っていたことである。白鳳地震でも記録に残っているが、大地震では大抵爆弾が破裂したような音を聞いたとか、急行列車が衝突したかと思った(唐山駅の職員談http://www.ailab7.com/lib_003.html#lcn003)という話が残っている。これは地震が爆発現象であることを教えてくれていると思うのだが、なぜ地震学者はそう思わないのか、不思議に思えてならない。

昔Kさん(名はHさん)と言う著名な電気系の技術畑を歩いた方に拙著を贈ったことがある。<br>初期のもので、解離爆発と呼んでいた頃の理論であるが、「せっかくのご労作ですが、内容的にまさに直感の連続でついて行けませんものですから途中で読むことを中止しました。」と言う厳しい感想をハガキでいただいた。ロケット工学の糸川先生とは大きく違う受け取り方であった。(セミナー49 http://www.ailab7.com/log/eqlog41-50.html

教科書をしっかりと学んだ優等生的な方はきっと地震爆発論は直感の連続で何の科学的根拠もないという受け取り方をされるのかもしれない。しかしよく考えていただきたい、教科書にある近代の地震学を構築してきたのは地球内部の2900kmまでを固体と仮定して地震波の挙動を解析して得られた知識に基づいているのである。その手法は(地球トモグラフィーと言われるものの解析手法でもあるのだが)インバージョン法という地震波の進む先の物質を何度も仮定し直して、到達時間を観測データに合わせるという計算手法である。しかも2900kmまでのマントルを固体であると仮定した上での話である。

http://www.ailab7.com/naibu.html

2900kmまでのマントルが固体であって、しかも高温であるから長時間の間には流体として対流するという挙動も示す、という直感(仮説)と、誕生したばかりの地球はマグマオーシャンであったが、それが少しずつ冷却されて表面が固まり地殻というものが出来、海も誕生し生物が住めるようになった、でも地殻の下はまだ固まっていない流動体であるという直感(仮説)と、どちらが納得できる仮説であるのかを考えていただきたいと思います。

あくまでも地震学をここまで推し進めてきた直感は地球が2900kmまで固まったと言う仮説でしかありません。インバージョン法の前提(マントル固体)が成り立たないと考えることのほうが納得しやすいのではないでしょうか。

1085
2005/12/10(Sat) 22:32
パトロス
地震後にも原因不明の爆発音
地震時の爆発音に関連する情報です。

10月8日に起きたパキスタン北部地震の被災地で、地震後も原因不明の爆発音と青い煙が山から発生し、住民を不安がらせているそうです。あるサイトにNemoという方が翻訳してくれたものを抜粋して紹介します。

「下記 URLの記事ですが、10月8日に発生したパキスタン北部地震の被災地で、周囲の山々の山頂部に青い煙のような雲がかかり、原因不明の大爆発音が連続したため、大地震によって山岳地帯深部で火山活動が誘発され、噴火が起こるのではないかとの不安が被災者の間に広がっていると伝えています。青い煙については、地元の人びとはこれまで見たことがないと証言しています。ヘリコプターで上空を飛行した軍の調査隊も青い煙を確認しています。また、水の流れの色が変化しているとの報告も寄せられているとのこと。現地で調査を行っているペシャワール大学のチームは、火山活動の可能性については否定しています。」

http://www.dailytimes.com.pk/default.asp?page=2005%5C11%5C02%5Cstory_2-11-005_pg1_4


なお、同記事によれば、大学チームが否定していても、住民は爆発音が数時間おきに聞こえたりするので、「山頂の深部で起きている火山活動の結果」だと信じているようです。

別の記事(http://paktribune.com/news/index.php?id=125224)では窓ガラスが粉々になるほどの激しい音だと報告されています。
火山活動の記録がある地帯でならば、直ぐに火山性地震であると結論が出るのでしょう。火山活動のない地域でも地下深部にはマグマが流れているのですから、蓄積した解離ガスの爆発が起こっているのだと想像されます。

1086
2005/12/11(Sun) 16:33
パトロス
ワイメア渓谷の成因
ニューオフィス6 http://www.ailab7.com/hotspoto.html で、

「私はハワイのカウアイ島を観光したことがありますが、そこにはワイメア峡谷というリトル・グランドキャニオンがあって、ほんとにアメリカ本土のグランドキャニオンと同じような、堆積岩台地の大侵食峡谷です。ここは太古の時代には海の底であったことを意味しているのです。それがどうして、ホットスポットと云う火山の噴火のような仕組みから、台地になれるのでしょうか。とても信じられません。」

