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1211
2006-11-20 (Mon)
千島列島沖地震の津波について
読売新聞の報道によると、この度の千島列島沖地震および津波は北米プレートの跳ね上がり現象によって生じたと気象庁は考えているらしい。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20061115ik21.htm

千島列島の地震、北米プレート跳ね上がり現象か

 15日に会見した気象庁によると、今回の地震が起きた千島列島東側にある千島海溝付近は、地震の多発地帯。太平洋プレート(板状の岩盤)が徐々に西側の北米プレートに沈み込んでいるため、両プレートの境界にはひずみが蓄積する。そのひずみを解消しようと、北米プレートが跳ね上がる時に地震は起きることが多く、気象庁は、今回も同様のメカニズムで発生したと見ている。
以上がその記事ですが、毎度おなじみの紋切り型の発表であり、小・中学生でも出せるコメントではないのだろうか、と思うのだが、少しコメントを書いておきたい。
中日新聞によると、カリフォルニア海岸に1.8メートルもの津波が襲来したということであるから、海底の上昇は相当量あったものと推定できる。

北米プレートが跳ね上がったとすれば図中の赤線で示すように、上昇した部分と上昇しない部分との間に地盤の食い違いができるはずである。果たしてそのような段違い(これは地震断層ではないはず)ができているのだろうか。そのようなプレート境界線に直交するような段違いはこれまで観測されたことがないのではないかと思うのだが・・・。

また、テレビ報道では根室や釧路に届いた津波の第一波は押し波(海底地盤が上昇することによって生じる現象)であったが、第一波が引き波であった場所もあるということだから、海底地盤が沈降した場所もあるはずである。

定説では、スマトラ沖地震の解説にもあったように、プレート境界に平行(図中の青線部分で上下運動の無い不動の場所)に上昇と沈降の境界が形成されるということである。しかし、青線の部分に段違いが発生せずに、プレート境界前面だけが跳ね上げ、後方部は逆に沈降するという「こんにゃく板」的な変形現象があるとは思えない。

地震学者の発想にはお付き合いできないことが多いのだが、仙台市の防災・緊急情報サイトでは、下図に示すように定説をさらに「分かりやすく?」解説(誤解説?)しているから驚きである。

空中で弓の玄が変化するようなことが固体中で起きるわけが無い、跳ね上がったプレート先端部の下部に空間ができるとでもいうのだろうか、まことに怪しげな解説がまかり通っている。


海底地盤の上昇と下降は押し円錐の内部に相当する領域が上昇し、それ以外は下降するという、石本博士の押し円錐理論から導かれる推論のほうが合理的である。
少なくとも、定説による解説では平面的な思考のみであって、紙面に垂直方向の端部においてどのような現象になっているのか全く考慮がなされていない。
さらにおかしなことは、最大の跳ね上げ量になるプレート先端部は海溝最深部になるはずであるが、それは遥か沖合いにあるということである。
下の地図を見れば明らかだが、海溝最深部は200キロ以上沖合いにあって、6〜8千メートルの深さである。そのような深さで海底が隆起しても津波にはならないから、震源付近の上部が隆起したのだろうが、とすれば仙台市の防災・緊急情報サイトにある解説図のようにはならないように思える。

1212
2006-12-11 (Mon)
新・地動説
今日はある会合に出席して、「新しい現代の地動説とはポールシフトのことである」という内容の講義をしてきた。一時間以上も話していたが皆さん良く聞いてくださり、質問あり、激励もあってうれしかった。
過去に何度もポールシフトが起こったという証拠があるにも拘らず、地球物理関係の学者はそれを認めておりません。その証拠と言うのはライブラリー43「地軸は7600万年の間に171回逆転した」に紹介した地磁気の縞模様のことです。

地動説がバージョンアップ?されていませんので、海底に存在する地磁気の縞模様は、N極とS極だけが入れ替わったのだと解釈されています。

このように現在の地球物理学では地球が自転運動と公転運動以外には姿勢を変えることはない、地軸が大きく変化することなどは無い、という古い地動説しか認めていないので、地球に関してオカシナ解釈がまかり通っているのです。
その一つが氷河期の解釈です。アフリカの砂漠地帯に氷河の痕跡があることから、その当時は地球全体が凍結するような大氷河期と考えています。又、ニューヨーク付近にも氷河の痕跡があるので、その頃も氷河期であったという解釈をしています。

しかしこうした解釈は間違っています。新しい地動説を導入すれば、地球の姿勢がクルクルと変わったことがあり、地球上で色んな地域が極地入りして、氷河に覆われたことがあるということに過ぎません。

また、胃袋に消化されていないキンポウゲの花を入れたマンモスの冷凍死体がシベリヤで見つかりますが、ポールシフトを認めれば簡単に解釈が終わります。急激な地軸変化は大洪水を発生させるわけで、もっと南方の温暖な地域に生息していたマンモスや他の動物達が大洪水の犠牲になって北方へ流され、巨大な墓場を作ったという解釈です。
「現代の地動説」とは平易に言えば「地球がクルクルと姿勢を変える」ということですが、姿勢を変える原因は巨大な地震によって、大陸規模で陥没や隆起が起こり、回転体の重心移動が起こることにあります。
そして巨大地震が発生するのは、プレートが跳ね上げることでも、活断層が動くことでもなく、地下で解離ガスが爆発することが原因です。

