新・地震学セミナーからの学び
40 続・ほころび始めたプレートテクトニクス
 卯田先生の「ほころび始めたプいレートテクトニクスからの学びを続けます。

のみ込まれ続けてもなくならない奇妙なプレート

 地球の表層部は、ユーラシアプレート・南アメリカプレート・北アメリカプレート・アフリカプレート・オーストラリアプレート・太平洋プレートという大きなプレートと、ココスプレート・ナスカプレート・フィリピン海プレート・カリブプレートなどの小さなプレートとがジグソーパズルのように組み合わさって構成されている。
 しかし、地球全体がいくつのプレートで覆われているかにはさまざまな見解があり、研究者によっても違う。また、もっとも大きなプレートとされているユーラシアプレートは本当に一つのプレートなのか、それともヨーロッパプレートとアジアプレートとの2つに分かれるのか、あるいはそれ以上に分割されるのかもはっきりしていない。
 さらに、オーストラリアプレートとインドプレートは1億5000万年前以降にパンゲアから分裂し、それぞれ独自に運動してきたことが明らかであるにもかかわらず、2つのプレートの境界がどこにあるのかまったくわからない。また、ユーラシアプレートとアフリカプレート、北アメリカプレートとユーラシアプレート、南極プレートと南アメリカプレートなども、境界が部分的に不明である。
日本列島周辺をプレートテクトニクスの立場から見ると、太平洋プレートがフィリピン海プレートの下に沈み込み、フィリピン海プレートがアジアプレートに沈み込むという一種の三角関係にある。このうちフイリピンプレートは、他の2つのプレートに比べて小さく、どこにも発散境界がない。すなわちプレートを生産する場所がなく、のみ込まれる一方だというのに存在するという奇妙なプレートである。セミナー[210]参照)

 このことについて満足のいく説明はいまだにないにもかかわらず、フィリピン海プレートはさまざまな役割を負わされている。
カリブプレートも、このフィリピン海プレートと同じような地位にある。
逆に、南極プレートは周辺を発散境界のみで囲まれている。四方八方から生産されたプレートが押し寄せてくるというのに、なぜ余剰のプレートができないのだろうか。

さしたる証拠もなく定説になった北アメリカプレート説

 1983年、秋田県沖でマグニチュード7.7の「日本海中部地震」が発生した。これを契機に、北アメリカプレートとアジアプレートの境界はこの地震の震源を通るという説が提出された。従来、2つのプレートの境界は北海道中部とサハリンを結ぶ線上にある(下図にある破線)とされていたが、新説ではそれよりも西側になる。したがって北海道や東北地方は、アジアプレートではなく北アメリカプレートの一部ということになる(北アメリカプレート説)。

 これは、日本海中部地震ほどの大規模な地震はプレート境界でないと発生しないはずだという単純な理由による。だが、たしかに巨大地震はプレート境界で数多く発生するものの、それ以外の場所で起こらないわけではない。しかしながら、ほかに格別な証拠もないのに何人かの研究者がこれに同調すると、この北アメリカプレート説は既成事実となった。
10年後の1993年には、「北海道南西沖地震」が起こり、津波が奥尻島を襲った。すると、この2つの地震の震源を結んだ線がアジアプレートと北アメリカプレートの境界だということになり、これによって北アメリカプレート説はすっかり定説になってしまった。
 
ところが、 じつは地震は発生のメカニズムが異なっている。日本海中部地震では、地震を発生させた断層は西側(日本海側)が東側(東北日本)に対して沈み込むタイプであったが、北海道南西沖地震ではこれとまったく逆に、断層の東側が西側に対して沈み込むタイプであった。もし2つのプレート境界がここにあるとしたら、一方のプレートが他方のプレートの下に沈み込んでいたり上に乗り上げていたりすることになり、つじつまが含わない。そこでこれを説明するため、今度はこのプレート境界は「形成されつつある」という考えが出された。

 さらに、1995年5月に北サハリンで大地震が発生すると、2つのプレート境界はこの地震の震源をも通るという見解がいち早く提出された。だが、サハリン地震を引き起こした断層は右横ずれタイプである。ということは、もしここにプレート境界が存在するなら、それは並進境界ということになる。
 すなわち、北アメリカプレート説をとると、2つのプレートは収斂(衝突)しているのか、並進(横ずれ)しているのかわからないということになる。あるいは、プレートが2つだけでなくいくつかが複含していると考えるのだろうか(ただしサハリン地震はプレート境界で起こったのではなく、プレート内の変形によって発生したという説もある)。

