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1811
Date: 2013-04-01 (Mon)
人生で一番大切なものは何か
 プレート論が完全に破綻していることを示す証拠があることはすでに[1386]で述べました。大西洋にも太平洋にも、そしてインド洋にも海底には大陸性の岩石が見つかっているのです。また、海嶺から新しいプレートが誕生していることになっていますが、海嶺付近に古期岩石があったり、海嶺から離れた場所に新しい岩石があったり、プレート論の矛盾は膨大な資料が証明しているようです。

 次の図は大陸性の地殻が見つかっている場所を示したものですが、どの海洋にもかつて大陸として存在していた場所があることを示しています。


 かつて、太平洋にはムー大陸があり、大西洋にはアトランティスがあり、インド洋にはレムリア大陸があったという「太陽の法」に説かれている記述を裏付けるような客観的証拠なのですが、プレート論者は見向きもしません。不思議なことですが頑なに自論のなかに閉じこもっています。

 プレート論に代る新しい地球観を見出そうとしているNCGTのChoi氏は [1385]で紹介したように、プレート論を捨てられないのは研究者が「研究資金を失う、職を失う、地位を失う」恐れがあって、現在の生活を守るために沈黙を守っているのだ、という意味のことを次のように語っています。

 『私たちのニュースレターをeメールで送っていることもしばしばです。しかし、彼らの多くは、反応しようとしません。彼らは、私たちとの科学的討論につきあうことよりも、むしろ沈黙を守っていたいのです。おそらく、もし彼らが本気で非プレートモデルを採用するとなれば、彼らの研究の蓄積(研究資金)が枯渇してしまうであろうことを恐れるか、あるいは彼らの仕事や彼らの将来が心配になってしまうため、彼らは(プレート説に)代わるべき案を考えたり、知りたがろうとは決してしません。

 これは世界的な現象で日本も同じことです。社会的な権威の頂点に立つ東大地震研究所教授の知見が役に立たなくなっているどころか、社会の発展を妨害している現実があるのにもかかわらず、学者の中からも、マスコミの中からも改革の声があがってきません。保身の術と云う硬い殻を脱ごうとする人がどこにもいません。

 思うに、これは『人生で一番大切なものは「この世の命」である』という戦後社会に誕生した思想なのかもしれません。自分の信念のために職を失い、地位を失い、飯の種を失うような行為は「この世の命」を捨てる自殺行為である、よって、保身の術ほど大切なものはない、だって一番大切なものを守ることになるんだから、ということでしょう。

 しかし、現実には「あの世の命」というものがあることを知らなければならないでしょう。それは、この世の命が終わった後からの評価・名声といってもいいのかもしれません。歴史の評価・審判というものです。彼らはそんなもののために「この世の命」を捨てられるか、と思っているのでしょう。石田理論への罵声が少なくなっては来ていますが、たくさんの罵詈雑言を聞いてきました。その発信者にも「あの世の命」があることを知っておいていただきたいと思います。そんなものは「旅先での恥」と同じで「掻き捨て」だよ・・・で済めばいいのですが、「自責の念」というものがこの世だけでのものならいいのですが、あの世がなければいいのですが、何年後かにやがてわかることでしょう。

1812
Date: 2013-04-01 (Mon)
海洋地殻の形成を考える
 [1598]でも紹介しましたが、ロシアの研究者たちが東太平洋で詳細な海底調査を行っています。その調査結果からは海底の地殻が、一枚のプレートとして移動しているような証拠は何もありません。大陸の地殻と何ら変わりのない様相を示していることがわかります。
プレート論に拘っておられる方の認識を変ていただくために、もう少し詳しく海洋底地殻の実態を紹介します。タイトルは「太平洋、Clarion-Clipperton断裂地域の海洋底基盤からの岩石」というもので、ClarionとClippertonという二つの断裂帯の間にある中央海丘付近で、海底をトローリング、または、ドレッジして採取した採取岩について検討を加えています。
 要点を抜粋して紹介します。
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 最近まで、 世界の海洋底の基盤岩は構造的にも物質的にも均質であるという概念が優先されてきた。 地球の海洋地殻上部すなわち海洋地殻第2 層を構成しているいろいろな年代の玄武岩質基盤は、 岩石学的に均質であり、 中央海嶺玄武岩からなると信じられてきた。(海洋底拡大説による認識)
 ここでは、 海洋底表面での採取岩の起源に関する3 つの仮定のもとに議論する。
 第1の仮定は、採取岩がその地域起源であるとするものである: 角張った破片物質、 とくに新鮮なかけらは、 海底における基盤岩の沖積物質である。
 地下深くにある基盤岩が断層帯に沿って隆起し、地塁や正断層崖に露出した。 円礫物質は礫岩由来の沖積物質である。 礫岩沖積物質は、 基盤岩の岩石露頭と同様、 海洋底に露出するものである。 この露出は、隆起した地塁では断層帯内、音響基盤の突出、および正断層崖にみられる。

 第2の仮定(第2と第3はプレート論者の認識)は、トローリングで採集されたすべての採取岩は氷山によって太平洋の赤道地帯まで運ばれてきたもので、相互に無関係な物質である、 とするものである。Mendocino 断層北側の北東太平洋の海山上での柱状コアにおいて、 岩石と典型的な氷山堆積物が識別され、研究された。第四紀のある時期に、カルフォルニア海流とともに移動してきた氷山が熱帯地方まで到達達したと仮定されている。現在、 北半球における氷山による岩石物質の分布限界は、 氷山の分布を最も南に想定しても、 それは北緯30° までと信じられている。更新世の最大気温低下期には古気候帯の境界が実際に赤道方向へ移動し、 海洋表面温度が全般に3°C 低下したとしても赤道地帯における海洋堆積物の生成に氷山の影響を想定することは不可能であろう。 もし、 Clarion-Clipperton海域から採集された採取岩の少なくとも一部が氷山による超遠距離運搬の付随的な氷山起源物質であることが今後の研究で証明されることがあれば、 そのときには、熱帯における鮮新世〜更新世の氷山分布の古地理学境界は著しく南寄りに訂正されなければならない。
 第3の仮定は、流木の根や海棲動物による岩石物質の運搬である。 しかしながら、 この仮定には根拠がない。
 結 論
1.組成から見て、 クラリオン- クリッパートン断裂海域の中央部でドレッジされた採取岩中の角礫状岩石片は、 おそらく時代の異なるコンプレックス(複合岩)先カンブリア紀(?) 花崗岩- 変成岩コンプレックス白亜紀地向斜火山岩- 珪質岩- 堆積岩コンプレックス先始新世海洋玄武岩コンプレックス、 および玄武岩- 安山岩- 流紋岩コンプレックス)に対応する岩石学的関連グループにまとめられる。

2.全般的に、採取岩中の礫のほうがやや広い組成範囲をもつものの、採取岩中の礫の組成は角礫状岩石片のものに類似する。

3.従来の概念では世界海洋の基盤岩はかなり単純な地質構造と考えられているが、採取岩組成の研究は、 第3海洋層( 玄武岩の下位層) が異質な成因をもつ構造で構成されていることを示す。 第2海洋層の玄武岩の年代よりも古期の岩石コンプレックスによって形成された海洋地殻の複雑な地質構造発達史は、太平洋のこの海域の複雑な地史を反映していて、 全体的に北米西部の地史に類似する。
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 以上ポイントだけを抜粋しましたが、太平洋中央海丘付近の海底には、基盤岩が露出していたり、断層崖があったり、沖積物質の丸みを持つ礫があったり、大陸上の岩石構成と変わらない様子が見て取れます。
つまり、[1778]と[1781]で示したように、大陸は巨大海洋火山の噴火、地震の連発によって海底が浮上して誕生します。したがって大陸の地殻には[1778]、[1781]で解説したように大陸独特の花崗岩が生成されます。一方地震の爆発方向が水平の場合には大陸が沈降し、海没することもあります(ムーやアトランティス、レムリアなど)。


 海洋化の過程では、様々な岩石で構成される可能性があります。大陸上で浸食作用が激しかった場所では、花崗岩が基盤岩になるところもあるでしょう([1811]で示したように)。河川型浸食でできた礫岩もあるでしょう。陸上由来の火成岩もあるでしょう、何度もの隆起・沈降過程でできる変成岩・複合岩もあるでしょう。このように、様々の複雑なプロセスを経て地殻というものは出来上がっていると考えられます。沈降した花崗岩も海洋底と云う熱放出の少ない高熱下では溶融し、再度固化するときには玄武岩になると思われます。
大陸は花崗岩の存在が特徴的であること、海洋にはそれが少ないことは確かですが、それを除けば、海洋地殻と大陸地殻の違いは厚さが薄いこと、固化する前の堆積物があること、などを除いてほとんど差がないという認識が石田理論の見解であります。海洋底の地殻が薄いのは熱の放出が少ないことが原因です。大陸の上、しかも高山になるほど、空冷式の冷却が働いて冷却が進むのです。[1781]とこの解説とで、大陸地殻と海洋地殻に関する現時点での石田理論の見解を述べてみました。

1813
Date: 2013-04-02 (Tue)
ギョー(guyot)の形成について(3)
 地学雜誌(第 673〜674 号)にguyotのことを「溺れ島」と云う表現で紹介する記事がありましたので、紹介します。guyotの名付け親であるプリンストン大学のハリー・ハモンド・ヘスの論文を紹介する記事です。ヘスは自分が発見し、名付け親となったguyotが深海にある理由を説明するために、プレート論の言いだしっぺになったのでしょうか。そうだとすれば、人類に随分回り道を強いてしまったように私には思われます。

Harry Hammond Hess(1906-1969)

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太平洋の中の溺れ島
 太平洋の測深に関するデータが蓄積されるに從つて、太平洋の中には海面下数百乃至1.000尋の所に頂上を持つ溺れ島が沢山あることがわかつて来た。それに関しPrinceton大学のH. H. Hessは最近までのデータを綜合し、かつそれに基いて太平洋の地史に関する新しい解釈を述べているから、その大意を紹介する(Drewned Ancient Islands of the Pacific Basin, Smithsonian Institution1948)
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 これらの溺れ島は特徴のある形態を示し、全体として火山を想像させる楕円錐状を呈するが、頂上は平坦な面で切られている。頂上平坦面の大いさは小さなもので径2哩位、大きなものでは径35哩に達する。平坦面の周囲は外側に向つて2° 位傾斜した狭い緑を経て急に20° 以上の急傾斜になつている。また平坦面の上には全く堆積物を見ない。
 この特異な溺れ島に対してHessは"Guyots"、と命名している。(19世紀の地理学者Arnold Guyot.にちなむ。)
 今までにわかつたguyotの分布は、北緯20°前後で東経145° から西経165° の間と、北緯10°〜15°、東経160°〜170°の区域に特に多い。またすべて安山岩線の外側にある。
 Marshall群島のatolls(環礁)はこのguyotの上に造碓珊瑚が生長してできたものである。原子爆彈の試験の行われたBikini Atollでは地震探査とボーリングで詳しい調査が行われたがguyotの上の珊瑚礁の発達が非対称的であるため土台のguyotはその影響で傾動していることがわかつた。

 guyotの分布している区域は太平洋の中でも地質時代を通じて安定な剛塊であつたことは、地質的に認められている所である。またその区域内中にはハワイのような火山活動が見られるが、現世に限らず、古い地質時代にも同じような火山活動があったに違いない。それらの火山活動が休止してからはどうなったであろうか。恐らく侵蝕作用によつて海面近くまで平坦化され、やがて海蝕台として水面下に没したであろう。
 さて海底に軟泥が堆積して行くと、guyotにとつてはそれだけ海面が上昇して行くことになり、カンブリヤ紀の始から今までには種々の点から500尋位海底が上つたと解釈される。guyotの頂上は一番浅いもので500尋附近にあるから、guyotは一般に先カンブリヤ時代に太平洋にあつた火山島の名残りと考えられる。カンブリヤ紀以後には石灰質を沈澱する生物が現われ、殊にオルドス紀以後は造礁珊瑚の発育によって、guyotの平坦面の上には海面の上昇に應じた石灰岩の堆積が現世まで続いたと考えられる。從つてカンブリヤ紀以後のguyotはすべてAtollの下にその土台となって居り、石灰岩の重量のため元よりも幾分沈降していると考えられる。(片山信夫)
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 以上が「溺れ島」と命名されたguyotに関するヘスの論文を紹介する記事です。Guyotの分布は[1807]でも図示してありますが、太平洋に多く、大西洋やインド洋には見られないようです。この地域がかつて極地域であった可能性はあるのでしょうか。
[1217]には、各地殻上のブロックから採取された岩石の残留磁気の情報を使って推定した極の移動曲線を紹介しました。


 極の移動は、斉一的ではなく激変的ですからUFO型またはバッタの移動型のようになるはずです。したがって曲線で結ぶこと自体が意味を成しませんが、この曲線上のどこかに極があったことを意味しています。また、採取ブロックごとに移動曲線が違っていますが、これは当然のことだと思います。