以上の話を熱心に聴いてくださり、時を待てばやがて認めてくれる人が増えるから長生きしてください・・・と激励された。
南極の氷の下から、過去に栄えた文明の遺跡が見つかる頃に、「新・地動説」は認められるだろう・・・と言う人も居りました。それまで長生きしたいですね・・・と笑ってお答えしておきました。
それにしても、南極大陸上に恐竜が生息していた事実が化石から証明されているのに、なぜ大陸が移動したと言うような解釈で済ませようとするのか不思議です。そこまで頑迷であるとすると、文明の遺跡が発見されても、大陸移動で説明されてしまう可能性もあるのかなぁ・・と思ってしまいます。

1213
2006-12-14 (Thu)
ナンセンスな「地震のツボ」論
資料を整理していたら、昨年8月の中日新聞に「地震のツボ」を探すことで、効果的な防災対策につながるとか、地震の前兆を観測できるという記事が載っていた。
石田理論からいえば、全くナンセンスなお話でしかないのだが、記事の内容を抜粋して紹介しておきます。
なお、人工地震の調査でわかる反射の強弱とは、ニューオフィス35「地震空白域が出来る理由」で解説したように、水の存在が原因ではなく、マグマが毛細血管のような状態で、密に存在するのかそうでないのかによって変わってくる、というのが石田理論の観点です。密に存在していれば、それだけ解離ガスの発生する機会が多く、地震も発生しやすいということです。蜜に存在していない場所なら、地震発生の機会が少なく「地震空白域」になるという単純明快な結論です。マグマの流れが多ければ反射は弱く、少なければ強く反射するということです。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「地震のツボ」を探せ  (中日新聞2005・8・9夕刊)

 地震の断層には、特に大きく動いて強い揺れを出すアスペリティー(固着域)と呼ばれる場所かある。固着域が断層のどこにあるかで地面の揺れは大きく変わるため、その場所が分かれば効果的な防災対策につながる。人工地震を使った地下探査で、この″地震のツボ″がどこにあるかが見える可能性が出てきた。   (永井理)


(中日新聞2005・8・9夕刊より)

首都圏では、陸のプレート(岩板)の下に、海側のフィリピン海プレートが沈み込んでいる。両プレートの境界面は、摩擦の大きな固着域を中心に密着し、固着域がはがれると境界面がズレ動いて地震を起こす。 東大地震研究所では、海上や地上で人工地震波を出してプレート境界面ではね返らせる「反射法探査」で、東京湾の地下を南北に調べた。その結果、経路のほば南半分(三浦半島−横浜市沖)で地震波の反射が弱く、北半分(横浜市沖−浦安市)で反射が強かった。
同様な強弱は、三陸沖でも観測されている。三陸沖は、陸側プレートの下に太平洋プレートが沈み込む。(ニューオフィス35参照)
東大や千葉大のチームが数年前、岩手県の沖釣百四十キロの海底を反射法探査で調べたところ、地震がよく起きる場所はプレート面の反射が弱く、地震のない空白域では反射が強かった。
千葉大の佐藤利典助教授は「地震波を反射しやすい水や泥が境界面になければ説明できない結果だ。空白城の境界面は水があってズルズル滑っているため地震が起きないと考えられる」と話す。反射が弱いところが地震のツボなのだ。(中略)
東大地震研究所の佐藤比呂志教授は「反射の強い東京湾北部は、三陸沖のようにプレート境界に水などがあるのだろう。固着域は境界が密着して水がないため反射が弱い。初めて固着城が推定されている場所で、反射の強弱との対応が得られた」と話し、反射によって固着城を判別できる可能性が示せたとする。(中略)
笠原順三・東大名誉教授は「プレート境界面の水が増え、ゆっくり滑りが加速すると、東海地震や東南海地震の引き全になるのではないかと注目される。水が増えれば反射の強さが変化して前兆現象を観測できる可能性がある」と期待する。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
以上が中日新聞の記事(抜粋)です。
地震学者の皆さんは「水の存在」と「滑る」という物理現象とを関連を付けて考えておられます。しかし、このような深い場所では、水は高熱水を越えた超臨界状態になっているはずであり、地上での水の挙動と同じではないはずです。
「滑る」という物理現象が加速されて大地震になる・・・というのは、ナンセンスです。
加速するには、周囲の束縛がない自由空間が必要ですが、地下にそのような空間が無いのは確実ですし、あったとしても数メートルという断層の食い違い量では起こらないことです。
地震は物理現象が引き金になるのではなく、化学的な爆発(爆縮)現象が真相だと思います。

1214
2006-12-15 (Fri)
ヌルヌル滑りの滑稽さ
今から28年前に発行された地質学者・井尻正二先生の「日本列島ものがたり」という書籍には、「一部の学者や教科書は、まだ仮説にすぎない板説(プレート論)を、あたかも真理のようにのべていますが、これは大きな間違いです。」・・・とはっきりと書かれています。今では一部ではなく、ほとんどの学者と全ての教科書・・・といっていいのではないでしょうか。プレートを見た人も、動いているという確かな証拠も見つからないままに・・・です。
井尻先生の書籍から「プレート説」の解説を抜粋して紹介します。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
プレート説は、近年、アメリカを中心にしてはやった学説で、その要点は次のようなものです。まず、地球のすべての海底には、厚さ100キロにおよぶ岩石の板がしきつめられているというのです。そして、この岩石の板は、地下2900キロのところまでつづくマントル層の上部が液体になり、対流を起こし、それが海底のわれ目からあふれ出て、つぎつぎに固まってできた板だ、というのです。

