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新・地震学セミナー

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  [2532] 地震爆発論を報道しない「諸説あり」という番組
Date: 2017-06-26 (Mon)
 知人から「諸説あり」という番組で「地震予知」の話があったが、諸説というので石田理論も出てくるかと思って見ていたが、出てこなかった。見ていなかったのなら録画を送ると連絡がありました。
テレビは見ていませんでしたが、ネット上で調べると載っていました。

諸説あり「地震予知は本当に不可能なのか」 20170506

最初に出てくる京大の梅野教授は、地震に関しては全くの素人ですが、内容は地震爆発論の立場からも有効な手法です。

セミナー[2340]にも紹介してあります。

電子数が増えるのは水の熱解離により、地下に自由電子が発生し、地表にも放出されるからです。この方法で一秒単位の変化(時系列)から、方向スペクトルを求めれば、震源地を決定することもできるはずです。原理的には「海の波の方向観測」と同じですから可能です。([2348]参照)


水が熱解離することにより発生する自由電子が地表にも放出される。
そのために、空中の電子数が増え、電離層も下がる。
この時系列情報から方向スペクトルを分析すれば、震源位置を推定することができるはずである。


地震爆発論をベースに考えていけば、いろんな予知方法が見つかると思いますが、東大をはじめとする地震研究の主流が「測地学的研究」に固執しているために、研究費が電磁気学的な方面に回ってこないようです。

これは政治的な力で方向転換する必要がありますが、その前に「地震爆発論」を受け入れてもらう必要があります。

別の意味では、プレートテクトニクスの間違いに気付いてもらうことです。


 それにしても、番組の最後にも出てきますが(気象庁の女性分析官)、あれだけ自信に満ちて「東海地震だけは予知ができる」と言って「大震法」まで作った地震学者たちが今は、「地震予知は不可能」という立場に立っているのには不信感を抱きます。東海地震の予知にかけた「無駄金をどうしてくれるんだ」と言いたくもなります。

長尾教授の「地下の天気図」論は、地震のメカニズムを踏まえたものではありません。「面白さ」と言う点ではマスコミ受けは良いのかもしれませんが、これまた学者としての誠実な信念は感じません。

発光現象はセントエルモの火の様なものではありません。地震時の爆発音を「未解明の現象」と言っているのでは、地震の発振メカニズムが理解されていないことを物語っているのと同じです。「分からないことを分ったように説明する」よりは市井の地震論にも関心を寄せることが学者の誠意ではないでしょうか。

植物の地電流感知能力を地震予知に利用する話も紹介されていますが、地電流がなぜ発生するのかを説明している「もう一つの地震学」をどうして紹介しないのでしょうか。

ネット上では石田地震論に関心のある市井の人がたくさん存在しているのに、いつまで経っても、地震爆発論を紹介するマスコミは現れません。

 このままでは、少なくとも地震学会とマスコミは知性的な組織ではないと認識されるでしょう。

  [2531] 地震は爆発現象であることを早く理解し、報道して欲しい
Date: 2017-06-25 (Sun)
 今朝は御嶽山の麓の王滝村付近でかなり大きな地震(M5.7)がありました。名古屋でもかなり揺れましたが、気象庁は「プレートが押す力による歪が蓄積されて、それが解放した」と解説するのでしょう。しかし、それは違います。地震は爆発現象です。御嶽山の噴火と現象的には同じです。蓋が吹き飛ぶのが火山噴火ですが、今回は蓋が頑丈で吹き飛ばなかったというだけの違いです。これはフンボルトが把握していた地震現象と火山噴火の理解です。
 
 また、新聞報道では、四川大地震が起きたのとほぼ同じ地域にある茂県という場所で地震が起きました。

成都の北180kmにある茂県で地震
四川大地震は隣接する汶川で大きな被害が出た。



産経新聞の報道では「家が爆発するような音がした」とか「『ゴーゴー』という巨大な音で目が覚めた」とかの報道があります。


地震は爆発現象であることを教えているのですが、「断層地震説」に凝り固まった地震学者とマスコミ報道陣には「真相を把握しよう」という気がないのでしょうか。いつまでたっても、「固定観念」を捨てようとはしません。

地震のメカニズムは古代ギリシャの自然科学者も探求していましたが、酸素と水素の化学反応式が把握されるまでは解明することはありませんでした。しかし「爆縮」という体積が減少する爆発があることを知ったなら、ギリシャ・ローマの科学者でも「地震爆発論」を納得したであろうと思います。

地震は爆発であることを早く理解し、報道してください。

  [2530] ゆっくり滑り、ゆっくり地震は地震現象とは無関係である
Date: 2017-06-24 (Sat)
[2526]にも紹介した「南海トラフのゆっくり滑り」の件が今日の読売新聞にも載っていました。

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紀伊半島沖、「ゆっくり滑り」周期的に観測
6/24(土) 14:09配信

読売新聞

(写真:読売新聞)


 海洋研究開発機構や東京大などの研究チームは、南海トラフ巨大地震が懸念される紀伊半島南東沖で、ゆっくりとプレート(岩板)境界面が滑る「ゆっくり滑り」が、8〜15か月周期で起こっているのを観測したと発表した。

 詳しい震源域の状態や、地震のメカニズム解明につながる可能性があるという。論文が米科学誌サイエンスに掲載された。

 南海トラフでは、海側のプレートが陸側のプレートを巻き込むように下に沈み込んでいる。そのひずみに耐えきれずに境界が急に動くことで、最大でマグニチュード9級の巨大地震が起こると想定されている。一方、境界がゆっくり動く「ゆっくり滑り」については、よく分かっていない

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「ゆっくり滑り」、「ゆっくり地震」という現象はよく分っていないそうですが、「地震現象」を「断層運動」と誤解しているための起きている、プレートテクトニクス理論の矛盾を示すものだと地震爆発論の立場では判定します。

分かっていないのに、さも重大な意味のある現象であるかのように「南海トラフ地震」と関連させて、国家予算を使用して良いものでしょうか、どのような成果があるのかを期限を切って予算執行することも考えなければいけないと思います。注:参照

「ゆっくり滑り、地震」がどのように把握されているのかを知るために、NIEDの資料から紹介します。

5.3 津波と津波地震・ゆっくり地震 - NIED Hi―netに載っている概説です。

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=== 図5.13 GPSで捉えられた1994年三陸はるか沖地震前後の久慈における変位(Heki et al.1997、Nature、386より) ===
地震現象は爆発的瞬時に変動が生じるものです。「余効すべり」は災害を齎すものではありません。


図5.13は、 1994年三陸はるか沖地震(M7.5)の前後にGPS観測によってとらえられた、岩手県久慈観測点における変位の時間変化を示しています。地震の発生と同時に約1mの東方向への変位を示したのち、1年以上にわたってだらだらとした同じ向きの動きが見られます。
 これは、地震時の高速すべりに続いて、断層面上でゆっくりとした「余効すべり」が継続し、本震とほぼ同じくらいの地震エネルギーを地震後に解放したものと解釈されています。



=== 図5.14 断層面上のずれの時間経過の違いによる様々な「ゆっくり地震」 ===
スロースリップとか余効すべりは地震現象の本質を意味するものではありません。



 このように、様々のタイムスケールでゆっくりとした破壊が震源で進行する現象を、総称して「ゆっくり地震」または「スロースリップ」と呼び、「津波地震」はそのうちの一部とみなされます。あまりにゆっくりで、通常の意味の地震波は勿論、津波さえも伴わない地震は「サイレント地震」(沈黙地震)と呼ばれることがあります。図5.14は、様々なタイプの「ゆっくり地震」を断層面上のずれの時間経過の違いによって模式的に示したものです。

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以上がNIEDのサイトに載っているものです。

地震とは「爆発的な現象」として衝撃的に地盤変化を伴うものです。断層地震説(定説)では、「変動から地震波が放出される」と考えられていますが、「地震の原因と結果」が逆転しています。「衝撃的爆発」が原因であって、変動つまり断層はその結果です。

 また、ゆっくりと変化するような地盤変動がたとえあったとしても、「地滑り」のような現象と「地震」はまったく違います。

スロースリップという地すべり的な変動は地震の本質とはまったく関係がありません。

 「地震観」を変えないと、これ以上の地震研究の進展はありません。

 地震研究における「体系的廃棄」が必要です。


注:

10 地殻の歪みは蓄積できないに紹介した坂柳先生の批判・・・「地震学的には面白い」ので、地震予知には関係なくても予算を貰っている・・・という学者の姿勢があるのなら改めるべきです。坂柳先生の言葉を紹介します。

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それは地震予知の研究が始まった時、先ず何をすべきかと言うことになり、萩原尊禮先生の提案で今の様な研究がはじまった。
(その時)これは10年もたったなら目鼻が付くであろう、その時よく結果を検討して次を考えようと言うことで始まったと聞いている。

ところが始めて見ると、思いのほか色々な現象が現れ、地震学的には面白いが、予知には繋がらないことが分かってきた。この時期に大きな反省をすべきであった。

それが出来なかったのは萩原先生の呪縛に掛かってしまったのであろうか。それとも狭い地震学的な考えしか浮かばず、物理学的に何が本質かを考えつかなかったのか。

いずれしろそれは地震学会全体の責任であると思われる。

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以上が坂柳先生の批判の抜粋です。

地震学者の猛省が求められているのではないでしょうか。勿論マスコミも責任があるでしょう。



  [2529] 東海地震説は間違いだったと元地震研準教授が講演
Date: 2017-06-23 (Fri)
 横浜の講演会で、元東大地震研の準教授が「東海地震説は、提唱から40年たって起きていないのだから、間違いだったというべきだ」と述べたと、報じられています。

 何が間違いだったのか?プレートテクトニクスを信奉する地震学が間違っているのは明らかです。

 だから、演者が次の地震は2035年頃というのも、何の根拠もありません。

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巨大地震の再来警戒を 横浜、専門家が講演
6/18(日) 17:00配信

「歴史地震から考える21世紀の大規模災害」と題した講演が17日、横浜市神奈川区の神奈川大であった。元歴史地震研究会会長の都司嘉宣・深田地質研究所客員研究員が、平安時代の869年に起きた貞観地震と東日本大震災の酷似性を指摘。貞観地震の9年後に関東で大規模地震があったとして、その再来に対する注意や備えを呼び掛けた。

巨大地震の再来を念頭に、耐震化などを呼び掛ける都司氏
=神奈川大横浜キャンパス


 都司氏は各種の調査結果を基に、震災と貞観地震の津波浸水域が「ほぼ同じだった」とした上で、「貞観地震の溺死者は千人とされているが、当時の日本の人口は約600万人。今の人口に置き換えれば犠牲者は2万2千人ぐらい」とし、被害規模にも共通点があると論じた。

 9世紀は富士山の貞観噴火(864〜866年)や南海トラフの仁和地震(887年)などが相次ぐ「災害の世紀」だった。東日本大震災以降、水害や火山噴火が多発する現在の状況をなぞらえる研究者も少なくない。

 都司氏は9世紀の災害のうち、相模や武蔵で被害が大きかった878年の元慶地震に着目。その液状化痕が埼玉や千葉で見つかっているとして、1923年の関東大震災級の巨大地震だった可能性を強調した。

 一方、南海トラフの一部である静岡・駿河湾で切迫しているとされてきた「東海地震説」について「提唱から40年たって起きていないのだから、間違いだったというべきだ」と指摘。ただ、南海トラフ地震のこれまでの発生履歴を考慮し、次の地震は「2035年ごろに起きるのではないか」との見方を示した。

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東海地震切迫説は何度も地震学者から発信されてきましたが。一度も当たらず、一度も「陳謝」の言葉がありません、言いっ放しが続いています。

何故当たらないのかは、地震のメカニズムをきちんと把握していないからですが、「地球という生き物が何時発病するのか」という問題だからです。地域住民の摂生の仕方でどうにでもなることを、医者が予見することが困難なのと同じです。

民衆:では本当は何年ごろに地震が起きますか?

主治医:「そんな生活をしていると、そのうちに大病にかかる」というようなものだよ。

民衆:だから、何年後に発病するか教えてください。

主治医:あなたの生活態度の掛かっているから、そんな予想はできないよ。一年後かもしれないし、10年後かも分らんよ。

天罰なんて言ったら騒ぎになるから言わないけど、
あんたの摂生次第だよ。だけど地震の発生メカニズムを正しく把握して、研究すれば、直前の予兆を知ることはできるけどね。

まあ、プレート論を信奉しているうちは不可能だね。

  [2528] 付加される時期とされない時期は何で決まるのか?などの疑問
Date: 2017-06-22 (Thu)
 紹介する記事の末尾にある「地質学者は、常識と非常識を、いつも意識して、調査することが求められているのです。」という文章を見て、驚きました。

 現代の地質学者は本当に付加現象というものを信じておられるようなのです。プレート論が間違っていることが分ったら、真っ先に否定される考え方なのですが、中世のGeocentricな思想(天動説)の世界に住んでおられるようなものです。([2439]参照)

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常識と非常識より
 
ここで用いた原則が、「地層累重の法則」です。非常に常識にかなった法則です。しかし、この常識的な「地層累重の法則」が、すべての地層で、普遍的に使えるととは限らないことがわかってきました。
 
それはプレートテクトニクスという考え方の登場からです。プレートテクトニクスという考え方は、地球表面でに10数枚のプレートがあり、それが、移動しているという考えです。中央海嶺で海洋プレートは生成され、海溝で海洋プレートは沈み込みます。大陸プレートは、分裂や合体はしますが、沈み込むことはありません。

プレートテクトニクスで、海洋プレートが、大陸プレートの下に沈み込むところでは、海洋プレートの上にたまっていた地層が、プレートに伴ってもぐりこもうとします。しかし、堆積物は、軽いため、沈み込めず、プレートからはがされて、陸側のプレートにくっつきます。これを「付加」といいます。

プレートの沈み込みが続く限り、付加は続きます。前に付加した地層の下側に、つぎの地層がもぐりこんでは、付加していきます。つまり、古い地層の下に、新しい地層が入り込むのです。それが、長い間繰り返されて、大きな地質体となったものを、「付加体」と呼びます
 
付加体で形成された地層は、堆積順序が「地層累重の法則」を守っていないのです。「地層累重の法則」を守っている地層と、守っていない地層は、見かけや構成が全く違っていることもあるのですが、ときには、砂岩から泥岩という、河川が運んで「地層累重の法則」にしたがってたまった地層と同じものものがあります。

それに、「地層累重の法則」を守らない付加体で、上の地層と下からくっついた地層との境界は、薄いかみそりの刀も入らないないほどぴったりくっついていることもあります。だれが見ても、そこには時代のギャップ、それも逆転した(古いものが上、新しいのが下)ものがあるなどとはわかりません。でも、付加体では、そのような常識はずれのこと、非常識なことがおこっているのです。
 
では、そんな見てもわからないようなものを、どうして見分けたのでしょうか。
 
それは、微化石とよばれる非常に小さな化石の研究と、詳細な地質調査(センチメートル、ミリメートルのオーダーの調査や資料採集をすること)によってわかってきました。
 
 微化石は、顕微鏡や電子顕微鏡などで見なければ判別できないほど、小さな化石のことです。微化石の研究では、日本の研究者が大いに貢献しました。
 微化石は、コノドント(ヤツメウナギに近い動物の食物を選別し、すりつぶす器官)や有孔虫や放散虫、珪藻などがあります。このような多種多様な微化石を用いて、一枚一枚の地層の詳細な年代決定をおこなって、どの地層の間に時代間隙があるのかを見極めてきました。非常に根気のいる研究です。
 
 ですから、地層をみたとき、それが、「地層累重の法則」でたまったものなのか、それとも「付加体」でたまったものなのかを見分けなければなりません地質学者は、常識と非常識を、いつも意識して、調査することが求められているのです。

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 既に[2452]以降で述べてきたように、地層の上下逆転は地殻変動による「地殻の捲れあがり」で説明が付きます。プレート論はベロウソフ教授も言っているように、

「構造地質学のあらゆる基本的なデータの完全な無視の上に立ち、しかも第一に説明すべきことを全然説明しなかった」

理論です。当然様々な矛盾が出てきますので、ごちゃごちゃとした修正案が出てくることになります。

その一つが付加される時期とされない時期が交互にやってくるというものです。上記の文章「プレートの沈み込みが続く限り、付加は続く」とは矛盾するようですが、抜粋して紹介します。

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地学雑誌
Journal of Geography 119(2)362—377 2010 

付加体の構造侵食による前弧の構造発達  植田勇人
より抜粋


図 9 構造侵食—底付け再付加モデルを適用した場合の、
前弧の低角構造の成因に関する模式図。BS:青色片岩相、LA:ローソン石曹長石相。


日本列島の地史には付加期非付加期があったと考えられるが、 付加体地質学は当然ながら付加期に形成された付加体を主な研究対象とするため、非付加期における前弧テクトニクスは十分評価されてこなかった。本論文では、陸上付加体や高圧変成帯に認め られる地質構造のいくつかの特徴が、付加期に引き続く非付加期において、構造侵食と底付け再付加によって形成されるというモデルを提示した。以下にその内容をまとめる。

付加期には、側方短縮によって比較的高角な地質構造をもつ前縁付加体が形成される。この時期に底付け付加によって高圧変成岩が形成される場合には、チャートや苦鉄質岩を原岩とする付加ユニットが卓越すると推定される(図 9A)。

非付加期になると、すでにウェッジ先端付近にあった前縁付加体は深部へと引き込まれ(構造侵食)、陸源砕屑岩を多量に含む高圧変成岩が形成される(図 9B,C)。既往の高圧変成岩は、新たに引き込まれてくる浅部起源物質によって押し上げられる。この物質移動によりウェッジ上面は急傾斜化し、側方伸長場になる。既往付加体は海溝側に傾動しながら伸長し、低角な地質構造を獲得する(図 9C)。

隆起する高圧変成岩は、自身と上載地質体の薄化によって低角構造を発達させながら減圧する。

再び付加期が訪れると、付加ウェッジは側方圧縮場に戻る(図 9D)。ウェッジ先端部には新たな前縁付加体が形成されるとともに、既往付加体や高圧変成岩で構成される前弧の低角な地質構造は正立褶曲により座屈する。

本論文は、上記モデルの検討にあたり、最も単純なコーナー流を想定した。しかし実際には、 深部で塑性領域、その上位に脆性領域という、物性の異なる最低 2 層の構造が想定されるので、 より複雑なダイナミクスが進行する可能性が高い。Gerya et al.(2002)の数値計算では、蛇紋岩化した塑性的なウェッジマントル内と脆性的な地殻内とで別個のセルのコーナー流がおこる様子が提示された

そこでは、高変成度岩は塑性領域内での流れによって上昇した後に、その一部が地殻内の流れに巻き込まれることによって地表まで上昇する。Maruyama et al.(1996)は高圧変成岩の上昇過程について、初期の塑性領域での搾り出しと、後期の脆性領域における低角ユニットのドーム状隆起という、2 段階を認めた。彼らのモデルは、初期および後期の原動力としてそれぞれスラブ傾斜角の浅化と底付け付加が想定された点で、本論文で提唱した構造侵食モデルと見解が異なる。しかし彼らのモデルでは、塑性・脆性境界を挟んだ上昇モードの変化を考慮に入れて地質構造の発達が説明されている。

本論文のモデルでは、バックストップが有効に働けば脆性領域での引きずり流が塑性領域の岩石(例えば青色片岩) を搾り出す効果を期待できる(図 8B)。しかし、エクロジャイト相のような大深度までその影響が直接伝播するとは考えにくい。この点は当モデルが抱える大きな課題の一つであり、今後より深部でのダイナミクスも考慮した検討が加えられる必要がある。

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以上が抜粋記事です。
固体力学の成立する範疇での研究のはずですが、所々に、流体力学用語が出てきます。
このような粘弾性体力学の数値計算のようなことが正当なものなのかどうか、流体的固体力学のような机上の研究が評価される時代というのは後世何処まで持つのだろうと考えてしまいます。
少なくとも、プレート論の実体が明らかになれば、朝陽の下の霜の如く消え去るでしょう。

  [2527] 「お付き合い断層」は地震のメカニズムが分っていない証拠である
Date: 2017-06-17 (Sat)
「お付き合い断層」という用語がいつから使用されているのかを調べてみたら、2012年の週刊現代の記事にありました。

最悪の場所で発見された!田端→飯田橋→四ツ谷 「首都縦断」活断層でM7地震ここを直撃する「首都高倒壊」「JR中央線の外濠落下」「防衛省機能マヒ」に備えよ

 という2012年9月の記事を抜粋して紹介します。東京都内で断層が発見されたというニュースです。


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「巨大地震の後」が危ない

〈JR田端駅近くから、飯田橋駅付近を通り、外濠に沿って四ツ谷駅付近に至る全長約7kmの活断層が存在する可能性がある〉

 8月20日、地質学の専門家が集まる日本第四紀学会で発表された、衝撃的な調査結果が防災関係者たちのド肝を抜いている。

 東日本大震災から、まもなく1年半。首都圏直下でも大地震が起こる可能性があることは、たびたび報じられてきた。だが、首都のド真ん中を縦断する巨大な活断層の存在が、これほど強く示唆されたのは初めてと言ってもよい。

断層はかつて起きた大きな地震の傷痕に過ぎません。
活断層というものは存在しません。


もし今回発見された断層を震源とする地震が起これば、これらの機関が一度に壊滅する可能性さえある。まさに、日本の中枢を揺るがす「最悪の場所」に存在すると言っていいだろう。

 このような重大な危険がなぜこれまで見過ごされてきたのか。地形学が専門の池田安隆・東京大学大学院准教授はこう解説する。

「今回発見されたのは、南北方向の『正断層』というもの。実は、これは房総半島などでもたくさん見つかっています。ところが今までは、なぜ関東平野に正断層が存在するのか、理屈が分からなかったんです」

南北方向の正断層は、大地が東西方向に引っ張られることで発生する。しかし東日本大震災以前、日本列島は太平洋側のプレートに押されて東から圧縮されていた。押されているのに、なぜ引っ張られたときの断層が存在するのか---。

「活断層の専門家は扱いに悩んだ末、これらを無視してきた面もあるんですね。

 ところが3・11でプレートの歪みが解消されると圧縮されていた日本列島がもとに戻ることによって東西方向に伸びた。つまり、これらの正断層は、巨大地震のあとになって、お付き合いで、追い打ちをかけるように動くのではないかと分かってきた」(同前 池田教授)

 無視されてきた正断層は、3・11のような巨大地震のあとに動く可能性が高い、恐ろしい存在だったのだ。

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「正断層は引っ張りによって起き、逆断層は圧縮によって起きる」という理解そのものが間違っています。断層は地震の結果として起きるものですが、爆発の方向が水平なら正断層が、垂直に近ければ逆断層ができます。
爆発の方向が問題になっていることがまったく理解されていません。



爆発が水平に近ければ垂直断層が正断層になります
「熊本地震」にみる地震学の矛盾より(p.39)


このような地震学の実体では大きな地震で「お付き合い」の断層ができると解釈するのでしょうが、「病膏肓」です。

地震爆発論に切り替えるべし!