 なぜなら、岩石の残留磁気からその当時の極を推定するには、残留磁気の方位角と伏角を調べて決めるからです。各ブロックごとに違った形式で岩石の母体地盤そのものが、水平方向にも垂直方向にも「ねじれた運動」をする可能性があるわけですから、正確な極点を求めるのは不可能のはずです。 
 ですから、かつて大西洋が閉じていたが、大陸移動によって大西洋が開いたと結論付けたニューカッスル学派の研究成果は評価できないと私は思っているのです。(参照:[1215][1312]など)
 さて、そうは言うものの、この移動曲線を見ると、guyotが見つかっている太平洋の北側に昔の極が存在した可能性があり、インド洋、大西洋には存在した可能性がないことが見えてくるのではないでしょうか。太平洋の北部域に極(北極)があった時代に広大な氷床・氷河が発達し、その下で噴火した火山によって今のguyotができたと考えられます。([1807]のギョー分布図を参照)
 とすれば、一方の極(南極)は地球の反対側にあるはずです。その位置は地球儀を見ると、現在の南大西洋に相当します。アフリカ大陸と南アメリカ大陸とは、繋がっていた可能性が高いですから、[1807]のPS部分で述べた推定、すなわちアフリカ南部や、南アメリカのギアナ高地などは、当時の南極氷床下で誕生した可能性が見えてきます。赤道直下のナミビアの砂漠で氷河の痕跡が見つかったことから、地球全体が凍結していたという御伽噺のような理論(全地球凍結論)がありますが、こうしたトンデモ理論を創作しなくても済む事を、アインシュタインは察知してハプグッド教授の[地殻滑動論]を支持したのだと思います。
 因みに、次の写真はケープタウンのテーブルマウンテンとギアナ高地のテプイの遠景ですが、見事な卓状をしています。





 下の二枚は太平洋にあるguyotの音響調査による形状ですが、太平洋が浮上することがあれば、上の写真と同じような偉容を見せてくれるでしょう。海底にあるのか、陸上にあるのかという違いがあっても同じプロセスで出来上がった山のような気がします。



マリアナ海溝に存在するいくつかのギョー(guyot)の形状
http://ccom.unh.edu/theme/law-sea/mariana-trench-pacific-ocean/mariana-obliques


PS
 ヘスがプレート論を信じていたのかどうか、学会の潮流を見ていただけなのかは、不明です。星野先生の解説ではヘス自身が「空想的なお伽話」と見ていたようにも思われます。以下のような記述があります。
 「ヘスは、第二次大戦のとき、米国海軍に招集されて輸送艦に乗っていた。その時、艦の音響測深器の記録から、西太平洋のギュヨーを発見した。ギュヨーとは、海底に分布する、富士山を中腹で胴切ったような、平頂の火山である。ヘスは、特異な形のこれらの山に、自分の教室の創設者の名をとって、ギュヨーと命名した。かれは、太古の時代に火山島が波に削られて平らにされ、その後海底に沈んだものがギュヨーである、と発表した。このように着想に富むヘスは、ヒーゼンの話をきいて考えた。大洋底を二分する海底山脈は、地球の中から溶岩が湧き上がったもので、溶岩は頂上で二つに割れ、それぞれ反対方向に移動して、新しい海底をつくっていく、と。

 ヘスがこのように考えたのは、もう一人のHのつく地質学者、A・ホームズの研究が土台になっている。ホームズは、放射性元素による熱で、地球内部の物質は溶かされ、対流を行っている、と発表していた。ヘスは、ホームズの考えをとりいれて、湧き出した溶岩の板(プレート)は、内部の対流にのって運ばれていく、と考えた。     しかし、ヘスは、これを空想的なお伽話といっていた。この年(1962)、ヘスは米国地質学会会長に選出された。かれはこの着想が、当時の学会の風潮にそぐわないことを知っていた。しかし、ヘスの考えは、英国ケンブリッジ大学の地磁気研究者の成果と組み合わされて、地球物理学者の間に急速にひろがっていった。1967年の米国地球物理学連合会の総会のとき、プレート論は、従来の地球科学の学説に全面的にとって代わっていた。

1814
Date: 2013-04-03 (Wed)
海底の岩塩層が教える地球史
 Guyotの形成を検討する過程で考え方を修正しなければいけないような様々な新しい知見 ( [1781]のギアナ高地テプイの形成原因が火山活動である可能性など。ただし、ウィキペディアでは先カンブリア時代に堆積した砂岩や珪岩となっている件) が得られました。地球の表面はプレートテクトニクスが教えるような単純なものではないことは明瞭に分かります。GoogleMapを見ても世界中の海底に河川が流れていた痕跡などが見られます。どうして海洋底は何万年経っても海洋のまま、大陸は大陸のまま、という認識([1549])に矛盾があることをプレート論者が感じないのか不思議です。[1811]で述べた「飯の種を無くすのが怖い」ということが原因なのでしょうか。
 

 ところでもう一つ以前から不思議に思っていることが、海底の地層に岩塩があることです。地中海の底には海水の10倍の濃度にもなる塩湖があることは[1250]で紹介しましたし、大陸上には岩塩の生成場所が世界中至る所にあること (かつて海底にあったという証拠)は[1784」で紹介しました。

 つぎに紹介するのは、海底下1000mの地盤のその下に2000mもの厚さで岩塩層が存在するという件です。驚くことに、その更に下に石油が眠っているということです。石油が化石燃料であるという常識も吹き飛んでしまいます。その場所はブラジルの近海と、アフリカ大陸西岸沖のアンゴラ北部近海です。ここは両大陸が繋がっていた頃には同じ地域だったところです。まずは、石油が見つかって大喜びのブラジルの空気を伝えるニューズウィークジャパンの報道を抜粋して紹介します。


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http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2010/10/post-1756.php
超深海油田に挑むブラジルの夢と危うさ
2010年10月28日(木)17時42分  エリック・ジャーマン
 07年に大西洋のブラジル沖で大規模な海底油田が発見された際、同国のルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバ大統領は神の采配だと言った。それだけではない。「その神はブラジル人だ」とか、石油資源はブラジルの「未来へのパスポートだ」などと大はしゃぎ。
 その未来への扉が今まさに開こうとしている。ブラジルの国営石油会社ペトロブラスがいよいよ、トゥピ油田で石油の商用生産を開始するからだ。トゥピ油田はブラジル沖にある埋蔵量数十億バレルと言われる油田の1つだ。
 海岸線から300キロ以上、水深数千メートルのところにあるこれらの油田は、過去数十年間で発見された中では最大規模のものだと言われている。うまく利用すれば、ブラジルに富をもたらしこの国を世界トップクラスの産油国に押し上げる可能性を秘めている。
  ブラジルが開発を急いでいる海底の石油資源は、2000メートルもの厚さの岩塩層の下に眠っている。陸地に最も近い油田でもリオデジャネイロの海岸から南東に300キロも離れており、海の深さは1500メートルを超える。
 正確な埋蔵量は誰にも分からないが、試験掘削の結果からブラジル政府は数百億バレルを見込んでいる。「予測通りにうまく行けば、ブラジルの(石油)生産量は35年までに今の2倍以上になる」と、米エネルギー省エネルギー情報局のジョナサン・コーガンは言う。
世界5大産油国入りも夢じゃない
  現在のところ、採掘されているのは比較的浅い場所にある油田だ。だが07年に発見された油田の多くは水面下7000メートルあたりに位置している。
 ここから石油を掘り出すには、さまざまな高度な技術が求められるだろう。海流や凍りそうな水温や猛烈な水圧、そして泥や砂、石や岩塩と戦って掘り進まなければ石油にはたどり着けない。
 3000メートルもの厚さの岩や堆積物の層を砕いた後に待っているのは1500メートルほどの厚さの岩塩の層だ。これを掘るのは非常に困難だとテキサス大学の教授(石油工学)でペトロブラスの顧問を務めるカルロス・トーレスベルディンは指摘する。「この岩塩層の固さは花崗岩並みになる
 それでもその困難は、メキシコ湾の海底油田掘削と同じくらいだと彼は言う。同じテキサス大学石油・地球システム工学部のタッド・パツェク教授が懸念しているのはまさにこうした考え方だ。メキシコ湾の原油流出事故の原因について米連邦議会で証言したこともあるパツェクによれば、超深海油田の構造は石油会社が認める以上に複雑化し制御困難になっているという。(後省略)
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 以上がブラジルのニュースの抜粋です。期待はアンゴラでも同じようです。
 両国の現場は図から判るようにかつて大陸が地続きだった頃には同じ地域だった場所です。

 どちらの鉱区でも2000mという厚さの岩塩層があり、その下部に石油が眠っているそうです。

 2000mの岩塩を作るのには数万mの海水位が必要になりますので、日本海溝やマリアナ海溝のような深海底が一回大陸として浮上したとしても、そして天日で干し上げられたとしても生成できるものではありません。
 つまり、地殻というのは相当の回数海底に沈んだり、陸上に浮き上がったりというプロセスを繰り返しているはずであるということです。
 多分プレート論者は、それはパンゲアが誕生する3億年より前に起きた事象であって、この3億年の間は、プレート論が成立しているのだ、と強弁されるのでしょう。しかし、3億年以前に起きていたことが、最近の3億年間には起きていないなどということは非科学的な主張です。
 海洋底が教えてくれる不思議さを素直に受け取って、地球史を考える必要があります。どうか、プレート説を脱ぎ捨てていただきたいと願います。石油の生成に関しても、化石燃料ではないことをゴールド博士が主張しています。認められることなく博士は亡くなられましたが、[1811]で述べた「あの世の命」を永遠に得られるのではないかと思っています。

1815
Date: 2013-04-05 (Fri)
海底の岩塩層が教える地球史(2)
 厚さ2000mの岩塩層がブラジルとアンゴラの沿岸海底の下にあることには驚きます。また、厚さは十分の一ほどですが、陸上でも観光地として有名な岩塩坑があります。ポーランドのヴィエリチカ岩塩坑は、古くからの観光名所で、岩塩を彫刻した様々な立像、シャンデリアなど人気を呼んでいるそうです。 興味深いのは、その岩塩層にも、普通の堆積岩に見られるような褶曲があることです。
 褶曲ができるのは、地層構造を持つ堆積岩(水成岩の場合も、火山砕屑岩の場合もある)が、[1812]で示したように、一旦海底下に沈降し、熱作用を受けて半熔解状態にあるときにできるものだと思います。その後、浮上して完全に固化しますが、固化した陸上では褶曲はできません。褶曲させる原動力は地震(水素爆発)による衝撃的な力だと私は思っています。ですから、固形地盤では断層ができてしまい、褶曲地形になることは無理です。プレート論では大陸同士の衝突によって圧力を受けた地層が、たわむことによって褶曲ができると解説しています。
 地層が「たわむ」時には、元には戻りませんから、応力と結びついた「ひずみ」つまり「生きた歪」はありません。この場合、歪は全て永久歪、「死んだ歪」になるのです。褶曲のでき方を説明するプレート論の考え方は、長期的には「生きた歪」は解消して蓄積されないということと同じです。つまり、長期的に蓄積される「生きた歪」は存在しないのです。「死んだ歪」など怖くはないのです。
 プレート論には矛盾がいっぱいです。「活きている」という活断層が幽霊であることが理解できるでしょう。 写真はユタ州プロボ峡谷の褶曲ですが、解説文(「知られざる地球」NGS)にはさらにこの地層を形成する堆積物は、「もぐってゆくプレートから切り離され、新しい陸地になって大陸にくっついた。」と付加体理論を使って説明しています。
 何度も述べますが、プレート論ではプレートは自重が重くなって重力によって沈むことになっています。自分の重みで沈んで行くプレートなるものが、どうして背中に載せた地層を削って鉋屑を造るような力があるのでしょうか。まともに考えればおかしいことが分かるはずです。
 さて、岩塩でも褶曲するという事実は、少なくとも一回は、海底の海水の溜り場→浮上→岩塩層形成→海底に沈降→半溶解状態で褶曲→浮上、というプロセスを経て観光客の前に姿を現しているはずです。ましてや、2000mもの岩塩層を形成するのには、多数回の浮沈を繰り返してきたと考えるのが妥当な話でしょう。この3億年の間に一度も浮沈した地殻はない、海洋地殻は海洋のまま、大陸地殻は大陸のまま([1549])、というのは非科学的な話です。日本では四万十帯が、アメリカではユタ州などの東北部一体が付加体であるという説明になっていますが、これも「空想的な御伽噺」ではないでしょうか。