このような海底の割れ目は今ではたいてい海嶺、つまり海底の山脈となっていて、なおもそこから流れ出る溶岩は海嶺の両側にひろがって固まるとともに、すでに固まっている海底の板を、両側におしやるというのです。そこで押されて、年に数センチずつ動いていった海底の板は、大陸にぶつかると折れまがって大陸の下へもぐりこみ、ふたたびマントルにもどっていくことになります。そして、このもぐりこみの口が、日本海溝のような海溝になっていることがおおい、というのです。
 駿河湾のあたりは、フィリピン板といわれる板(プレート)が、日本列島にもぐりこむところで、そのため地下には力がくわわり、しかもそれが十分にたまっているので、いつ地震がおきてもふしぎはない、というのだからたまったものではありません。
 というのは、

@地震の原因は、学者が一生懸命に研究していますが、まだ正体がつかめないでいるのです。科学にはこのような例がたくさんあって、身近なところでは、風邪や神経痛やガンもそうです。

Aつぎに板説は、科学の「法則」や「真理」といわれるものではありません。まず、マントル対流があるかないかもたしかではありません。つぎに、厚さ100キロの板はどんなものか見た人もありません。それが動いている、というたしかな証拠もありません。
 このように板説は、仮定のうえに、二重にも三重にも仮定をかさねた一つの考え(アィディア)で、科学でいう「仮説」の一つにすぎないのです。 日本の一部の学者や教科書は、まだ仮説にすぎない板説を、あたかも真理のようにのべていますが、これは大きな間違いです。(井尻正二著「日本列島ものがたり」築地書館1978/11初版発行)
――――――――――――――――――――――――――――――――――

井尻先生は地質学者と地震学者との対話集会の席で「あまり幼稚な質間なので恥かしいのですが、三球・照代さんという人の漫才に、「地下鉄の電車はどこから入れたか」というのがありますが・・・」という切り出しで、ユーモアたっぷりに「プレートが潜り込んで地震になるのなら、震源は線上に表示されるはずではないのか、なぜいつも震源というのは点で表示されるのか・・・。」と質問しておられます。(セミナー[114]参照)
納得できる明快な回答がないまま集会は終わっていますが、今ご存命ならばユーモアたっぷりに以下のように質問されるでしょう。

「地下鉄の先頭車両と最後尾の車両のブレーキが壊れていて、切り離せば一人でも動かせるほどヌルヌルと動くんです。しかし、真ん中の車両はブレーキが充分に働いていて前後の車両と連結してあると仮定します。さて、前後の車両がヌルヌル動くことがありましょうか?」

真ん中の車両は固着域(アスペリティー)と考え、前後の車両はヌルヌル領域・ゆっくり滑り領域・・・と考えてみると、「プレート境界面の水が増え、ゆっくり滑りが加速すると、東海地震や東南海地震の引き金になるのではないか・・・」という議論([1213]参照)が如何に滑稽なものであるかが分かるのではないでしょうか。

「前後の車両がズルズル滑り始めて加速されると、真ん中の車両も突然爆発的に動き出すのです・・・」と言っているようなものですから・・・。

地震学は28年前の井尻先生の「まだ仮説にすぎない板説を、あたかも真理のようにのべていますが、これは大きな間違いです。」という警告を無視して横道・・・邪道に進入してしまったように思えてならない。

1215
2007-01-02 (Tue)
磁極の移動軌跡はナメクジ型でなくUFO型である
2chでは、石田理論のどこが間違っているのか教えて欲しいという質問に対して、参考書を読んで勉強しろと言うだけの回答しか与えられないようです。何度質問しても「本を読め」だけなので、質問者が、「教えてもらうことをあきらめます」という記事がありました。少し抜粋し、かつ補足(カッコ内)を加えて紹介しておきます。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
436 :質問者
トンデモ理論とされる物の誤っている部分が知りたく http://science4.2ch.net/test/read.cgi/earth/1103370859/
に質問([214]以下に展開)しましたが「本読みなさい」以上の回答がこれ以上もらえなさそうなので

ここで質問させて頂きます。(初心者質問スレ)

--引用
http://www.ailab7.com/indo.html
磁極移動ラインがこんなにスムーズなラインになるはずがないということです。
ジュラ紀の手前にある白亜紀内だけでも磁極の逆転現象が、7600万年の間に171回起きているのです。
(ナメクジの移動痕跡のように)一年に数センチずつ移動したと言うことはありえないはずです。 N極とS極が逆転してしまうような大変動が171回もあったことが海底岩石(海嶺から左右に噴出・冷却し、その時代の磁場を記録している磁気の縞模様のこと)に記録されているのですから、磁極移動の軌跡ラインは北へ南へ、(UFOの瞬間移動のように)ジグザグラインになるはずです。

--引用ココまで
これに対しては
http://science4.2ch.net/test/read.cgi/earth/1103370859/220n
「磁極の変更が大陸移動の結果だから、プレートがジグザグになったとかいうとんでもなわけね。一目みれば、まあ、トンデモっていうか考え方が壮大っていうか。 」(意味不明)
と回答がもらえましたが、何故大陸移動で磁極が変更するかわかりませんでした。
検索もしてみましたが該当するサイトが探せませんでした。何故大陸移動が磁極変更の原因になるのでしょうか?