後記:

「お付き合い」というおよそ科学的でない用語が何故使用されるようになったのか本当に不思議ですが、変動地形学の学者も使っていました。

敦賀原発:真下の浦底断層と破砕帯:立地不適格の可能性より

破砕帯の危険性を指摘し続けてきた専門家がいます。
「ひとつひとつ(の被砕帯は)地震を起こさないかもしれないが、本体の活断層が大きく動いたときにおつきあいで動いてしまうと。
それで原子炉が壊れてしまうのでは」(東洋大学・渡辺満久教授〔変動地形学〕)
記録として動画も残しておきます。





  [2526] お付き合い断層?病膏肓に入った地震学
Date: 2017-06-16 (Fri)
「ひずみ」の蓄積や開放が地震現象だとする「力学無視」の地震学が継続しています。
 その一環ですが、海洋研究開発機構が「海底地盤のゆっくり滑りが繰り返されている」ことを米科学誌サイエンスに発表したというニュースがありました。「ゆっくりすべり」で歪みが蓄積される惧れがあるという内容です。

 また「お付き合い断層」という用語も生まれているそうで、地震学は「病膏肓に入る」(どうしようもない状態)という感を禁じえません。

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ゆっくり滑り、繰り返す=紀伊半島沖、浅い南海トラフ−海洋機構

 紀伊半島南東沖の南海トラフの浅い部分では、海側と陸側のプレート境界付近がゆっくりと1〜4センチ程度滑る現象が8〜15カ月間隔で繰り返されていることが分かった。海洋研究開発機構や東京大などの研究チームが16日付の米科学誌サイエンスに発表した。



ゆっくりした滑りが
たとえあるとしても、
何も怖くはない。怖いのは爆発現象である。

 
南海トラフでは海側プレートが陸側プレートの下に沈み込んでおり、境界付近にひずみが蓄積されてから急に滑ると大地震になる。浅い部分ではゆっくりとした滑りにより、ひずみの30〜55%程度が解消されているとみられるという。
 
しかし、その影響が陸地に近い、深い部分に及び、ひずみが蓄積される可能性がある。1944年の東南海地震(マグニチュード7.9)はこの陸地に近い部分が震源域となった。
 
海洋機構の荒木英一郎主任技術研究員は「ゆっくりした滑りの観測点を増やし、コンピューターによるシミュレーションと組み合わせれば、大地震のリスクを見積もる手掛かりが得られるのではないか」と話している。
 紀伊半島南東沖には沿岸からケーブルでつながった海底地震・津波観測網があるほか、探査船「ちきゅう」で深く掘削した2カ所の穴に水圧などの観測装置を設置している。研究チームは昨年まで約6年間の観測データを調べた。(2017/06/16-03:48)

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地震現象は歪みが開放して起きるのではありません。「解離ガス」という酸素と水素の混合ガスの爆発現象です。何度述べれば気付くのでしょうか。

昭和の時代に石本巳四雄先生らが説いていた「マグマ貫入理論」のほうが真実に近いのです。地震学は迷路に嵌っています。

さらに、「宏観亭見聞録」で「お付き合い断層」という専門用語があることを知りました。



この「お付き合い断層」に関して、国土地理院の地理地殻活動研究センター長という方のコメントがあります。

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1.SAR が見つけた「お付き合い断層」は地震断層の概念を変える?
:宇根 寛(地理地殻活動研究センター長)

阿蘇外輪山北西部の線状の位相不連続が現れている地域の現地調査を行ったところ、多数の地点で地表の変位を確認した。すべて位置、走向、変位の向きはSAR による分析とよく整合するものであった。この地域では地震活動は発生しておらず、応力の変化に伴う受動的な地表変動と考えられる。

 さらに、本報告では、SAR により地表の変位が面的かつ詳細に把握できるようになって以降、「お付き合い断層」がしばしば見られていることを紹介する。地表地震断層は地下の断層活動を推定する重要な手がかりとされてきたが、「お付き合い断層」が地震に伴って普遍的に発生する性質のものだとすれば、地表地震断層の見方を再整理する必要があるかもしれない。

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以上が、コメントです。
その他の文献にも「お付き合い断層」という用語があります。一例を紹介しますが、
科学論文(p.10 1-74)に載っていました。

「お付き合い断層」とは、「プレート境界の断層活動に伴う巨大地震に際して副次的に活動する断層」ということですが、写真から見て、爆発に伴ってできる「地割れ」に過ぎません。「活断層地震説」をアプリオリに受け入れてしまうと、とんでもない邪見の学問になってしまいます。地震爆発論から見ると「病膏肓にいる」、どうしようもない、という状況です。
地震学も、地質学も体系的廃棄が必要です。

霊人になった岡潔先生が以下のように語っています。



『(日本の学問は)ほとんど手本が西洋のほうにあるんだろうからなあ。残念ながら、理系教育の原型が。ほとんどあちらから入ってきているから、まあ、非常に残念なんだが。日本独自のなあ、やっぱり、オリジナリティーのある、インスピレーションを受けた「発明・発見」をつくっていかないといけないな。』

そして、関孝和の微分積分の発明などを上げています。

小川琢治・石本巳四雄先生らの地震学・地球観をどうか見直して欲しいと願っています。



  [2525] 南極大陸は今の位置ではなく、文明が存在した
Date: 2017-06-15 (Thu)
 国際科学者チームは南極への遠征で、1トン以上の恐竜の化石を発見した、とABCニュースが報じています。

 南極で恐竜の化石が発見されたニュースはライブラリー42(アロサウルス)にも紹介しました。また、福井の恐竜博物館で「オーロラを見た恐竜たち」という講演がなされた件も[1072]で紹介しました。

恐竜が生きていた時代には南極が今の位置ではなかったことははっきりしています。

その南極で恐竜の化石が1トン以上も見つかったいうニュースを紹介します。

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南極で恐竜化石が1トン以上見つかる

世界20か国の学者ら 今年8月 恐竜研究のためシベリアへ
7100万年前のものと推定され、膨大な海生爬虫類の化石が含まれている。

モササウルスの化石


クイーンズランド大の博士スティーヴ・ソルズベリ氏は語る。「我々はアロサウルスやモササウルスの化石を大量に発見した。後者は最近の映画「ジュラシックワールド」でよく知られるようになった。いずれの化石も浅海岩にあった。つまり、いずれも海生生物だったのだ」

科学者たちはまた、白亜紀後期に住んでいたアヒルなどの鳥類の化石を発見。

見つかった化石はチリに運ばれており、のち米カーネギー自然史博物館に送られさらなる研究が実施される。

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南極には「食文化」を追求したミュートラム文明を築いた人々が生きていたという話があります。恐竜の化石があるということは、今のような過酷な気象条件のもとではなかったことを意味します。

 ミュートラム文明の話もやがて、文明の痕跡が発見されて「科学的探究」の対象になってくるのでしょう。南極でピラミッドが発見されたというニュースもありましたが、「地殻移動」を考えれば何らかの文明が存在した可能性は否定できません。


 科学の世界でも「体系的な廃棄」を通して、超古代の文明の姿が明らかになってくると思います。 早く、古いからを脱ぎ去りましょう。(ミュートラム文明の話は[2385]にも紹介しました。)

  [2524] 「構造浸食」という着想のベースにある均衡概念
Date: 2017-06-14 (Wed)
「大陸成長史」という観点からは、「大陸で常に形成されている花崗岩は増え続けるのか、大陸は膨張するのか」という論点が生まれ、どこかで浸食を受けなければ「均衡」が取れないことになります。

 また、付加体理論を進めれば、大陸(または日本列島)は常に増大し続ける、という結論になり、「地球膨張論」を採用しないと「均衡」が取れなくなります。
そうした観点が「構造侵食」という着想のベースにあるのかなと推定しました。

 「反プレートテクトニクス論」の星野先生は「昔の陸地の沈水は、海面上昇の結果であり、海面上昇は「地球の膨張」―深海底の上げ底作用―の結果である」と「膨張論」の立場で考えておられます。(地球の半径p.94参照)

 私の考えは「地球膨張論」ではありません。体積的「均衡・バランス」を取っているのは風化作用であり、オーソコーツアイトが謎を解く鍵だと思っています。


「産業技術総合研究所」センターのサイトより


[867]に述べましたが、玄武岩と花崗岩では成分がほぼ同じなのに、密度が違います。これは花崗岩が水を含んだ状態でゆっくりと冷却するときに結晶化して、密度を下げるからです。

つまり、成長し続ける花崗岩だけでは、大陸の体積は膨張する一方です。しかし他方で、地殻変動で上昇した花崗岩は風化を受けて結晶構造が崩れ、湖水での沈殿で分類化(石英、長石、雲母などに)され、石英はさらに砂漠での飛砂現象による円磨、熱による変成岩化、崩壊、河川流下による円磨という気の遠くなるような“流転”を経て、体積を減じ、「均衡」を取っているのだと考えます。

地球の体積的均衡をとるためには温度差の激しい砂漠という環境も意味があるのかなぁ・・・と思えてきます。

「構造浸食」の着想は『プレート論』や『付加体論』に拘束され過ぎています。

  [2523] 深発地震面をベニオフゾーンで一般化することはできない
Date: 2017-06-13 (Tue)
日本発のオリジナルな研究とされている深尾氏と丸山氏の研究は「ベニオフゾーン」と呼ばれている「深発地震面」を、プレートの潜り込んでいる姿だと「一般化」して解釈しています。

しかし、「深発地震面」が傾斜して大陸プレートの下に潜り込んでいるかのように見えるケースが全てではありません。マリアナ海域では垂直になっていますし、「面」にならない場所もあります。 ペルーやニューヘブリデスのように途中で途切れる場合もあります。


深発地震面の分類


青マルで示す区域の深発地震と日本近海のそれとは全く違っている
日本の例から一般化することはできない


なんといっても、大陸内部のパミール高原では「面」ではなく、「ロート」または「竜巻」のような形状をしています。これをどのように解釈するのでしょうか。


[2217]で紹介したパミール高原での深発地震の震源と地震の分布形状、面的とはいえない


また、ミャンマーやアラスカでの「深発地震」の分布は日本のように陸地部分に平行ではありません。とてもプレートの潜り込みに関係しているとは思えません。

 大西洋の南端部の海底にある「深発地震」も日本の場合とは違っています。

 日本近辺の例を使用して一般化することはできません。一部地域の例を説明するだけの仮説では世界規模で起きている現象を説明することにはなりません。勿論プレート理論が間違っているのですから、根本的に間違っています。

やはり、過去に起きた地殻の浮沈と関係する「熔融マグマの対流」が影響していると考えるべきでしょう。地殻は浮上しても、其の下部にあったマグマの流れは痕跡として残っていると考えるべきでしょう。


  [2522] プルーム・テクトニクスも体系的廃棄に該当します
Date: 2017-06-12 (Mon)
 地球科学を大きく前進させた日本発の理論、とか日本人によるオリジナルな研究の成果・・・・とか言われて信じられているのが「マントル・トモグラフィー」から生まれた『プルーム・テクトニクス理論』なるものですが、マントルが固体という仮定の下に計算式が作られています。
 その結果流体の上昇が見つかった・・・というのは矛盾しています。
 世界的な研究と報じておられるかたのブログを紹介します。

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沈み込み境界
2012年06月30日10:22

プルーム・テクトニクスと地震波解析

 地球科学を大きく前進させた日本発の理論『プルーム・テクトニクス』、および地震波の解析について、紹介します。この理論は、地球内部における地震波の伝播の違いを精密に測定する「コンピュータ・トモグラフィー(地震波解析)」技法の進展によって得られたもので、日本人によるオリジナルな研究の成果です。

 プルームは間欠的に起こるマントル対流を意味し、テクトニクスは地球の構造運動を表すモデルです。プルーム・テクトニクスは、プレート・テクトニクスを含むマントル対流を表すモデルで、現状では、最も多くのことを説明可能なモデルです。

 プレートの境界は圧縮場なので、境界面に逆断層が発生します。

 海溝より海側では、沈み込む海洋プレート=スラブのうち、浅い層は引張場なので正断層、 深い層は曲げによる圧縮場なので逆断層が発生します。

 海溝より陸側では、スラブは陸側プレートの深部に沈み込んで行きます。スラブの下部は、圧縮場となって逆断層が発生します。それより上部のスラブでは、 プレートの重みで海洋プレートが引きちぎられるような力が加わると、正断層が発生します。

 陸側の深部に沈み込んだスラブは、スラブ内の間隙水圧の上昇により、脱水反応が起きます。冷たい間隙水がプレート境界の滑り面=デコルマ面などを通って湧出すると、地滑りが発生しやすくなります。また、この水が陸側のマントルの一部を溶かしてマグマを発生させます。

 沈み込んだスラブは、陸側のマントルよりも低温な含水層です。スラブの主成分である低温の玄武岩は、低温では相転移しにくいため、密度が小さいままマントル遷移層に浮かぶように、一旦滞留します。
 この滞留するスラブ=スタグナント・スラブ(またはメガリス)は、日本列島の地下にもあり、マントル不連続面の直ぐ上に、長さ2,000km 以上に亘って横たわる冷たい構造です。
 下図は、『スタグナントスラブを知り、マントル対流の新シナリオをつくる』 深尾 良夫氏( 海洋研究開発機構・地球内部ダイナミクス領域・領域研究代表者)より引用。

Fukao Yosio氏の研究より


 一方、スラブ内の橄欖岩は、相転移が進み、玄武岩の「浮き」に対抗する「錘」の役をします。
 時間が経つと、冷たかった玄武岩も陸側のマントルで温められて、相転移が進み、「錘」に変わります。

 一定時間が経過すると、「浮き」と「錘」のバランスが崩れ、マントル遷移層に滞留していたスラブは、下部マントルへと崩落して行きます。
 この下部マントルへと下降するマントルの流れを、コールド・プルームと呼びます。コールド・プルームは、 密度が大きくなったために、下部マントルの底=D”層まで達して堆積します。

  コールド・プルームが、マントル最深部のD”層まで達して外核を冷やすと、その反動で、流体である外核の活動が盛んになり、 D”層の別の場所が暖められて、ホット・プルームの上昇が起きる、と考えられています。

  ホット・プルームは、マントル物質(橄欖岩)が細い管のような状態で上昇してゆく流れです。上昇流の最上部は、キノコのような形状をしており、巨大なキノコの傘の部分に、温かいマントル物質が溜ります。そこから、枝分かれしたマントル物質が上昇します。

  マントル物質の流れが直線的な割れ目に入っていけば、中央海嶺になります。キノコからそのままマントル物質が上昇すれば、活動域が最大1000kmに達するような超巨大火山を形成します。海嶺も巨大火山も、「南太平洋スーパー・プルーム」のように、巨大なマントル溜りがあるため、活動期間は1000万年から数億年に及ぶこともあります。

 現在の地球上で、 ホット・プルームが上昇しているのは、ハワイやアイスランドなどのホット・スポットです。巨大なスーパー・プルームの上昇は、過去には超大陸の分裂を惹き起こしたり、大量のガスを放出して気候変動の原因になったこともありました。

 ホット・プルームは、10億年前の海洋プレートに由来するという説もあります。この説の場合、沈み込んだ海洋プレートが、コールド・プルームとして下降し、D”層として長らくマントルの底にあったものが、10億年の時を経て、地表に戻ってきたことになります。

 また、 コールド・プルームとホット・プルームの上昇は、約1億年周期で起きるのではないか、という説もあります。1 億年ほど前(白亜紀前期)には、数千万年に亘って全く、地磁気逆転がありませんでした。この時代、プレートの移動が早く、火山活動が活発で、地球は非常に温暖な気候でした。この時代に、スーパー・プルームの上昇があったのではないかと推測されています。

注:
 D”(ディー・ダブル・プライム)層=コア・マントル境界は、下部マントルと外核の境界に位置し、深さ2700km にあります。ここは、下降してきた海洋スラブの溜まり場です。

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研究の対象になっている領域は「固体」であると考えられています。最初に述べたように、固体であると仮定して地震波の速度などを決定しておいて、計算結果に液体の上昇を導入するのは矛盾しています。

固体の中でこのように浮力だとか、沈降という流体力学の概念を使用するのは、根本的に間違いがあります。レオロジーという概念(固体でも長期的には流体)を使用していますが、レオロジーの解釈が間違っています。地震波がマントル中を伝播しているように見えるのは「液体でも、衝撃波には固体的に振舞う」と解釈すべきです。マントルは液体ですから、プルーム的な動きはありえますが、計算結果から導くのは不適当です。

「プルーム・テクトニクスは、プレート・テクトニクスを含むマントル対流を表すモデル」と考えられているものですが、「親亀こけたら、皆こける」に該当するものです。

『体系的廃棄』に含まれるもので、世界に誇れる日本発の研究ではありません。

  [2521] 「日本沈没の開始」という証拠は何処にもありません
Date: 2017-06-11 (Sun)
日本沈没が開始されている、というセンセーショナルな報道があります。出所は「日本地球惑星科学連合2016年大会」での著名学者ということです。

発表したのは竹内均先生と同じMobilistですが、プレート理論が間違っていますから、内容を全面的に信用する必要はありません。([2095]参照)

 具体的に何処が間違っているのかを知っておくために紹介しますが、深発地震の発生原因を見誤っています。

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太平洋スラブの下部マントルへの崩壊は開始されたか
*新妻 信明 (静岡大学理学部地球科学教室)

気象庁が公開しているCMT発震機構解に基づき太平洋スラブが下部マントルに到達し、崩落を開始したかを検討したので報告する。
2015年5月30日M8.1の小笠原沖の地震では震度1以上で日本列島全域が揺れ、深度682kmの震源域が太平洋スラブに連続していることを示すとともに。太平洋スラブ先端が660km以深の下部マントルに到達したことを示した。この3日後の6月3日にも同域でM5.6深度695kmと更に深い地震が起こり、下部マントル突入を確実にした。これらの地震は同じ正断層型発震機構であった。
震源域では2011年3月11日の東日本大震災後、日本海溝側への引張応力増大によって発震機構が変化し、2013年11月には西之島が噴火を開始した。また南方のマリアナ海溝域で2013年5月14日M7.3pr深度619kmが、マリアナスラブは海溝から同心円状屈曲したまま下部マントル上面に沈込んでいることを示した。
伊豆スラブは同心円状屈曲後平面化して南ほど急斜しており、幾何学的にマリアナスラブとの間に裂け目が存在しなければならない。この裂け目の北側に位置する伊豆スラブ南端で、2015年5月・6月の下部マントル地震は起こっている。
この下部マントル地震は現在の最深記録であるが、それまでの最深記録はウラジオストック域の2009年4月18日深度671kmM5.0+ntであった。この深度も660kmの下部マントル上面深度以深である。深度660kmの下部マントル上面の温度圧力条件下では、上部マントル主要構成鉱物のカンラン石は、高密度のペロブスカイトに相転移する。この相転移は低温ほど高圧を要するため、低温のスラブは下部マントル上面を通過できず停滞すると考えられる。スラブ先端も次第に暖められ、ペロブスカイトに相転移を開始すると、浮力を失って後続のスラブを下部マントルへ引き摺り込む。低温のスラブも引き摺り込まれると高圧になり相転移が連鎖的に進行する。連鎖的相転移はスラブを下部マントルに崩落させる。映画「日本沈没」(第2版)では、日本沈没を、停滞スラブの下部マントルへの崩落によって説明している。

2009年4月18日の地震も下部マントル地震であったのであろうか。2009年4月18日の発震機構は横ずれ断層+nt型であり、停滞スラブ内の逆断層型発震機構と異っており、660kmを境界に発震機構が変わっている。また、震源がスラブの下面に位置していることは、沈込前に海底で冷却されていないことを意味しており、スラブ中で相転移し易い条件を持っていることから、下部マントル地震であったと考えられる。ウラジオストック域で太平洋スラブが下部マントルに突入していたとすると、2011年3月11日の東日本大震災の原因となったであろう。

同域では、2016年1月2日にも初動震源(破壊開始)深度681km M5.7が起こっている。しかし、そのCMT震源(主要破壊)深度は641kmであり、発震機構が圧縮過剰逆断層P型と停滞スラブと同じであることから、2009年4月に下部マントルに突入を開始していたスラブ下面に停滞スラブが引き込まれて起こったと考えられる。ちなみに、2009年4月の初動震源深度とCMT深度は共に671kmであり、小笠原の下部マントル地震は、682kmと688kmおよび共に695kmである。

太平洋スラブは2009年4月18日に下部マントルへの崩落を開始し、2011年3月11日東日本大震災を起こし、2015年5月30日・6月3日に伊豆スラブ南端も下部マントルに崩落させ、2016年1月2日にウラジオストック域で停滞していたスラブも下部マントルに引摺込んだ。千島海溝でも2012年8月14日深度654kmM7.3pが起こっており、660km以深の地震が起これば、太平洋スラブ全体は下部マントルへの崩落を開始する

日本列島は、日本海拡大後の1千万年前に脊梁域まで海面下に没している。この地質記録を生かし、既に開始した日本沈没に対処しなければならない。

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「地震爆発論」によれば、このポスター発表で問題にしている深発地震は「太平洋スラブの下部マントルへの崩落」とは何の関係もありません。

 熔融マントルは地球上の各地で地球深部へと流動しています。その流れ(上昇する流れもある)の中で、解離水が結合水へと変化するプロセスで「解離爆発」という地震が発生します(世界各地の深発地震面の形状参照)。

600km〜700kmという深さは、結合水が全て解離水に変化する限度の深さです。これ以上の深さでは解離水(酸素と水素のこと)しか存在しないという深さです。(詳細は深発地震は何故海溝にしか起きないのか参照)

この理解が無いために『丸山論文』でもこの付近に花崗岩が滞留し“第2大陸が形成される”というような発想になっています。

プレート論で生活している人達は「付加、衝突、潜り込み、剥ぎ取り、切断、底付け、混合、衝上、構造侵食」等を駆使して、自論を守ろうとしますが、ほころびを繕うことはもはや出来ません。