1816
Date: 2013-04-09 (Tue)
プレートという岩盤に歪が蓄積されることは力学的にありえない
 産経新聞に「巨大地震の謎に迫る」という記事がありました。謎に包まれた巨大地震の実像に迫る多角的な取り組みが続いている、と紹介されていますが、内容はまったく陳腐なもので、研究者側にも報道するマスコミ側にも進歩がありません。
 「プレートがくっついて滑らかに沈み込めない固着域では地殻に歪が蓄積して大地震が起きる」とありますが、そもそも、二枚のプレート間で一部は固着していて、それ以外はズルズル自由に滑るというよう状況は力学的にはナンセンスです。固着域という発想自体が「お遊び」であると思います。
 論文を書く目的は「考え方を出版すること」であって再現性のあるデータを求められるのは、医薬品とか安全管理とか企業の仕事である、だから「業績もデータも「つくる」んだよ、というアドバイスを受けて衝撃を受けたという告白を以前どこかで紹介したと思います。( 地震学スレ304)工学の世界ではすぐに結果が出るからごまかしてもバレてしまいますが、地球内部の話は簡単には検証できず、真贋がはっきりとしません。地震学の分野には思いつきの「作り話」でもなんとなく仲間の仕事として批判することなく受容してしまう空気があるのではないでしょうか。あるいは、確信がないから否定できないのかもしれません。しかし永久に「作り話」が破綻しないということはありえません。修正が遅れれば遅れるだけ進歩が遅れ、大衆の「被害」は大きくなることを忘れてはなりません。「考え方」さえ提示すれば論文になるというような安易な姿勢で研究を続けていたのなら、研究者の存在そのものが脅かされる「厳しい時代」が来るでしょう。
M9のような巨大地震はプレートが若い場所で起きると考えられてきた。若いプレーとはまだ熱くて軽いので沈みにくく、陸側に固着しやすいとされたからだ。」とありますが、チリと日本付近の海洋底が「浮くか、沈むか」というほどの大きな密度差ができるような温度差があるはずがありません。国引き物語り的な「単なる思いつき話」に過ぎません。
 かつての「宮城県沖地震で解消し切れなかった歪が数百年かけて蓄積され、繰り越し分の累計が限界に達すると断層が大きく滑る。」とありますが、単なる「考え方」であり、プレートという「岩盤」に歪が蓄積されることは「力学的にありえない」という工学者の知見が優勢になったなら、地震学者の信頼は急速に失われるでしょう。
  M9地震を想定していなかった反省からか、3千キロの断層によるM10地震の可能性まで拡張しようとされていますが、アトランティスやムーのように大陸規模で沈降する可能性だって、否定はできないのですから、M10を想定しても想定外になる可能性は避けられません。そのような規模を把握して、大衆に恐怖感を植え付けても大衆は迷惑するだけです。
「全容解明には数十年かかる」とありますが、
断層地震説を信奉する限りは永久に全容の解明は不可能です。

1817
Date: 2013-04-09 (Tue)
テーブルマウンテンとギョーの形成メカニズム考
 南アフリカやギアナ高地のテーブルマウンテンがどのようにして形成されたと考えられているのかをネットから拾ってみました。様々な意見があるようです。
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南ア・テーブルマウンテン
http://www.geocities.jp/nirekaoru/s-africa11-futatabi-table-mountain.html
 テーブルマウンテンの頂上は非常に硬い珪質砂岩で出来ている。珪質岩の円礫も含まれている。先カンブリア時代の河川堆積物だという。 http://blog.goo.ne.jp/shodo_february/e/572fe47f0535b482ac90699f931130ad
 岩質はテーブルマウンテン・サンドストーンと呼ばれる珪質砂岩の一種で、固い部分だけが残ったものだそうです http://www.geo.tsukuba.ac.jp/gansekiHP/topic.html
 地質学的にも大変面白い山です。山体上部を構成する岩石は、下部古生界・Table Mountain層のアルコース砂岩で、層理面はほぼ水平です。山体下部には上部原生界のTigerberg層が露出していると地質図にありますが、確認できませんでした。山腹付近には5.3〜6.1億年の年代を示す優白色花崗岩(Cape Granite Suite)が露出しています。
http://www.icon.co.za/~jsj/sa21.htm
 南アフリカで、最も有名なあの山は、どうして頂上が(ちょうじょう)あのように平(たい)らなのでしょう。   テ−ブルマウンテンがあるケ−プ地方は、およそ6億5千万年前、地下深くからマグマが上昇してきて、地表に出ないまま、ゆっくりと冷えて固まりました。この岩石はケ−プカコウ岩と呼ばれ、現在でも Sea Point に行くと見ることができます。
 その後、この地域の地層はいったん持ち上がり、風雨や海水による浸食を受けました。数千万年が経つと、地表は広くケ−プカコウ岩が現れていましたが、今度はその地層が次第に沈み始め、全て海の中に沈んでしまいました。浅い海で今度は小石や砂がたまり、地層をつくり始めました。やがて、また持ち上がり、地上に現れて、再び浸食を(しんしょく)受けることになりました。  現在テ−ブルマウンテンの上部に見られる白っぽい岩石は、海底で堆積した、珪岩と呼ばれる砂岩の一種で主にできています。この岩石は浸食に強く、これによって、現在のテ−ブルのような平らな形が出来上がりました。 

ギアナ高地
http://www.nishida-s.com/main/categ2/42-patagonia-guiana-2/  
 ギアナ高地がどのようにして出来たのか、地球科学の専門家でない私には分らない。学者によると、ギアナ高地を形成している岩石は主に先カンブリア紀(20億年前)に生成された花崗岩である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%82%A2%E3%83%8A%E9%AB%98%E5%9C%B0
 ギアナ高地を形成している岩石は、主に20億年から14億年前の先カンブリア時代に堆積した砂岩や珪岩からなり、擬似カルストを呈し、巨大な縦穴の存在が知られている。
http://tabidachi.ana.co.jp/note/2273
南米ベネズエラ南部のギアナ高地は、数億年前、海が隆起して出来たところです。雨や川の浸食で軟弱な土壌は削り取られ、数多くのテーブル・マウンテン(現地語で「テプイ」)が険しい姿で荒野に散在しています。
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 以上がネットから拾った情報です。河川堆積物が隆起したものなのか、火山砕屑岩として堆積したものなのか、いろんな話があります。花崗岩であるという話もありますが、地層が形成されているのを見れば、堆積してできたものであることは間違いないと思います。
 氷河の下にできた氷底湖内部における火山砕屑物が沈殿・堆積したと考えるのが一番妥当のような気がします。氷底火山が何回もの噴火を繰り返して、堆積層の山を形成したのだと推定できます。メカニズムを図解してみました。

 火山活動が活発になると、洪水が起きることは良く知られています。氷河湖決壊と云う現象の実態が私にはよく分りませんでしたが、氷底湖が破壊されて洪水が起きるということが今回良く理解できました。
  2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火で、航空機が飛行できなくなりましたが、火山の噴火では、噴火物が水に接すると粒子が細かくなって、空中に浮遊するため飛行機のエンジンをいためてしまうようです。氷底湖内部での噴火でも、細かい粒子が堆積して岩石の層状構造(地層)をつくるのでしょう。
  次の動画はカナリア諸島エル・イエロ島沿岸で起きている海底火山による海水の濁りを撮ったものです。こうした現象が氷底湖で繰り返し起きてできたのが、テーブルマウンテンやテプイだと考えます。現在の姿は、地殻移動によって温暖な地域に移ったために、氷床が融解して姿を現したのです。大陸が沈降して海没すれば、[1813]で述べたguyotとして海底にあることになります。
PS.
 以上解説したように、石田理論では、ギョーが波蝕によって切頭されたとする通説とは違うメカニズムを考えています。
通説による[ギヨーの形成]

比高1000m以上の孤立した円錐形の山は海山(seamount)と呼ばれ、特に頂部が平坦のものをギヨーと呼んでいる。数多くの調査と採泥の結果から、ほとんど火山であることが分かってきており、ギヨーの平頂面から玄武岩の円礫や浅海性の化石などが採取されたことから、波蝕によって平坦化されたことが判明した。
ギヨーは中生代白亜紀から第三紀中新世までの間のさまざまな時期における波蝕によって切頭され、その後、さまざまな原因によって現在の深さにまで沈降したものと考えられている。 赤道付近に存在する多数の環礁は、ギヨーの深さに玄武岩の基盤を持ち、海面に達する厚さの珊瑚石灰岩をかぶっている。ここではこの沈下過程に珊瑚が上方に生育して環礁にまで発展したのであり、生育しなかったり止まったりしたところではギヨーとなったのである。

1818
Date: 2013-04-14 (Sun)
淡路島の地震報道に見る矛盾
 昨日13日に起きた淡路島の地震でも、地震が爆発現象であることを示す証言が新聞報道にあります。
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http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-130413X090.html
 
「ゴー」と地鳴り=18年前の阪神大震災よぎる―震度6弱の淡路市など
 淡路市危機管理課の男性職員(40)は揺れ出す前に「ゴー」という地鳴りがしていることに気付いた。  震度5強を観測した同県南あわじ市内の病院で当直勤務中、仮眠していた男性職員(42)は「ドン」という衝撃で飛び起きた。
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 お二人の体験談は地震が歪の開放で起きるという通説を否定しています。歪と云う概念が意味を持っているのは弾性体が持つフックの法則(p=kx p:応力 x:歪 k:弾性係数)が成立している範囲での話です。
 岩盤のようなガラスに近い物質では金属・鋼材とちがって、10х(-4)乗という微小な歪でフックの法則が成立しなくなります。つまり、岩盤やガラスはポキッと折れてしまいます。材質が持つ降伏点を超えるからです。鋼鉄の場合はこの降伏点を超えても折れることはないですが、歪と応力の間にはp=kxの直線関係はなくなります。もはや応力pが生じる前の原点、歪ゼロ状態には戻らなくなります。このときの歪は永久歪であって、弾性反発は期待できません。いってみれば、死んだ歪で、生きた歪ではありません。
 地震現象が歪の開放で起きるのならば、それはフックの法則が成立している(生きた歪が存在している)間の現象ということですが、そのときに地鳴りや、衝撃音が起きることはありません。ポキット折れるのが地震現象と云う解釈なら、歪エネルギーの開放説とは矛盾します。どちらにせよ、地鳴り現象、衝撃的体感は爆発現象が起きたことを意味しています。
 然るに、地震学者はいつまでも「歪の蓄積」にこだわっています。毎日新聞では次のような報道がありました。
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http://mainichi.jp/select/news/20130413k0000e040200000c.html
淡路島地震:「南海トラフ」との関連指摘も
毎日新聞 2013年04月13日 
 13日午前5時33分ごろ発生した、兵庫県淡路島付近を震源とする強い地震で、気象庁は阪神大震災の余震との見方に否定的だが、大震災のひずみが淡路島にまだたまっていると見る識者もいる。一方、過去の南海トラフ巨大地震の前にこうした内陸地震が頻発したことが知られており、同様の地震が続くとの指摘もある。
 東海、東南海など、今後の発生が見込まれる南海トラフ巨大地震は、太平洋の海側のプレート(岩板)が日本列島を乗せた陸側のプレートに潜り込んで起きるとされる。今回の地震は、その潜り込みの圧力によって引き起こされた可能性があるという。同様のケースが、約70年前にも起きている。
 入倉孝次郎・京都大名誉教授(強震動地震学)は「1944年の東南海地震(M7.9)と2年後の南海地震(M8.0)の前に近畿地方で内陸地震が頻発した。今後、南海トラフ巨大地震が起こると予測される中、今回のような地震が再び起こる可能性がある」と指摘する。

 これについて、気象庁地震津波監視課の長谷川洋平課長は13日の記者会見で「さまざまな学説はあるが、前兆的な発生とは今のところ考えていない」と述べた。

 一方、阪神大震災後に地震活動を分析した東北大の遠田晋次教授(地震地質学)は今回の地震について「広い意味で大震災の余震。18年前だから関係ないということはなく、その時のひずみがずっと淡路島にあった」と分析。「大震災前の状態に戻るには二十数年かかると予測され、まだ警戒が必要だ」と強調する。【飯田和樹、渡辺諒、斎藤広子、岡田英】
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 以上が毎日新聞の報道です。
上で解説した弾性体に関する力学の基礎知識から言って「18年前の歪が残っている」などということはありえない話です。各研究者の解説する内容にも統一したコンセンサスというものがありません。勝手なことを思いつきでおしゃべりになっているようにしか思えません。この程度の認識で活断層理論を振り回されてはたまったものではありません。
はやく、まともな議論ができるようになっていただきたいと思います。

PS:産経新聞には岡田義光氏の談話も載っていました。

「防災科学技術研究所の岡田義光理事長(地震学)は「直接的な余震ではなく、別々の断層がひずみを解放したのだろう。M6級の地震は日本ではそれほど珍しくないが、今回は震源が浅かったため大きな揺れが生じた」と指摘した。」

  歪を開放して地震が起きるという話に、他の地震学者から一切の異論が出ないということは如何なることでしょうか。地震学者は皆さん力学音痴なのでしょうか、心配になってしまいます。

1819
Date: 2013-04-15 (Mon)
ウンモ星人の言うとおりなのか
 淡路島の地震について、政府の地震調査委員会は「未知の活断層」が存在する可能性を指摘したということです。いつまでそのような無知な発言が許されるのでしょうか、そしてマスコミは許すのでしょうか。
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http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20130415-00000006-jnn-soci
淡路島地震 「未知の活断層」の可能性
TBS系(JNN) 4月15日(月)5時35分配信

 兵庫県・淡路島を震源とする最大震度6弱の地震が起きたことを受け、政府の地震調査委員会は14日、臨時の会合を開き、震源について「未知の活断層」が存在する可能性を指摘しました。

 14日に行われた政府の地震調査委員会の臨時会合で、本蔵委員長は今回の地震の震源について、既存の活断層と位置が離れていることから、今までに知られていない活断層が地震を引き起こした可能性を指摘しました。
 また、阪神大震災の余震である可能性については、何らかの関係があるとの意見で一致したことを明らかにしました。