-引用その2
http://www.ailab7.com/udaz.html
すなわちプレートを生産する場所がなく、のみ込まれる一方だというのに存在するという奇妙なプレートである。(フィリピン海プレートのこと)
--引用その2ココまで
これは具体的にどの部分がトンデモなのでしょうか?

437 :回答者
http://science4.2ch.net/test/read.cgi/earth/1103370859/ で回答済み。
トンデモサイトなど見るな。
438 :回答者
>436
プレートテクトニクスについて、ここで1から教えてもらおうなんて思わない。まず、ちゃんとした本で知識をつけましょう。
442 :質問者
>437-438
むぅ、そうですか。諦めます。 ありがとうございました
443 :回答者
世の中には>442みたいな情けない奴もいるんだね。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
以上が2chの記事です。本を読めというだけの回答しか出せないのでは、どちらが情けないかは、一目瞭然です。[1192]にも、下記のようにコメントしておきましたが、地震学を専攻して学んだ方こそが、地震現象を知ろうとする真摯な一般人の勉強の阻害をしているのが実情です。

「組織の下部で実際に観測業務をするような現場の人は、この方式を認めて積極的にやりたいと言っているのに、東大教授という地震学会のトップが反対するために、日陰に追いやられていく様子が、議事録を読むと良く分かります。

タイトルに書きましたように「地震研究を阻害する地震学者」という感想を抱くのは私だけではないと思います。
全員ではないにしても、現在では多くの学者が同じ意見のように思います。そして、電磁気的方面から研究する研究者を「デムパ」だ「トンデモ屋」だと言って揶揄する学生を社会に送り出しています。
彼等の無責任な声は自由闊達な地震研究を目指そうとする研究者を意気消沈させる原因、つまり地震現象の究明を阻害する要因になっております。」

さて、2chで回答した人が述べていることに関してですが、「大陸移動」と「磁極の変更」とは全く別ものですから、回答は意味不明です。アフリカ大陸と南米大陸はたしかに分離して離れていったのですが、分離したのは激変的現象として起こったのであって、今もナメクジの移動のように斉一的な運動をしているわけではありません。斉一的な分離・移動現象のどこで磁極が変化するのでしょうか、回答はデタラメです。
また、
「N極とS極が逆転してしまうような大変動が171回もあったことが海底岩石に記録されているのですから、磁極移動の軌跡ラインは北へ南へ、ジグザグラインになるはずです。」

と言う部分に関しては、今から7600万年前(これは6500万年〜1.4億年前と定義される白亜紀にあたる)の間だけでも171回(平均して約44万年に一回の割合)のポールシフトが起こったのですから、その間に磁極の移動軌跡は、まるで瞬間移動するUFOのように、東西南北にジグザグの軌跡を描くはずであることは誰にでも理解できると思います。
矛盾はそのほかにも存在します。大陸移動の証明と言われているニューカッスル学派の研究(下図参照)では、


白亜紀を越えて、カンブリア紀(5.1〜5.7億年)まで、資料を解析したことになっています。しかし、北米大陸は2.5億年から5.5億年前の間は海底にあって、大陸の姿は無かったわけです。つまり、図中にあるカンブリア紀から二畳紀(2.5〜2.9億年前)までのデータは一旦海底に沈降したあと、再び浮上した大陸の地層にあった資料のはずですから大陸移動の説明に用いるのは不適切です。それと、二畳紀から白亜紀までの資料がアメリカ大陸上で5資料、ヨーロッパ大陸上からは僅か3資料しかありません。その間に、白亜紀までと同じ頻度(44万年に一回)でポールシフトが起こっていたと当然推定できますから、なおさらのことですが、磁極の移動軌跡がこのようにナメクジの軌跡のような連続線になることは信じ難いことです。自分達の主張したい理論に合致するデータだけを恣意的に選択している疑いが持たれます。

一旦消えた大陸移動説の復活経緯を見ると、イギリス国内のロンドン学派とニューカッスル学派の研究上の先陣争いのような空気があったようですから、先を越されたニューカッスル学派がデータを恣意的に扱って、大陸移動を説明しやすいように解釈したと考えられます。
参考:「大陸移動はなぜ現代の天動説なのか」
    上田誠也:「地球の科学」最前線(NHK地球大紀行別巻[1])

「プレートを生産する場所がなく、のみ込まれる一方だというのに存在するという奇妙なプレート」

と言う矛盾に関しては、プレートを否定することが唯一の解決策です。

1216
2007-01-02 (Tue)
大陸移動説への疑問
大陸の移動説が復活した経緯はイギリスで始まった「古地磁気学」という岩石に残留している古い地磁気の研究からということです。(参考:NHKブックス「地球の科学」大陸は移動する 竹内均・上田誠也共著)