『体系的廃棄』しか選択肢はありません。

  [2520] プレートテクトニクス理論の積極的拒絶運動、地球科学の体系的廃棄が必要である
Date: 2017-06-10 (Sat)
 
 プレートテクトニクス理論から派生する「付加体論」、そして「構造侵食」という概念は日本生まれであるようですが、これを一掃しないと、世界中に混乱を撒き散らすばかりです。

 思い切って、積極的にこれら[日本生まれの盲論]を破棄しないといけないと感じました。

 関係者に提案します。

 プレート理論の原点はウェゲナーの「大陸移動説」ですが、再出発点は第二次大戦中に北西太平洋の海底でヘスが発見した「平頂海山」(ギョー)です。海洋底拡大説を唱えましたが、間違っています。

 すでに陸上のテーブルマウンテン(テプイなど)を含めて、ギョーの形成メカニズムを説明してきましたが、「地殻の移動」、「地殻の浮沈」を認めれば簡単に説明ができます。

 付加体理論は四万十帯で説明しましたが、「上が古く、下が新しい地層」ということは特殊な褶曲を除いて矛盾があります。

 放散虫を含むチャートと含まないチャートがあるのも、「地殻の移動」を認めれば容易に理解ができます。

 地震爆発論からスタートした研究ですが、関連する問題の回答まで探求するうちに、約30年の日時が経過しました。

 この辺りで、「ベルリンの壁破壊」に相当するような大きな運動を開始しないといけないなぁと思っています。

 日本はMobilistが全盛です。竹内均先生の映画「日本沈没」での解説を信じる人が多過ぎます。安芸敬一教授(アメリカの地震学会会長経験者)の教科書が威厳を持ち過ぎています。

  
映画『日本沈没』に出演し、プレート論を説く竹内均東大教授(当時)......アメリカで活躍した安芸敬一教授


 しかし、マントルが熔融しているとすれば、内容は色褪せます。

 今必要なのは「体系的な廃棄」です。

 マントルは熔融しています。

 マグマとはマントル物質のことで、その中に含まれる解離ガスが爆発することが、火山活動や地震の原因であり、地殻変動の原因です。


 両先輩の影響を断って、新しい地震研究、新しい地学研究をスタートさせる必要があります。

 日本を新しい学問の中心地にしないといけません。「大陸沈没研究」のメッカにしたいと思っていますし、「黒潮古陸」を研究面で再浮上させたいものです。

 関心をお持ちの方々の積極的な行動を期待します。




  [2519] なんでもあり、漂流しているような地質学
Date: 2017-06-09 (Fri)
[2508]にも紹介した福井市自然史博物館の解説で「南条山地は日本列島のおいたちを解く鍵!」という見出しがあります。

「放散虫を含まないチャート、付加体モデルに反する地層」が話題になっていて、「福井南条山地から、新しいモデルがうまれるかもしれません」とありますので、その後どんな展開になっているのか興味が湧き調べてみました。

驚いたのは[2514]にある丸山茂徳教授の「構造侵食」という概念を取り入れて、「自由度の高い新解釈」なるものが横行していることでした。

「美濃帯の堆積物の起源は南中国であり、飛騨帯とは無関係であったと考えられている」とか、

「海洋プレートの潜り込みにより層序のみならず地質体の欠損や構造侵食による亡失が起きることが主張されており、地質体が失われることは容易に受け入れられる」

 という”自由奔放”な解釈が目を引きました。

福井大学地域環境研究教育センター研究紀要「日本海地域の自然と環境」No.21、1014
に載っている「福井県内のいくつかの地域の地質 その5:南条山地北部の地質構造の解釈」服部 勇

から抜粋して紹介します。 新しいモデルを期待したのですが、プレート論、付加体論の更なるごり押しで、期待が外れました。

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5.プレート収束境界と付加体
かつて、飛騨帯は美濃帯の砕屑性堆積物の供給地と考えられたが、現今は、美濃帯の堆積物の起源は南中国であり、飛騨帯とは無関係であったと考えられている。南条山地の研究から同様な意見が出されたことがある(Hattori、 1989)。遠洋性堆積物(チャート・珪質頁岩など)が南中国の横(東側)を通過した際に砂岩などが供給され、海洋層序が完成し、その後北側にあった収束域に接近し、付加体となり、美濃帯ができあがった可能性がある。


美濃帯北部の砂岩主体コンプレックスには、南条山地に分布する冠山礫岩系(服部ほか、1985)や旧徳山村や木曽山地に発達する礫岩サイズが1mを越える花崗岩円礫が存在する。冠山の北側には長径2mの花崗岩礫が存在する。それらの花崗岩礫の年代は178〜260Ma を示している。花崗岩礫を含む砂岩中の砕屑性ジルコンのうち若いものは約180Ma である。冠山礫岩系などを含む堆積岩の放散虫年代はジュラ紀中期であり、これらの年代は、花崗岩礫の侵食・運搬と今庄・高倉コンプレックス中の礫岩の堆積が同時期であり、花崗岩分布地と今庄コンプレックスの堆積場が近接していたことを示す。

現在の飛騨帯と美濃帯との間には、飛騨外縁帯、超丹波帯が存在している。中部地方の飛騨帯は南東方向に円弧状に突出しているが、大局的にはこれらの地質帯は飛騨帯の周りに並走している。並走しているということは、古生代末以降活動的大陸縁(飛騨帯)に対して、ほぼ同じ方向から海洋プレートが接近したことを意味する。飛騨帯の突出部(飛騨帯と美濃帯が直接する地域)では失われた地質体(飛騨外縁帯、舞鶴帯、超丹波帯、美濃帯およびそれらの一部)の面積がもっとも広いはずである。現今、海洋プレートの潜り込みにより層序のみならず地質体の欠損や構造侵食による亡失が起きることが主張されており、地質体が失われることは容易に受け入れられる。舞鶴帯の飛騨帯下への潜り込み(飛騨ナップ説)も容易に受け入れられる。九頭竜湖付近では、左門岳コンプレックスが直接飛騨帯と接しているので、ペルム系を主体とする超丹波帯の一部も飛騨帯の下に潜り込んだ可能性がある

脇田(1985)による美濃帯の広域的地質図を見ると、砂岩・チャート主体のユニット(コンプレックス)でも北方のものは砂岩が多く、南のものはチャートが多い傾向にある。美濃帯では、南ほど若くなっているので、海洋底におけるチャートの生産が次第に活発になったのか、あるいは海洋底層序の見ているレベルが違うのか、どちらかであろう。砂岩主体のコンプレックスとして、左門岳コンプレックスが存在する。連続的な潜り込みによる付加作用を考えると、左門岳コンプレックスの構造的下位に湯尾コンプレックスが存在するのか、左門岳ユニットを分断する形で湯尾コンプレックスが存在するのか、判断が困難である。後者の場合でも、上位にあった左門岳ユニットが侵食され、下から湯尾コンプレックスが顔を出したのか、左門岳ユニットの上に帯状に湯尾コンプレックスが残されているのか、これも不明である。

かつては飛騨帯は先カンブリア紀と考えられてきたので、飛騨帯から供給された砕屑物が美濃帯を形成したと考えても問題はなかった。しかし、飛騨帯形成の最終年代がジュラ紀前期(船津期)まで若くなった。さらに、ジュラ紀後期から白亜紀にかけて、美濃帯からチャート礫が手取層群へ供給された。すなわち、美濃帯の一部が飛騨帯の周りに山脈をつくり、チャート礫を手取層群に供給した。 この時期には湯尾コンプレックス、超丹波帯(東俣コンプレックス)、飛騨外縁帯は飛騨帯と美濃帯の下にあったのではないか。

コンプレックス収束帯の発生はプレート境界付近での現象である。プレートは数千m単位の広がりを持ち、その活動は時間的にも数千万年の長さをもつ。プレート境界も千mの長さを持ち、収束帯もおそらく数十m以上の幅をもつことになる。プレート収束帯での地層変形は、ベニオフゾーンに沿った深さ方向の奥行きで数十mに渡って進行し、そこでは海洋層序の底付け、剥ぎ取り、切断、混合、衝上、構造侵食などが、時間的にも場所的にも不規則に起きており、世俗的に表現すれば、“ごちゃ混ぜ(大規模なメランジェあるいはコラージュ)”を作っているのであろう。湯尾コンプレックス中の緑色岩類は低度ながらブドウ石−パンペリー石相程度に変成しており、この事実も10m 程度の潜り込みを意味している。この論文で問題にした湯尾コンプレックスと今庄コンプレックスは幅も長さも数mから10数m以下である。これらは大規模メランジェ(美濃帯)中の相互に無関係のコンプレックスである。美濃帯が付加体という解釈は正しい。しかし、その内部をコンプレックスに区分し、対比し、付加の順を定め、付加作用を議論することは地域地質学としては重要であるいが、大規模メランジェあるいは付加体の形成という立場からは、全体論的に有意義な成果を見るには相当な努力が必要であろう。

プレート収束域で付加体ができあがる。付加物は海洋プレート上に存在した海洋層序と陸域から流入する砕屑物である。ありとあらゆるものが収束域に集まってくる。構造境界(ベニオフゾーン)は簡単には移動しないので、集合してきた物質の構造と層序は乱れ、著しく変形・分断する。さらにオリストストロームとして再堆積も起きる。場所によって、付加物の特徴に差ができ、それらが地域地質学的にコンプレックスとかユニットとして認められることになる。我々が美濃帯とよんでいる地帯はこのようにして出来上がったものであろう。収束域で付加物の量が増え、構造境界が後退(海洋側に移動)することにより、新たな収束域ができる。そこで新たな付加作用が進行し、新たな地質帯ができると考えられる。

美濃帯とか秩父帯のようなサイズで付加作用を論ずる場合は、順次海洋側に若い堆積物が付加していくと考えることには合理性がある。しかし、各地質帯の内部でもコンプレックス単位でそのようになっている(海洋側に若くなる)と考えるには注意が必要である。今回取り扱っているコンプレックスでも、今庄コンプレックスと徳山コンプレックスを各々独立したコンプレックスとみなすか、単に構成物の量比が多少異なる程度とみなすかは、調査者の判断に依存する

あとがき

地域地質の踏査結果をまとめ、地質図に表現するにあたり、どうしても推測や解釈が必要となる。 さらにまとめた成果から地質構造発達史を論じようと思うと、“可能性がある”、“かもしれない”という表現が頻発する。あいまい表現を一つ一つ潰していく必要があるが、付加体テクトニクスでは、時間も空間も広大であり、さらに消えてしまった地質体を推定することが許されるので、自由度が大きいまま残される。本論では述べなかったが、さらに大きな問題は、我々が見ている南条山地に残された地質は、おそらくそれに関係した地質のほんのわずかであろう。大部分は削剥され、失われてしまっている。そのため、地質調査によって得られた観測事実から推測する構造発達史は、きわめて不十分なものであることに注意する必要がある。今後自由度を少しずつでも小さくしていく研究が待たれるが、地域地質からの貢献は小さいものかもしれない。

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「構造侵食」という新しい概念は解釈の自由度を上げるのでしょうが、「調査者の判断に依存する」というような「統一性のない地質学」が横行するのでは学問の進歩なのか退歩なのか分りません。混沌の世界に踏み込んだようなものです。

付加、衝突、潜り込み、剥ぎ取り、切断、底付け、混合、衝上、構造侵食・・・なんでもあり、では自由度が高すぎて地質学は漂流状態です。

 深発地震面(ベニオフゾーン)は熔融マントル内部で起きている地震を表しているのであって、被破壊部分が沈んでいく姿ではありません。地震の理解がまったく間違っています。([1524]「もう一つの地震学」など参照)

参考:

構造侵食
構造侵食とは沈み込むスラブの前面の付加体や大陸地殻が破壊され、被破壊部がブロックとなりマントル深部に運搬されることである。それらはマントルのどこまで沈み込むのか;660km深度で滞留し、第2大陸を形成するのだろうか。(丸山茂徳)

 構造侵食は間違い! こんな絵はウソである!


  [2518] 放散虫を含まないチャート、化石になった放散虫が消えることはない
Date: 2017-06-08 (Thu)
 放散虫を含まないチャートについて調べていますが、私は現場での調査をしたことがないので、報告されたものを見させていただいています。その中に東大の研究室のものがありましたので。紹介します。

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多田&高橋研究室メンバー日記

東京大学大学院 理学系研究科 地球惑星科学専攻 システム科学大講座 


 私が調査した場所にはチャートという岩石が出ているという話は既に触れました。これは、大昔の深海底に放散虫と呼ばれる動物プランクトンの殻が降り積もってできた地層です。

しかし、創刊号でも書いたかもしれませんが、私が調べている時代の深海底にはチャートができていなかった時期もあるんですね。では、チャートじゃない部分がどうなっているか?こちらの写真を見てください。



 写真では、黒っぽいツヤのある地層の間に、矢印を書き込んだ茶色い表面の地層があるのがお分かりでしょうか?この地層、上下のチャートと違って、地層の面と平行に近い割れ目が層内にあるのが見えるでしょうか?同じ層の中でも、灰色っぽいところは私が割ったところなので、割れ目が見えやすいかと思いますが・・・

写真では、黒っぽいツヤのある地層の間に、矢印を書き込んだ茶色い表面の地層があるのがお分かりでしょうか?この地層、上下のチャートと違って、地層の面と平行に近い割れ目が層内にあるのが見えるでしょうか?同じ層の中でも、灰色っぽいところは私が割ったところなので、割れ目が見えやすいかと思いますが・・・
 
とにかく、チャートと違う地層があるんです。この地層、灰色っぽい粘土でできていて、放散虫の殻をほとんど含まないんです。顕微鏡で見てみるとよくわかります。

 こちらがチャート。




 無数の丸い物が見えますね。これ、全部放散虫の殻なんです。

 一方、こちらが粘土岩。




 丸い放散虫の殻がちょっと見えますが、だいぶチャートより少ないですね。放散虫の殻以外の部分は、なんだか細かくてよく分かりませんね。これはとてもちっちゃい粘土鉱物の粒子なんです。実は、このような小さな鉱物の粒子はごく普通に陸から海に風で運ばれているんです。黄砂みたいな感じのイメージです。



 その量はわずかですが、他に積もる物がなければ、こういった鉱物粒子だけでできた岩石が深海でできることもあり得ますね。

 じゃあ、この時代には海から蟲たちがいなくなってしまっていたのでしょうか?そうとも限らないんですね。

 今まで「深海でできた地層」と言って来た物、深海に溜まった物全部がそっくりそのまま残されている訳ではないんです。深海に溜まった泥や蟲たちの屍骸などが硬い岩石の地層になって行く間に、いろいろな物質の移動が起こります。そんなこんなで、化石が溶けてなくなってしまうことだってあるんです。


放散虫が自然の環境下で消えてしまうことはないと思います。放散虫はいなかった・・・・のです。

 初めはこんなに立派だった放散虫が、

 嗚呼・・・

 往ってしまわれた・・・・・・・・

 という具合に。

 要するに、本当は放散虫がいたのかもしれないってことですね。じゃあ、結局チャートと粘土岩の違いから何が分かるのかって?それは、また今度のお話にしましょう。

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 その後の話はありませんが、放散虫が自然に消えてなくなることはないと思います。
 
 「地殻の滑動」を受け入れれば、極地入りした場合には、放散虫が生息できなかった環境になった、ということで解釈できるはずです。

 黄砂現象で海洋が混濁することはないでしょう。もっと激しいポールシフトによる地球規模での洪水現象による混濁だと思います。


  [2517] 放散虫のサイズは海洋環境によって変化し、存在しない次期もある
Date: 2017-06-08 (Thu)
 丹波帯篠山地域のチャートについて調査した報告があります。それによると、放散虫の大きさは周期的に変化していて、存在しない時代もあることが分ります。
 その変遷は海水温度の変化と関係し、氷河期とかミランコビッチ・サイクルとの関係で考慮する必要があるとしています。

 本当は、地殻がもっと大きく滑動したことを考慮する必要があります。

 無機質のチャートが存在することは地球規模の変動と関係していることを示す調査結果ですので、抜粋して紹介します。

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 丹波帯篠山地域ペルム紀層状チャートの放散虫生層序及び放散虫の形態変異
山中雅之(大阪微化石研究会誌、特別号、第12 号、 p.13-22、 2001 年12 月)

 層状チャートは陸源性砕屑物の供給されないような海洋域で形成されたと考えられている。現在の海洋底にはジユラ紀古世以前の地層は存在せず、それより古い時代の地層の生層序や古環境については、陸に付加した堆積物を検討する必要がある。この点で層状チャートに多量に含まれる放散虫は海洋古環境を知る重要な手がかりになると考えられる。

 本小論では兵庫県篠山地域藤岡奥の丹波帯ペルム紀層状チャートにおいて、まず放散虫化石による生層序学的検討の結果を報告する。さらにこの層状チャートより産出した放散虫化石について連続層序断面における殻の大きさの変化について検討し、その結果が古海洋環境とどのように関係するかを考察する



第4図 二種類の放散虫AとBのサイズに関するHrとHsの説明


結果


第5図 HrとHsの垂直方向(層内)の変化



Hr の全標本の平均値は121.1μm である。しかし各層準の平均値は最も小さいS-253 では107.7μm。 最も大きなS-267 では151.6μmと層準により大きさにばらつきが在ることが分かる。

一方、 Hs 全標本の平均値は264.9μmであるが、各層準の平均値は236.6 〜 277.3μm とばらつきが見られる。また全標本を見るとHr は最小値が63.46μm、 最大値が188.76μm と約3 倍の開きがある。 Hs をみても200 〜326.9μmと約1.6 倍の開きがある。

 第5 図は各層準におけるHrと Hs の平均値をプロットしたものであり、その垂直変化の傾向を斜線で示す。 Hrと Hsは共に12.8m層準から13m層準までは減少傾向であり、13.2m 層準から13.8m層準までは数回の増減をくり返す

(2) 古海洋環境

 Hr、 Hs の平均値は、層準により大きく異なっている。Hr とHsの変動のパターンを見てみると、この二つはよく似た変動を示し、層厚数十cm の周期で変化している(第5図)。

各層準の放散虫の大きさを変化させる要因として、種に特有の遺伝的な変化、環境の変遷、成長段階の違いなどが考えられる。 Hr、 Hs ともに個々の値は大きく異なっているので異なった成長段階のものを計測している可能性もある。しかし各層準ごとの平均値を考えると、チャートの堆積速度は千年間に数mm であるから厚さ数cm の層状チャートの単層の年代幅は数万年である。これは数カ月という放散虫の寿命と比べて非常に長いので、層準によって成長段階の違う放散虫が産出しているとは考えにくい。またHr とHs の変動のパターンがよく似ていることに着目すると、異なる2 種の放散虫の大きさが同じような垂直変化を示していることから、現境の変遷に関係していると思われる。

Granlund (1986) は南インド洋において、放散虫Antarctissa属の殻の大きさや形が表面海水温と塩分濃度に密接に関連していることを明らかにした。また
 Granlund (1990) は南インド洋のピストンコア中の放散虫Antarctiss属の過去50 万年の殻の大きさの変化が、酸素同位体ステージと一致することを示し、 Antarctiss属の殻は氷期に大きくなり間氷期には小さくなると述べている。また、 Kuwahara (1997) はペルム紀新世放散虫Albail1el1a属の数種について形態学的研究を行、同時に産出する2 種が10(4乗) -10(5乗)年の周期で変動することを明らかにし、これがミランコビッチ・サイクルに関係する海水温の変化によるものであると推定している。

ミランコビッチ・サイクルは太陽系天体の引力の影響による地球の軌道要素や地軸の傾きの変化を原因とする気候変動の周期であり、 2 万3 千年や4 万1 千年、 10 万年、 40万年などの周期が知られており第四紀の氷期・間氷期のサイクルはミランコビッチ・サイクルの十万年周期と一致していることが明らかになっている(川上、 1995)。

今回検討したHr、Hs は層厚数十cm の周期で変動しており、この周期は堆積速度から数万年〜数十万年である。
この変化はGranlund (1 990) やKuwahara (1997) の検討結果とよく似ており、ミランコビッチ・サイクルに関係する海水温の変動を表している可能性がある

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 放散虫はその時代に、その場所が地球上のどの地域にあったのか、赤道付近か、中緯度帯か、または極域にあったのかによって、大きさが違うようです。また、まったく存在しない、つまり、極域にあって、生存できなかった時代もあると考えられます。

 地殻が滑動することが現代の地球物理学では認識されていませんから、分析が束縛されています。
しかし、ミランコビッチ・サイクルという小規模な地殻の変化だけではなく、もっと大きく、激しく(といっても、数万年に一度ということでしょうが)地球が姿勢を変えていることを考慮して、分析をお願いしたいと思います。

チャートは本来無機質の粘土が固まったもので、放散虫が混じることもありますが、「生物岩」という分類はどうかと思います。

[2438]に紹介した地磁気逆転の記録と、地層の年代、放散虫の有無を検討すれば、アインシュタインの言った以下の言葉、
「ハプグッド氏の考え方は今までになかった新しいもので、非常に簡潔でわかりやすく、・・・さらに『実証性』が高まれば・・・地球の地表の歴史に関する、他のどんな説よりも重要な説となるだろう」([1074]参照)
にある『実証性』を高める作業になるような気がします。

放散虫の研究から「地殻の滑動」が証明される、その研究は日本から・・・
となって欲しいと思います。可能性は充分にあります。



参考:
土木の粒度試験で沈降分析をやった人なら知っていますが、最後の最後に沈降するのが粘土です。


Wikiより
粘土の定義は、陶工、土壌・農学、セラミック工学、地質学(堆積学)、鉱物学などの分野により必ずしも一致していない。地質学の分野においては、粒径(粒の大きさ)が3.9μm未満の粒子とされ、鉱物学の分野においては2μm以下の粒子とされ、土質力学の統一分類法においては粒径が5μm以下の土とされる。これより大きいものはシルトとよぶ。

  [2516] チャートという岩石の誤解、無機質チャートもある
Date: 2017-06-06 (Tue)
 チャートは昔は無機質と考えられていましたが、放散虫革命のためでしょう、今では生物岩とされているようです。日本大百科事典には以下のようにあります。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