 一方、発生が懸念されている南海トラフ巨大地震との関連については、「今回の地震だけで切迫度を議論するのは難しい」としつつ、懸念されている地域ではこの規模の地震は起こりうると注意を呼びかけました。(14日19:13)
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 大きな地震が起きるたびに、「未知の活断層が動いた」という話が出てきます。なぜ「断層は大きな地震の結果できる傷である」ということに気づかないのでしょうか。自然科学の学者なら自然現象の原因を探求するのが役目です。原因と結果とを取り違えるような研究者は本末転倒学者です。因果関係を正しく見つめてください。研究者も、研究費を配分する役人も、成果を吟味するべき立場のマスコミも、怠慢極まりない姿勢が続いています。「探究心ゼロ」といっていいでしょう。
 憤慨しながら、ネットを見ていたら面白い「科学者のシノギ論」を見つけました。シノギとは「暴力団の収入も含めて、生活の糧」のことですね。科学者も「ただのシノギ」に過ぎないと喝破されています。  シノギがへたくそだったというある方のブログから読者とのやり取りを紹介します。星野先生の「反プレートテクトニクス論」に関しての感想記事からはじまっています。
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http://borealoarctos.blogspot.jp/2010/08/blog-post_08.html
2010年8月8日
反プレートテクトニクス論
 ブログ主
 「星野先生の新刊案内が届きました。星野通平さんには、わたしがまだ学生のとき、湊正雄教授の部屋でお目にかかったことがあります。もちろん、わたしのことなど覚えていないでしょうけど。
 当時もじいさんだったから、いまは相当な歳かとおもいますが、元気いっぱいのようですね。  「まえがき」が紹介されています。 「私が本書で主張したかったことは、プレート説一辺倒の地球科学の世界に、若い人たちがおのおのの仮説をもって、もっと自由闊達に討論をまきおこしてもらいたいことである。そして、科学の世界だけでなく、政治・経済・教育など、あらゆる分野にはびこっている、閉塞感あふれた世の中の風潮を、少しでも打ち破ってもらいたい、というねがいを、本書にこめたつもりである。」

 これは無理だと思います。  皆が口をそろえて「おなじこと」をいうことを「パラダイム」といいます。ちがうことをいうのは、先行する「パラダイム」に矛盾が蓄積し、その「パラダイム」ではどうしようもなくなってきたときに、やっと始まるとなっています。
  数十年前に「地向斜造山論」から「プレートテクトニクス」というパラダイム変換が起きました。これは、「地質学」から「地球科学」へというパラダイム変換でもあったらしい。  前者はともかく、後者のパラダイム変換は、近代地質学が成立したといわれているのが1800年代の初めですから、170年はかかっているわけです。ここしばらく、これに匹敵するパラダイム変換は起きそうにない。
 しかも、現代の科学者が求めているのは、「地球の真実」などではなく、学会における自分の立場。しばらくの間、「プレートテクトニクス」と「地球科学」というパラダイムに安住できるわけです。(略)  わたしは、「パラダイム論」にも「パラダイム論」が適用されるだろうと思っています。しかし、それが当分のあいだ、くずれないであろうことは、「プレートテクトニクス論」の本は市販ルートにのりますが、「反プレートテクトニクス論」の本は、市販ルートにのらないことからもわかります(もちろん、地質学雑誌にものらない)。
 勝ち馬にのること自体は、決して恥ではないとはおもいますが、大多数が「勝ち馬にのっている」以上、自由闊達な議論など、起きるはずがない(そもそも、パラダイムがちがうのだから、議論自体が成立しない)。(略)  
 2012年3月14日
 夏羽 さんのコメント...
 初めまして。今ハプグッド教授の’The pass of the Pole'を読み終わったところです。ここではプレートテクトニクス理論、いわゆる大陸漂流説(continental drift)及び氷河期という概念が矛盾していることを様々な例をあげて説明しています。アインシュタインをはじめ、大陸漂流説に反対していた科学者、地質学者は少なくなかったようです。星野先生、石田先生といった、年をめされても、時代の波にのまれず、真実を追究していく若い精神をもたれた方がいらっしゃるのは嬉しい限りです。もちろん、かく言う私もプレート説はまったく論理的ではないと思っております。
 長くなって申し訳がありませんが、何故大陸漂流説という考え方が生まれたのかについて、ハプグッド教授が説明しておりますように、様々な理由のつけがたい地殻異変があったかと思われます。大陸漂流説は原因を究明するうえで生まれた、ひとつの仮説とみることができるでしょう。この説が正しい、正しくないにかかわらず、こういう考えがもたらされた背景があったという事実からまた一歩真実の探求がなされればいいのではないかと思います。科学にしろ、地質学にしろ、これが絶対と信じるのは危険だし、そこで進歩がとまってしまうのではないかということです。それよりも、論理がつくりだされた理由、状況を研究した上で、常識にとらわれない、世界の流れに乗せられない、自分自身の判断をくだすことは科学の進歩にとって何より重要なことではないかと思います。
 ブログ主
 ご意見、まったくその通りだとおもいます。 それが「科学」ではないかと思うものですが、現実の科学者(とくに日本の)にとっては、科学者であることは「ただのシノギ」にすぎないのではないかと疑ってしまいます。
http://borealoarctos.blogspot.jp/2010/08/blog-post_20.html
反プレートテクトニクス論、読後
 ブログ主
 星野通平「反プレートテクトニクス論」(イー・ジー・サービス出版部)が到着したので、読んでいました。  プレートテクトニクスに対する疑問の集大成というところ。どの主張にも違和感を感じないのが、逆にふしぎ。 で、読んでいて、気分が高揚してきたかというと、どんどん沈んできました。  なぜなら、この本に対する反応は、「たぶん、ない」だろうから。

 理由はたくさんありますが、第一に、PT論者にとっては“プレートテクトニクスは観測された事実”であるから、今さら、土俵を下げて相手をしても「得るものがない」からですね。  だから、無視される。

 第二に、実際には、PTが「パラダイム」でなければ困る人は(その他のテクトニクスでなければ困る人たちにしても)、ホントはごく少数だと思われること。  地質学会に、いったい何人の会員がいるかは知らないですが、圧倒的多数が、(個々の)論文レベルでも(個人の)研究テーマレベルでも、別に「どっちでもかまわない」人たちでしょう。地向斜造山論がパラダイムのときは、地向斜造山論で解釈し、PT論がパラダイムのときはPT論で解釈するだけ。  したがって、自分に向かっていわれているとは、だれも思わない。よって反論も肯定もしない。

 悲しい。

2013年1月18日
 夏羽 さんのコメント...
 歴史的、宗教的、政治的、営利的、様々な事情が各時代にあると思いますが、現在、プレートテクトニクス論が世を制しているさまには、たてまえぬきに、あきれかえっております。また、一般市民のほとんどがこのことに対して疑問を抱かないというのも不思議です。ハプグッド先生の本にはダーウィンともう一人(誰だったかな・・)がポールシフトという考えを禁止したため、現在の気候に合わない植物、動物の痕跡を説明するため、大陸移動説、氷河期という仮定が持ち出されたと書いてありました。

 プレート説、氷河期、マグネティック ポールシフト論、速度の概念(地球の自転、公転、太陽の自転、公転等の速度を地球上の計算で事実として教えていること) など、ちょっと論理的に考えれば、それがおかしいとわかると思うのですが(間違っているという証拠もないんですけど)、専門家を含めほとんどの人がだまされる、これはもしかしたら、ウンモ星人が言っていたように人間の能力に欠陥があるせいなのかもしれないと、思われてきたりもします。ウンモ星人、トンデモで申し訳ありません、これを書いたのが宇宙人かどうかは別にして、彼らが書く、メタフィジック、進化論はなかなか面白いんですよ。
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 以上、思考能力が健全な方がおられることが分かってうれしかったです。ブログ主は「シノギ」がへたくそだったようですが、「シノギ」に苦労しなくても科学者がやれると思って、年金生活に入ったのに、それを騙した奴等がいるのです。

 年金を積み立てて、老後は「シノギ」の苦労を避けて自由に生きよう、と考えていた真の科学者達を騙して、いつの間にか賦課方式というものに切り替え、「年金は世代間の助け合いです」などとごまかしたのは、政治家、役人、見てみぬふりをしたマスコミなんです。  やがて働く世代の若者一人が一人の老人を背負うことになる・・・などという脅しで長老を虐める社会などにした覚えはないのです。シノギから自由になった長老がこの社会を建設するんだ・・・と思って生きてきたのです。それを訴えて選挙に出ても1.7%の得票しか得られないのです・・・やっぱりウンモ星人の指摘どおりに、日本人の能力に欠陥があるのでしょうか・・・。


こんなにマトモなことを街頭で演説しているのに、得票率は1.7%でした。
ウンモ星ならば当選したのでしょうか?

PS.
 私はウンモ星人の情報を持っておりませんので、 「速度の概念(地球の自転、公転、太陽の自転、公転等の速度を地球上の計算で事実として教えていること) など、ちょっと論理的に考えれば、それがおかしいとわかると思うのです。」 と云う部分に関しては内容を把握しておりません。

1820
Date: 2013-04-18 (Thu)
地震と火山活動は同じ爆発現象である
 17日に三宅島近海で起きた地震は、体に感じるものだけでも、4時間半の間に11回だったそうです。この地震が火山活動と関連するのかどうか、様々な報道がなされています。気象庁は「火山活動との関係は薄い」とみていますが、火山噴火予知連絡会の副会長の石原和弘京都大学名誉教授は「現時点では火山活動との関連は分からない。」と述べています。また、東京大学の笠原順三名誉教授は「この地震は火山のマグマの活動による可能性が非常に高い」と語っています。笠原先生のコメントが正解だとは思います。
 地震爆発論から言えば、火山活動と地震活動というのは、同じ現象です。地下深部で起きる爆発が地震であり、浅い場所で起きれば火山活動と呼んでいるだけです。爆発が極端に浅くなれば、噴火現象になるわけです。この認識はフンボルトが持っていたものですが、彼は火山の噴火は大地震の安全弁であるという認識をも持っていたようです。日本では小川博士や石本博士らも同じ認識でありました。([1374]参照)
 この認識が戦後急転回したのは、「私は洗脳されて帰ってきました。地震は断層です。」と発表された安芸敬一先生であったことを[1468]の松田時彦先生のコメントとして既に紹介しました。
 それまでは笠原慶一先生の「地震の科学」にも石本博士の「押し円錐理論」が紹介されていましたが、後年に書かれた“近代地震学入門“というサブタイトルのある「地震の力学」では、石本博士らの研究はすっかり一掃され、名前さえ載っていません。([1470]安芸先生の功績は何だろう参照)。近代地震学というものは、安芸先生の難解な書物のせいもあって応用数学的な色彩が強くなっています。現象を科学的な眼で観察し探求するという科学本来の面白みを放棄して、「断層論ありき」で始まっています。断層理論で説明できない現象(気温上昇、発光現象などの言い伝えなど)はすべて「オーパーツ」扱いされてしまうものですから、謎を解明する喜びという自然科学の面白みを無くす原因となっています。
 今回の三宅島近海地震の報道でも、笠原順三先生のコメントが震源の深さにこだわり、論旨が明確に伝わっていない(下記の参考を参照)のは、火山性地震とは10kmより浅い場所の地震と気象庁が定義しているからです。震源の深さが20km(今回のM6.2地震)では、火山性地震ではないというような、意味のない定義があるからです。深さ20kmで起きるのは断層が原因で、10kmで起きるのは火山活動であるというような話はナンセンスであります。
 はやく、本来の自然探求の面白みを復活させないと、日本の社会から優秀な科学者を誕生させる土壌を失ってしまいます。登山の鉄則にもあるように、道を間違えたと気付いたなら、間違えた地点まで戻る勇気を持っていただきたいと思っています。

参考:笠原順三先生の解説
フジテレビ系(FNN) 4月17日(水)19時2分配信
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00244295.html
17日、体に感じる地震が相次いでいる東京・三宅島で午後5時57分、震度5強の地震が観測されました。
地震と火山との関係について、東京大学の笠原順三名誉教授の解説です。
(午後3時までに11回の体に感じる地震が相次ぎ、そして震度5強の地震が発生したが?)
この震源は、三宅島の西、すぐ近くにありまして、海底地形上は、海山みたいなのがあるんです。
その場所は、海山があるということは、海底噴火した場所というふうに思われて、深さも、たぶん10kmくらいの深さだと思うんですけど。
気象庁は20kmと言っていますが、もう少し浅いんじゃないかと。
それで、2000年の三宅島の噴火の時に、三宅島で噴火が起きて、そして、そのあと、地震の震源は、ずっと三宅島の西から新島までつながったんです。
その時の深さは5kmくらいですけど、今よりも数値は浅いんですが、その動きは地下におけるマグマの動き、そういうふうに思われます。
今回の地震が起きた場所も、深さはちょっと深いんですが、マグマの動きに関係した地震だと考えられます。

(地震が、だんだん大きくなってきているが?)
三宅島の状態を少し見たんですけれども、すぐには噴火までは至らないんですが、ただ状態としては、三宅島で起きている地震が非常に浅いとか、火山性の特徴である、割とゆっくり揺れるような動きがあるので、今回の地震がマグマの動きに関係があるとすれば、三宅島付近のマグマっていうのは、非常にやわらかくて動きやすいんです。
そういうものが地下に割れ目を作って、広がると三宅島につながる可能性があるので、場所的にも非常に三宅島に近いので、三宅島に十分な警戒は必要じゃないでしょうか。
最終更新:4月17日(水)19時2分  