一つはロンドン学派の「インド亜大陸は南半球から北上し、ユーラシアプレートに衝突した」という研究であり、それが原因でヒマラヤ山脈が誕生したとされています。もう一つは[1215]に示したニューカッスル学派の「昔は大西洋が閉じていて、存在しなかった」という研究です。
しかし、この二つは全く前提が異なる仮説に基づいています。前者は磁極が今も昔も現在の位置にあって、移動していないという前提に立ったものであり、後者は[1215]で説明したように磁極がナメクジの移動軌跡のように連続的に移動しているという前提に立ったものです。
磁極は斉一的(ナメクジ的)に移動するのか、それとも移動しないのか、両方正しいと言うことはありませんから、少なくともどちらかが間違っている筈です(石田理論では激変的(UFO的)に移動すると考えています)。
NHKの「地球大紀行」をはじめ大抵の解説書はどちらも正しいとして、大陸の移動は証明された事実であるかのように説明していますが、しかしこれは理性的に判断して、解説書としてはおかしいと思います。

ロンドン学派の見解が正しければ、大西洋が閉じていた可能性はありません。ニューカッスル学派の見解が正しければ、インド亜大陸の北上の可能性はありません。どちらの見解も間違いで、石田見解(平均して44万年ごとに地球が姿勢を変えるという現代の地動説[1212]参照)が正しければ、インドの北上も、大西洋の分離もあり得えないことになります。

つまり、定説が主張するような大陸移動という現象は、アフリカと南米あるいは、紅海の両側など一部を除いて、確証があるわけではないのです。

1217
2007-01-05 (Fri)
磁極移動曲線に関する疑問
2chの論客(?)のカキコを読んでいると、気が滅入ってしまうようなものが多いのですが、冷静な見方をされる方の中には
「新しい地震学が始まっている。・・・以前新しい地震学について石田地震研究所を紹介したのだが、非常に刺激的な展開があって目が離せない。・・・まだ地球内部のことは分からないことだらけなので、どんな新説・奇説が出ようと寛容になるべきだと思う。」
というように、勇気付けられる意見の方もあるので、(石田理論に肯定的サイト)気を取り直して記述を続けてみます。

さて、大陸移動を証明したと言われているニューカッスル学派の成果というものが、僅か数個の資料(アメリカ大陸上で5資料、ヨーロッパ大陸上からは僅か3資料)からだけで磁極の移動曲線(ナメクジ軌跡)を決めているので、資料が増えても大丈夫なのだろうか、という危惧を感じることを述べました。([1215]参照)
案の定、その後の研究では、各大陸の地塊資料から得られる磁極の移動曲線がバラバラになり、解釈が混乱しているようです。まるで何匹ものナメクジが這い回ったような軌跡になっているのがわかります。


(「地球の科学」NHKブックスより)

図を引用させていただいた「地球の科学」には以下のようにあります。

「ヨーロッパと北アメリカだけからの二本の線があった時には、この二つの大陸が互いに遠ざかったと考えることによって、二本の線を一致させることができたが、今や、こう、たくさんの極軌跡が出てくると、話は簡単でなくなる。どの大陸をどう動かせばよいのだろうか。こんなに散らばった線を一つにもってくることはとてもできない相談である。」

そこで陸塊の回転という考えが起こってくる・・・と解説が続きます。

石田見解(現代の地動説とも言うべきポールシフト論、またはハプグッドの地殻滑動論)では、(ナメクジ型の)連続線にはならず、UFO型不連続線になりますので、磁極の移動点が複雑にプロットされることにはなんら問題は存在しません。

ただここで、変だなと感じるのは、磁極移動点がこのように、全地球表面に散らばっているのに、「磁極は赤道近くの低緯度帯にまで移動したことはありません。」という認識を持っておられる方があることです。セミナー[322]では「とりまき」氏が以下のように断定されています。

「重要なのは、この間に世界中の岩石に記録された古地磁気は一度も中途半端な方位(例えば現在の低緯度方位)を向いたことがないという事実です。かっての磁極は、地軸の示す極から30度以上離れた事がありません。」

30度以上離れたことがなければ、このような軌跡になることは無い筈なので、理解に苦しむところです。

また、竹内均先生もその著書の中で以下のように、地球がひっくり返るわけではない、磁場だけが逆転するのだと述べられて、磁極の低緯度帯への移動など無かったというような見解を述べておられることも、理解に苦しむところです。

「地球磁場は数十万年に1回ずつ逆転する。最後の逆転が起こったのは今から約70万年前である。地球磁場が逆転すると言っても、地球そのものがひっくり返るわけではない。地球の姿勢はそのままで、磁場の向きだけがひっくり返るのである。」(竹内均著「地球は半熟のゆで卵」p.30 同文書院)

「とりまき」氏や竹内先生の見解では、全球凍結([1130][1131]など参照)の重要な根拠とされる

「かつて、赤道近くのナミビア付近に、極地があったことがある。」

という見解とは全く衝突してしまいます。
(注:この部分は間違えました。極地ではなく、氷河の痕跡ということですから、直接の矛盾ではないですね。ただし、磁極移動線は赤道をも通るとされていますから、磁極が赤道にあることは地球が姿勢を変えないと説明はできません。)

また、「古地磁気とプレートテクトニクス」(西山慶尚著)という論文には、

「磁極が逆転するプロセスについては、詳しいことはあまり知られていない。筆者が測定を行った愛媛県内の火成岩の中にも、逆転磁化を示すものがたくさん見つかっている。(中略)・・・・そのうち、2地点の磁化は、見かけ上は上で述べた地磁気が逆転する途中の中間的極性を示しているが、この中間的極性が、果たして極移動の途中の状態を表しているものであるのか、それとも、岩体の回転運動によって磁化方向が二次的に変化したものか、このデータだけでは決めることができない。」