層状チャートは、かつては海水から無機化学的に沈殿して形成されたと考えられていたが、ほとんどすべてのものが珪質の骨格や殻をもつ放散虫や珪質海綿あるいは珪藻の遺骸(いがい)が集積してできたもので、一種の生物岩ということができる。礫(れき)や砂のような粗粒砕屑(さいせつ)物をまったく含まないことから、陸域から遠く離れた海洋底で形成されたと考えられている。日本では、北海道から沖縄まで、古生代後期や中生代の付加体とよばれる地質体の中によくみられ、ほとんどが砕屑岩に取り囲まれた異地性の地塊をなしていることから、海洋プレートの沈み込みに伴って海側から付け加えられたものと解釈されている

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神奈川県立生命の星・地球博物館のサイトにも館長が次のように解説しています。(自然科学のとびら 第12巻4号 2006年12月16日発行)
抜粋して紹介します。

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「チャートという岩石」(館長 斎藤靖二)

チャートという岩石名は、鉱物学的には微細な石英の集合で、化学的にはほとんどシリカ(Siq)からなる堆積岩につけられたものです。あまりに純粋な組成であるために、かつては化学的に沈殿した岩石と考えられていました。しかし、チャートは放散虫骨格や珪質海綿の骨針といった珪質生物の遺骸からなる生物岩で、中・古生代の地層を特徴づける岩石だったのです。

 砂粒がないのは、堆積場が陸から遠く離れていたことを、石灰質のものがないことは、堆積場が4千メートルより深いことを意味しています。
 つまり、チャートは遠洋性の深海堆積物というわけです。ところが、チャートは造山帯を特徴づける岩石の一つなので、チャートが海洋プレートで遥か彼方から移動してきて、造山帯に付け加えられたことを示唆することになりました
 
 このことは古地磁気の測定で証明され、プレートテクトニクスを地質学的に実証するのに大きく貢献しました。


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しかし、これでは[2508]に紹介した福井県南条山地の無機質チャートを説明できません。南条山地には放散虫を含むものと含まないものと、両方とも存在するそうです。

 古地磁気の測定から、「プレートが赤道付近の緑色岩を運んできた」とか「プレートテクトニクスを地質学的に実証した」とか考えられていますが、「地殻の滑動」したことを認めれば、そのように解釈する必要はありません。


地球は結構激しく姿勢を変えている。日本が赤道上にあったことも、極域にあったこともある。
このハプグッドの「地殻滑動論」をアインシュタインは支持していた。


[2508]にも紹介しましたが、石田理論による解釈では、

@太古には大陸規模での隆起、沈没が何度も起きており、その都度地球は姿勢を変え、地球規模での海洋の擾乱が発生した。

A擾乱が静まる最終段階の極微粒子の沈殿物(粘土)が、固化し岩石となったものが、チャートである。

B赤道付近のチャートには、放散虫その他の水生生物の死骸が含まれるが、極地方のチャートには含まれない。これが無機質のチャートになる。

Cチャートが遠洋で形成され、海洋プレートによって運ばれてきた、というのはプレート論を盲目的に信奉しているからであり、付加体論を適用する必要はない。

D地殻の重心がずれると、滑動現象(ポールシフトと同じこと)を起こし、短時間で地球の姿勢が変わる。

E重心がずれる原因となる地殻の昇降は「解離ガスの爆発」でおきるもので、「地向斜理論」を支持はしない。

Fプレート論は破綻している。したがって付加体論も成立しない。

となります。

  [2515] プレート論は矛盾している、アムールプレートなんて存在しない
Date: 2017-06-05 (Mon)
国立天文台のサイトで、アムールプレートの存在を認める記事がありました。
プレート論そのものが間違いである証拠がたくさんあるのにもかかわらず、国立天文台が認めているのは何という怠慢でしょうか。

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日本列島のプレートテクトニクスと地震の発生

 プレートテクトニクスが支配する惑星地球の表面では、十数枚のプレートに分かれたリソスフェア(岩石圏)の相対運動が地震を始め様々な現象を引き起こしています。
日本列島に南からフィリピン海プレートが、東から太平洋プレートが沈み込んでいるのは有名ですが、肝心の日本列島が何プレートに属するかはこれまで「藪の中」でした。20年前の本を見ると日本列島全体がユーラシアプレート、すなわち欧州やアジアと一枚板になっています。15年前の文献では日本列島の真中に境界が引かれて東日本が北米プレートになっているでしょう。もっと最近の文献なら北米プレートの代わりにオホーツクプレートと書かれているかもしれません。一体なにが本当なのでしょう。
 
最近数年間の宇宙測地観測によってこの曖昧な状況が打破されたことについてお話しましょう。西南日本や韓国のGPS(全地球測位システム)点がユーラシアプレートに対して東向きに年間1cmほどで動くことから、その地域がユーラシアプレートの一部であることが疑われ始めたのが数年前のことです。筆者を含むグループは上記地域に加え、中国や極東ロシアに展開したGPS点の数年にわたる位置変化を解析し、これらの地域がほぼ一枚の独立したプレートとして振舞っていることを明らかにしました(Heki et al., Jour. Geophys. Res., 104, 29147,1999)。

その範囲は従来アムールプレートと仮称されていたものにほぼ重なり、「幻のプレート」の存在が実証された格好になります。さらにアムールプレートの存在が明らかになったおかげで東日本を含む「オホーツクプレート」を無理に仮定する必要がなくなり、元通り北米プレートのままで諸データが矛盾しないことがわかりました。西日本=アムールプレート、東日本=北米プレートという構図がようやく明らかになったのです。
 
それらの境界は一本の線ではなく中部から近畿にかけて数百キロの幅を持っています。そこでは南からフィリピン海プレートが沈み込んでいますが、陸側は東海地震の震源域とされる静岡県東部などの北米プレート側と四国や近畿などのアムールプレート側に分かれており、沈み込み速度や地震再来周期も同じではありません。北海道南西沖地震で注目を浴びた日本海東縁はアムールプレートが北米プレートに沈み込む境界ですが、我々がその速度を約2cm/年と定量化したことはこの地域での地震の繰り返しの理解に重要です。
 
海溝で見られる海陸プレートの衝突では前者が後者の下に沈みこんで一件落着ですが、沈み込めない陸どうしの衝突では事態が複雑になります。東日本(北米プレート)と西日本(アムールプレート)が約2cm/年の速度で衝突している中部―近畿地方もそのひとつです。

このような場合プレートの運命は(1)横に縮んで上下に伸びる、(2)小さいかけらになって横に押し出される、の二とおりです。代表的な衝突境界であるインドとユーラシアの衝突現場では上記(1)でヒマラヤ山脈とチベット高原が形成され、さらに大規模な横ずれ断層でブロック化した陸塊が押し出される (2)が同時進行しています。アムールプレートも元をただせば北上するインドが東に押し出した大地のかけらなのです。
 
日本に目を転じると、中部地方は山岳地帯を形成しており(1)がある程度働いていることは明白ですが、(2)はどうでしょう。アムールプレートからみた国土地理院の全国GPS連続観測点の速度を図に示します(沈み込みによる地面の変形を取り除いて見やすくしてあります)。中部から近畿にかけて東西短縮とともに南北伸張が顕著です。つまりインド=東北日本、ユーラシア=西南日本とすると、東に押し出されるアムールプレート=南に押し出される紀伊半島、という相似形が成り立ちます。東西短縮と南北伸張の地殻ひずみは断層の横ずれによって解放されますが、その典型例が1995年の兵庫県南部地震です。その原因は中部日本における陸どうしの衝突、その原因はアムールプレートの東進、そのまた原因はインドとユーラシアの衝突に伴う大陸塊の押し出し、さらにその原因をたどるとゴンドワナ大陸の分裂とインドの北上となります。




図の説明:左上は日本周辺のプレート(AM:Amurian, PH: Philippine Sea,
NA:North American, PA: Pacific)とその境界。
右下はAMからみた国土地理院の全国GPS連続観測点の速度(黒矢印)と、
AMに対するNA、PHの相対速度(太矢印)。

日本列島は中部―近畿を境に東日本(北米プレート)と西日本(アムールプレート)に分けられ、年間2cmの速度で互いに衝突しています。

「国立天文台ニュ−ス No.85より転載」            <日置幸介>

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 日本の社会では水平移動派Mobilistでないと、社会的な地位を得られないかのような状況になっています。

 どうしてこんなに「愚かな社会」になってしまったのか、思考力ゼロ社会のような雰囲気です。


太平洋プレートが誕生するはずの海嶺付近(エルターニン断裂)に、
地層が見られるのは、プレート論の矛盾である。



  [2514] 水平移動論者の壮大すぎる造山論、もう一度垂直移動派に戻ろう
Date: 2017-06-04 (Sun)
ベロウソフ教授と同じ垂直移動派・fixistだった藤田至則先生の『日本列島の成立』に対する書評を岩松 暉氏が書いています。
 
 「(今や)ポスト・プレートテクトニクスすらささやかれている。こうしたとき本書が刊行されたことは大変時宜を得たことだと思う」

 とありますが、世の中は水平移動派・mobilist(horizontalist)一色になっている観があり、さらに妄想が広がっています。

 いま必要なのはハプグッド教授の「地殻の滑動説」、つまり第2地動説の採用です。

 書評を抜粋して紹介します。

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 [書評] 藤田至則著 『日本列島の成立[新版]環太平洋変動』著 (評者:岩松 暉)

 かつてhorizontalist(mobilist)verticalist(fixist)との激しい論争があった。ちょうど20年ほど前のことである。
 若い人のために解説しておくと、前者はカナダのTuzo WILSONを旗手とした主として西欧の人たちであり、構造運動は基本的に水平移動だとするするもので、マントル対流説・大洋底拡大説に始まり、プレートテクトニクスを生んだ。
 後者は、垂直方向のブロック運動を基本と考えるV. V.BELOUSSOVを中心としたソ連圏の人たちである。
 
 著者(藤田)はわが国における後者の学派の代表格であった。グリンタフ地域に見られる陥没盆地の地質を克明に調べ、垂直昇降説に基づく造山論を提唱した。その成果が旧著に集大成されている。1973年のことであった。今回の新版は、著者の新潟大学定年退官に当たって全面的に書き下ろした改訂版である。しかし、旧著の副題にあった「グリンタフ造山運動」の文言が消えて「環太平洋変動」に変わっていることが示すように、新第三紀以降の日本列島における構造運動にとどまらず、垂直昇降による地向斜〜造山運動の一般論を展開している。
 
 現在、プレートテクトニクスも行き着くところまで行き着いて見直し期にさしかかり、ポストプレートテクトニクスすらささやかれている。こうしたとき本書が刊行されたことは大変時宜を得たことだと思う。ウェゲナーの大陸漂移説の劇的な復活を思えば、本書の批判的検討からいろいろな意味で有益な示唆が得られるに違いない。ブロックテクトニクスに馴染みのない若い方はもとより、旧版の読者にも一読をお薦めする。

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 ポスト・プレートテクトニクスの時代だというのに、水平移動派horizontalist(mobilist)以外の姿はまったく見えません。垂直移動派(fixist)が見当たらないのは、どうしてなのでしょうか?

 原因は、赤道近辺にしか生息しなかった水生生物の化石が、「放散虫革命」によって、世界中で発見されているということにあります。プレートが水平移動したに違いないという結論に結びついているからでしょう。そうでないと、アンモナイトやサンゴなどの化石を説明できないことが垂直移動派verticalist(fixist)の決定的な弱点になっているように思います。

しかし、[2439]第2地動説のすすめ、第2ルネッサンスを推進しようでも提案したように、ハプグッド教授の「地殻滑動」の概念を導入すれば、垂直移動派verticalist(fixist)の弱点は克服できます。

海底に記録された古地磁気の逆転現象を正しく解釈して、「地殻の滑動」を受け入れるべきべきです。

そうしないと、水平移動派horizontalist(mobilist)の妄想はとんでもない方向にまで逸脱してしまいます。

一つの例として、「構造侵食によって大陸地殻が崩壊し、マントルに運ばれ、膨大な花崗岩が表層から失われる」とか、「マントルに沈み込んだ膨大な花崗岩が第2大陸を発達させる」、
というような歯止めの利かなくなった奇怪な説を紹介します。少し長い(106ページ)論文ですが、丸山茂徳氏らの「太平洋型造山理論」から抜粋して紹介します。


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太平洋型造山帯―新しい概念の提唱と地球史における時空分布
―丸山茂徳ほか

2) 日本列島の構造発達史

プレート造山論の時代になると、 日本列島の地体構造区分に基づいて、 太平洋側の 海洋プレートの変遷、 プレート相対運動から海嶺の周期的な沈み込みと造山運動が関係すること 日本地理図 などの研究へと発展した。これらの研究に共通した考えは、時代とともにつねに付加体が海側へ周期的に成長したことであった。構造侵食によって、大陸地殻が崩壊しマントルヘ運ばれ 、 膨大な花崗岩物質が表層から失われたことは当時誰も考えもしなかった。
海洋地球物理学の研究と陸上の蛇紋岩メランジュ帯など の研究から、日本列島は5 回の大規模構造侵食を被ったことが明白であり、 これまでの構造発達史を大きく変更せざるを得ない状況になった。(p161)

ところが、太平洋型造山帯のなかに、 しばしば 島弧の破片が蛇紋岩帯に伴って出現し、それをもとに、「横ズレ構造帝」 説が現れた (Tair a et al. 、 1983)。この説は、 例えば、 黒顛川構造帯は 、 ベトナム付近に島弧や小大陸がまず衝突付加し、次に海溝沿いに 5000 km ほども横ずれして日本列島までやってくるとみなす。そのような横ずれに蛇紋岩が貢献したと考える。当時のプレート相対運動の復元モデルは、異常な横ずれ移動距離を支持する根拠をもたない。これは、 北米西岸で、ほぼ同じような論理を使って、南米に衝突付加した異質岩塊が海溝の内側を中南米から赤道を経てアラスカまで横ずれしたと主張した日本版テレーンでった。つまり典型的な植民地科学の代物である。(p.208)

5) 新しい概念「構造侵食」を組み込んだ造山運動の体系化(総合化の時代)

海洋域の研究は現在では閉塞感が漂っている。構造侵食派を極端な考えとして扱い、付加体至上主義派の穏健派が世界の常識、つまり、堆積物の供給が少ないばあいに、沈み込みだけが進行して、付加体ができないだけで、上盤側の構造侵食は起きていないとする考えが支配的なようにみえる 。海洋物理学の手法に基づく次のブレイクスルーを海域の研究に期待できないだろう。閉塞的状況に陥っている。次に大きく発展する手法が見当たらないからである。
この現状を破るのは、陸上の地質学になるだろう。(p.208)

7)付加体地質学の新展開

これまで、地質学は日本列島から付加体が認識されることをゴールに記載地質学を進めてきた。その鍵が、チャートの微化石だったので、日本列島のチャートの微化石の露頭はほぼ100%近くフッ酸処理された。その結果、漠然とだが、過去 5.2 億年間のプレート沈み込みによって大陸の緑に連続的に付加体成長が進行し、源日本列島は約400-500km海洋側に累帯成長したと見なされた。しかし、それは記載によって付加体が連続成長したことを実証した上でなされた結論ではなかった。証拠は断片的で、今、 整理し直すと、 過去 5.2 億年間の 2/3の期間は付加体がない時代である。実際はなかったのでなく 、後の時代の構造侵食によって地表から消し去られた可能性が大きい。(p.209)

8)マントルダイナミクスとのリンク

構造侵食や島弧の直接的な沈み込みによって、上部マントル最下部に大量の花尚岩物質が集中していると考えられるようになった 。その量は、遷移層下部の 520−660 km 深度に限っても表層の大陸地殻の6-7 倍である。さらにスラブから剥がれないで、下部マントルの最上部を漂移している花崗岩や遷移層の上部の花崗岩を考慮すれば、10 倍以上の花崗岩物質がマントルにあるだろう。
下部マントルまでスラブとともにもち込まれた 花崗岩地殻は、そこで剥がれれば上部マントルへと上昇するだろう。また、東アジアの直下に花崗岩質な第 2 大陸が広域的に分布しているならば、上から降下するスラブを受け止めて、花崗岩はスラブ滞留の原因になるが、降下するスラブは第 2 大陸を分裂させる力にもなるだろう。一方、下部マントルから上昇するプルームも第 2 大陸を分裂させる原因になるだろう。これは、表層大陸の離合集散と比較される現象である。第 2 大陸の広域分布の同定作業 (図 42) に次いで、 次は第 2 大陸のダイナミクス、さらに、ウイルソ・ンサイクルのようなダイナミクスとスーパープルームの関係など、地球物理学的手法によって発展する課題は多い。


図42 マントル内部に第2、第3の大陸が存在する(?)


これまでCMB に選択的に濃集したスラブの集積場にあるMORB が核の熱と軽元素の力を借りて部分融解して重いメルトを残し、軽くなったMORB の残渣が上昇し、それがスーパープルームをつくりだし、それが超大陸を分裂させると考えられてきた。
しかし、第2 大陸の発熱効果が超大陸の分裂にとって最も効果的であるかもしれない。さらに、マントル対流を支配したのも第 2 大陸かもしれない。第2 大陸が誘発したマントル対流が、スーパープルームの誕生と進化にどのような影響を与えたのであろうか?(p.210)

9) 地球史を通じた大陸の進化と マント ルダイナミクス

しかし、本論文で議論したように 表層大陸の約10 倍の質量をもつ花崗岩が巨塊としてマントルのなかに散在し、しかもそれらが第 2 超大陸として離合集散を繰り返すならば、自己発熱機能を持つ花崗岩はマントル対流を支配しうる。(p.210)


一方、原始海洋の誕生と連動したプレート運動の開始は、沈み込み帯で、無数の弧状列島を誕生させ、スラブMORB の直接的な 溶融によって効率よくTTG 地殻をつくりだしたであろう。それらは、しかし、島弧同士の平行衝突という特殊な造構環境での衝突付加を除いて、ほとんどがマントルに沈み込み、 第 2 大陸を発達させ、最初の20 億年間に効率よく成長し、マントルダイナミクスを支配しただろう (図 44 右)(p.210)


図44 巨大な花崗岩の巨塊がマントルに取り込まれた(?)


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「微化石による付加体研究」という日本の独創的な研究成果を捨て、北米のテレーンブームに便乗する研究者があったことを著者らは冒頭で述べています。「彼らは独創的な研究はすべて欧米から生まれると考えている。それを誰がいち早く日本に輸入するかを競う「植民地科学の哲学」だ」と批判しています。

 その思想がベースにあるのか、日本の独創的な研究を出す、という強い意欲は感じます。
しかし、自然科学の論文に「植民地科学」という言葉は奇異に感じます。
それをいうのなら、プレートテクトニクスそのものが「植民地科学」だと私は思います。

日本の独自性を打ち出そうという意欲は良いと思うのですが、内容的には流体力学と固体力学をごっちゃ混ぜにした点ではプレート論の域を超えていません。

巨大な花崗岩がマントルに取り込まれ、第2大陸を作り、その発熱効果で大陸が移動する、というような話が輸出できるとは思えません。

マントルトモグラフィーの成果から閃いたプリューム理論とは、「固体であると仮定して計算した結果から、液体の噴出らしき層が見つかった」というものです。仮定の間違いを証明した結果に過ぎないじゃないか、という問いに答えられません。

壮大な内容ですが、最初の言葉にある「1960年代後半から1970年代初期にかけては、造山運動は思弁的な色彩が強かった」という内容と同様の「思弁的造山理論」だと断定するしかありません。

藤田先生は書物の冒頭で

「著者(藤田)は、プレートテクトニクスの仮説については、終始、否定的な見解を主張してきたが、プレートテクトニクスに限らず、仮説というものは、それが廃棄されるまでは、学会に大きな貢献をし続けるという現実を無視したことはない。」

と述べておられます。見習いたいものですが、早く「プレート論」・「付加体論」を廃棄して欲しいものです。

 閉塞感を打破するには、やはり、ハブグッド教授の「地殻の滑動説」を取り入れた、地についた「造山理論」を日本から構築することです。

それは、第2地動説にもとづく「造山理論」です。

参考:
大陸成長史と構造侵食


誰もチェックできないSFの世界か?