と書きましたが、「とりまき」氏からはセミナー[355]において、
http://www.ailab7.com/log/eqlog351-360.html
「ハワイ・カウアイ島のワイメアキャニオンの「地層」は、海底で出来たものではなく、陸上でできた「火山砕屑岩」を挟むものであり、グランドキャニオンとは全く違います。」
と言う指摘を受けました。

そのときは、「そうなのか、カウアイ島のあの水平な縞模様のような地層
http://www.tecnet.or.jp/museum3/f1_1_1P.htm)は陸上に在っても出来るのか。」と思っていましたが、調べてみると「火山砕屑岩」というのは堆積岩であるということが、

http://www.tecnet.or.jp/museum2/a24.htm)このサイトに次のように説明してありました。

「火山噴出物のうち、空中や水中を移動してたまった火山砕屑岩も堆積岩の一種である。」

また、ある観光のサイトには、つぎのような説明がありました。

「対岸に見える縞状の模様は火山砕屑岩の重なりですが、ダイヤモンドヘッドのように、噴火によって多量の火山灰が降り積もる場合を除けば、このような縞模様は溶岩流によってつくられることは考えにくい面があります。どの島にも、これまでの地質学では説明のしにくい自然がありますが、ワイメア渓谷の地層もそのひとつ言えるでしょう。」

つまり、「これまでの地質学では説明のしにくい自然」ではあるけれど、ワイメア渓谷は堆積岩から出来ている、ということはかつてこの島は海の底にあって火山活動によって海上に浮上した、と言えるのではないでしょうか。岩の質は確かにアメリカ本土のグランドキャニオンとは違うものですが、成因は同じく水で運ばれて海底に堆積して出来たということではないのでしょうか。でなければあの水平な縞模様の地層は出来ないのではないかと思います。

「とりまき」さんがお読みでしたら、お教えいただきたいと思います。

1087
2005/12/12(Mon) 11:34
パトロス
無反省のままでいいのか
2001年10月29日付けの 日本経済新聞の記事では複数の地震学者が「東海地震は遅くとも2005年までに起こる」と述べていると報道された。その2005年もあと3週間を残すだけとなったが・・・・、

卒業までの半年で 答えを出すと言うけれど
   二人が暮らした歳月を 何で計ればいいのだろう

という「青春時代」って歌が思い出される・・・・。

実感としてはこれを捩った次の替え歌であるが・・・。

‘05年までの4年間で 答えが出るというけれど
   ビクビク暮らした歳月を 何で償えばいいのだろう
当時の記事に出てくる地震学者にお聞きしたい心境である。

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東海地震、早期発生説有力に、「来年」「2005年まで」――複数研究者らほぼ一致

 静岡県付近を震源とする東海地震が早ければ来年、遅くとも二〇〇五年までに起きると
いう見方が専門家の間で有力になってきた。複数の研究グループが異なる解析結果をもとにほぼ同時期の地震発生を予測、二十六日まで鹿児島市で開いた日本地震学会で相次いで発表した。発生時期の正確な予測は難しいが、より細心の観測・警戒体制が必要となりそうだ。

 名古屋大学の山岡耕春助教授らは、国土地理院が七月に緊急発表した地殻変動異常のデータを分析、二〇〇二年中ごろが東海地震発生の要注意時期との結果をまとめた。

 地理院が発表した異常データは、想定震源域の御前崎近くから名古屋にかけて、これまで一定速度で北西に移動していた地殻の動きが今年に入って鈍り始め、一部では正反対の南東方向に移動し始めたという内容だった。

 山岡助教授らは浜松のデータについて一九九六年分から解析。周期的な変動要素などを取り除くと、最近になって加速度的に変化している動きがあることを突き止めた。この動きは二〇〇二年半ばには無限大の大きさになり地震が発生することが予想され、これが東海地震の引き金になる可能性があるという。

 一方、防災科学技術研究所の松村正三副部門長は想定震源域で起きている中小・微小地震の解析をもとに、東海地震は二〇〇五年までに発生する可能性が高いと発表した。

 微小地震の発生頻度は昨秋まではいったん沈静化し、その後増加に転じるなど変動しているが、中小・微小地震のエネルギーの総和を計算したところ、一九八〇年以降、年を追って着実に増え、その増え方は、近年特に著しいことがわかった。松村副部門長の解析によると、解放されるエネルギーが無限大になる時期、つまり東海大地震が起きるのは最も遅いケースで二〇〇五年だという。

 この予測は東京大学の五十嵐丈二助教授が今春の学会で発表した静岡県御前崎の水準点の変動を解析して求めた東海地震の発生時期(二〇〇四年二月の前後約十カ月)ともよく合う。