とあり、正磁極(現在の磁極)と逆磁極との中間的なものも存在することを述べておられます。「とりまき」氏の「一度も中途半端な方位(例えば現在の低緯度方位)を向いたことがないという事実」と言う断定も疑問が生じます。

以上、地球物理学に関する事実関係はまだ不明瞭な点が多く、結論が出ていないものが多いだろうことは良く理解できますが、定説といわれているものには、十分に(納得して)理解することが困難なものが多いように感じます。自説に都合のいいデータだけを恣意的に使って立論しているんじゃないのか・・・と言う疑問を抱かざるを得ないのであります。

誤解をしているのかもしれませんので、どなたか明確に説明していただけるとありがたいと思います。

1218
2007-01-08 (Mon)
地殻が滑動する原因
ポールシフトという言葉には「トンデモ理論」という不名誉なイメージが付与されてしまっているために、学者もマスコミも全く関心を寄せません。

しかし、天才アルバート・アインシュタインはハプグッド教授の「地殻移動説」を高く評価しています。その「地殻移動説」というのは、地球内部はそのままで地殻だけが「オレンジの皮のズル剥け」状態のように移動・滑動するというもので、移動・滑動の規模が30度程度と云う点を除けば基本的にはポールシフトと同じことであります。相違点はポールシフトでは180度の逆転まで想定しているのに対し、ハプグッドの「地殻移動」は極地の氷に着目しているために滑動が30度程度までという違いだけです。しかし、回転体の重心移動が原因で滑動するという理屈は同じことであります。([1212]参照)

アインシュタインが「地殻移動説」をどのように熱烈支持したのかはセミナー[771][1074]に紹介してありますが、ハプグッド教授の研究を以下のように自分の言葉で説明しています。

「極地圏においては氷が継続的に堆積していくが、極地の周りに均等に堆積するわけではない。地球は回転しており、不均等に堆積した氷に影響された遠心力の運動が起こり、それが、地球の固い地殻に伝達される。このような形で作りだされ、継続的に同大する遠心力運動は、ある時点に達すると地球の内部はそのままで、地殻だけを動かすことになる。」(「神々の指紋」p.13)


(ジョン・ホワイト著「地球の最後を予測する」より)

以上のように、地殻が滑動するのは、極地付近の氷の着床量が変化することが原因となって(地殻全体の重心が変化して)回転軸(地球の自転軸)が傾斜するのだと考えています。
石田理論では極地での変化だけではなく、それ以外にも巨大地震による大陸規模での陥没・隆起現象が引き金になって、地殻の重心移動が起こり、回転軸が傾斜する(地殻が滑動する)と考えています。

グランドキャニオンが、この20億年の間に少なくとも3回の隆起・沈降を繰り返していることを考えれば、30度を越える地殻の滑動が起こることは十分に納得のできることであります。
また、磁極の完全な(180度の)逆転は平均して44万年である(現在の磁極は約70万年の間に完全逆転はしていない)としても、アトランティスやムーといった大陸が沈降したのであれば、180度の滑動ではないにしろ、ある程度の滑動があったであろうと推定することは可能であります。

レニ・ノーバーゲン著「オーパーツの謎」という書には北部アラスカにあるポイント・ホープのイピュータクには、数千人を収容できる居住地遺跡があるということです。明らかに、狩猟社会の域を超えた社会生活の跡があるということは、当時この地域が永久凍土地帯ではなかったことを証明しています。
ピリ・レイスの古代地図が意味することも同じですが、一万年とか二万年という過去にも、小規模な地殻の滑動現象があって、南極大陸が極圏に移動し、温暖な地域だったイピュータクが現在の永久凍土(北緯70度近い高緯度の)地帯に移動してしまったということだと思います。

ハンコック氏の「神々の指紋」に出てくるスフィンクス台座の水流による侵食痕というのも、その時に多雨地帯から現在地に移動したものと思われます。
その地球激変による大洪水で、マンモスはシベリアやアラスカに押し流され、その死骸が永久凍土の中に閉じ込められたのだと思います。

もっと以前の恐竜や水中生物などが腐敗もしないで化石になって発見されるのは、斉一的な変化では起こらないことです。大洪水と言う劇的な変化によって短時間に土中に埋められ、酸素を遮断されるために腐敗しないで化石化するのだと思います。
さて、ハプグッド教授の地殻が滑動するという視点はアインシュタインも激賞するほどのとてつもなく大きな業績である筈ですが、生涯を終えるまで冷遇された、と「神々の指紋」には以下のように記してあります。
「(ハプグッド)教授は人類の文明の古さに関して新たな貢献をした・・・と喝采を浴びてもよいはずだが、生涯を終えるまで、同時代の学者のほとんどから冷遇された。同時代の学者達は、まともな議論もせず、「間の抜けた皮肉で対処し、本筋と関係のない些細な要素を取り上げて非難し、基本的な問題に直面するのを避けた」のだ。」(「神々の指紋」上巻p.11)