「奇抜な仮説」が目に付くのは、[1822]で述べた竹内均先生の
「最初の仮説が奇抜であればあるほど、それが実証された場合には、自然科学に、より大きな進歩をもたらす。そういう仮説を提案した人こそが、自然科学における天才である。」
という言葉に、期待感を抱いてのことかもしれませんが、名声を落とす危険性もあり、一つの賭けのようなものでしょう。

  [2513] 付加体理論から導かれる「海洋層序」という概念は成立しない
Date: 2017-06-02 (Fri)
 ベロウソフ教授らの解釈では海洋プレートと大陸プレートの層序が特別に違うということはありません。違うのは厚さだけです。

 教授は「大陸と海洋は地質構造上同じであり、構造帯を大陸から海洋まで追跡できる」と述べています。(構造地質学Vol.3 p.280 築地書館)

 ところが通説では「海洋プレート層序」という用語が特別にあって、次のような解説がなされています。


海洋プレートの移動という概念に間違いがある


海洋プレート層序
oceanic plate stratigraphy

解説

付加体は単純な岩相層序 (海洋プレート層序:海洋プレートが海溝に達するまでの地史的過程で形成) を持つ。 すなわち、一般に玄武岩や石灰岩が最も古く、チャートが次に古く、珪質泥岩が続き、砂岩・泥岩が一番若い。 海洋プレート層序は、はぎ取り付加作用や底づけ付加作用によって付加体の中に取り込まれてゆく。

「海洋層序の形成」という次のような解説もあります。

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[海洋層序の形成]
 海洋プレートが海嶺で生まれたとき、そこは海のど真ん中ですから、砂や泥は海底には堆積しません。そこでは海洋プレート上にプランクトンだけが降り積もり、チャートとなります。何千万年も経過すると、やがて海洋プレートは海溝に近づきます。すると大陸から流れてきた泥がチャートの上に積もり始めます。その後プレートが海溝に到達(さらに陸に近づく)すると、砂も堆積します。このようにして、海の地層は「玄武岩→チャート→泥→砂」という順番に積み重なっていくのです。もし南洋の海洋プレートに島があった場合は、サンゴ礁ができ、それが石灰岩となってはさまることもあります。


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この解釈は付加体理論から導かれるものですが、海洋底が過去に陸上にあったことを否定するものです。(無機質のチャートが存在することも説明できません。チャートは放散虫の化石などを含む場合もありますが、本来は無機質で極細粒の粘土です。)

しかし、現実には、海洋底は浮上してどの大陸上にも岩塩鉱や塩湖を見ることができます。チベットはかつて海の底でしたし、日本も海の底にあった時代があるはずです。福井もそうだったと、博物館のサイトに載っています。

 ということは、かつて大陸だった場所も今は海底に没している事もあると言うことを意味しています。黒潮古陸もなかったとはいえません。何度も浮沈を繰り返しているのです。

太平洋や大西洋、インド洋の海底も、かつては大陸を形成していた時代もあるはずです。だから、不整合が生まれますし、グランドキャニオンのように少なくとも3回の浮沈を示す場所も在るのです。

付加体理論から導かれる「海洋プレート層序」という単純な概念は成立しません

[1386][1539]に紹介しましたが、太平洋プレートが誕生したばかりだというエルターニン断裂帯(ヒーゼン断裂)には、明らかに地層が見えています。
ベロウソフ教授が言うように「大陸と海洋は地質構造は同じである」ことを物語っています。

海洋の地層は別の地質構造を持っているという解釈は間違っています。

エルターニン断裂の地層を再掲します。陸上の地層とまったく変わりがありません。



  [2512] 単純すぎる「空想理論」では実際の地層を説明できない
Date: 2017-05-31 (Wed)
四国西予ジオマップに「西予市はその昔、海の底だった」という解説があり、「日本列島の誕生」にある図面([2492]参照)と同じものが載っていました。





しかし、西予ジオパークの須崎海岸には次のような岩場が数多く存在します。

 黒瀬川構造帯という地層だそうですが、とてもこのような単純な付加体理論で説明できるようなものではありません。



海底火山の爆裂による捲れ上がりのような地殻変動を何回も繰り返してきたのではないでしょうか。

 単純すぎる「空想理論」を一般大衆に押し付けるのはどうかと思います。

  [2511] 研究者も骨抜きの時代なのか
Date: 2017-05-31 (Wed)
付加体論について、分り易くまとめた小出良幸氏の抄録がありました。その抄録の「まえがき」を紹介します。

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島弧における付加体の形成と擾乱機構について より

「沈み込み帯はプレートが収斂するところなので、常に圧縮の力がかかる場となる。付加作用は継続する圧縮応力場で起こる。圧縮場の特性に応じた付加体固有の造構作用あるいは擾乱作用が 働くことになる。このような付加体固有の作用を理解することは、沈み込み帯における地質現象 解明に直結する。
 
 付加体が継続的に形成されれば、すでにできていた古い付加体は陸側に押しやられる。日本列島には、古い時代の付加体が帯状配列していることが知られている。沈み込みが継続し付加体が増えると島弧が成熟していき、やがては大きく厚い地殻へと成長していくことになる。島弧には火成作用も起こり、大陸地殻の形成場という位置づけもなされ、大陸の起源を解明できる場となる。

 日本列島は、さまざまな時代の付加体が形成され続けてきた場で、現在も形成中の付加体がある。日本は付加体の研究において地の利を得ていて、研究者も多く、世界的にも最先端の研究がなされている。」

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 プレートは自重で沈降するはずなのに、「常に圧縮の力がかかる場となる。付加作用は継続する圧縮応力場で起こる。」という認識は“流行の話を鵜呑み”にしておられるのじゃないのかと疑います。よく考えないで、「偉い人が言うことだから間違いない」では研究者としては失格になると思うのですが・・・・。

 そういえば、島崎邦彦氏の後任に選ばれた原子力規制委員会の石渡明氏の「プレートテクトニクスの受容と拒絶」の紹介文があります。地団研活動を担ってこられたそうで、どのようなコメントが聞かれるのかと興味を持って読んだのですが、学生時代からプレート論を受容してきた世代だそうで、「骨がないのか」とがっかりしました。([2497]では横井氏が黒潮古陸説を捨てた恩師を「以外に根性がない」と表現)

 でも、骨があったら生活ができない世相でもあるんでしょうね。抜粋して紹介します。

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「プレートテクトニクスの拒絶と受容(紹介文)石渡 明より


「地団研の活動に長年参加してきて北陸支部長を務めたこともあり、しかし一方では学生時代からプレートテクトニクスの枠組みを「受容」した研究をしてきたため、この本が研究対象としている地学関係者の末席を汚してきたしてきたわけで、その意味で私はこの紹介文を「当事者」の感慨抜きに書くことはできない。

 本書では全く触れられていないが、私が1980年にオフィオライト会議参加のためイタリアを訪れた時に見聞したところでは、その頃のイタリアにも地団研によく似た性格の地質学者集団があったようで、同じ第2次世界大戦の敗戦国で、国内資源に乏しく、戦後の一時期に左翼が優勢で、ドイツのように分断国家にはならなかった等の点で日本と社会状況が似ており、本書で触れられているロシアや中国よりは、イタリアの方がこの種の比較研究に適しているかもしれない。ただし、イタリアでプレートテクトニクスの受容が遅れたという話は聞かない。

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 以上が石渡氏の紹介文抜粋です。

 固体力学と流体力学をごっちゃ混ぜにしたようなプレートテクトニクス理論なるものを信じられる理系頭脳というものが私には信じ難いのです。

以前はよく、「レオロジーも知らないのか」という声がありました。しかし、「固体だけれども、長い目で見れば液体のように振舞う」という使い方は違っています。「液体だけれども、短周期の現象には固体のように振舞う」というのが正しい使い方です。

 アイソスタシーとか、サブダクションというのは力学を無視した、妖術のようなものです。そんな気にさせられてしまっています。

「歪みが再配分され地震が起きている・・・」という話もそうですが、「地球物理関係」の話には、力学無視、力学音痴の話題が多すぎます。

 老人の愚痴だと思っている人も多いのかもしれませんが、年金生活に入った人生だから「誰にも遠慮せずに、言いたいことが言える」有難い時間を貰っているのだと思います。

 地震学や地質学の「地球物理学の世界」に知人がいないのも、考えたら有難いことです。


  [2510] 対立するのは「地殻の滑動」に気付かないからである
Date: 2017-05-31 (Wed)
「PT論の受容と拒絶」という問題は一言で言うと「MobilistとFixistの考え方の違い」です。ソ連時代からのベロウソフ一派のFixistと西側陣営のウイルソン一派のMobilistの確執です。

 「放散虫革命」でMobilistの優勢勝ちということになっていますが、Mobilistが新たに提起する「付加体論」に関してはFixist も納得していない、というのが現状です。芝崎・千葉の抄録には、

「日本列島の成立や日本海形成については、まだ定説が定まっておらず、現在の「高校地学」の二つの教科書でも、執筆者の立場の違いによって、全く別々の説が記載されている。これは、日本においては、プレートテクトニクス理論の受容には、付加体地質などの「サブ理論」の構築が必要であり、その理論体系の再構築にまだ対立が続いていることを示している。」

とありますが、Mobilistは「日本海は裂開し、漂移した(参考1)」と考え、Fixistは「海没した」(参考2)と考えています。
 教科書には時に両方の説が載っており、Fixistも完全には納得しないで対立しています。
 Mobilistの発想には太古にはイザナギプレートがあったというものもありますが、科学史に残るようなものではありません。

 石田理論の立場はFixistに近いですが、分り易く分類すれば地殻滑動論者(Slidist)ということになります。Fixistは南方からの化石や底質が存在することを説明できなくてMobilistのプレート説を受容したわけですが、地殻がスライドしたと考えれば、プレート論を受容する必要はありませんし、付加体論の「層序逆転という矛盾」に悩む必要もなくなります。

 アインシュタインが支持したハプグッド教授の「地殻滑動」という概念こそ本当の「科学革命」です。石田理論は「地殻滑動」が起きるメカニズムを「解離水の爆発」「大陸規模の隆起・沈没」「地殻の重心移動」等で説明したものです。

参考1:
Mobilistの発想

東海大学出版会刊「日本列島のおいたち」p.114より


参考2:
Fixistの発想

東海大学出版会刊「日本列島のおいたち」p.116より




  [2509] 芝崎女史の科学史観再構築論・頑張れ!
Date: 2017-05-30 (Tue)
 [2507]に紹介した芝崎美世子氏の言う「統合的な科学研究」というのが少し理解できそうな気がする抄録がありました。

 相手の立場を考えて公平に判断せよ、ともいえる主張なのではないでしょうか。

 地震学者側からの見方は確かに不当な面があります。

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科学コミュニティにおける科学史観の相違と科学革命による理論体系の再構築
   〜日本におけるプレートテクトニクス理論の展開について〜
  芝崎美世子・千葉淳一


 プレートテクトニクス理論は、地球科学の分野に大きな影響を与え、生物学分野の「進化論」などと並んで、20世紀の科学革命として認識されることも多い。しかし、その展開については、研究分野によって大きく異なっている。日本では、『日本沈没』(小松左京1973)の驚異的なヒットによって、70年代前半から一般にも広く浸透したが、地質学の分野では、共産主義的な思想の影響を受けた研究者らによる「拒絶」によって、その受容が10年遅れたとされており、現在、こうした科学史観が定説とされている。
 しかし、これらの批判は、おもに地球物理や地震学、一部の地質学など、立場の異なる分野の科学者からされており、根拠とされる統計データにも恣意的な偏見が含まれる。こうした異分野からの科学史観の形成には、1970年代の科学者間の激しい対立の影響が見られる。
 
 一方、日本列島の成立や日本海形成については、まだ定説が定まっておらず、現在の「高校地学」の二つの教科書でも、執筆者の立場の違いによって、全く別々の説が記載されている。これは、日本においては、プレートテクトニクス理論の受容には、付加体地質などの「サブ理論」の構築が必要であり、その理論体系の再構築にまだ対立が続いていることを示している。

 本研究では、こうした日本におけるプレートテクトニクス理論の展開について、東大を中心とした中央集権的な科学史観の形成と、異なる科学者集団によるパラダイム転換期の理論体系の再構築に注目して、ブルデューの「界」の概念を用いて考察する。

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ブルデューの「界」の概念を知りませんので、詳しい評価ができませんが、地震学者側から一方的に「イデオロギー」問題に絡めて批判するのは間違っているということでしょう。

地質学者は、現場に多くの証拠があるので、証拠と矛盾する学説を採用することはできません。一方の地震学者は「地震の発生メカニズム」さえ不明のまま、ヘスの言う「ジオポエトリー」(海洋底拡大説)をそのまま鵜呑みにしてしまっています。

 私には「真実に厳格なオヤジ」と「流行に乗る暢気なオジサン」というくらいの差があるのを感じます。後者に「東大を中心とした中央集権的な科学史観」を支持するマスコミ、なかでも「朝日新聞」が座っているのですから、オジサンは気楽でオヤジは大変です。

しかし、やがて「進化論」も「プレート論」も「付加体論」も本当の意味の科学革命に遭遇して、オジサンは泣きを見ることになるでしょう。

芝崎女史頑張れ!

  [2508] 放散虫革命は「付加体論」をサポートしていない
Date: 2017-05-30 (Tue)
[2451]では、「放散虫革命で何故プレート論が一気に認定された」のか、「福井市自然史博物館」の解説を読んでも理解できなかった、と述べました。

 同博物館の解説を再読して、やっと何が問題になっていたのかを理解しましたが、「地殻は滑動する」という視点をいれれば、氷解する問題です。同館の解説から7と8を紹介します。

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7.南から移動してきた南条山地(付加体モデルについて)

 私たちが調査してきた南条山地の地質と放散虫化石の特徴は今のところ次のようにまとめることができます。@南条山地の地質は、海に堆積した砂岩・泥岩・チャート・緑色岩・石灰岩から構成される。A大部分の石灰岩は古生代二畳紀の紡錘虫を産す。Bチャートは主として二畳紀や三畳紀の放散虫を産す。C泥岩は中生代ジュラ紀の放散虫化石を産す。D古生代の石灰岩やチャートや緑色岩は泥岩中の礫である。


 以上の事実より次のような解釈が可能です。現在の太平洋を頭に描いてみましょう。古生代二畳紀から三畳紀にかけて、海底火山の活動によって形成された海山(緑色岩)の周囲に形成された石灰岩、そして放散虫や非常に細かい泥が堆積してできたチャートや珪質泥岩が、陸から遠く離れた海洋に生成しました。それらはプレートに乗って移動し、陸に近づくにつれ、陸から運ばれてきた泥がチャートや石灰岩や緑色岩の上に次第に堆積しました。この頃時代はすでに中生代ジュラ紀(大陸には恐竜がいた時代です)であり、当時の海に生息していた放散虫の死骸が泥岩に取り込まれました。 


 さらに大陸の端にくるとプレートのもぐり込みが起こり、その上に乗っていたチャートや石灰岩や緑色岩は、はぎ取られたりあるいは海底地滑りにより、切れ切れになって陸からの砂や泥と混ざったり、何回も折り畳まれたりして陸側に付加して南条山地が形成された・・・というシナリオです。海洋プレートに乗って移動してきた堆積物が沈み込み帯で底付けされ、陸域が成長していったという仮説を「付加体モデル」といいます。


 実際、第三の研究成果として揚げた古地磁気の研究によれば、南条山地に分布する緑色岩は2億数千万年前には赤道付近にあったということがわかっています。それがプレートに乗って北上し、アジア大陸の東端に衝突し横ずれを起こしたという考えです。そのときの痕跡が現在の吉野瀬川付近だと思われます。
 吉野瀬川は武生市丸岡−沓掛−勝蓮花を東進し武生の平野に注いでいます。この河川の南側(南条山地)と北側とでは中生代白亜紀以前(約6500万年以前)の地質が大きく異なっています。すなわち吉野瀬川以南には大陸性の基盤岩は分布せず、放散虫化石を産する海洋性の中生代の地層が分布し、一方、北側には恐竜や植物化石を産する手取層など大陸棚(陸の一部である)や湖に堆積した大陸性の中生代の地層が分布します。

 
 8.南条山地は日本列島のおいたちを解く鍵!

 付加体モデルを用いた解釈は、南条山地と同じような中生代の地層が分布する地域(かつては古生層と信じられていました)ではしばしば主張されています。しかし、新しい野外事実が判明してくれば、このモデルも修正されることでしょう。今私たちが注目しているのは、放散虫化石を産しないチャートです。放散虫化石を産するチャートは確かに遠洋性のチャートかもしれません。しかし、放散虫を産しないチャートの起源に関しては今も解明されてはいません

 堆積後チャートに変わっている砂岩・泥岩層が、今庄町藤倉山の林道沿いで発見されました。砂岩や泥岩などの堆積岩がそっくりチャートに置換される現象は本邦では初めての報告です。砂岩や泥岩が、ある条件下で簡単にチャートに変わるとすると、放散虫化石を含まないチャートの中には砂岩や泥岩起源のものがあるかもしれません。するとチャートのすべてが遠洋性であるとは断定できなくなり、遠洋からプレートに乗って云々…というモデルは単純すぎることになります。幸い南条山地には放散虫を産するチャートと産しないチャートの両方が分布し、同山地はこのような疑問を解決するための良好なフィールドです。


 また、付加体モデルでは、その形成過程上、下方に積み重なっている地層ほど新しい時代のものであるはずですが、南条山地では、ジュラ紀中頃の地層の下位にはジュラ紀はじめに堆積した地層が分布しています。この事実は付加体モデルに反することになります。南条山地では何が起こったのでしょう。近い将来、福井県南条山地から日本列島のおいたちを説明できる新しいモデルが生まれるかもしれるかもしれません。(完)


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問題点を列挙します。

@:放散虫を含むチャートは遠洋性とされていますが、当時は日本の多くが海面下にあり、しかも赤道近辺にあって、放散虫を始めサンゴや水中生物が多様に生息していたと考えるべきです。プレートが運んできたのではありません。

A:放散虫を含まないチャートがあることは、そのチャートが形成されたころ、日本は極地域にあって、放散虫など生息できなかった環境、と考えるべきです。

B:南条山地が「上が古く、下が新しい」という付加体の特徴を備えていないということは、付加体理論が間違っているということです。付加体理論を思いついたという四国住吉海岸の例は褶曲構造の頂部だけを見て思い付いただけという可能性があります。([2479]参照)


「上が古く、下が新しい」のは褶曲構造の頂部の特殊な場合だけである


四万十帯でも、ほとんどは南条山地と同じように層序が成立しています。付加体論が間違っているのです。

付記:Wikiより

チャート
堆積岩
チャート(英: chert)は、堆積岩の一種。主成分は二酸化ケイ素(SiO2、石英)で、この成分を持つ放散虫・海綿動物などの動物の殻や骨片(微化石)が海底に堆積してできた岩石(無生物起源のものがあるという説もある)。断面をルーペで見ると放散虫の殻が点状に見えるものもある。非常に硬い岩石で、層状をなすことが多い。

チャートには赤色、緑色、淡緑灰色、淡青灰色、灰色、黒色など様々な色のものがある。暖色系のものは、酸化鉄鉱物に起因し、暗色系のものは硫化鉄や炭素化合物に起因する。緑色のものは、緑色の粘土鉱物を含むためである。これらは、堆積した環境によって変わると考えられている。

石田理論によるチャートの解釈

 無機質のチャートが南条山地で見つかるということは、基本的にチャートとは微粒子の堆積物であって、海域によっては放散虫が混在していたということでしょう。
 大陸規模での沈降や隆起という変動があった場合には海域全体が乱泥流で濁る場合があるでしょう。そのときに、熱帯〜温帯の海域では放散中の死骸が混じりますが、極地の海域では混じらないでしょう。南条山地に放散虫が混じらないチャートがあるということは、当時日本が極域の寒冷地に位置したということを意味すると思います。混じっているのは温帯地方にあった時代の堆積物ということです。
 地球は思っているよりも激しく、姿勢を変えていることを残留地磁気の逆転現象が教えてくれています。([2438]参照)

  [2507] 地質学者は地震学者を説得し、「プレート論」を破棄すべし
Date: 2017-05-29 (Mon)
地震爆発論学会としては、今からでも遅くはないので、「プレート論」、「付加体論」を拒絶して欲しいと思います。


1979年に行なわれた「地震学者と地質学者との対談」(東海大学出版会から『地震』という書物で発刊)では、仲良く両者が対談していますが、地質学者の方が理性的で、自分の頭で考えているように受け取れます。どうして、地震学者のプレート論に「寄り切られ」てしまったのか、残念ですし、不満です。

再度土俵に上がって、納得できるまで議論すべきです。

「固体の中に、固体が潜り込む」という現象が本当に起きると思えるのでしょうか、自重で沈むというプレートが本当に「鉋屑」のようなものを残すと思えるのでしょうか。

工学の世界に居た者には、まったく「お遊びの理論」としか思えません。泊次郎氏の書籍も読みましたが、同じような論調の”科学史家”の記事がありましたので、再検討の機会にするべく紹介します。

 [2497]で紹介した横井氏の恩師で「黒潮古陸」を支持していた「市川浩一郎教授」の名前が見えたので、読んでみました。

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日本におけるプレートテクトニクス受容の「空白の十年」・・・芝崎美世子


 日本におけるプレートテクトニクスの受容は、地向斜造山論者らの反対によって大きく遅れ、1969 年以降に「空白の十年」があったと言われている。プレートテクトニクス拒否の背景には、地質学者の社会運動や思想に原因があったという指摘がある一方、地質学者の中には、激しい論争があったことは認めながらも、そのためにプレートテクトニクスの受容が遅れたとは言えないという主張も多い。

 この「空白の十年」は、地質学分野における研究手法が飛躍的に発展した時期としても知られている。中でも「放散虫革命」と呼ばれている地質維新は、最も重要なものである。日本の地質学界では、1960 年代からコノドント生層序学的研究がブームを迎えたが、1960 年代末からより広い適用範囲をもつ近代的な放散虫生層序学的研究が始まった。これにより 1970 年代後半から 1980 年代にかけて放散虫生層序の一大研究ブームが巻き起こり、日本列島の地質が急速にぬりかえられていくことになったが、この担い手となったのは地方大学・若手研究者らであった。その中心人物の一人であった八尾昭の一連の研究を見ると、これらの研究の発展がプレートテクトニクスから影響を大きく受けていることがうかがえる。

 八尾が所属していた市川浩一郎の研究室において、放散虫生層序学的研究は地質構造の再検討のための課題として位置づけられており、それらの成果によってメランジュやオリストロームなどの付加体地質の先駆的な研究がなされていった。これらは時間的に手間がかかり、相当な根気を必要とするものであったが、研究手法の開発からわずか数年で日本の各地の地質構造の再検討が提案されていった。その研究成果は海外や他の地方大学の研究室にもただちに波及し、相互に活発化した議論がなされ、80 年代以降の爆発的なブームにつながっていく。
 
 このようにプレートテクトニクス導入時の地質学においては、日本列島全体の地質構造の再検討のために、地質年代決定法などの研究手法の開発や地帯区分の再検討がまず重要であった。1970 年代の地質学におけるプレートテクトニクスの受容が外からは「見えない」ものとして急速に進行していたことを示している。

パラダイム転換期では、新しい理論の検討やこれまでの知見に対する再構築が行われるために、急速な研究手法の発展が起こり、専門的な議論が活発化する。日本におけるプレートテクトニクスの導入は地震学分野ではスムーズであったが、地向斜造山論からの再構築が必要であった日本の地質学では、見かけ上、受容が遅れる傾向にあった。それは、地質学では実証的研究が必要であり、地域ごとの複雑な付加体地質を「プレート語」で記述することが相対的に後回しになったからであろう

 このような地震学と地質学分野における「プレートテクトニクスの受容」の相違を科学史に見る場合、とくに地震学 の立場からの地質学会批判に注目される。松田時彦(1992)や泊次郎(2008)らが取りあげた「プレート語」には、社会統計学的に見ると思い込みや誤りと言えるものが含まれている。これらの学会批判をブルデューの科学社会学理論である「界」の概念を用いて見ると、地震学と地質学の異なる「界」がもつ「科学資本」の違いによるものと考えられる。また都城秋穂(1998)による批判や地質学者間のディスコミュニケーションも、地質学における専門=「サブ界」の違い とも関係があり、これらの批判が生じた背景には、上位界としての「地球科学界」における2つの界の「位置取り」の 構造を見ることができる。

 具体的な研究分野で見れば、放散虫研究を担った若手研究者の研究活動の一部は「地学団体研究会(地団研)」の活動成果にも支えられていた。これは、プレートテクトニクスへの反対論が地団研内部でどう受けとめられていたのかの一端を示している。地団研は独自の「界」であり、その「文化資本」のために反対論者の批判の多くが、外部に向かってなされる傾向があった。その結果、外からは反対論だけがとくに「よく見える」ことになる。
このように日本におけるプレートテクトニクスの受容には様々な構造が含まれており、より統合的な科学史研究が必要であると考えられる。