 東海地震については二〇三五年前後に発生が予想される東海地方西部沖から四国沖をそれぞれ震源とする東南海・南海地震と連動して起きるとの見方もある。過去千年以上の地震記録では、東海地震は東南海・南海地震と同時に起きる場合がほとんど。

 ただ、観測データを使った解析では、東海地震発生を二〇三〇年代まで先送りする結果は得られておらず、早期発生説が有力になりつつある。山岡名大助教授の「二〇〇二年発生説」に関連しては、別の名大グループが「同様の異常変動が八一年と八七年にもあった可能性がある」と学会発表。今回も地震発生コースから外れる可能性も残っており、専門家は今後の地殻の動きを注視している。

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以上が新聞記事ですが、予測が間違ったと判明したら、測地的地震予知ばかりに拘っていて、地震の実態を把握することに間違いがあったのだという所に目が向けられないものなのでしょうか。ここのところずーっと無反省のままで推移しているように思えます。次は後5年先までには・・・ということになるのでしょうか。

1088
2005/12/12(Mon) 13:07
パトロス
ゲラー教授は日本に必要なのか
五十嵐氏の研究はすでにセミナー[455][510]
[455] http://www.ailab7.com/log/eqlog451-460.html
[510] http://www.ailab7.com/log/eqlog501-510.html
ですでに紹介してあったようだ。
[455]にも紹介したプロトン通信というサイトhttp://members.jcom.home.ne.jp/proton.news/5_earthquak/5_file/5_2.html#Anchor-49575

は今もそのままであり、「日本地震学界の金字塔」という文言が冒頭にでてくる。首を傾げざるを得ないが、プロトン通信の管理人の判断だからしかたのないことなのだろう。
しかし、おなじ通信が次にアルツハウザー著「東京大震災」を「地震学会の金字塔3」としてあげているのには矛盾があるように思える。この著を地震予知面で監修したのが東京大学のゲラー教授であり、ゲラー教授は地震予知は不可能論者で有名な方であるからである。プロトン通信を読んでみよう、抜粋して紹介します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「東京大学理学部教授・ロバート・ゲラー博士、この米国人がこの小説を地震予知面で監修したのだ。まずは、東大に外国人教授がいることに新鮮な驚きを感じた。ところで、ゲラー博士は地震予知は直前でなければ防災面上は意味がない。従ってこうした立場から見るとき、ほぼ予知は不可能という立場なのだそうだ。そこで、この作家はこの不可能なもののために莫大な予算をつぎ込むことの愚かさを指摘することとなった。

 ゲラー博士は地震予知はあまり意味のない研究であるという結論を主張する。以下彼の意見を拝聴することにしたい。
 「私は正確な地震予知(一般的に、十分な信頼性及び精度をもって、ある特定の地震の発生場所、時間及び規模を前もって予測すること、と定義される)が可能かどうかについて考察してきた。過去35年間の国内・海外で行われた予知研究の詳細なレビューに基づいて、現時点では、その可能性はほとんど皆無であるという結論が得られた。また、このレビューの他に、一般物理の観点から議論すると、破壊現象は非線形現象であり、初期状態におけるわずかな相違によって、その破壊の広がりが極端に変動することも考慮するなら、現時点及び近い将来に正確な予知ができる可能性はきわめて低いといえよう。それゆえ、地震災害を軽減するため、予知研究ではなく、リアルタイム地震学や構造物の耐震基準を設定するための地震学的研究などに取り組むべきである」

という。
 ゲラー博士は「破壊現象は非線形現象である」だから直前予知理論は成り立たない、従って「リアルタイム地震学」をとの主張である。しかし、河角廣博士、五十嵐丈二博士、ともに非線形理論である統計力学やフラクタル理論を使って予知理論を作り上げてきた。
 その成果はすでに場所、時期ともに極めて精密に算出された。この成果に基づいて金融機関はすでにデーターベースの分散化を終了させている。こうした行動は恐らく何時そのインフラが完成するともしれない「リアルタイム地震学」では出来ないことなのだ。

 命を大切にしたい、身を守りたい、家族を守りたい、財産を守りたい。こうした市民の願いに地震学はこの今の時点で貢献してほしいのだ。今村明恒博士が関東大震災の危険を警告したのは1905年のことだった。大地震は1923年に発生した。結果だけから見れば、18年間の地震対策猶予期間を今村博士は明示した。地震の発生直前に避難することも大切だが、こうした対策期間はそれ以上に大局的な価値をわれわれ一人一人の運命の上に持っているのだ。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて、ゲラー教授が地震予知は不可能だとし「不可能なもののために莫大な予算をつぎ込むことの愚かさ」を指摘するのは、現状の地震予知のあり方を見る限り肯定せざるを得ないようにも思える。