現在もこの状態は続いています。アインシュタインでさえ、流れを変えさせることはできなかったようです。

1219
2007-01-09 (Tue)
アインシュタインが地殻移動を支持した理由
天才アインシュタインの熱烈支持があっても、地殻の移動というアイディアを広めることはできなかったようです。勿論その理論には疑問点が多々があったからですが、一つは極地に着床する氷の不均一な分布程度では、(オレンジの皮に相当する)地殻の重心を移動させるだけの変化量にはならないことが直感的に分かったのであろうと思います。
また、地震学者が納得しなかったもう一つの理由は、オレンジの皮(地殻)と中身(マントル)の間に滑動を助ける(潤滑油のような存在である)「導波層」という概念を導入した点にあるだろうと思います。
ハプグッドが想定した「導波層」というのは、ベロウソフ教授が見出したということになっていますが、地殻とその下のマントルが固体であると考えているのに、そこに潤滑油のような層があるということはとても信じられないことは明らかです。
つまり、マントルを固体であると考えているために地殻移動論は拒絶されたわけですが、マントル固体論というものが、地球科学の進歩を拘束しています。マントルが熔融しているとすれば、移動の原因さえわかれば、地殻移動論は容易に納得できるものであります。

ではなぜ、マントルが固体であるという固定観念が根付いてしまったのでしょうか、それは何回も述べておりますが(セミナー[717]あるいはニューオフィス57など)、ジェフリースとグーテンベルグが最初に地震波の伝播問題をインバージョン法という手法で計算したときに【マントルは固体である】と仮定し、その結果が吟味することなく信じられてきているからです。熔融しているとしたらどうなるのか・・・という吟味がないわけです。
このようにハプグッドの地殻移動論そのものには無理がありますが、マントルは熔融していること、そして地殻の重心移動は大地震(の連続)による隆起・沈降であると修正・補足して使えば、説得力のある考え方であると思います。
セミナー[1106]でも述べましたが、地殻移動論すなわち「地球の内部はそのままで、地殻だけを動かすことになる」というのは、ポールシフトを分かりやすく説明する素晴らしい考え方だと思います。
なおジョン・ホワイトの著書には次のようにあります。

「ハプグッドは極移動をひきおこす原因が何であるかをうち出すことはできなかったけれども、彼が自分の説を裏づけるために示した証拠は、実におどろくべきものであった。」

アインシュタインはハプグッドが示した多くの証拠(氷床の痕跡が世界各地にあることなど)が「地殻移動」というアイディアで解決できることに、大きな魅力を感じたのだと思います。次のように述べています。

「初めてハプグッド氏からの手紙を読んだとき、私は強い衝撃を感じたことも事実である。ハプグッド氏の考え方は今までにはなかった新しいもので非常に簡潔でわかりやすく、・・・さらに実証性が高まれば・・・地球の地表の歴史に関する、他のどんな説よりも重要な説となるであろう。

言い換えれば、アインシュタインは【ポールシフトは地球の地表の歴史に関する、他のどんな説よりも重要な説である】と信じていたことになります。

1220
2007-01-10 (Wed)
ナスカの地上絵と空中都市の謎
一月三日の夜放映されたテレビ番組「たけしの新・世界七不思議」を見たという友人から、マチュピチュの建設と大洪水の関連について質問されました。このセミナーで扱うテーマと直接の関係はありませんが、ポールシフトとの関連ありやなしやという質問ですので、少し脱線しますが書き込みをして見ます。
番組の最後のほうで、マチュピチュをあのような高い場所に建設したのは、伝説にある大洪水を経験した古代人が、洪水から身を守るためにあの様な高所に街を建設したのではないか・・・というようなコメントがありました。
友人はその可能性を、ポールシフトによる洪水の恐怖と結び付けて考えたようですが、私はそうは思わないと答えましたので、少し拍子抜けのような顔をしていました。
あの番組全体に関して言えることですが、ナスカの地上絵にしろ、マチュピチュの空中都市建設にしろ、古代人が何を信仰していたのかという問題と関連していると思います。

★ まず、何のために、飛行機に乗って空中から見ないと分からないような巨大な地上絵を描いたのか・・・?

という問題ですが、番組では答えが示されませんでした。私は当時もしばしば未確認飛来物体(UFO)が飛来していて、人々はそれを神だと勘違いして信仰していたのではないかと思います。

彼等は、神様に飛来して欲しいがために、地上絵を描いて「どうかここに降りてきてください。」と真剣に祈っていたのではないかと想像します。

また、テレビ取材で発見されたという新しい地上絵には、女性の子宮に当たる部分に、人骨が埋葬されていたようで、このような構成の地上絵は今までに発見されていないものらしく、大スクープかもしれないと、騒いでいました。

★何のために、地上絵の中にお墓を作ったのか、しかも女性の子宮に当たる部分に・・・?

という疑問の答えはやはり(妖しげな)信仰にあったように思います。
つまり、死者は部族の有力者であり、「ここにある亡骸を天国に引き上げ、来世も有力者として地上に再生できますように・・・神様・UFO様どうかお願いします。」と残された部族民に祈らせたのではないでしょうか。

マチュピチュの空中遺跡に関しても、洪水から守るというようなことではなく信仰と関係があると思います。

★ なぜあのような山岳地帯の不便な場所に街を作ったのか・・・?