1821 
Date: 2013-04-20 (Sat)
原子力規制委員会委員長代理を更迭せよ
原子力規制委員会の島崎邦彦委員長代理の科学的・工学的知識に疑問を抱いております。東電側は「断層は固まり(固結)、動いていない」と主張しています。だから、活断層ではないという主張のようですが、そもそも活断層という概念そのものに誤謬があります。東電側の主張が100%正しいとは言えないのも事実です。しかしもっとひどいのは、島崎委員長代理の「固結しないとひずみがたまらず、(断層の)進行を止めることにはならない。」という発言の奥にある科学的知識の欠如に関してです。

 前半部の「固結しないとひずみがたまらず」の意味は東電側の「固結している」という主張をあざ笑うかのように「固結しているからこそ歪がたまるんだよ。」と一蹴したつもりでいるわけです。後半部の「(断層の)進行を止めることにはならない。」の意味は「固結しているから断層は動かない」という東電の主張は「固結しているからこそ歪がたまって危険なんだよ、地震学を勉強しなさい。」と一蹴したつもりでいるわけです。

間違えているのは島崎氏だ!
島崎氏には専門家としての資格なしと認定せざるを得ない。
よって更迭せよ!
 活断層は将来動く可能性があるから危険である、と主張してみたり、動かないことが「歪がたまる」危険性があるのだよ、と主張してみたり、島崎氏は悩乱しています。材料力学の基礎である破壊現象の知識を保有しておられません。地震学者全てが同じ意見だとしたら、地震学を抜本的に改革しなければなりません。  このような力学的知識の欠如した地震学者に、国家の重要な政策の推進是非の判定を任せることは危険であります。

歪(strain)の勉強
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http://www.jma-net.go.jp/nagoya/hp/bousai/earth/toukai_yoti.html より

○歪(ひずみ)
 物体に外力を加えると形や体積が変化します。これを変形または歪といいます。  歪の定義は

 (変形後の”大きさ”)−(変形前の”大きさ”)   
       (変形前の”大きさ”)

であり、式中の”大きさ”には「長さ」か「面積」か「体積」が入り、上式の値はそれぞれ長さの歪(線形歪)、面積歪、体積歪と呼ばれます。歪はこのように定義されていますので無次元量となり、単位は無く(ただし、歪を表す量であることを明確にするため、STRAIN(ストレイン)という単位を付けて呼ぶこともあります)、対象としている領域や物体の大きさと無関係に使うことができます。地殻を造っている一般的な岩石は10-4歪むと破壊するといわれています。これがどの程度の大きさかを具体的に見てみると、その岩石で作った1mの棒は0.1o だけ伸び縮みするだけで折れてしまうことになります。したがって地殻変動を観測する場合には、これよりもはるかに小さい量を観測することになります。地殻変動の日常的な変化は10-8程度のものです。
注) 1立方メ−トルの体積が0.9999999立方メートル(長さでは10qの距離が1o変化)に縮んだ場合、歪量は−0.0000001/1すなわち−1×10-7となります(10-7は10のマイナス7乗と読み、1000万分の1のこと)。
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(注):記事を書いている人も、歪の解放が地震現象であるはずがない、ことを理解しておられません。
岩盤はカリントウのようにポキッと折れてしまう性質のものですが、工学部で力学を専攻している方でも”巨大なカリントウ”をつくると、玉はがねの様な性質になる・・・と夢想する方があるのです。([88]参照)
 断層地震説ありき、で凝り固まっている方には何を言っても完全弾性体のように反発されてしまいます。しかし、間違っていることは事実なんです。巨大になっても鋼のようにはならないんです。

1822
2013-04-23 (Tue)
力学無視の奇抜な考え方が生まれる理由
 4月22日のモーニングバードという番組で、数か月以内に東北沖をアウターライズ地震が襲う可能性があると東海大学地震予知研究センター長の長尾年恭氏が示されたそうです。   
 アウターライズ地震に関してはすでに[1718]怪しげな新聞報道(3)[1761]空理空論、支離滅裂の地震学 などで紹介しましたが、地震爆発論の見解ではそのような地震は存在しません。力学的にはナンセンスな空理空論です。
 現代地震学にはそのほかにも、アスペリティーとか、スロースリップ、サイレント地震、ダイナミックオーバーシュートなどなど、力学無視の奇妙な概念が作り出されています。それにたいして非見識として注意する長老もいないようです。
 こうした自由な発言?が石本先生のご健在の頃には松田先生のコメント([1468]安芸先生の思い出)にあるように、 長老の忠告があって止められていたのかもしれません。しかし、最近は長老の発言に威厳がなくなったことも確かなようです。原子力規制委員会でのやり取りを見ていてそのように感じました。 訂正,この話は[1470]の安芸先生の功績は何だろう、の中にある笠原慶一先生の思いでの間違いでした。
 自由な発言は結構ですが、なぜ力学的な基礎を踏み外すような意見まで許されてしまうのか不思議に思っていました。最近気づいたのは、直近の長老の一人であった竹内均先生の天才論にそのきっかけがあったのかなという視点です。
 先生は「独創人間になる法」という書物の中(このセミナー[185]、[186]では超有名科学者として名前は伏せてありますが紹介しています)で、 次のように語っています。(p.9)
最初の仮説が奇抜であればあるほど、それが実証された場合には、自然科学に、より大きな進歩をもたらす。そういう仮説を提案した人こそが、自然科学における天才である。
という内容です。戦前の文部省推薦図書になった石本巳四雄先生の「科学への道」に収録されている「天才論」とは内容的に大きな違いがあるように感じますが・・・。
この発言に勇気を得た若手研究者たちが「おれも将来天才になるのだ」として、奇抜なアイディアを発言しているのかもしれません。そうした空気を感じさせるコメントが、 [1388]データを作る地球科学?にもあります。自然科学の若手研究者であった方が、この世的に成功している先輩から、 業績もデータも作るんだとアドバイスを受けたときの衝撃が忘れられないというものです。抜粋して紹介します。

 「「つくる」んだよ・・・、業績もデータも。 そういうアドバイスをうけたときの衝撃は、今でも、忘れません。 単年度雇用のくりかえし、予算に関する会議出張のくりかえし、業績アピールを目的とするシンポジウム開催、 ニュースレター発行、ホームページの作成、学生の卒論指導、外国人のお手伝い、などなど・・・・ いまの若手研究者は、こういう仕事の合間に実験をやって、自分で業績をださないといけません。
どうやったらそんな・・・・ そんなときに成功している人からアドバイスをうけたのです。
論文の目的は「かんがえかたを出版すること」であって再現性のあるデータを出さねばならないのは、医薬品とか安全管理とか企業の仕事。ゆうめいな教授の多くが、先に論文を書いてしまって、 穴埋めを学生にやらせて教授になってきた。
(だから)「かんがえかた」を提示する、それを目的にしなさい・・・と。国外でもそれはポスドクの間で一般化されている考え方なんだ・・・と。
けっきょくポジションをつかまえるのは才能ではなくてテクニックだということがわかり人生がかわりました。」

 以上が告白の内容です。地震学も含めて地球科学の研究分野にはこういう空気、つまり「奇抜な考え方」でもよいから「考え方」を提示して、将来に天才扱いされるかもしれない可能性にかけなさい・・・・というような空気が全体にあるのかもしれません。・・・だとしたら、その代償は大きなものになるでしょう。 

 竹内先生とツゾー・ウイルソン教授との対話をライブラリー52大陸移動を唱える大家の豹変に紹介してありますが、 いかにも軽い感じで「新しい考え方」が生まれる雰囲気を感じます。お二人が歴史の検証にどこまで耐えられるのかは注目されるところだと思います。

因みに石本先生の天才論の一節を紹介します。(全文がこちらに紹介されていました。)
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天才論    石本巳四雄
 自然研究者の中には特に天才を要望するのであって、天才が出でて初めて研究が進捗し、天才が出でざれば停頓するのである。天才は出づる事が甚だ稀れであり、天才は叉薄幸である。恐らく其の時代においては理解出来ない議論を吐く故でもあらうが、 時の経過と共に尊敬されるのである。天才は正に科学史を綴る人である。凡庸は単に科学を持続けるに役立ち、科学を横に漲らせる事は出来ても前進させることは出来ない。 天才は果して其の出現を期待し得べきものであらうか、叉天才は栴檀の二葉より香ばしと云ふが如く、幼少よりして聡明なるものであらうか、筆者の思索は低迷する。
 天才は先天的要素を如実に備へるものであるとも云ふ。天才は生れ乍らにして凡庸とは全く異った頭脳を保ち、苦する事なくして常人を凌駕して意表に出でるとも云ふ。叉天才は絶えざる労作の結果、 其の位置を克ち得るものとも云ふ。  結局は努力の結晶により、他人より優れたる効果を挙げるものであると云ふ。仏國科学者ブッフオン Buffonnは
  天才は辛抱強いと云ふ一つの優れて大なる才能に外ならぬ。
  
と叫んで天才は後天的要素を充分備えたものであると云ふ。此の論を是とするにしても辛抱強く研究し得ると云ふ才能も一種の天才であるかも知れない。しかし乍ら、現在自然研究に携る人の中にも単に辛抱強く、 一つの事にのみ携つて研究に没頭して居る人でも、天才とは考へられぬ人が居るのである。天才の才能中には一種の見通しの如きものが必要で、よし一つの事物を研究しても、 此れを辛抱強く遣り遂げる場合には、必ず大なる結果が齎らされると云ふ自信が出来なければならぬのである。叉遂に此の自信ある見通しがあればこそ、熱意も生じ、辛抱強く働く事が出来るのである。兎に角、 外観からすれば全く努力の結晶の如き態度も、本人は行き着く迄の手段としか考へて居ないとも云へるのである。筆者は此の見通しの出来るものを天才の要素として考へ度いのである。
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 以上天才論の冒頭の一節を紹介しました。東海地震は2005年までには確実に起きると云うのが、地震学者の意見でした。しかし、 東海地震はそれから8年過ぎても発生せず、予想もしなかったときに東北に起きてしまいました。地震学者は後始末を付けていません。 そして又今、東海、東南海、南海の三連動地震を謳っています。自信ある見通しがあってのことでしょうか、学会の「シノギ策」なのでしょうか。何とかしないと、 信頼性がどんどん失われていきます。まずは、東海地震警告の後始末を付けて頂きたいと思います。

1823
2013-04-30 (Tue)
活断層理論の種明かし
 石本巳四雄博士が断層地震説への批判をされていたことはすでに[1474]で紹介しました。博士は証明方法に疑問があると次のように述べています。

「即ち先づ震源に断層の成生を仮定し、初動分布が其の仮定に馳背しないと云ふ理由から、地震の原因が其れであると決定する。此れは結論たるべき主張が已に前提の中に含まれて居る事から、 論理上からすれば正常な証明とはならない。即ち若し地震波の放射が断層成生に非ずと仮定しても、初動分布が説明される場合に到着するならば、以上の主張は直ちに頓挫する事となるからである。」

 この問題提起を参考にして島崎教授の執筆された「活断層とはなにか」(東京大学出版会)の第一章を吟味してみます。
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2 地震とは何か(執筆者:島崎邦彦)
 地震の正体

 地震とは、震源域で何かが起こり、その結果地震の波が発生し、その波が地下を伝わり、私たちの足元まで達して、大地を揺すり、建物等を揺らす現象である。 (略)
 震源域で地震の波を出すもの、鯰の正体がわかったのは、わずか三〇年ほど前に過ぎない。それまでの数十年間、さまざまな論争があり、 一時は震源=ブラックボックス論さえあった。震源域で何が起こっているかはわからないので、とりあえずブラックボックス(中身がわからないもの)として棚上げにし、 そこから出た地震波のその後を論じようというものである。論争の決着をもたらしたのは、丸山卓男(数年前に束大地震研究所を定年退官)の論文であった。まだ大学院生の時の業績である。
 地震の震源域では、ある面(断層面と呼ぶ)を境として地塊がずれ、そのずれる運動によって地震の波が発生する。このずれる速さは、毎秒数十センチメートル程度である。その結果、 この断層面を境にして地層や岩体が食い違う、すなわち断層ができる。このため、断層をつくるこのようなずれの運動のことを、断層運動と呼ぶ。もちろん、すでに断層がある場合には、 断層のずれがさらに大きくなる。断層運動が地震の波をつくりだすのだから、これが鯰の正体だといってよい。
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 以上の島崎先生の解説では「地震とは、震源で何かが起こり、その結果地震の波が発生」することが地震現象である、としていますから、 何かとは「水素爆発」でも良いわけです。しかし、後半では「ある面(断層面)を堺として地塊がズレ、そのずれる運動によって地震が発生する。」と断定しています。 明らかに断層を最初から仮定して論を進めています。水素爆発で断層が発生すると考えても一向に構わないのですから、断層運動が「地震の正体」であると決着したというのは間違っています。 ある面(断層面)を導入する時点で、すでに証明方法が正当性を持たないわけです。
 同じような怪しげな考察が地球物理関連には多くあります。
プレートは中央海嶺で生まれることになっていますが、最初の子供(プレートの最先端)の前には何が存在しているのか、 その子供はどんな力が作用して海溝を目指して進行するのか、説明がありません。また、潜り込んだプレートの自重によって引っ張られるという能動的移動論または、 テーブルクロスずり落ち論は、まさに前提となるシチュエーションの中に結論が含まれています。石本先生がそれは証明にはならないと批判されるでしょう。
 地震波の走時表に関しても、地球の内部構造をマントルは固体であり「玉ねぎ構造」をしていると仮定して決定した理論走時と、観測による実測走時とが一致するから、 理論が証明されたというような論理展開がなされていますが、これも同じことです。マントルが固体でないことは深発地震と、浅発地震の地震波形を比較すれば明らかですし、 理論走時がなければ、実測走時の認定ができないという点でも矛盾が存在します。したがって、