しかし地震予知は不可能と決め付ける姿勢は地震学者の姿勢としては疑問が残る。今はできないとしても、どこに原因があるのかを謙虚に反省し、地震は爆発現象であるという地震の実態を把握して研究方針を変えれば、将来不可能ではないはずです。

「地震予知は不可能」原理主義者のようなゲラー教授をアメリカから呼んできて声高に叫ばせている、しかも国民の税金で給与を払っている意味が私には分からないのです。

1089
2005/12/13(Tue) 23:00
パトロス
とんでもない間違いの啓蒙
地震予知は不可能であると言って否定する地震学者の存在は理解できないと述べました。それが税金の無駄遣いという現状への警鐘であるのなら分かりますが、国民の税金で給与が払われている天下の東京大学教授ならば、地震予知を可能にする努力を払っていただきたいと思うのです。

その東京大学地震研究所には「地震や火山噴火の仕組み、予知技術など最先端の研究成果について一般(の人)にも分かりやすく説明することを最重要任務」として、普及、啓発活動を行うアウトリーチ推進室というのがあるそうです。そこの先生が監修されている「地震のすべてがわかる本」(成美堂出版)と言う書物があるのですが、これが啓蒙といえるのかと疑問を抱かざるを得ない内容がいくつか載っています。

まず深発地震では浅発地震よりも早く波が伝わるという「深発地震の謎」と言われている現象の解釈に関して、疑問に思える説明があります。石田理論に基づく解説は、ライブラリー44、45、46などに示してあります。(参照:http://www.ailab7.com/lib_contects.html

その「地震のすべてがわかる本」のp.67ではライブラリー44に紹介したものと同じ図
http://www.ailab7.com/lib_044_data.html)が掲載されていてその下に、
「地震波があっという間に広がったかのように感じられる原因は、震源の深さにある。地中100km以下(以深のこと)の地点を震源とする地震(深発地震)は、地震波が拡散しながら上昇してくる。地上に地震波が現れたときにはすでに大きく広がっている状態であるために、遠く離れた地域でもいきなり揺れ出すという現象が起こるのである。」

とあります。「地震波が拡散しながら上昇してくる」とは驚きの表現ですが、波が拡散するとはどのようなことを言っているのか理解に苦しみます。深発地震は明らかに伝播速度の速い媒質が存在する場所を通過していると解釈する以外に納得できる解釈はありません。物質が拡散・希釈されるのは分かりますが、物質とは言えない波が拡散・希釈されるはずがありません。

「地震波の伝播する速度が拡散によって速くなる」などということは絶対に有り得ません。

とんでもない啓蒙活動をしているのではないでしょうか。

1090
2005/12/14(Wed) 15:28
パトロス
大西洋中央海嶺についての説明
「地震のすべてがわかる本」にはp.10において、大西洋中央海嶺についての説明があります。

「最大の海嶺であるこの一帯では海底火山が活動しており、絶えず新しく溶岩が噴出し、両側の海底は互いに反対方向に動いている。それが両側の大陸を押して大西洋を広げている。」

以上のような説明となっております。

しかし、ニューオフィス9 http://www.ailab7.com/idou.html にありますように、大西洋の海底については南緯10度から北緯20度くらいの間に、いわゆる「縞模様」というものが一単位(100万年)も存在しません。

つまり拡大の証拠はありませんし、海洋底が広がっているように見えるのは、南緯10度以南と、北緯20度以北であって、しかも最大7000万年しか確認することができません。(このデータは古いものだと「とりまき」氏から指摘をうけましたが・・・。)

これを論拠として大西洋が拡大していると言う海洋底拡大説を取り入れるのには無理があると思います。

私は上述した本の記事にもありますように、縞模様が出来るのは海底火山の活動により「絶えず新しく溶岩が噴出」しているだけであり、噴出してすぐにそれが新しい地殻になるということは無いと思います。そのような新しい地殻が両側の大陸を押して大西洋を広げるなどと言うことは無いと思います。

溶岩が噴出しているのは、硬い地殻の割れ目から噴出して、海底から3000メートルという高い山脈の山腹を滑り降りているのだろうと考えております。トランスフォーム断層と言われている魚のあばら骨のような幾筋もの切れ目は地殻本体の上層を滑動している柔らかい溶岩だけに出来た傷跡であり、地殻本体にまで出来た断層ではないと思います。

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