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 統合的な科学史研究・・・が何を意味するのか知りませんが、移動する原動力がみつからない「プレート運動」を妄信するような科学界の姿勢は辞めて頂きたいと思っています。

  [2506]木村敏雄先生の中途半端なプレート論受容の立場
Date: 2017-05-29 (Mon)
 [2483]でコメントした木村敏雄氏の「日本列島の地殻変動―新しい見方から―」が手違いで購入できませんでしたが、「日本の地質」(木村敏雄、速水格、吉田鎮男)が届きましたので、拾い読みをしました。


 プレート論を拒絶されたのかと思っていましたが、そうではなく、「付加体論」を短絡的な発想から生まれたものだと否定しておられます。サブダクションに関しては肯定的な記述がありますので、プレート論の立場を取っておられたようです。

 黒潮古陸に関しては、

「紀伊南部ではオルソコーツァライト礫が黒潮古陸から供給されている(Tokuoka、1970)。この古陸は恐らく瀬戸川―中村前弧盆地外縁の海嶺であったのだろう。」

と肯定的に把握されておられます。[2495]の甲藤次郎先生のような「大陸とまでは言えないが、古南海道島列という暗礁程度のもの」と想定されています。

 いづれにしても、本書に記述してあるような日本列島の複雑な地質構造を、「付加体論」という単純すぎる理論で解釈することには同意しておられません。

 「まえがき」から、プレート論に対する支持の立場を紹介します。前半と後半で少し立場が違うような中途半端な姿勢を感じます。

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 ここ30年ほどの間に、世界の地質学に大きな学問的変化が起こった、プレート・テクトニクス説の導入である。日本ももちろん例外ではない。秩父縁海を中に挟む区域において、2回の大きな地殻変動があったことは、この区域に大洋地殻のもぐり込みが、異なる二つの時代に位置をずらせて起こったとすれば十分に説明される。プレート・テクトニクス説は秋吉・佐川地殻変動説を否定するものとはならないばかりでなく、支持する面がある。造山帯では花崗岩活動は地向斜の中軸部に起こると考えられていた。秋吉期の花崗岩活動が先カンブリア時代の岩石が存在する飛騨帯には起こり得ないと考えられた、しかし、中生代に大陸地殻が形成された東北地方に新第三紀の安山岩活動や花崗岩活動が起こっている。サブダクション・スラブの位置によっては、大陸地殻が厚く出来ているところでも大きな地殻変動が起こり得るのである。東北地方では新第三紀の地質構造は旧期の構造に重ね合わされている。北海道ではほとんど直交した構造帯の重ね合わせすら認められる。

 プレート・テクトニクス説が基本において疑いなく正しいものと分かったときに、それを下敷にした構造発達史説が日本にも現れた。高圧型変成帯が高温型変成帯の地区にサブダクションしたという説である。そのほかにも非常に多くの学説が現れたが、ほとんどが欧米で唱えられた説の輸入である。いくつかの異なる地帯についての付加体説やメランジェ生成説、マイクロコンチネントのコリジョン説、テレインの大規模な押しかぶせまたは横すべりによる移動説などなどである。それらの説は多種多様であって、そのうちのあるものが正しいとすると他の多くは生き残れないような体のものである。これらの諸説はほとんどが時代と地区とを限定したものである。

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 納得できない点があるのなら、それが解決するまで、支持を延期してもよかったのではないでしょうか。
 
 プレート論は受容するが、付加体論は受容できない、その他の点でも、「その場限りの適用だ」と言うのでは、学者としては物足りなさを感じました。私の誤解かもしれませんが・・・。

  [2505] GLGArcsが教える間違った日本列島の形成説
Date: 2017-05-29 (Mon)
GLGArcsのサイトに日本列島の形成が説明してあります。プレート論、付加体論の混成理論で構成してありますので、トンデモ話になっています。そのなかにある「日本最古の岩」を紹介します。
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Formation History of the Japanese Islands

[Oldest rock]

The oldest rock in Japan is gneiss gravel about two billion years old in the Kamiasou conglomerate (Gifu Prefecture, central Honshu). However, Triassic-Jurassic (240 to 160 million years old) formation encompasses this conglomerate bed. The paleocurrents preserved in layers over and under the bed indicate that the conglomerate came from the north. Consequently, the oldest gravel was produced from rock formed somewhere in the continent about two billion years ago, and then transported from the north to be deposited along with other sediment 200 million years ago.

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Paleocurrentsとは古流のことです。徳岡先生の記事([2491])にある底痕(ソールマーク)から分る古い時代の流れの方向のことです。gneiss gravelとは片麻岩の礫です。


上麻生の飛騨川にある岩石が日本最古のものなんですが、古流から判断して北の大陸から運ばれてきたと解説しています。

古流のデータを信じて判断するのなら、南紀や四国の四万十層にある古流も信じるべきでしょう。
四国の古流はほとんどが西向きになっていて、北の大陸から運ばれたとは言えません。

付加体(accretionary wedge)が世界的に信じられてしまっていますが、まったくの邪見です。

今日のニュースでは、「第7大陸ジーランディア」水没調査に「ちきゅう」が出動するとありました。その前に「黒潮古陸」をもっと真剣に調査して欲しいものです。深く沈むほど、地殻は薄くなりますから、「地殻が厚い」という理由で「ジーランディア」の存在を信じるのはどうかと思います。産経新聞の記事から抜粋して紹介します。
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■2つの誕生仮説

 ジーランディアは1990年代の観測衛星による海底地形調査で存在が確認された。面積はオーストラリア大陸の約6割に当たる約490万平方キロに及び、世界最大の島グリーンランドの2倍を超える広大な水没大陸だ。海面より上にあるのは面積の約6%だけで、大半をニュージーランドが占める。


 海底に沈んではいるが大陸だ。地球の表面を覆っている地殻には、厚さが約6キロの海洋性の地殻と、30〜40キロと厚い大陸性の地殻がある。ジーランディアの地殻は約20キロで、大陸性と見なされる。大陸性にしか含まれない花崗(かこう)岩や変成岩が見つかっていることも根拠だ。
未解明なのは分裂の仕組みだ。二つの仮説が提唱されており、その一つは地球内部から高温のマントルが対流で上昇するホットプルームという現象が、オーストラリアを突き上げて分裂させたとする「マントルプルーム説」。

 もう一つは「ロールバック説」。オーストラリアの東側では海洋地殻が陸の下に沈み込んでいるが、沈み込む角度が深くなり後退するなどの影響で、縁が引き伸ばされて分裂したとみる。どちらが正しいのか議論が続いている。

 計画を指揮する海洋機構の斎藤実篤グループリーダーは「得られた試料に玄武岩など火山性の岩石が含まれているかどうかがポイントだ」と話す。

 8千万年前ごろの試料から火山性の岩石が見つかれば、激しい火山活動を伴うマントルプルーム説の証拠になり、見つからなければロールバック説が正しいことになる。

 ジーランディアの表面には、陸上だった時代から水没して現在に至るまでのさまざまな物質が堆積している。水没の理由は地殻が薄く沈みやすいためだが、堆積物を分析すれば水没の開始時期や速度まで詳しく分かってくるという。


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「火山性の岩石が見つかれば、マントルプルーム説、見つからなければロールバック説」というのは乱暴な話ではないでしょうか。どちらの説も疑問がいっぱいです。地殻変動を起こす原動力(熱解離した水素の爆発力と爆縮力のこと)が把握されていません。

日本は「大陸沈没の研究」のメッカであって、「付加体研究」のメッカではありません。 

  [2504] 四国の四万十帯でも「黒潮古陸」を支持する調査がある
Date: 2017-05-28 (Sun)
 徳島県の四万十層群(海部層、奈半利層)について、古流系や正珪岩礫を調査した記録がありました。やはり、「黒潮古陸」についての言及がありその存在を支持しています。抜粋して紹介します。

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室戸半島北東部、徳島県宍喰町周辺の四万十層群より抜粋

Z 古  流  系
 海部層、 奈半利川層に豊冨にみられる各種の有方向堆積構造から古流向の測定をおこなった。(第6図参照)



(1) 海部層
 下部層(K1) の測定数は3 個にすぎないが、 ENE →WSW 方向をそろって示している。海部層での測定は上部層(K2 ) に多い。
(2) 奈半利川層
 奈半利川層では古流向の測定数が多いので細かな層準ごとの検討をおこなった。Na 層の測定数は2 であるが、E →W およびSE → NWを示している。Nb 層下部は甲浦坂付近のものではSE → NW を示している。相聞付近のNb 層については下部、 上部をまとめて示してあるが、 同じようにSE → NW を主としている(相間付近の測定値は大部分Nb 層下部のものである)。
 奈半利川層の古流系には、 SE→ NW の供給の優勢な時期(Nb 層下部) と、 E → W の軸流が主である時期(Nb層上部〜Nd 層) とを認めることができる。

[  考察
 (1) 対比と時代論

 甲藤ほか(1974) は、 本地域の古第三系は奈半利川層が逆断層によって3〜4 回繰返したものとしており、 海部層を認めていない。 しかし、 その繰返しの根拠は不充分なものである。海部層上部層は下部層に整合に重なり(広岡北方で確認できる)、 全体として一つの堆積輪廻を示す。海部屑にはさまれる緑色頁岩は奈半利川層のどの層準にも知られていない。また、岩相を細かく対応させると、両層には比較的大きな相違がみられる。海部層を奈半利川層の繰返しと考えることは困難である。
 室戸半島北東部の四万・十累帯南帯では、 北から海部層、奈半利川層が分布する。紀伊半1島の南帯では、 北から音無川ムロ層と牟婁層群(HARATA 、 1964) が分布する。
構造的な位置および岩相、 貝化石より海部層は音無川ムロ層に、 奈半利川層は牟婁層群B ・C 層に対比される。
 海部層では、下部層は頁岩勝ち互層と頁岩を、 上部層は塊状砂岩と砂岩勝ち互層を主としており、 両者の境界近くには、 連続性のよい凝灰尉質緑色頁岩(一部赤色頁岩が認められる。音無川ムロ層は、 下部の頁岩層(瓜谷層) と、中部のブリッシュ層(羽六層下部)、 上部の砂岩層(羽六層上部) からなり、 瓜谷層と羽六層との境界に緑色・赤色頁岩を挾在している。この緑色・赤色頁岩を中心とする層序は25kin 以上にわたって追跡され、有効な鍵層となっ ている(はてなし団体研究グループ、1973 ; 中屋ほか、1973 )。両者は全体として類似した岩相といえる。筆者らは海部層上部層からPortlandia watasei(貝の化石)を発見したが、細かな時代は決められない。川添(1974) は、海部層の延長にあたる地層を竹屋敷層とし 室芦半島層群の最上部としているが、 根拠が薄弱である。これらのことから、 海部層は、 安芸断層と宍喰断層で北の白亜系と南の漸新統にはさまれることから、一応、始新統と考えられ、 岩相的にも構造的にも音無川ムロ層に対比されよう。
  
 (2) 奈半利川層の粗粒砕屑物の供給源について
 奈半利川層の粗粒砕屑物の特徽の一つは、 礫岩の礫組成や砂岩の鉱物組成が示しているように、多量の酸性火成岩起源の砕屑物が存在することである。すなわち、礫では、 石英や石英斑岩、 流紋岩が、 砂岩では、 石英や長石(斜長石とカリ長石とはほぼ等量) が多量に存在している。砂岩中の岩片でさえ、 石英や斜長石、 カリ長石の結晶が数個集合した花崗岩質岩片が多い。その斜長石のなかにはミルメカイトをもつものがしばしばみられる。流紋岩や酸性凝灰岩の岩片も多い。
 もう一つの特徴はNb 層をはじめとするオーソコーツァイト礫の産出である。紀伊半島ではオーソコーツァイト礫の産出は打越背斜より南に限られるが、 本地域では構造的にそれより北側にあたる位置から産出する。また産出層準がNb 層(特にNb 層下部)に集中し、 上、 下位の層準にはほとんどみられないこと、 礫径が小さいことなどは紀伊半島の場合との相違であるが、南東からの側方供給の優勢な層準に産出することは重要である。
これらのことから、 少なくとも奈半利川層堆積の一時期(Nb 層下部) には、堆積盆の南側に、多量の花崗岩類や、それよりも少童の酸性火山岩類が分布し、オーソコーツァイトの露出する陸地(≒ 「黒潮古陸」;紀州四万十帯団体研究グループ、 1968) が存在しており、 オーソコーツァイト礫を含む砕屑物を供給したものと考えられる。

\ ま  と め
 (1 ) 室戸半島北東部・徳島県宍喰町周辺の四万十累帯は安芸断層によって北帯と南帯に分けられ、北帯には牟岐層(上部白亜系) が分布する。南帯は安芸断層に平行な宍喰断層によってさらにわけられ、 北側には海部層(始新統? )、南側には奈半利川層(漸新統)が分布する。
 (2 ) 海部層は紀伊半島の音無川ムロ層に、 奈半利川層は牟婁主帯のB ・C 層に対比される可能性が大きい。
 (3 ) 地質構造は東西性の走向断層によって大きく支配されており、 断層にはさまれて、 東西の走向をもち、北へ50°〜80 ° 傾斜した地層が分布する。東洋町相間には北へ80°で傾斜する第一級の等斜褶曲がみられる。
 (4 ) 海部層、奈半利川層の占流系は主に東から西への軸流を示す。しかし、 Nb 層下部では南東からの側方流が優勢である。
 (5 ) 奈半利川層の粗粒砕屑物には、花崗岩類や酸性火山岩類などの酸性火成岩起源と考えられるものが多い。
 (6 ) 南東→ 北西を示す古流系の優勢な層準に、 オーソコーツァイト礫が産する。これは、 少なくともNb 層下部の堆積時には南側に陸地が存在し(≒ 「黒潮古陸」)、オーソコーツァイト礫を含めた粗粒砕屑物をもたらしたものと考えられる。
 (7 ) ほかの礫種や砂岩の鉱物組成から考えると、 この「黒潮古陸」にはオーソコーツァイトとともに多量の花崗岩類や酸性火山岩類が分布していたと推定される。

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[2477]で紹介した由岐町近くでの調査では「円磨された鉱物の粒子や岩片等はほとんど認められない」とありますし、結論としても「5.以上の構造から総合的に推定される断面形態モデルは、海洋プレートの沈み込みに伴う付加体の発達に際して形成された多重階層構造である」と、プレート論を支持する内容でした。
付加体ならば、海側上がりになるはずですが、山側上がりになっているのが不思議に思い、読者からの教示をお願いしたのですが、どなたからの説明も得られませんでした。

ここで紹介した調査は由岐町よりも少し南の宍喰町、甲浦一帯の県境をまたいだ付近です。


正珪岩礫は紀伊半島では打越背斜より南側の四万十層南帯に多い。四国では北帯に見られるのはなぜなのか。


 古流系統や正珪岩礫の存在することから見て、少なくとも、こちらの調査結果は付加体理論を支持するものではありません。
著者は、

「少なくとも奈半利川層堆積の一時期には、堆積盆の南側に、多量の花崗岩類や、それよりも少童の酸性火山岩類が分布し、オーソコーツァイトの露出する陸地(≒ 「黒潮古陸」) が存在しており、 オーソコーツァイト礫を含む砕屑物を供給したものと考えられる。」

と解説していますが、「付加体論」を推進している立場の方はどのように判断するのでしょうか。

 紀伊半島では、上図(右)ように、四万十帯の北帯には正珪岩礫はあまり見つかりません。
 一方宍喰町や海部町は北帯に属するはずですが、小粒ながら正珪岩礫が見つかります。
 紀州の南帯ではこぶし大の礫が見つかるそうですが、どのようなことが言えるのか、「プレート論」や「付加体論」を信奉する方の説明を聞きたいです。

私の推理では、日本列島がまだ、島嶼が集まる浅い海だった時代に、
「黒潮古陸」にあった大河の川筋とその氾濫原(海底)にオーソコーツァイトは散乱した」
ということになります。同じ時代の地層でも一山超えれば、また、川筋が違えば見つからない場所もあるのでしょう。
川筋は[2496]のグーグルアースの写真を参考にしてください。
西に向かって流れていませんか?
「ちきゅう」が潜って調べたら、大粒径のオーソコーツァイト礫がみつかるのではないでしょうか?

 石田理論としては、プレート論や付加体論よりは「南方古陸説」や「黒潮古陸説」に納得できるものを感じます。

今後どんどん、南方に古陸があったという説が広がることを期待しています。

  [2503] 今の時代に『黒潮古陸』を唱えることは勇気の要ることらしい
Date: 2017-05-28 (Sun)
 [2497]に紹介しましたが、横井氏の恩師である市川先生が「黒潮古陸」への反対の声に屈して、取り下げたそうです。

 [2490]に紹介した徳岡先生と一緒に論文を発表した原田 哲朗先生(和歌山大学教授)も、晩年には「付加体論」に押し切られたようで、「北側の大陸に順次付加・合体していった」という想定をなされていたそうです。
大勢の人が言うことが正しいと思えてしまうのでしょうか。

『四万十帯』(中屋志津男=和歌山県立大成高校教諭)から抜粋して紹介します。

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(6)黒潮古陸

牟婁層群には、オーソコーツァイトと呼ばれる砂岩礫が含まれるのが特徴です。オーソコーツァイト礫は、平瀬一鮎川断層以南の地層中には数〜20%程度の割合で普遍的に含まれ、南部ほどより多く含まれます。とくに枯木灘海岸地域の下露累層ではオーソコーツァイト礫の含有量、礫径がともに大きくなる傾向がみられます。この地帯の礫の大きさは、親指大のものが多く、なかには握りこぶし大のものまであります。

図4・4・10―枯木灘海岸の牟婁層群下露累層(中平見付近並びに双島)の地質と礫種構成および古流向


オーソコーツァイト礫は、徳岡・別所(1980)によって詳細な研究がなされています。オーソコーツァイトは、石英が95%以上を占める砂岩で、その多くは、砂粒の殆どが完全なまでに円磨されています。礫の大部分は、塊状の砂岩ですが、弱い平行葉理や級化構造が認められるものもあります。礫の色は、灰白色や赤色・赤紫色のものが多く、このほかにも様々な色調のものがあります。オーソコーツァイト礫の砂粒には、2次成長を示すダストリング(写真)がよくみられます。砂粒はよく円磨され、角ばった砂粒や、やや角ばった砂粒は全く含まれません。

これらの特徴は、オーソコーツァイト礫が大陸的な乾燥気候下で、花崗岩・片麻岩・まれに堆積岩などが、きわめて長期間にわたって浸食・風化されることによって生じた風成砂に由来するものであることを示しています。

牟婁層群のフリッシュ型砂岩泥岩互層には、カレントクレスセントカスト、フルートカスト、プロッドカスト、グルーブカストなどたくさんの流痕が広い地域に認められます。これらの流痕から求められた牟婁層群の古流系は、東ないし北東からの流れに加えて、南ないし南東からの古流系が存在することを明らかにしています(図4・4・14)。

図4・4・14−牟婁層群の古流向 ...................     図4・5・15−流痕(@〜D)と漣痕(E)


これらの事実から、かつて四万十帯の太平洋側には、オーソコーツァイト礫を含む砕屑物の供給域が存在したとされ、この陸域は黒潮古陸と名付けられました(紀州四万十帯団体研究グループ、1970。原田・徳岡、1974)

なお古流向の計測においては、四万十帯の屈曲変形(第5章)に伴う補正が必要になってきましたが、この補正を行ったとしても、牟婁層群の古流系では太平洋側からの要素を否定することはできません。

その後、四万十帯の研究が進展する中で、白亜系の一部から海洋地殻の沈みこみに伴う付加堆積体が認められるようになりました。

晩年の原田先生は、
「黒潮古陸は、南の太平洋側に島弧列をなして存在し、北側の大陸と南側の島弧(黒潮古陸)の間には、四万十の海が広がっていた。この海は、陸源堆積物と海洋性の岩石(緑色岩・チャート)を混在せしめる現在の海溝のような機構をそなえていた可能性があり、四万十の白亜系は、海溝を伴う縁海に堆積し、北側の大陸に順次付加・合体していったのではないか」
という想定をされておられました。


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「黒潮古陸」に拘っていると、元・大学教授といっても、世間からは「時流に逆らうおかしな人」という評判になってしまうのでしょう。

『生活をする。つまり給料を貰う』には時流に逆らうことは大変です。少なくとも、文部科学省には相手にされませんから、私学関係者も右へならへで、相手にはしないでしょう。

「プレート論全体主義」の時代に、信念を貫いて生きることは大変勇気の要ることなのです。

  [2502] 南方古陸を想定しないと説明できない四万十帯竜神層の地質
Date: 2017-05-27 (Sat)
「付加体論」の内容は単純すぎます。地質学者はもっと丹念に現地を調べています。

 紀伊半島の四万十帯を調査した論文にも、南方古陸を想定する興味深い論文があります。

 サブダクションを導入するあたりは、既にプレート論の影響を受けていますが・・・。

しかし、精細な調査結果を正しく解釈して、「日本列島形成史」を作って欲しいと思い抜粋して紹介します。

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奈良県十津川村南部四万十累帯北帯の日高川層群木村克己より抜粋


第1 図 四万十累帯日高川帯の地質概略図と位置図
    一紀州四万十帯団体研究グループの未公表資料、 栗本(1982)を引用。


 3 . 堆積環境
 竜神累層の堆積環境については、 同累層の堆積盆の形態として、 砂岩優勢互層からなるRb 部層が東から西への軸流を示すことから、やや西へ傾斜したトラフ状の堆積盆が考えられる。また、Rc 部層では側方流が認められ、北方からの流れが卓越している(徳岡ほか、1981)。
 
 丹生ノ川累層は南から北への側方流が卓越する。主にタービダイトおよび関連岩相からなる本累層は、二つの顕著な上方厚層化・粗粒化サイクルをなす。 よく連続して分布する上部のサイクルでみると、堆積体は中央部で粗粒で側方へ薄層化する扇状地状の断面形態をなす。すなわち、中央部で全体の層厚が約2、500m と厚く、かつ粗粒で礫岩層が発達し、側方へ薄層・細粒化する。下部サイクルについても同様の傾向があるように思われる。これらの古流系・岩相の特徴から、丹生ノ川累層は南から北へ広がった海底扇状地をなしていたと推定され、 WALKER & MUTTI (1973)の前進する海底扇状地モデルによく符号する。後背地については、竜神累層は北方、 丹生ノ川累層は南方のそれぞれ異なった後背地より砕屑物がもたらされたものと考えられる。
その根拠は次の通りである。