「結論たるべき主張が已に前提の中に含まれて居る事から、論理上からすれば正常な証明とはならない。」

という結論になります。
結論を導きたいがために仮定の中に細工をするのでは真の科学的態度とは言えないというのが石本先生の考えであり、至極尤もな話であります。
 そうしたあいまいな論法でつくられた「活断層理論」で国家が衰退への道を歩まされるのではたまったものではありません。

地震学は一旦石本理論まで後戻りして再出発してください。
活断層理論をベースにする原子力規制委員会の議論を止めてください。



1824
2013-05-01 (Wed)
マスコミ報道関係者にお願い
 4月28日の産経新聞に「立川断層帯の誤発表、なぜ」という記事があり、専門家の間でも活断層を判定する明確なラインが無いことが報じられています。 そして過去の判定が否定された例があることも報じられています。

 このように専門家によって判定が異なるような問題を、絶大なる権限を持つ原子力規制委員会の一部委員の判断に任せて良いとは思われません。 少なくとも記事にあるように国民的な合意を得る必要があります。
 そして国民の皆様には活断層に関する「種明かし」も知っていただき、後世のために正しい判断をして欲しいと思います。そのためには、 まずマスコミ関係者が異なる見解があることを国民に報道する義務があると思います。石油や石炭に関しても化石燃料ではないことは隕石の研究から判明しているのにもかかわらず、 「一度誰かが名前を付けたら、みんな信じ込んでしまったと言う訳です。」とゴールド博士が述べています。 やがて化石燃料と云う概念も消えるでしょうが、地震の原因説に関しても、いろんな見解があることを報道するのがマスコミの貴い使命のはずです。

活断層理論は間違っていること、地震と断層の関係は因果関係が逆であることを、
マスコミは報道してください。お願いします。


一度誰かが活断層という名前をつけたら、みんな信じ込んでしまった、と云うだけなのです。

1825
Date: 2013-05-03 (Fri)
ブーゲー異常とフリーエア異常の原因
 地球科学者「松山基範」の物語という本(書籍名は「日も行く末ぞ久しき」文芸社)を読んでいて、氏が潜水艦に乗り込んで、東北沿岸の重力異常を観測し、日本海溝の海溝軸より西側(岸より)に異常地帯があることを発見されたことを知りました。氏は始めて岩石の残留磁気に逆転現象があることを発見された偉大な科学者ですが、その発見現場となった玄武洞を訪ねたとき(2007年2月)の動画を紹介します。


 さて、松山先生が発見されたフリーエア異常は海洋部分の重力異常の研究ですが、陸上部分の異常はブーゲー(bouguer)補正の必要があります。石田理論として考えているブーゲー異常の原因は花崗岩の存在であるとしてすでに[1785]重力異常が証明する大陸化機構で解説しましたが、フリーエア異常(フリーエア補正した後でも見られる重力の異常のこと)原因はどんなことが考えられるのか、を述べてみます。


 左の図は日本列島におけるブーゲー異常ですが、マイナス(地下に軽い物質があるということ意味する)になる原因は石田理論では、 この範囲の地下深部に厚い花崗岩の層があることを意味しています。
 東北地方に負のブーゲー異常が存在しない理由は、伊豆小笠原方面まで続く火山帯が存在するために、花崗岩を形成するために必要なゆっくりとした冷却が進行しないためではないかと推定します。 
 右図はフリーエア異常ですが、日本海溝の海溝軸より西側、および南海トラフの北側にマイナス異常が顕著に見られます。
 この原因は、「65」で紹介した紀伊半島の鬼ガ城に露出している気泡を含んだまま固化した岩石がヒントを与えてくれるように思います。
 海洋底の地殻は薄いですから、石田理論で考えると浅い場所でもマントル物質が融解して存在しています。融解物質内での地震、つまり水素爆発によってマントル物質内に気泡が内包されます。 この部分が固化すれば密度が低い岩石が形成されることは容易に推定できます。これがフリーエア異常が起きている原因であるというのが石田理論の推定です。
 松山先生は次のように書いておられます。

 「航海中は二回の荒天にも遭遇したが、遂に首尾よく日本海溝上の重力測定を実行することが出来た。艦内において常に簡単なる計算概況を知ることを努めて来たが、その結果によると、 日本海溝の上において重力が著しく小さく、約百ミリガル程度の負偏倚が存在することが認められるのである。最深所こそ重力不足の位置たるべきであると考えられるが、 われわれの得た結果は日本海溝の西側傾斜面において質量不足があり、地殻内部の力の不均衡が存在することを想像せしめる。 これを三陸および北海道方面に津波を起す海底地震の震源が同じくこの傾斜面にあることと併せ考ふれば、いささか酬いるところの成果を得た如く感ずるのである。」

 先生は地殻内部の力の不均衡が地震を起こしているのではないか、という推定をされているふしがありますが、力の不均衡で地震は起こらないと考えます。 そうではなく、地震爆発が昔から多いから、気泡を含んだまま固化した岩石が存在していることを示しているというのが石田理論の帰結であります。そう考えると、 南海トラフよりも、三陸沖のほうが重力異常が強く(異常値のコンターラインから分ります)、地震の常襲地帯であると言えるのではないでしょうか。 右図からは鬼ガ城はフリーエア異常の範囲内にあることが分かります。私はこのカルメ菓子のような構造こそが地震の化石であると以前から考えていました。 断層も地震の化石といえますが、[1805]シュードタキライトが地震の化石であるとは思えないのです。


熊野市鬼ガ城の裏山で見つけたカルメ焼き(菓子)状態の岩石構造                昭和時代に育った人には懐かしいカルメ焼き

カルメ焼きの作り方はここ

1826
Date: 2013-05-04 (Sat)
松山基範先生の実の功績
 松山基範の名前は、日本よりも西洋社会のほうで広く知られているようです。なぜなら、海洋底拡大説ならびにプレートテクトニクス理論の確立に広く貢献しているからです。しかし、 私が偉大な科学者であると思っているのは、信念を貫いた科学者としての態度に惹かれるからです。


 門下生の一人である前中一晃先生が書かれた「地球科学者松山基範の物語」には、「基範の歴史的発見もその当時にはまったく受け入れられなかったという。恩師からは、「君の言うことは、 地球の重力が下から上へ向かっていったというようなものだ」と叱責された。」と記されています。
注目されたのは、二十年後に計測器が進歩し、航空機から観測できるようになってからです。A.Coxらが地磁気逆転史を作り、Vine-Matthewsが海上地磁気異常模様の説明に地磁気逆転史を適用し、 さらに海洋底拡大説、プレートテクトニクスの成立へと進めたからです。その成立に決定的な役割を果たしたと考えられているからです。
 現在、松山基範が世界の科学界でどのような評価になっているのかを同書から抜粋して紹介します。
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 一九六〇年代に現れたプレートテクトニクス理論は、地震活動を含めて地球表面で観察される種々の地学現象を、たった一つの理論で統一的に説明するものである。
 プレートテクトニクス理論は十九世紀後半のチャールズ・ダーウィンによる生物進化論、二十世紀前半のアルバートーアインシュタインによる相対性理論と並んで、大統合理論の一つと評価されているが、 進化論や相対論と違うところは、一人の天才によってなされたものではなく、多くの人々が長い時間をかけて地球の観測を続けた結果得られたものであるという点である。 この理論の発展をもたらした重要な研究成果の幾つかは日本の地球科学者松山基範(マツヤマ モトノリ)によってもたらされた。
 二〇〇三年にアメリカのFacts on File, Inc.という出版社から著名な科学者シリーズと銘打たれた九巻の本が出版されている。生物学、化学、コンピュータ科学、地球科学、海洋科学、物理学、天文学、気象学、 宇宙工学の九つの分野での古今東西の著名な科学者の評伝を英文にして平均千語程度で紹介したものである。そのうちの一冊『A to Z of Marine Scientists』には、 紀元前四世紀のアリストテレスから一九五〇年代生まれの科学者まで十七カ国百四十七名の名前がリストアップされているが、その中に日本人としてただ一人登場する人物が松山基範である。
 イギリスの出版社から発行され、丸善から邦訳刊行もされている『科学者人名事典』(一九九七年三月)には、編著者の言によれば、現代的・国際的な視点からセレクトされたという科学者・技術者二千三百余名の名前が収録されている。 日本人では二十名の人物が採り上げられているが、その中で杉田玄白、野口英世、湯川秀樹といった錚々たる面々と並んで、地球科学者としてただ一人採り上げられているのがやはり松山基範である。
 地球の磁場がその極性を何回も変化させたという松山基範の予見(一九二九)は、アメリカ地質調査所のアラン・コックスによって顕彰され(一九六四)、コックスが提唱した地磁気極性変化の年代尺上で、 Matuyama Reversed Epoch(松山逆磁極期)としてしっかりとその名前を残している。これはアルフレッド・ウェゲナーによる大陸移勧説に端を発し、海洋底の生まれ変わりを論じた海洋底更新(拡大)説、 そしてプレートテクトニクス理論と地球のダイナミクスを説く現在の科学理論の発展につながる重大なものと位置づけられている。松山基範の名はこれによって地球科学の広範な分野で国際的に記憶に残されるべき重要なものとなった。
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 以上がその記述です。
 ニュートンによれば「科学者とは海辺の貝殻を見て海底の模様を詮索しているようなもの」という言葉がありますが、やがて詮索が進行し、プレートテクトニクスも進化論も、相対性理論も、過去の話となっていくでしょう。 でも、周囲の冷ややかな視線の中、勇気を持って詮索し続けた松山先生の科学者としての姿勢は、空気に流されっぱなしの現今の科学者の見習うべき態度だと私は思うのであります。
 最近の科学的詮索では、海洋底の地質が陸上とあまり変わらないことが分かってきています。サブダクション(潜り込み)は存在しない、と公言する科学者も出ています。(「サブダクションへの反証」) プレートテクトニクス理論は空気(当時の偉い人が言い出して、皆が一旦信じたうわさみたいなもの)として存在しているのみで、もはや実体がないことを多くの人が知っています。
 しかし、空気を吸っていないと生活が出来ないために、已む無く空気を吸っている人もいます。でも、近未来に歴史の検証は確実に行われるでしょう。そのときに「あの世の命」、 つまり「後世の評価」がどうなるのかは「今の生き方」に掛かっているわけです。
 松山先生は正直に勇気を持って信じるところを生ききった方であり、評価が下がることは無いと思いますが、プレート論の確立に役立ったとは思っておられないのではないでしょうか。
 何年後かの世界の科学書には松山基範のほかに、石本巳四雄、小川琢治、高木聖といった名前が載っているだろうと、私は思います。ダーウイン、ウェゲナー、 マシューズなどの名前は色あせているのではないでしょうか。
 佐藤一斎の言志四録には、
「功名に虚実有り。実功は則ち是れ人事なり。」
とあります。
 戦後の日本社会には、虚実を見分ける力の弱い、空気に流されるだけの学者が多くなったのではないでしょうか。後世「しのぎの学者」と呼ばれないようにして欲しいと思います。
「功名に虚実・・・」について、徳増省允氏の解説を紹介しておきます。
「功績をあげた名声を高めるに偽物と本物がある。本物の実のある功績とは、まさにそれが世における人としての仕事である。誠実な仕事を通して功績を積めばおのずから本物の名声はついて来るもので、 白然にまかせればよい、ただ功績や名声を求めて行動する結果得るものは、偽物にほかならないことを知るべきである。」

1827
Date: 2013-05-05 (Sun)
水平移動派(mobilist)と垂直昇降派(fixist)の論争
 自然科学の学問の世界でなぜ冷戦の影響を受けるのか、工学の世界に居た私には良く理解できませんが、現実にはアメリカ等自由主義陣営は水平移動派(mobilist)として、ソ連は垂直昇降派(fixist)として論争が行われ、日本国内でも二派に分かれて反目があったそうです。岩松先生の解説を紹介します。([550]でも紹介しました。) 教育の危機と"地質学の危機" 岩松 暉(『地質と調査』, 2002年第1号小特集 より http://www005.upp.so-net.ne.jp/fung/miscellany/education.html