古い地殻の下ではプレートテクトニクスは成立していない

 前述したように、リソスフェアは上部マントル低速度層(低速度層)よりも上の部分とされている。ところが、低速度層は地球上のすべての場所で観測されるわけではない。とくに「クラトン」と呼ばれる古い地殻の下では、その存在がほとんど認められない。プレートについて解説した図には必ずプレートの下限が示されているが、これはあくまでも1つのモデル、つまり実際の状態を想像して考え出した模型であって観測事実ではない。しかし一般の読者は、研究者がこのように説明すると一種のマインド・コントロールを受け、実際にプレートの下限が見分けられるかのように思ってしまう。
 地球内部の構造については、1940年以降、イギリスのハロルド・ジェフリースやアメリカのベノ・グーテンベルグが地震波の観測データから作ったモデルが使用されており、低速度層の存在に根拠を与えてきた。
 しかし、技術革新によって高性能の地震計が開発されると、これらのモデルはもはや、観測データとは合わなくなってきた。
そこで1981年、ハーバード大学のアダム・ジウォンスキーとカリフォルニア工科大学のドン・アンダーソンはさまざまな地震データを総合し、「PREM」と呼ばれる地球の内部構造のモデルを提案した。
 このモデルでは、低速度層の存在がますます暖味になっている。

以上が卯田先生の論文からの学び(続)です。

 フィリピン海プレートに関しては、PISCO掲示板で「フィリピンプレートは海嶺から遠く離れていますが、どこから生まれてくるのでしょうか?」という投稿者の質問に、ある方が「フィリピン海プレートを生みだした海嶺はもう死に絶えて活動していません。」と答えています。良く理解できない内容ですが定説に基づく専門家からの回答だとそうなるのでしょうから、参考のために全文を掲示しておきますが、誕生する場所である海嶺が死に絶えているのに、先頭だけは活発に活動してしばしば地震を起こすということがあるのでしょうか。これではまるで竜頭蛇尾のようなプレートですが卯田先生が述べておられる「非科学的で・・・・な寓話」になってしまっているのではないでしょうか。

 「結論から書きますと,フィリピン海プレートを生みだした海嶺はもう死に絶えて活動していません。
フィリピン海プレートの内部で唯一活動的な場所はマリアナトラフで、ここでは日本海が開いた時のように背弧盆が開いています。この海盆の拡大はフィリピン海の中では局所的なものなので、フィリピン海プレートを生みだしていると言う訳にはいかず、東側へ出っ張るように拡大を続けています。
以下は付け足しです。
フィリピン海プレートは、九州の南東沖から南へ連なるパラウー九州リッジ(かっての島弧)によって、西側の西フィリピン海盆と東側のパレスベラー四国海盆に分けられます。
5千万年以上前に、現在のフィリピンの北東海域にあるCentral Basin Ridgeという海嶺の活動で西フィリピン海が生み出されましたが、この海嶺は約4千万年前にその活動を終えています。
この頃,西フィリピン海の東の縁では太平洋プレートが沈み込んでいて,パラウー九州島弧が生み出されました。
約2千5百万年前の頃にパラウー九州島弧は東西に引き裂かれ、その間に背弧盆としてのパレスベラー四国海盆が生まれました。引き裂かれた島弧の西半分は現在パラウー九州リッジとして残っています。
「リッジ」というのは「海嶺」とも言いますが、この海嶺は海洋プレートを生み出す海嶺と違って、島弧の名残としての非震性海嶺です。
パレスベラー四国海盆の拡大は約千5百万年前頃には停止しています。
このまま行くと、フィリピン海プレートはアジア大陸東縁へ沈み込んでなくなってしまいますが、その前にマリアナトラフの活動が北へ広がって、新たな海盆が生み出される可能性が高いと思います。」

 ジェフリースとグーテンベルグが地震波の観測データから作ったモデルというのは、セミナー[717]に紹介したマントル固体論を前提とした、インバージョン法によってなされた業績です。

 PREMとはPreliminary Reference Earth Modelの略で「参考のため前もって用意された地球モデル」とでも言うようなもので、多くの研究者がこのモデルを無前提に受け入れて研究されているのではないでしょうか。前提を吟味することなく、です。

PREMとは、「Preliminary Reference Earth Model」の略。最近まで、世界的な標準モデルとされてきたジェフリースらの地球構造モデルは、地震波のうち実体波だけを利用して作ったものだが、PREMでは実体波だけでなく、表面波も考慮に入れている。ジェフリースらのモデルとPREMとの相違は、深さ670キロメートル付近の不連続面の有無、および内核のS波速度が表示されているかどうかである。