1 ) 上記した両累層の堆積環境および古流系の違い、
2 ) 両累層が同時異相で砂岩の鉱物組成が異なる、
3 ) 両累屡の現在の分布から丹生ノ川累層の堆積場が竜神累層の南側に位置していた。

また、 北方の後背地は、KUMON (1983)がすでに詳しく述べているように、西南日本内帯に相当し、著しい酸性火成活動を伴う大陸であった、南方の後背地の性格は、丹生ノ川累層の礫岩の礫組成と砂岩の鉱物組成に基づくと、 酸性火成岩類とチャート・石灰岩を含む砕屑岩類を主要な構成岩層としており、成熟した島弧のような古陸と推定される。紀州四万十団研が主張した南方古陸は、カンパニアンには確かに存在していたであろう。カンパニアン以前は美山累層の堆積・変形時(チューロニアン〜サントニァン)であり、 美山累層は下部大陸斜面から海溝での堆積物でサブダクション・テクトニクスにより付加帯を構成したと推定されている

一方、南方古陸の出現による影響は、カンパニアンの丹生ノ川累層で初めて認められることから、古陸は海洋底の沈み込みにともなって当時の西南日本弧に接近したものと想定される。竜神累層中に再堆積した緑色岩の元来の形成場についてあまり議論できないが、緑色岩が海洋性ソレアイトであり殆ど噴出岩からなること、そして上に述べた古地理とから、 南方の古陸と北方に想定される西南日本弧との間に存在していた海洋底において、緑色岩が噴出したものと推定される。なお、緑色岩の起源を竜神累層より古い地層一美山累層や秩父累帯を構成する地層一からの再堆積とする考えは、これらの地層中の緑色岩類に一般に伴っている放散虫化石チャートが、竜神累層にはまったくみられないという問題があり妥当でない。

 以上のことより、 カンパニアンにおいて日高川層群の堆積場は、北側に酸性火成活動を伴う大陸、南側に成熟した島弧(南方古陸)を配置した狭長な海盆であったと推定される。

ま と め

 1・本地域の日高川層群は3 累層からなる。各累層は互いに断層で境され、北より美山累層・竜神累層・丹生ノ川累層の順に配列する。放散虫化石に基づき、美山累層はチューロニアン、 そして竜神累層と丹生ノ川累層はカンパニアン(初期〜中期)で、 同時異相の関係にあると考えられる。

 2・竜神累層は3 部層(Ra 〜Rc 部層)からなり、 厚さは2,800 m + である。泥質岩が卓越し、ターピダイト互層・緑色岩―頁岩ユニットを挾在する。丹生ノ川累層は7 部層(Na 〜Ng 部層)からなり、厚さは4, 900m 十である。種々のタービダイトおよび再堆積性礫岩からなり、二つの上方粗粒・厚層化サイクルをなす。岩相および古流系に基づくと、竜神累層の堆積環境は、東西に伸びたトラフ状堆積盆が想定され、一方、丹生ノ川累層は南から北へ広がった海底扇状地をなしていたと推定される。

 3 ・ 竜神累層にはオリストストロームとしてとらえられる緑色岩―頁岩ユニットが数層準に挾在する。同ユニットは主に緑色岩ブロックと基質の剥離質灰緑色頁岩からなる。緑色岩は半遠洋性頁岩の赤色および緑色頁岩、インターピロー石灰岩、 赤色ジャスパーを随伴する。緑色岩の近傍の基質泥質岩中の石灰岩レンズから、サンゴ化石が 発 見 された

 4 ・カンパニアンにおいて日高川層群の堆積場は、 北側に酸性火成活動を伴う大陸弧、 南側に成熟した島弧(南方古陸)を配置した狭長な海盆であったと推定される。

カンパニアン:
白亜紀で最後から2番目の期。白亜紀後期も終盤に差し掛かる一時代にあたる。約8,360万年前(誤差70万年前後)から約7,210万年前(誤差60万年前後)までの、およそ1,290万年の間続いた。
サントニアン:
白亜紀最後から3番目の期。8,630万年から8,360万年前までの間続いた。
チューロニアン:
白亜紀最後から5番目の期。約9,390万年から8,980万年前までの間続いた。

オリストストローム:
大小いろいろな種類の岩塊を乱雑に含む地質体。

ソレアイト:
玄武岩の一種。
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調査図面は載せませんが、精細な調査結果は貴重なものです。単純な「付加体理論」で解釈を済ますべきではありません。

また、再三指摘しているよいうに、サンゴの化石が見つかるのは、古陸の上の大河が運搬してきたのではなく、日本列島自体が赤道近くにあったと解釈すべきです。

ハプグッド教授の「地殻の滑動説」が地球上の謎を解き明かしてくれそうです。

  [2501]地球化学図が「黒潮古陸」を復活させる
Date: 2017-05-27 (Sat)
「黒潮古陸」が「付加体論」によるメランジュなどに“流行”が移ってしまい、意識の底に沈んでしまった、ことを紹介する記事があります。
 しかし、化学的な方面からの探求が進んできて、「今、地球化学図が燃えている」という「黒潮古陸の復活が期待できる」楽しみな記事なので、少し長いですが紹介します。

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地球化学図からテクトニクスを読む
−黒潮古陸は再浮上するか?−
田中 剛 より抜粋

2.黒潮古陸
 1970年の前後、堆積物の起源や形成過程の研究が隆盛を極めた。例えば、Adachi(1971)による上麻生礫岩の発見とソールマークによる古流向の推定は、これらの礫岩を供給した後背地が北方大陸に露出し、そこからの供給を示唆する強力な証拠となった。紀州四万十帯団体研究グループ(1968)は、紀伊半島に露出する四万十帯を精査し、牟婁層群では堆積盆の伸張方向に沿った東西方向のタービダイトに加えて、北→南、南→北の側流が顕著に見られることから、そこに含まれるオーソコーツァイト礫を供給した大陸的性格を持った南方陸地を推定した。さらには、上麻生に見いだされた片麻岩礫が、先カンブリアの放射年代を示したことから、先カンブリア基盤を持つ大陸『黒潮古陸』への期待はいっそう高まった。しかし、黒潮古陸は、その後何処に消滅したのだろうか? プレートは先カンブリア地殻を含み密度の低い物質を引きずり込むのだろうか?といった疑問や、四万十帯の白亜系砂岩の供給源は、北側の内帯東部にありとの調査(寺岡、1977)、さらには、四万十帯の『顔』が「砂岩」から「チャートを含むメランジュ」に移ったことより、流行に追随できなかった『黒潮古陸』は、いつしか意識の底に沈んでしまった


第1図 四国および紀伊半島の87Sr/86Sr地球化学図。Jomori et al.(2013)のfig.2から転載。


3. 地球化学図
城森らは、 同一の川床堆積物試料を用いて、 その87Sr/86Sr 同位体比を測定した。その四国、紀伊半島地域の空間分布(地球化学図)を第1図に示す。
ここで注目したいのは四万十帯が花崗岩や片麻岩を含む北の領家帯よりも87Sr/86Sr 同位体比が高く、さらには四万十帯でも若い南方ほど、同位体比がより高くなっていることである。より若い南帯の87Sr/86Sr 同位体比ほど一層高い、その理由はなぜだろうか?

4. 四万十帯の87Sr/86Sr 地球化学図
 良く知られているように、87Rb は488 億年の半減期で87Sr に放射壊変する。したがって87Rb の多い岩石や鉱物ほど、87Sr の増加が早い。第2図は、年代を求めるいわゆるアイソクロンプロットに使われる座標で、同一のマグマから生じ、様々な87Rb/86Sr 比を持つ岩石や鉱物は、時間とその87Rb/86Sr に比例した、右上がりの直線上にプロットされる。堆積岩の場合も年代が経つに従い87Rb/86Sr が大きい程87Sr/86Sr 同位体比は早く上昇する。
しかし、固体粒子から構成される堆積岩は、マグマと異なり、堆積時に化学的に均質化されないので、第2図のようなアイソクロンプロット上の列は、複数の供給源からの物質の混合線である場合が多い。時代が経つに従い、古い堆積岩の混合線もその傾斜が急になるが、新しく堆積した堆積岩も、古い堆積岩とその供給源(後背地)が同じなら、後背地の物質も87Sr/86Sr 同位体比が進化しているので、古い堆積岩と同じ傾斜の混合線をもってプロットされる。
いずれにせよ、古くてRb の多い後背地からの堆積岩ほど、87Sr/86Sr 同位体比が高い傾向には変わりがない。
同位体比が低くなるのは、Jomori et al.(2013)でも紀伊半島東部で取り上げられているように、若い火成岩に起源を持つ物質が混入した場合である。

5. 地球化学図からテクトニクスが読めるか
 第1図の地球化学図では逆に、南方の若い堆積物ほど87Sr/86Sr 同位体比が高いことが示されている、この事象を説明する最も容易な仮定は、南方の太平洋中により古い供給源を仮定することであろう。より供給源に近い南帯ほど87Sr/86Sr 同位体比が高いことを説明し易い。黒潮古陸は再浮上するのだろうか?  

 四万十帯の砕屑物の研究からは、それをもたらした後背地は北方に分布した内帯酸性火山岩類、領家複合岩類、秩父累帯古生層などにあると考えられている。しかし、第1図に示した地球化学図をじっくりと見て頂きたい。四万十帯の北方には、より高い87Sr/86Sr 同位体比を示す地体は見当らない。いやいや、四万十帯に物質を供給した地体は、すでに削剥され、残っていないのだ、と言われるかもしれない。さらには日本海の形成以前、(中国)大陸からの砕屑物が直接太平洋に流入していたと考えることも可能であろう。砕屑性白雲母のK-Ar 年代325〜335 Ma から寺岡ほか(1994)は、三郡変成岩相当層を候補の一つと見た。


第2図  第1図に掲載したデータのうち、四万十帯からの試料に太平洋諸地域の表層堆積物のデータ分布域を太実線で囲み、和文で地域名を表記した図。
図中の細実線で囲んだデータは第1図中で囲った地域(紀州四万十帯)のデータ
CDとIRは、continental detrital materialsおよびigneous-rock-derived materials、を示す。


 第2図に四万十帯の資料に太平洋各地域の海底表層堆積物のデータを重ねあわせて示した。太い実線で囲い、日本語で地名を書いてある領域がAsahara et al.(1995)から引用した各海域のデータ分布域である。両者を比較して、四万十帯南帯の高い同位体比は、揚子江や黄河からの砕屑粒子が沈積している、東シナ海や黄海堆積物のそれとも異なっている。このことから、かつての四万十帯が東シナ海にあり、大規模な横ずれ断層により、現在位置にまで移動したことも考えにくい(四万十帯に供給された大陸性物質が、現在の黄海や東シナ海の堆積物とは異なっていたと考えることを否定はしない)。
 
 一方、第2図からは四万十帯の87Sr/86Sr–87Rb/86Sr分布は、現在の西太平洋ではなく、中部北太平洋の表層堆積物の分布に似ていることがわかる。中部北太平洋の表層堆積物は、大陸起源の風成塵と火山起源物質や生物遺骸の混合した軟泥とされ、同位体比もそれを物語る。しかし、四万十帯堆積物の主体は砂岩類である。
 もう一つ、四万十帯の87Sr/86Sr地球化学図の特徴は、87Rb/86Srが小さく、87Sr/86Srが低いデータに欠けることである。第2図で言えば、左下の伊豆小笠原弧周辺堆積物の分布するあたりである。Jomori et al.(2013)のfig.6によれば、三波川帯や秩父帯には、この領域に少なからずデータ点が分布する。このことは、四万十帯は、島弧型あるいは海嶺型の塩基性火山活動による物質供給が三波川帯や秩父帯ほど多くなかった地に堆積したことを物語る

6.これからの地球化学図
いま、地球化学図が燃えている。城森らは、今井ほか(2004)による川床堆積物試料の分析を昼夜兼行で進めているという。内帯古生層や三郡帯を含めた、日本列島の87Sr/86Sr地球化学図が完成する日もそう遠いことではあるまい。
 筆者は、地球化学図が資源と環境に加えて、地質テクトニクスを読む強力な助っ人になると信じる。

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 以上が田中氏の論文の抜粋です。
 どう考えても「付加体論」の内容は単純すぎて、科学的とは言えません。地質学者らが積み上げてきた研究を無視しています。

 
「地球化学図」が“流行”している付加体論を打ち破って、
日本列島の正しい誕生物語を書き上げるくれることを切望します。


 

  [2500] 国を衰退させたこの4年間は無駄だった
Date: 2017-05-27 (Sat)
関西電力の大飯原発3、4号機が正式に合格と判断されたそうです。


審査に要したこの4年間で国家としては他国の発展に後れを取ったことでしょう。島崎氏に対して、田中委員長は「専門家としてリスペクトしていた」のに、辞めてからの発言に不快感を持っているそうです。

 しかし、委員長も「見る目がなかった」のではないでしょうか。

 済んだすことをとやかく言う気はありませんが、入倉・三宅式などを使っていること自体が論理性がありません。
その意味で、反原発派の人たちが言っていることにも一理はあります。

間違いだらけの地震学が国を滅ぼす・・・間違った発言ではありません

  [2499] NHKの地学に関する科学報道を信じてはいけない
Date: 2017-05-26 (Fri)
[2463]劣等な科学実験でも紹介した京都大学の研究がNHKのサイセンスZEROで「再現!日本列島の成り立ち」という番組で放映されたそうです。

こんな動画を見せられたら、「大陸はどんどん拡大していく」「日本列島は鉋屑からできた」というプレート論者の言葉を信じてしまいそうです。

 日本の南沖合いに「黒潮古陸」が存在したなんていうロマンに満ちた話が「学術的には過去の仮説」([2490]参照)となってしまったのも頷けます。

しかしこんな話は間違っています。

 京大の研究チームが出している論文「付加体形成系性過程のモデル実験」には次のような説明図があります。最上部のカラー写真はネット上にあるものです。



解説文には2種類の衝上断層が形成され、一つは剥ぎ取られる断層(FT)で、もう一つは逆方向に向かう断層(BT:着色した部分)であるとしています。

逆方向に向かうという着色した部分を見ると、陸側上がりの地層のように見えますが、カラー写真のケースでは見えていません。BTに見えるようなケースの写真を提示しているだけではないのでしょうか。

たとえ、そのような地層的なものが実験で見られたとしても、一枚の地層の内部で年代が違うようなものは四万十層には存在しないはずです。

実験は、現実の造構プロセスを表現するものではありません。何の実験をやっているのかまったく意味不明です。

実験では左側に固定の壁があって、砂を載せた底板を左に引っ張っています(または、壁を推している)。剥ぎ取られた物質が蓄積されて陸地がどんどん形成されていくように錯覚しますが、

@底板を引っ張る力に相当するものは現実には存在しません。プレートが動くのは自重によって沈降するのであり、機械的に引っ張るのはナンセンスです。

A底板に相当するフィリピン海プレートは誕生する場所がありません。

B四万十帯はほとんどが北側上がりで、南側上がりの構造は褶曲の頂部だけのはずです。

以上から考えて、この種の研究は実験手法に間違いがあります。NHKは国民を誤導しています。


ついでに同じような「砂箱」を使って行っている「サブダクションに伴う上板プレートの変形」という外国の研究も紹介します。



固定した模型海山の乗っている板を砂地に押し込んで地形の変化を調べています。この装置で鹿島第一海山の潜り込みを検討していますが、まったくナンセンスな研究です。

  [2498] 砂漠と河川で円磨された花崗岩よりはるかに硬い正珪岩
Date: 2017-05-25 (Thu)
石川県白峰村に分布する手取層群の礫種と砂岩組成という平教授の高知大時代のノートがありました。

赤岩層に含まれる正珪岩の礫と砂岩の違いを調べたものです。抜粋して紹介します。

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白峰村では、著者らの観察したかぎりでは、赤岩層の礫は、そのほとんどが、正珪岩(オーソクォーツァィト)礫からなる。 ここで問題となるのは、礫種と砂岩の組成がまったく異なるという点である。すなわち、礫は、ほとんど長石を含まない正珪岩なのに、砂岩は、きわめて長石に富んでいるのである。これは、どのように考えたらよいのだろうか。

砂岩の組成については、石川県教育委(1978) のデータによると、 赤岩層下部層において、長石分は、下位より上位に増加する傾向にある 。上部百合谷礫岩層付近では、長石は全体の 30%以上、 長石/(石英+長石)で60%、アルカリ長石が15% 程度のアルコーズ砂岩となっている。
赤岩層上部層についても、著者らの薄片観察によれば、やはリ 30% 以上の長石を含む ものがあり、正長石パーサイトも普通にみとめられる 。日本の砂岩の中でも、これだけアルカリ長石の多い砂岩は珍しいと思われる。

供給地について考えてみよう。砂岩の粒子中には。カコウ岩の岩片と思われるものが含まれている 。さらに、礫中にも、まれに、カコウ岩質岩石が含まれているらしい(石川県 教育委、1978)。これらのことも考えて、砂岩がカコウ岩質供給源からもたらされたのは、間違いない。

したがって、供給地として、カコウ岩質岩石と正珪岩が分布する地域が考えられる。このような層序は、朝鮮半島や中国の先カンブリア系と類似する。たとえば、五台系カコウ岩類と上位の直峴統、あるいは震旦系中のカコウ岩と駒峴統の関係があげられる。さらに朝鮮系陽徳統にも正珪岩が含まれる。

 このような供給源から、なぜ、アーコーズ砂岩と正珪岩礫がもたらされるのかについては。源岩の“強さ”で説明できるかもしれない。正珪岩は、石英粒子のまわりにシリカが overgrowth していて、しっかりセメントされており、個々の粒子に分解されにくい性質をもっているようである。砂岩の粒子をみてみると、 明らかに正珪岩からもたらされたと考えられる粒子は、少なく、上の推論を支持していると思われる。

 一方、カコウ岩の礫がなぜ少ないのかについては、はっきりしないが、 @カコウ岩の方がより個々の粒子に風化されやすかった。 Aカコウ岩礫の方が、正珪岩礫より運搬に弱かった、などが考えられよう。

 手取層群の供給地の問題は、日本海形成以前の日本列島の位置復元上、たいへん重要で、 今後さらにくわしく検討する必要がある。
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 正珪岩は結晶質の花崗岩が一旦バラバラになり、さらに石英質だけが熱による変性作用を受け、粒子間にシリカが充填されて、とても硬くできているようです。
 石英の粒子そのものが丸いのは、長い年月砂漠の上で飛砂現象を経た結果でしょうし、全体的に丸いのは変成岩となった後に長い年月、長大な河川で研磨されたのでしょう。
こうしてできる正珪岩が何処で生まれたのかは本当に興味深い謎ですが、白峰村の赤岩層の供給地として「カコウ岩質岩石と正珪岩が分布する地域が考えられる。このような層序は、朝鮮半島や中国の先カンブリア系と類似する」というだけで、正珪岩礫の供給地も同じだとは断定できないでしょう。

 日本海側もそうですし、朝鮮半島や、大陸側に産出が見られない(注:参照)ようですから、やはり日本の南に広大な砂漠や大河を持った大陸があったと考えたほうが説得力があるように思います。

手取川と白峰村の地図


当時は「大陸上の大河の流れ」が手取側付近にまで伸びていたということではないでしょうか。福井の平野を恐竜が闊歩する前でしょうか、白山が隆起する前でしょうか、広大な「黒潮古陸」の影響が日本にまで達していたような気がします。

地質学者の再検討をお願いしたいものです。

注:

朝鮮半島、中国大陸でもOq礫は見つかるようですが、対比研究は進んでいないようです。手取層群産Oq礫の研究参照
通説では日本のOq礫も中国大陸産と考えられているようです。

後記:

白山の登山道で見ることができるそうです。

白山登山道の正珪岩礫 imgrumより

  [2497] 正珪岩礫の阿武隈山地由来説はこじつけに過ぎない
Date: 2017-05-25 (Thu)
 横井和夫氏が「黒潮古陸」に関して書いています。恩師が「黒潮古陸」を提案したが、反対にあって引っ込めてしまったそうで、「意外に根性がない」とも書いています。「プレート論全体主義」の雰囲気の中では「給料を貰う、つまり生活する」ためには止むを得ない選択だったのかもしれません。一部を紹介します。

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リオグランデ海膨と黒潮古陸より

【太平洋の海膨】

 今度はジャッキー海膨で火山岩が見つかったという報道。火山岩と云っても色々あって、どんな火山岩かが問題。恩師市川浩一郎先生は「黒潮古陸説」を唱えるに当たって、「火の気」を強調していた。「火の気」とは火山活動の事で、おそらく酸性火成活動のことを頭に思い描いていたでしょう。酸性火成活動なら安山岩か流紋岩。しかし海洋地殻の中ではいささか考えがたい。まあ、玄武岩でしょう。それはともかく、古い「黒潮古陸説」が次第に復活する事は、弟子として大変興味深いものがあります。
(13/09/08)

昔1970年代半ば、亡き恩師市川浩一郎先生が南方洋上大陸説(黒潮古陸)というのを提案した。根拠は紀伊半島、主に南端の四万十層群中の中新統に見つかった、オーソコーツアイト礫を含む岩礫泥岩層である。オーソコーツアイトは石英含有量が90%以上になる砂岩のことである。こういう砂岩は、後背地の母岩が花崗岩又は片麻岩で、長い距離を運搬淘汰されなければ出来ない。そういう場所は即ち“大陸”である。

  ところが当時の地質学界では、この説は受け入れられず、それどころかケチョンケチョンにけなされ、先生もとうとう引っ込めてしまった(意外に根性がないのである)。批判の急先鋒が当時岩手大学の助教授だった大上。彼は阿武隈帯の変成岩が得意だったらしく、それを武器に紀伊半島南端のオーソコーツアイト礫を岩石学的に検討した結果、これを阿武隈山地由来とし、又古流向解析から、これらの礫はNE-SW方向の海流に載ってきたのであり、現在の阿武隈山地と紀伊半島の位置関係と矛盾しない、とした。筆者は仙台転勤時にこの論文を見たのだが、その時ひっかったのが

1)中新世当時の日本列島の形が仮に今のままとしても、阿武隈山地から発生した礫が紀伊半島南部までたどり着くだろうか?