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4.戦後日本のアカデミズム地質学  地質学の世界も教育界と同じような経過をたどっている。戦前は東京帝国大学の教授が全国の地質学界を牛耳っていたという。それに異を唱えて結成されたのが民主主義科学者協会地学団体研究部会(地団研)である。日本地質学会の民主化をめぐってめざましい活躍をした。学問の面でも片や佐川造山運動を唱え、片や本州造山運動を提唱して、厳しく対決した。しかし、所詮地向斜造山論という旧来の土俵の中での党派的争いに過ぎなかった。
 科学パラダイムをめぐっても厳しい対立があった。前者は機械論メタパラダイム、後者は有機体論メタパラダイムの陣営に属していた。とくに岩石学への熱力学導入をめぐって激しい論争が行われた。一方は実験岩石学や同位体年代学の成果を大いに取り入れ、自然を解釈しようとした。他方はこれを物理化学主義として排斥し、地質学は歴史科学であって地質学独自の法則性があると主張した。

 プレートテクトニクスをめぐる論争にも引き継がれた。前者は水平移動派(mobilist)に、後者は垂直昇降派(fixist)に属した。60年代初頭大洋底拡大説が出たとき、中央海嶺で広がり続ければ地球は膨張するしかないと批判された。このとき島弧である日本から本質的な貢献が行われた。すなわち、深発地震面との関係を論じた久野のマグマ成因論、都城の対の変成帯概念、杉村・松田らによる共役横ずれ活断層に注目した東西水平圧縮応力場の提唱などである。それらの成果も踏まえて沈み込み帯の概念が提出され、60年代末にプレートテクトニクスが誕生した。一方後者の陣営は、ソ連のベロウソフが提唱したブロックテクトニクス説を奉じて陥没説を唱え、グリーンタフ造山を論じた。確かに新第三紀中頃は日本海が開き始める時期であり、火山活動も活発だったから、背弧地域は展張テクトニクスの場であった。ベロウソフがロシア卓状地のような安定陸塊での経験を普遍化しようとしたと同様、特殊な時期の特殊な地域での現象を造山運動一般に外挿したことに問題があったと言えよう。
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 松山先生が発見した地磁気逆転発見は、大陸移動説を成立させようとするアメリカ、イギリスの水平移動派には強力な支えとなりました。しかし、ロンドン学派とニューカッスル学派の先陣争いに見られるように、学問的な功績・名誉には「虚」の部分があります。
 現在は水平移動派が勝利したかの感がありますが、海洋底拡大説、大陸移動説、サブダクション説といったものが「虚」であることは明らかにされる時代がそこまで来ています。それでも、松山先生の「実」なる功績は地殻移動説、大陸浮沈説を支える証拠の発見者として、輝きが失われることはないでしょう。
 やがて垂直昇降派が有利になる時代がくるでしょうが、水平移動派は南米とアフリカの分裂を大きく見すぎ、特殊な地域の特殊な現象を、地球全体に普遍化しようとしたことに躓きがあったわけです。
 近い将来、地震爆発理論をベースにした、新時代の地動説(ポールシフトまたは地殻移動論)が認定され、地殻変動の原因がマグマ内部に含まれている水素の爆発であることが常識になる新時代がくるでしょう。アトランティスやムーの証拠が発見されれば、水平移動派(mobilist)と垂直昇降派(fixist)の論争には完全な決着がつけられるようになるでしょう。
 なお、[550]では「石田理論は水平移動派(mobilist)にも、垂直昇降派(fixist)に加勢いたしません。どちらかと言えば垂直昇降派に近いかもしれません。」と書きましたが、現象としては垂直昇降のほうが多く起きており、水平移動は例外的に起きると考えたほうが良いと考えます。垂直昇降派(fixist)は昇降の原動力が不明であったわけですが、これについてはマグマ内部の水の熱力学的化学反応(水素爆発)と推定しているわけです。
注 現在は水平移動派(mobilist)が勝利したと判定されている。
参考 

 岩松 暉先生の「地質学史に見られるパラダイム転換」より、現時点での学会の判定を紹介します。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/fung/miscellany/paradigm.html
 一方、1915年気象学者 A. L. Wegener (1880-1930) がDie Entstehung der Kontinente und Oceaneを著し、パンゲアと呼ばれる超大陸が分裂して現在に至ったとする大陸移動説を唱えた。軽い大陸地殻が重い海洋地殻の上に沈み込んで地向斜を形成するのはアイソスタシー(地殻均衡説)に反すると考えたからである。大西洋両岸の海岸線の類似、南半球の古生代末植物化石の共通性、氷河遺跡の存在などを根拠として挙げたが、大陸が移動する物理的メカニズムが説明できなかったために、荒唐無稽として退けられた。ただ一人、A. Holmes (1890-1965) だけがマントル対流説を提唱して擁護した。Wegener が大陸という移動する船のエンジンを説明できなかったのに対し、Holmesは、大陸はマントル対流という流れに乗るイカダであってエンジン不要だとしたのである。しかし、大陸移動説自体が学界から忘れ去られていたので、ほとんど注目されなかった。
 20世紀半ば地球物理学が急速に発展する。岩石磁気の研究から磁北の位置が地質時代によって異なり、その軌跡を描くと、ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸で相似であり、磁北を中心に約35度程度回転するとピタリと一致していることが明らかになった。またその頃、海洋底の研究も進んできた。まず海底地形調査から大洋中央海嶺や割れ目帯が発見された。やがて中央海嶺はP波速度が異常に遅く、高熱流量で重力の負異常が見られることなどからマントルの湧き出し口と見られるようになった。また、地磁気の正逆の縞模様が中央海嶺を軸として対称であることがわかり、テープレコーダーモデルが提唱される (F. Vine & D. H. Mathew, 1963) 。これらを集大成して、R.S. Dietz (1961) やH. H. Hess (1962) が大洋底拡大説を提唱した。その後、J. Tuzo Wilson (1965) のトランスフォーム断層、W.J. Morgan (1967) のプレートの球面幾何学などの研究が続く。最後に、X. Le Pichon (1968) によって地球は6枚のプレートで覆われているとした、全地球テクトニクスとしてのプレートテクトニクスが誕生したのである。
 これに対し、V. V. Beloussovらソ連圏の学者は上下方向の構造運動を重視し、ブロックテクトニクス(垂直昇降説)を唱えた。Beloussovは国際地球観測年IGYを提唱して実行するなど先見の明のある高名な学者であったが、ロシア卓状地のような安定陸塊での調査経験という制約を免れなかったのであろう。安定陸塊における構造運動は差別的昇降運動程度しか見られないからである。このように水平移動派 mobilist と固定派 fixist との間で激しい論争が闘わされた。わが国でも同様であった。どちらかというと地球物理学者はプレートテクトニクス導入に積極的だったのに対し、地質学者は懐疑的で反プレート派が多かったように思われる。
 しかし、1970年代も後半になると完全に決着がつく。以後、このプレート説によって造山運動なども再解釈されるようになり、地球科学全体を主導するパラダイムとなった。現在はポストプレートテクトニクス時代と言われ、プレート運動も包含したプルームテクトニクスが全地球テクトニクスとして提唱されている。

1828
Date: 2013-05-06 (Mon)
垂直昇降派(fixist)の復権につながるか
 四月二十三日のCNN報道に、ガリラヤ湖の湖底に巨大な構造物が沈んでいることが音波探査で判明したというニュースがありました。
 詳細は不明ですが、垂直昇降派(fixist)の復権を予兆させるものではないでしょうか。  水中考古学が進歩してロボット調査団が深海底を探査できるようになれば、大西洋に眠るピラミッドの発見も可能となるでしょう。そのときにはアトランティスの存在が明確化し、垂直昇降派(fixist)の完全復権が果たされることでしょう。まずはガリラヤ湖の調査に期待したいと思います。記事を紹介します。
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湖底に謎の巨大構造物、数千年前の古代遺跡か イスラエル
2013.04.23 Tue posted at 11:56 JST
 ガリラヤ湖の底に正体不明の巨大構造物が沈んでいるのが見つかった 写真提供=SHMUEL MARCO
(CNN) イスラエルにあるガリラヤ湖の底に、正体不明の巨大構造物が沈んでいるのが見つかった。直径はボーイング747型のジャンボジェット以上。研究チームが建造された年代や目的などについて調べている。 構造物は2003年に音波探査機を使った湖底調査で偶然発見され、研究チームが最近になってその存在を明らかにした。玄武岩を円錐形に積み上げた構造になっており、土台部分は70メートル、高さ10メートル、重さは推定6万トン。英ストーンヘンジの巨石建造物の2倍の大きさがあるという。
 建造された年代の特定は難航しているが、土台部分に2〜3メートルの砂が堆積していることから推計すると、2000〜1万2000年前に建造されたと見られるという。
 潜水調査などを実施して構造物を調べたテルアビブ大学の地球物理学者は、大きさと場所から判断すると、一種の養魚場として建設されたのではないかと指摘する。一方、考古学研究者は、地上に建設されたものが後に湖の底に沈んだという説を有力視する。
 先史時代の遺跡に詳しいハイファ大学の考古学者は、「あまりに巨大な構造物なので、普通のものでないことは確かだ」と解説し、共同墳墓に似ているとも指摘した。ただ、確固とした結論は出せないとしている。  水中の遺跡は地上の遺跡に比べて分解などが進みにくいため、良好な状態で保存されている可能性も大きいといい、研究チームは資金を集めて詳しい発掘調査を実施したい考えだ。
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 ガリラヤ湖はイエスが活動した時の中心であったところです。イエスはこの構造物を見たのでしょうか、それ以前に沈んだのでしょうか、早く詳細な調査をして欲しいものです。

     また、BG Daily News
http://bg-daily-news.eu/culture/1502-a-4000-year-old-pyramid-was-found-in-galilee-lake
には、 「A 4000 year old pyramid was found in Galilee lake」
とあって、4000年前のピラミッド建造物だと報じています。科学者は「このピラミッドは湖ができるまえに、地上で建造されたもので、そのあと沈んだものであることを否定できない。」と見ているようです。考古学者は「この地はBeth Yerach(ベス・イエラ)という古代都市の北部域にあたり、BC3世紀にはこの地域最大の居住地の一つだった。」と述べています。
Scientists do not exclude that it was built before the lake exists and there was land. "If the structure was actually built in this era, this means that it is north of the ancient city of Beth Yerach. It will help us learn something new about him" - says Israeli archaeologist. In the third millennium BC. the city was one of the largest settlements in the region.
 イエスがガリラヤ湖周辺で活動されたことと、古代に都市があったことと、何らかの関連があったのかもしれません。

1829
Date: 2013-05-06 (Mon)
PT論受容に関する地震爆発論学会の見解
 地学史勉強会というものがあるそうです。その27回勉強会で、「プレートテクトニクスの拒絶と受容―戦後日本の地球科学史」の著者である泊 次郎氏が話題提供された記録がありました。
 プレートテクトニクス (PT)論が真理であるかのような、そして「固体地球物理学の分野では、地質学分野との交流がほとんどなかったために、戦後の日本の地質学界に見られた「反米親ソ」のイデオロギー的な影響をほとんど受けなかった、ことも関係しているかもしれません。」と云うコメントがありました。
 そもそも、「反米親ソ」のイデオロギー的な影響と云うものを想定すること事態に問題があるように思います。私は、地質学会の研究者、または戦前までの「地震学者」の多くは、「自然の現場」をしっかりと観察しておられたから、「机上の観念」でも仕事ができる「固体地球物理学」の研究者よりも、「空気」に動かされなかったのではないか、という「真逆」の見方をしておりますので、泊氏のコメントを受け入れることができません。まずは勉強会の記録を紹介します。
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第27回 地学史勉強会 記録 日 時:2007年 6月23日(土) 午後2時〜5時 会 場:青学会館 校友会室B 参加者:15名
   (省略)
  2.泊 次郎 氏による話題提供「日本の地球物理学分野でのプレートテクトニクス (PT) の受容」 標記の題名のA3のレジュメ(両面)と「プレートテクトニクス関係年表」 (A3) が配布され、パワーポイントによる資料提示を含めた講演が行なわれました。泊 氏は3月に東京大学に博士学位論文「日本におけるプレートテクトニクスの受容」 (2007年3月、206頁) を提出しており、今回の発表はその一部に基づいたものです。まず @海外での反対論 A欧米での地向斜論とPT B欧米でのPTの受容 C旧ソ連でのPTの受容 D中国でのPTの受容 と比較受容史的に展開され、さらに E日本でのPTの紹介 F地球物理学分野でのPTの受容 G地球物理学分野と地質学分野との受容時期の差 H地球物理学分野で受容がスムースに進んだ要因 と日本の事例が検討されました。
 討論も活発に行われ、日本の大学における地球物理学科(講座)の成り立ち、1970年代初頭の地質学の大学院生の動き、工学部の資源関係学科での扱い、中国の事情、台湾での経過、理論依存かフィールド依存か、地震予知計画との関係、竹内 均 氏の役割と評価、1970年代以降の対応、付加体仮説の登場、等々の話題が続き途切れることがありませんでした。泊 氏には機会があればもう一度お話いただくことをお願いして終了しました。
日本の地球物理学分野でのプレートテクトニクスの受容
元東京大学総合文化研究科博士課程 泊 次郎