2)オーソコーツアイト礫が見つかった中新世は、独立した堆積盆を形成しており、阿武隈山地とは別個の存在である。

3)そもそも中新世で、日本列島の形が今の状態である保障はない。

 三番目の疑問は、今でこそプレート論によって当然視されるが、70年代半ばの時点では未だ異端だった。

 それはともかく、今回リオグランデ海膨で花崗岩質岩石が確認されたことは、太洋底の海膨から陸地へ大陸性岩石が供給される可能性を示したものである。つまりある時、かつてのテチス海(今の太平洋の先祖)に巨大玄武岩プリュームが出現し、海膨・海山を作った。それはプレートに載って次第に日本列島に近づいてきた。又プリューム内部では結晶分化により、表面に花崗岩質岩石が形成された。このプリュームはその後大陸化し、表層地殻の一部は河川で運搬淘汰され円礫を作った。それらは海底移動によって大陸縁辺に付着した。これがオーソコーツアイト礫を含む含礫泥岩層である。そして元あったプリュームは、大陸縁辺に形成されたサブダクション帯から、プレートの下に沈み込んでいった。こういうことが数1000万年の間に何度も繰り返された。つまり黒潮古陸は実際にあったのだ。これこそアトランテイス。今回リオグランデ海膨で発見された花崗岩質岩石の中に、オーソコーツアイトかそれの元になる岩石が含まれておれば、冒頭に挙げた南方洋上大陸説が、息を吹き返す可能性を示唆している。

 まさかと思う人も多いでしょうが、北太平洋には今回のリオグランデ海膨の数倍の規模を誇る巨大海膨があります。そしてそれは少しずつ日本に近づいています。楽しいですねえ。これが列島に付着すれば日本の領土は数倍以上に拡大します。但しその時は大変な地殻変動が起こり、とても東北太平洋沖地震どころではありません。
(13/05/17)

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 紀伊半島南端のオーソコーツアイト礫を阿武隈山地由来と断定したのにも驚きますが、古流向解析から、NE-SW方向の海流に載ってきたと断定する乱暴さにも驚きました。
 
 迷路の中では、声がでかいもの、強心臓のもの、が生き残るのかもしれません。

 なお、中川氏の「黒潮古陸は実際にあったのだ」という主張のベースにあるテチス海とかプリューム論という論理的な内容を支持するわけにはいきません。

ODP Leg 198: Shatsky Riseより

 また後半部の話は「ジャッキー(Shatsky)海台」のことを言っているのだと思いますが、これもプレート論の主張であって、「海洋底拡大説」そのものが間違いですから、「日本の領土は数倍になって、楽しいね」なんてことはあり得ません。「付加体論」を信じてはいけません。

支持できない部分が多いのですが、「黒潮古陸」の復活だけは支持します。

後記:

日本海側にも正珪岩礫が見つかるそうですが、四万十層の再食礫だそうです。

オルソコーツァイト礫より

日本海側のオルソコーツァイト礫


島根県大田市朝山町

新生代新第三紀中新世布志名層の礫岩より産出する。オルソコーツァイトはよく淘汰され、円磨された石英砂よりなる砂岩。普通大陸の大河の作用により形成される。起源は先カンブリア代にまで遡るという(?)。また、日本では礫としてしか発見されない。紀伊半島に分布する四万十帯等から産するものは、古流系を再現すると南方起源であるという。日本の南に大陸基盤が存在するのであろうか?島根県で産するものは、四万十帯等の再食礫であるという。




  [2496] 正珪岩礫が見つかるのは日本の南に大陸が存在した証拠
Date: 2017-05-24 (Wed)
黒潮古陸」のロマンが消えたのは、プレート論や付加体論に押し切られたためのようです。
手取川産の「正珪礫岩」は日本が大陸の縁にあったときに大陸奥地から流れ出たものだ、というのはプレート論の主張です。
しかし、陸地が発泡スチロールのように漂流することはありません。ウェゲナーが見出した(南米とアフリカの分裂)のは特殊な例にすぎません。

 また、日本列島もそうであった、と受け入れたとしても、熊野産の礫のほうが手取川のものより大きいのは説明できません。

 大きな礫のほうが大陸の近くに存在するのは当然です。さらに、見つかるのは、日本の南側からであり、北側の日本海には産しないのも矛盾しています。

 南に大陸がなかったと考えている付加体論では、当然南から運ばれてくるはずがありません。

 グーグルマップをみると、紀州の沖合いには深い谷があります。


大陸上で形成される「正珪岩の礫」が日本の南側で見つかる(赤い●印)のは、南に大陸があった証拠と考えるべきではないのか


日本列島がまだ完成する前の「黒潮古陸」の川筋のように見えます。海底に没してしまったために、川筋の南の先は見えませんが、こうした流れが太古の時代に日本中に「正珪岩礫」を運んだのではないでしょうか。
紀伊水道の南にも、3本の大きな谷があります。日本がもっと浮上していた時代の侵食崖なのかもしれません。

太古の時代から地殻が沈降したり、隆起したりは頻繁に起きているはずです。紀州海岸にも「不整合」があるということですから、海底にあったときと陸上にあったときの二つの時代があったはずで。

牟婁層群と熊野層群の不整合(下の黒く見える部分が牟婁層群)より


また、赤道近辺にあったことも、極地付近にあったこともあります。それは、赤道付近に育つアンモナイトのような水生生物の化石があること、鹿島海山のような極域で形成される平らな頂の海山があることなどが教えてくれています。

プレート論に固執していると、大陸地殻と海洋地殻が入れ替わってしまうこともあることが理解できません。
深海底にかつての川筋があることは[2435]のマリアナ海域の例でも紹介しました。

大陸移動説、海洋底拡大説、プレートテクトニクス、付加体論などの単純すぎる地殻造構論を信じてしまうと、地球が辿ってきた本当の過程が見えなくなってしまいます。

「蟻の目」のような見方も大切ですが「鷹の目」のように、大局を見る目も大切だと思います。

地質学者には頑張って欲しいと願います。

参考:不整合とは

ある層と次に堆積した層の間に時間的なへだたりがあり、その間に隆起して浸食され、再び沈降して地層が重なるような場合の地層相互の関係を不整合という。不整合で重なる上位の地層の基底面を不整合面という。上下の地層の間に浸食面がなくても、両者の間に長い堆積の休止が明瞭に認められるような場合も広義の不整合である。また下位の地層が火成岩、変成岩で、上位の層が堆積岩の場合にも不整合という言葉が使われる。

  [2495]紀州四万十帯団体研究グループにはムー大陸の実証を目指して欲しい
Date: 2017-05-24 (Wed)
ゆらぐ南紀の玉手箱という記事に「付加体理論」を構築した平朝彦教授の高知大時代の恩師甲藤次郎先生の「黒潮古陸」に関するコメントが載っていました。「黒潮古陸」の考え方に否定的な姿勢が見えますが、ここに平教授を「付加体論」に導いた原点があったように感じました。
最後の「黒潮古陸」の部分を紹介します。

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最後に 話題の黒潮古陸について一言ふれておきたい。 紀州四万十帯団体研究グループの画く黒潮古陸(1970)はきわめて具体的な様相をおびてきた(立石 1973• 徳岡 1975)。 しかも同団体研究グループによる黒潮古陸論は仮説であるとしながらも 一方ではわれわれに強引にその同意を迫っているように思われる。

即ちかつて四万十地向斜の南側に存在した黒潮古陸の幅は少なくとも現在の日本列島の規模であり 従って黒潮古陸は現在の西南日本海溝(南海トラフ)を越えてさらに南まで拡がっていたと推定している。

この黒潮古陸に露出していた岩石は、普通の堆積岩や西南日本内帯でみられるような流紋岩や花こう岩などのほかに、特に特徴的な岩石としては先カンブリア紀末の全世界的に進行した準平原化作用と、 燥気候下の大陸的環境のもとで形成されたオーソコーツアイトを推定しているのであるから、この黒潮古陸には多種多様の岩石が分布していたことになる。

黒潮古陸推定の大きな根拠は 言うまでもなく、 南紀の地層群から発見されるオーソコーツァイトの礫と、 南方からの供給の流れの方向を示すソール マークによっている。これらについて、ここで詳しく紹介する余白はないが、このような黒潮古陸に対する表だった否定論はまだあらわれていない。 ただ山下昇 (1973) が遠慮がちに疑問を投じているのは、 要するにオーソコーツァイト礫の起源を一方的に黒潮古陸に求めるには無理があるので、飛弾〜手取層地域に求めるのが尋常ではあるまいかということらしい。

筆者は 従来の日本の古地理に関係する諸問題ときりはなすことのできない まだ証拠不充分なこのような論争にまきこまれたくはないが、これに関係する筆者なりのこれまでの考え方を述べさせて頂く。 ただしそれが黒潮古陸の否定につながるのはいうまでもない。

 筆者自身は 南方にある種の島列の存在を信じ、いわゆる地向斜の概念から 四万十地向斜の南側に 点々と連続するような島列(大部分が暗礁であるかもしれない) を考え 古南海道島列と名づけた(甲藤ら 1967)。
 恐らくその主軸はいわゆる潮岬一大隅線(野沢 1975)に平行するものであって、それほど遠い沖合ではあるまいと推定している。 それにしても潮岬火成複合岩体はイミありげな存在である。

 さて牟婁層群相当層は 四国では室戸半島層群(足摺方面では清水層群)と呼ばれるが 結晶片岩礫やオーソコーツァイト礫も含まれている。 後者の礫は 黒潮古陸が話題になってから気づいたことであるが、四国四万十帯南半部をしめる。 上述の古第三系に含まれる片岩礫の供給源については、 北方の三波川系からと考えた(甲藤 1961)。 その後ソールマークとからんで二転三転したことはあるが、結局同供給源についてはもとの考えにおちついている(甲藤 1969)。 古流系は 多様な海底地形にもよるので決定的な要素ではなさそうである

 ところで同団研グループによると、黒潮古陸の消滅を中新世の田辺層群や熊野層群前であるとしているが、かれらのいう規模の黒潮古陸の“沈没”を、単に沈下でわりきるつもりなのであろうか。 或いはさらに横への移動を考えるとしても、いずれの場合でもそれは大変なことなのである。

 このような根本的問題をも秘めた黒潮古陸の出現に対し、強い批判やこれをめぐる是非論が殆んど起らないようでは、日本地質学界沈没につながりかねないと私には思われるのだが・・・。

 さて筆者は、前述の四国四万十帯全般にふくまれる結晶片岩礫の調査(高知県 3 地点 愛媛県1 地点および九州 2 地点)から 少なくとも新白亜紀の頃には 三波川系はまだ地上に露出しておらず 白亜紀後一始新世前に露出するようになったと述べている(甲藤 1961)。
 このことは 問題のオーソコーツァイト礫の供給ルートを考察する上で きわめて重要な問題につながるようである。 というのは それまでの多くの学者の支持する見解としては新白亜紀の頃には 大観すれば既に現在の基盤配置をなし 三波川系の山地が露出していたという考え方であった。

 さて、 オーソコーツァイトの礫は 四万十帯以北から発見される可能性も大きいので 、やはり主要な供給源としては飛弾―手取層地域に求めて古地理を追究するのが 最も妥当な考え方ではあるまいか。 本地域への供給ルートとしては 現在の紀伊半島の西側よりも東側の方が有力なのであろう。
 可能性としては いわゆる黒瀬川構造帯も考えられるかもしれないが 、供給源としては前者がより具体性があるように思われる。
 従って もし牟婁帯のオーソコーツァイト礫が再食礫でないとするなら、筆者らが識別した中新統の田子層基底(富山礫岩)からは 既に紀州四万十帯団体研究ブループ(1969) によって多くのオーソコーツァイト礫の存在が報告されている反面、 既知の紀伊半島の中新統(田辺層群やいわゆる熊野層群)からはオーソコーツアイト礫がきわめてまれであるという調査結果(徳岡 1967) と矛盾するのではあるまいか。あるいは調査精度に問題があるのであろうか。
 しからば筆者のいう古南海道島列の具体的な姿をどう説明するのかという疑問に対しては 例えばスマトラ・ジャバの印度洋側の小島列やアリューシャンの南側の小島列に似た古地理を画いているのである。さらに本研究の今後の発展をはかるとともに 、まだ公表できる段階にはないが 足摺半島の清水層群(始新統)から多量に発見される比較的保存のよい化石植物群や同地方の堆積岩を主なよりどころとして、古南海道島列を複元してみる以外に方法はなさそうだと思っている。

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 「黒潮古陸」を推進した徳岡先生も、反対した甲藤先生も、どちらも、「海底が沈没すると、地殻が薄くなって、大陸があったとは思えなくなってしまう」ことに気付いておられないことが、地団研とプレート論者の間の「断絶」を生んでしまっていたように感じます。

地団研グループの情熱は「押し付け」に感じられたようですが、海底を調査しても「大陸の影」は見つからないということが「信念」にも影響し、最終的にはアメリカ生まれのプレートテクトニクスに地震学者を先頭にして海洋学者も地質学者も洗脳されてしまったわけです。

熊野や四国は「付加体研究のメッカ」的な扱いになっているそうですが、本当は「大陸沈没研究のメッカ」になるべき土地だと思います。

縮小したとはいえ、紀州四万十帯団体研究グループは再生したそうですので、これから、「付加体論」を追い抜いて頑張って欲しいと願っています。
目指すところは日本列島形成の原点にも関係するであろう「ムー大陸」の実証であるべきだと思います。

  [2494] 「黒潮古陸」説を復活させよう!
Date: 2017-05-23 (Tue)
徳岡先生の記事で初めて「黒潮古陸」の話を知りましたが(私は土木工学の流体部門出身なので、正式に地学を学んだことがないのです)、付加体論が出てくるまでは結構有力な仮説であったようで、否定されてしまっていることがまことに残念です。

ぜひ復活させたいと思います。

前にも参考にさせていただいた「井戸掘りの進め」にも「黒潮古陸」の話が載っていますが、

「紀伊半島の地層が南の方から来た堆積物からできているということで、「黒潮古陸」があり、そこから堆積物が運ばれてきたとか言っていました。紀伊半島の南といえば直接太平洋です。 しかも太平洋の一番深いところに近いのに、その間に陸地があったというのは変な話です。今ならプレートに載ってやってきた「付加体」だというところなのですが、当時はそんな怪しげな言い訳が語られていたのです。」

と、付加体論に押し切られています。
Wikiにある「学術的に過去の仮説論」が常識になっているようで残念です。株式会社NTO 井戸掘りのすすめから情報の重複を避けて一部を紹介します。
黒潮古陸についてより。

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 和歌山県では、30年以上前の郷土の地質の教科書というか副読本に、「黒潮古陸」なるものが大まじめに載っていたそうです。
「ムー」と呼ばれる雑誌によると、「黒潮古陸」=「ムー大陸」だとかと、言われていたそうです。
「ムー大陸」については、当ブログの「ムー大陸の謎」で詳しく説明しています。
http://ntooffice.blog21.fc2.com/blog-entry-933.html

(1)横島の露頭の状況

さて、この「黒潮古陸」ですが、 和歌山県南部に、釣り客だけが渡る無人島の横島にヒントがありました。
そして、1968年に、この島の露頭を研究した地質学者さんたちによって「黒潮古陸」説が唱えられました。
この「黒潮古陸」説は、今から5000万年位前の古第三紀という時代に,紀伊半島の南の太平洋に大きな大陸が存在したという仮説です。
横島の露頭の状況では、
@礫岩の礫にオルソクォーツァイト(正珪岩orthoquartzite)という砂漠の砂でできた特殊な岩石が含まれること
Aそして、その岩石でできた山は紀伊半島以北では見つからないこと
B地層の中の古流系(地層から読み取れる昔の水流の方向)は南の方向からの堆積物の供給を示し、どうしても古第三紀には紀伊半島の南に砂漠を持つような大陸があったと考えないとその島の地層を説明できないことがあります。

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「黒潮古陸」を発展させてぜひとも「科学的ムー大陸実証論」を構築したいと考えています。



  [2493] 地質屋さんには「プレート論」を打破して新展開して欲しい
Date: 2017-05-23 (Tue)
 オルソクォーツアイト(正珪岩)がどうやって形成されたものなのか知りたくて調べています。
 
 石英からなる砂岩が熱作用で変成岩となったもの、とありますし、花崗岩・片麻岩類の基盤の上に発達したものともありますから、花崗岩という完全な結晶質になる前の半結晶質的な岩石、だから硬度に欠け、熱による変性で石英以外は熔け去ったのかな・・・などと思ってますが、簡単には“素性”を明かしてくれないのでしょう。

 日本にはそうした岩帯はなく、太古代クラトン(大陸)の上に見られる岩帯だそうです。

 沢田 輝氏のオルソクォーツアイト採集記より紹介します。

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クォーツアイトの露頭・・・とありますが、オルソクォーツアイトのことなのでしょうか(不明)


Snowy Range Supergroupスノーウィーレンジ累層群のオルソクォーツアイトを採集してきました。
30億〜25億年前くらいの太古代の花崗岩・片麻岩類の基盤の上に発達した原生代の受動的大陸縁辺の堆積層です。 オルソクォーツアイトは原生代(約25〜5.4億年前)などの古い時代の受動的大陸縁辺に特徴的な ほとんど石英からなる砂岩(一部礫岩)が長い時間のなかでじっくりと熱作用を受けてできた堆積岩で、もはや変成岩のようになったものです。

28〜25億年前の同じ時代の、同様な堆積層は北米のカナダまでにかけての地域のみならず、世界中の太古代クラトンの上に見られます。
オルソクォーツアイトなどとは言わずに、普通にクォーツアイトというと、大抵の場合このような岩石のことを指します。 あるいはもう、砂岩としてそのまま扱ってしまうことも普通です。岩石名というのは時と場合によって使い分けられるものなのです。
オルソクォーツアイトは日本語で正珪岩とも言われますが(今現在では殆ど言われません)、 日本国内のようなプレート沈み込み帯である活動的大陸縁辺でできた堆積帯ではこのような岩石は見られません。 (ただし、ごく一部、北中国クラトンからの礫を含む古い礫岩中に見られることがあります。)
クォーツアイト(珪岩)というのが日本国内ではしばしば見られますが、これらはチャートが花崗岩などの火成岩貫入による 接触変成作用によってできた岩石で、本質的に全く別の岩石です。

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オルソクォーツアイトは大陸の上にしか存在せず、日本国内で見られるクォーツアイト(珪岩)とは本質的に違う岩石だそうです。
ということは、その礫が存在することを、付加体理論はどうやって説明するのでしょうか。南方にクラトンと呼べるほどの大きな大陸があったことは十分に説得力のある話です。

日本の地質屋さんたちには「プレート論」にかぶれないで、頑張って欲しい、とお願いします。

追記1:

記事にもごく一部北中国クラトン生成のものもある、とありますが、Wikiには次のように、「南の大陸」は考慮の必要なし、とあります。

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海洋底調査の結果、黒潮古陸が想定された南海トラフ付近に大陸地殻の存在を裏付ける証拠は得られなかった。加えてプレートテクトニクスによる日本列島形成論では、西南日本は過去にアジア大陸に接合しその後日本海の拡大によって場所が移動したと考察されるため、オルソクォーツァイトの供給元はアジア大陸で説明が可能になった。南方からもたらされたとされる点は、四万十帯は南方から大陸縁部に付加した海底堆積物であるため、これも無理なく説明でき、南方の大陸を想定する必要はなくなった。

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Wikiの解説は、乱暴な決め付け方のように思えます。プレート論で全てを解決できるという「プレート論全体主義」の空気を感じます。目に見える大陸だけは信じられるが、目に見えない大陸など信じられない、という事なのでしょうか。

追記2:

大地を眺めるでは、オルソクォーツァイトの礫の大きさを取り上げています。礫のサイズが大きいことから考えて近くに大陸があった筈だけど、今は海洋地殻だから・・・・解けない謎としています。
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 オルソクォーツァイトの地層は日本列島からは見つかりません。ところが、オルソクォーツァイトの礫を含む地層が、稀ではなく、日本列島のあちこちから報告されています。これは、日本列島はかつてユーラシア大陸の端にくっついていたからです。つまり、昔は日本海がなく、あるときに形成されたのです。そのため、大陸の川が、オルソクォーツァイトの地層を侵食し、礫として運ばれ、大陸斜面に運ばれて地層となりました。これが、日本各地のオルソクォーツァイト礫の由来となります。
  ただし、牟婁層群のオルソクォーツァイトには、少々不思議なことがあります
  ひとつは、礫サイズです。オルソクォーツァイトの礫の径が、2から5cmもあります。大きな礫は相対的には近いところから運ばれたことになります。ですから、比較的近くにオルソクォーツァイトの地層があったはずです。つまり、大陸が近くにあったのです
  もうひとつは、地層が来た方向です。地層に、堆積するときに生じた流れを記録していることがあります。そのような流れを古流向と呼びます。


徳岡先生の記事にある“古流向”


オルソクォーツァイトの礫を含む地層の古流向を復元すると、なんと現在の太平洋ある海側という結果が出てきました。本来なら陸側であるべきです。これは今は亡き大陸(黒潮古陸と名づけられています)があったという推測ができます。ところが、そんな大陸は海底を調べても見つかりません。
 この謎は、まだ解明されていません。


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 礫の粒径を考慮するとやはり、南方の近い場所にクラトンと呼べるような大陸地殻があったと考えるほうが合理的です。[2490]のタイトルにつけたよう「初期のムー大陸の一部」なのではないでしょうか。
プレート論、付加体論の強引な「日本列島形成論」にはかなりの飛躍があります。

 もう一度クラストテクトニクス(海没すれば、当然地殻は薄くなる)を考慮した上で、「日本列島の形成」、「黒潮古陸」の存在を検討して頂きたいと思います。アトランティスも今は3千メートもの深海にまで沈下し、地殻は薄くなっていますが、同じくムーも沈下して地殻は薄くなっている(海洋化)のです。

[1996][2474]で紹介したように、西ノ島から大陸性の熔岩が噴出している原因は、この一体にかつて広大なクラトンが存在したことの証明です。そうでなければ玄武岩熔岩しか噴出しないはずです。

追記3:

沢田輝氏のサイト「オルソクォーツァイト」より

 オルソクォーツァイトを構成している石英粒子はほぼ完全な球形に近い。石英が90%以上を占め、その他はわずかな長石や粘土鉱物、さらに重鉱物としてジルコン、ルチル、磁鉄鉱、電気石、燐灰石などを伴うだけである。 広大な面積の大陸で長時間かけて石英以外の鉱物が淘汰され、さらに石英粒子もよく円磨されているために形成される。 砂漠・砂丘堆積物として特徴的であるほか、大河川の河口領域でも形成される。 日本列島のようなプレート沈み込み帯では、各々の河川の長さが比較的短く流域面積が小さいため、オルソクォーツァイトは形成されない。

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