 地震や火山、造山運動などの原因を、地球の表面を覆う厚さ100km程度の十数枚のプレートの運動によって説明するプレートテクトニクス(以下、PTと略)は、1960年代後半に確立し、欧米では70年代初めには多くの地質学者、地球物理学者に受け入れられ、地球科学に革命を起こしました。日本でも、(固体)地球物理学分野では欧米と同様の時期に受け入れられましたが、地質学の分野では、PTとそれにもとづいた日本列島論が受け入れるようになったのは、1980年代半ばを過ぎてからでした。日本の地球物理学分野ではなぜ、PTの受容がこのようにスムースに進んだかについて考えてみたいと思います。
 初めに、海外での先行研究をもとに、各国ではPTはいつごろ受容されたのかを紹介しておきます。海外でもPTに対する反対はありましたが、それは主に@地球収縮論(英国のジェフリーズや米国のマイヤーホフ父子ら)A地球膨張論(オーストラリアのケアリーら)B垂直振動テクトニクス(旧ソ連のベロウソフら)の既存の地球論にもとづいたものでした。しかしながら、こうした反対論は大きな広がりは見せませんでした。PTという新たな地球論は、地球上のさまざまな地質現象について、そうした地球論を上回る説明力をもっていたからでしょう。
 もう1つ、海外では日本のような“地向斜造山論”にもとづいた反対はなかったのも特徴です。PTの基礎になった海洋底拡大説を唱えたディーツをはじめ多くの研究者によって、1960年代初めから70年代前半にかけて、海洋底拡大説のもとで地向斜をどのように解釈するかについて数多くの論文が書かれています。地向斜論と海洋底拡大説は対立する関係にはなかったのです。  1966年に米国のピットマンらによって、地磁気異常の縞模様に関するテープレコーダーモデルが検証されると、米国では海洋底拡大説への支持が急速に広がりました。北米ではPTは1975年までには地球科学の標準的な見解になった、とされています。英国でも同様です。陸上の地質学者は海洋の地質学者や地球物理学者に比べると、PTを受け入れるのに多少時間がかかりましたが、それも2年程度の差に過ぎなかった、ということです。
 旧ソ連ではベロウソフらが反対したために、PTの受け入れが1980年代半ばまで遅れました。しかし、反対が一枚岩的なものであったわけではありません。科学アカデミーの幹部たちはPTを取り入れて、それをソ連独自のものとして発展させることを意図していたようです。中国でも文化大革命があったために、PTが入ってくるのは遅れましたが、PTが紹介されてから受け入れるまでは早かった。中国地質学会は1982年に創立60周年を迎えましたが、会長の黄汲清は記念講演でPTの果たす役割を高く評価しました。
 日本には1967年まで本格的な海洋研究船がなかったこともあって、1960年代初頭には海洋底について本格的に研究する人はほとんどいませんでした。しかし、欧米では海洋底の観測が進み、海洋底に関する知識が飛躍的に増加し、新しい海洋底像が描かれ始めていることについては、少なからぬ研究者が注目していたようです。地震学会の発行する『地震』には1960年にマントル対流に関する研究論文が掲載されていますし、1962年の春季大会では、「海域の地球物理に関するシンポジウム」が開催されています。
 1963年からは日米科学協力が始まり、海洋底拡大説の当否を検証するために、米国と共同で西太平洋域での深海地震探査や地殻熱流量の測定、地磁気異常の縞模様の観測などが行われ、日本列島周辺にみられるさまざまな地質現象を海洋底拡大説を使って説明しようとする研究が、地球物理学分野では盛んになりました。そして1970年代初めには、太平洋沿いに起きる巨大地震の発生のメカニズムを海洋底(プレート)の沈み込みと結び付けて論じることが、一般的になりました。
 日本では固体地球物理学の研究者は多かれ少なかれ、地震の研究にも関係していましたから、地震のメカニズムをうまく説明できるということで、PTは急速に受け入れられた、と考えられます。東京大学の地震学の教授であった浅田敏は1972年に大学生向けの参考書『地震』を出版しましたが、これはPTの考え方を全面的に採用しています。浅田はこの本の「あとがき」で、「PTを知るのが遅れたことを後悔している」と書いています。
  地震学会の毎年春と秋にある大会での講演要旨や『地震』に掲載された論文のうち、プレートや沈み込み、トランスフォーム断層などの「プレート語」を含んだものの数を調べてみますと、1970年代前半からほぼ直線的に増加しています。一方、日本地質学会の学術大会では「プレート語」を含んだ講演が急増するのは1984年ごろからです。『地質学雑誌』『地学雑誌』『地球科学』などの論文も、同様な傾向が見られます。
 このように、日本の地球物理学分野では1970年代前半にPTが受け入れられたことが分かります。科学の国際性という観点からすれば、こうしたことは特異な事態とはいえませんが、地質学分野と比較した場合には、地球物理学分野ではなぜPTの受容がスムースに進んだのかが問題となり得ます。その要因として、@地球物理学分野の研究の多くも、日本列島の地震や火山噴火などの現象の記述に向けられていたが、その中から世界レベルの研究が誕生し、早くから世界を意識して研究が進められていた、A国際地球観測年を契機にして、国際化も早い段階から進んでいた、ことなどがあげられます。
 また、日本の地球物理学は地震学を中核として発展したという事情も関係しています。1960年代半ばには地震の原因は2組の偶力によるという断層地震説が確立しました。ところが、この2組の偶力を発生する力はどこからくるのか、その説明が存在しませんでした。PTはこの力の源について明確な説明を与えたことが大きかった、と思います。
 固体地球物理学の分野では、地質学分野との交流がほとんどなかったために、戦後の日本の地質学界に見られた「反米親ソ」のイデオロギー的な影響をほとんど受けなかった、ことも関係しているかもしれません。
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 以上が記録の紹介です。どこかに書いたと思いますが、地質学分野の研究者がPT理論の受容を拒否してきたのは、「洞察力」が高かったからだと私は評価しています。受容が遅れたのは「空気」に流されない立派なことではないのでしょうか。
 昭和の天才科学者とも言える小川琢治、石本巳四雄の二人の博士の存在が、「自然現象」を忠実に観察する気風を作り、イデオロギー論争とは関係なしに「アメリカ流儀」の研究態度に感染することを避けることができたのだと思っています。イデオロギー論争を持ち込んでジャッジするのは公平な態度とは思えません。
 冒頭にある竹内 均 氏の役割と評価・・・に関してはこの記録に残っておりませんが、私としては聴きたかった内容でもあります。
 泊氏の認識には反論もあることを知っていただきたく、
 ここに、「地震爆発論学会」の見解を述べておきました。
PS
[1384]に紹介した湊正雄先生の存在も忘れてはならにようです。NCGTのChoi氏が次のように語っています。
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「事実を、正確に、総合的に、あるがままに見よ
See facts as they are, precisely and comprehensively   
     (赤松 陽[訳])
 上記のタイトルは、私(Choi)が日本の札幌にある北海道大学大学院に在籍していた当時、湊正雄主任教授に教えていただいた金言です。私がくり返し聞いた金言には他にも、“フイールドは地質学の母である”とか“歴史は結局のところ常に公平である”などがあります。
 私が上記のタイトルをここにとりあげた理由は、現在の地質学の体制[establishments]が、(タイトルとは)全く正反対の手法に従っているからです。これはNCGTグループ結成の理由の一つでもありました。この体制は、事実として据えられている単純で、自明の、増大しているデータを受け入れることを欲しません。彼らは、彼らのモデルの趣旨に適合する場合にのみ、そのデータを使い、そうでなければ無視してしまいます。
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 以上が湊先生のお弟子であるChoi氏が現在の地質関連学会に対して発せられる批判です。[1822]に紹介した「つくる」んだよ・・・、業績もデータも、という告白話と符合が一致する「虚業」の姿が見えて来ます。
 「この世の命」は華やかであっても、「歴史の評価」という「あの世の命」は常に公平に検証されるということを湊先生は弟子に教えておられたのでしょう。.

1830
Date: 2013-05-07 (Tue)
井尻先生、湊先生への感想
 工学部に籍を置いていたものには、自然現象の探求にイデオロギーが絡むことが今ひとつ理解できないものがあります。湊先生の研究姿勢も公平に見て「立派」なものだと思うのですが、泊氏の言葉にある「「反米親ソ」のイデオロギー的な影響」というものを与えていた地団研の指導者が湊先生であり、井尻先生であります。お二人の思想はどのようなものだったのでしょう。
 そこで、以前に読んだ「井尻正二・湊正雄:地球と生物との対話」を再度拾い読みしてみました。プレート論のところでは、的確な視点での指摘がありますが、政治と経済のあり方では偏向した見方をされているのを感じました。
 井尻先生の言葉ですが、「政治家を動かしているのは、本当は独占資本家と云う経済人だということを見抜く自然科学者は、まだまだ少数派だと思われます。そういう意味で、経済の基本(『資本論』)を勉強するならいいだろうというわけで、『資本論』の勉強会に出かけていったわけです。」とか、「世の中には経済が基本にあるということを、果たして今日の自然科学者たちは本当に見抜いているかどうか、それは非常に疑問だと思います。」と云う言葉があります。
 マルクス経済学が正しいと見ておられた点で、お二人の政治・経済への洞察力は自然現象への洞察力ほどではなかったと言えるでしょう。マルクス経済学は「嫉妬心」の上に構築されており、資本家は労働者を搾取する悪人と見る所に問題があります。「お金持ち」を嫉妬し、引き摺り下ろそうとする心根は社会全体を進歩させることには繋がりません。
 昔の話ですが、テレビが出現したとき、テレビはお金持ちしか購入することができませんでした。そこで、街の電気屋さんの前で、力道山の活躍を観たのを思い出します。お金持ちが高いテレビを購入してくれたからこそ、量産が可能となってみんなが購入できるような安価になったわけです。テレビを買えるようなお金持ちはケシカラン、と云う嫉妬心は貧しい人を裕福に導く道を閉ざしてしまいます。
 いまでも、高学歴で学問を積んだ人であるはずなのに、「フラットな平等社会が理想社会だ。」という社会の発展を無意識的に拒絶する人が居ます。人間社会はある程度「ピラミッド型」だからこそ発展するのであって、「文鎮型」だったら未開社会のように「貧乏の平等」にしかなりません。
 勿論行過ぎたピラミッド型や、ピラミッドの固定化社会は幸福感を生みませんので、どこかに「中道」が存在するのは当然です。
  「地団研」を指導されたお二人の先生には「理想家」の面は強く感じますが、政治と経済に関しては「中道」を踏み外されていたように感じます。
 マルクス経済学は破綻しましたが、お二人がシンパシーを抱いておられたソ連圏でも、ベロウソフ教授のように自然現象の探求と云う面では高い洞察力をお持ちだった研究者が居たのは確かだと私は思います。
 最後に、お二人に共通するのは「宗教嫌い」でもあるということです。以下の意見には私は「真逆」の感想を持っております。やはり、自然科学への探究心以外には「リスペクト」できないものを感じます。心の深いところで「嫉妬心」の克服が出来ておられないのを感じます。
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井尻−私は、今までいろいろな科学者を見てきましたが、私は科学者の真価というのは、やれノーベル賞をもらった、学士院賞をもらった、という専門分野の業績だけで判断をしないことにしています。そして、科学者たるもの、その道ですぐれているのは当然のことです。そうではなくて、科学者が自分の専門外のことに発言したとき、その発言によってその人の真価を評価するわけです。
 たとえば、個人の名はあげませんけれども、ある分野でひじょうにすぐれた自然科学者、がいたとします。ところが、その分野をはなれて平和問題になると「世界国家」こそが平和をもたらす、といった発言をするようでは、おのずと「国家」というものの本質は何もわっていないことを暴露するわけですね。
 つぎに、そういう賞をもらうと、やたら宗教問題とか、教育問題、芸術問題にまで口出すことになります。(略 石川啄木、宮沢賢治などを高く評価する風潮への批判が続く)  したがって、狭い専門分野では何々賞をもらう人であるにもかかわらず、その思考力たるや広く物を見、判断する能力に価しないということになります。
 人間として生まれて、専門のことだけはわかるが、他のことになると全然見当違いになるというのでは、どこか具合が悪いのではないでしょうか。私はそういう人間をあまり評価しません。というより、私はそういう人間が好きじゃないのです。人の真価というものは専門外のことでも、いかに的確な判断をくだせるか、ということで、きまるのではないでしょうか。
−そう思いますね。
井尻−それで、自分の専門分野のことでほめられると、すぐ悟ったような面をして宗教の話をする。あれが一番嫌いです。また、こうした者をかつぎ出すジャーナリズムとて同じです。
−まず、そのノーベル賞というレッテルが貼られたばかりにジャーナリズムにかつぎ出されて、それに乗り出して行って、恥をさらすようなものだ。
井尻−私がつくったアフォリズムに、「人は自分の能力に応じて他人を判断する」というのがあります。それを逆に言うと、私自身を含めて、人間は自分の能力に応じてしか、他人やものごとを判断できないということです。これが啄木を選んだ能力であり、世界国家を選んだ能力だということです。またそういうことを言う人をかついだジャーナリズムの能力だということですね。まったく寂しい限りですよ。
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 「知」にも発展の段階があります。嫉妬心を克服し、他人の長所を公平に認め、「褒める」姿勢を取れないうちは「知」の第一段階「知的格闘の時代」を超えて第二段階「不動の知の確立」には入れないのです。お二人の「知」はストラグルの段階にあるようです。「地団研」への評価が下がってしまったかもしれませんね。

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