それは、高い場所ほど神様・UFO様により近く接近できる場所だと考えたのではないでしょうか。そして最高所にある石舞台のような祭壇では、UFO様に生け贄をささげるような、愚かしい信仰・儀式が行われていたのかもしれません。

彼らにとっては神聖な儀式なのかもしれませんが、邪悪な信仰はいつの時代にもあることだと思います。

つまり、ナスカの地上絵も、マチュピチュの空中都市というのも、UFO信仰と考えると、得心がいくのではないでしょうか。

1221
2007-01-11 (Thu)
アインシュタインの期待したこと
ハプグッド教授の「地殻移動」が学者にどのように受け取られているかを示す面白い記事がありました。作家倉橋日出夫氏の「アトランティス幻想」第4話というサイトに、「一笑に付された」と次のようにありました。
―――――――――――――――――――――――――――――
「ちょうど今から10年ほど前、ハンコックさんの『神々の指紋』が日本でもベストセラーとなり、大きな評判になっていた頃、私はある科学雑誌で古代文明のページを担当していたのですが、編集部でもハンコックさんの本が話題になり、「うちでも特集企画として、大洪水をやってみようか」という話になりました。
 地殻移動の可能性は本当のところはどうなのか?それを知りたかったんですね。
 そこで、何人かのスタッフが分担して、地質学、惑星科学、考古学などの研究者に取材して、『神々の指紋』に述べられているようなことは本当なのかどうなのか、と聞いて回ったのです。ところが、結果は、「一笑に付された」といった感じでした。

 特に、「地殻移動」については、そんなことは起こりえないというのが専門家たちのはっきりした態度でした。常識的には地殻移動なんてあり得ない、ということらしい。それが地質学の一般的な考え方のようです。」
―――――――――――――――――――――――――――――
2chの論客(?)もこの類の研究者なのでしょう。たしかに、そのままでは「地殻移動」は科学的にナンセンスな内容だ・・・で終わってしまいます。
でもそれではどうして天才アインシュタインが熱烈に支持をしたのか、その真意・奥義にまではたどり着けません。
ハンコック氏やハプグッド教授はトルコの提督ピリ・レイスがアレキサンダー大王時代の古地図を基にして作ったという地図などをみて、アトランティスは南極大陸にあったと解釈しているようですが、アインシュタインはそのことを支持したのではありません。

「地殻移動」の理論によれば、なぜ氷河の痕跡が地球上の各地に存在するのか、その謎が解けること、そしてプラトンの書物に出てくる超古代文明の存在にたどり着ける可能性に注目したのではないでしょうか。

私は、アトランティスは南極にあったのではなく、名前の由来どおり大西洋のどこかに沈没しているのだと思います。南極にはもっと古い時代の古代文明が閉じ込められている可能性が高いと思います。
グランドキャニオンの地層からは、アメリカ大陸(その一部かもしれないが)が少なくとも3回の沈没・浮上を繰り返されたことが読み取れるわけですから([1215]参照)、大西洋の海底が今は沈降しているが、かつては大陸であったとしても何も不思議ではありません。

ここで忘れてはならないことは、西洋文明の起源であるギリシャ文明(ソクラテスやプラトンの活躍した時代)は西洋社会においては一旦断絶していること、今伝わっているのはルネッサンスとしてイスラム社会から逆輸入された知識であるということです。

こうした歴史知識の断絶はプラトンの時代にもあったことで、エジプトの神官からソロンが聞いたアトランティスの話というのは、当時のギリシャ社会には断絶していて、ソロンもプラトンも知らない古代ギリシャとアトランティスの間に起こった戦争の話などを含んでいます。

そのアトランティスは南極などにあるのではなく、ソロンが神官から聞いたようにヘラクレスの門柱(ジブラルタル海峡)の沖合い、つまりアゾレス諸島付近の大西洋だと思います。
倉橋日出夫氏の「アトランティス幻想」第2話というサイトには、エジプトの神官が語った超古代のギリシャ軍とアトランティス軍の戦いの話が次のように載っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
アトランティス伝説の出所について、プラトンは、彼より3世代前のアテナイの7賢人のひとり、ソロン(前6世紀)がエジプトのサイスの神官から伝え聞いた話としています。
 そのエジプトの神官によれば、エジプトとギリシャの起源は、驚くべきことに当時からみてそれぞれ8000年前、および9000年前だというのです。なんとエジプトよりもギリシャの方が古いというのですね。
 エジプトの神官がいうこの太古のギリシャ人は、アトランティス軍の侵入をくい止める偉大な戦いに勝利しましたが、アトランティス滅亡のさいの大異変で、やはり大地に呑み込まれてしまったということです。
 なんとも信じがたい話だと、プラトン自身も述懐していますが、「とにかく、伝え聞いたことはお話しせねばならない」というのがプラトンの姿勢です。
―――――――――――――――――――――――――――――
このように、古代文明に関する知識がどんどん断絶され、分からなくなっていくのは仕方のないことですが、プラトンの時代にも、エジプトから逆輸入されているのです。
つまり、現代社会が科学的に一番進んでいて、古代人の知識は信用できない・・・と言うような驕りがあってはならないということです。

であるから、少なくともエジプトのアレキサンドリアにあった火事で焼失した図書館には当時の海図があっても不思議ではないわけです。攻め込んできたアトランティス軍が海図を持たずに遠征したとは考えられません。ギリシャ軍だとて持っていたのだと思います。それらが保管されていたこと、また閲覧者が模写し保有していたことなど、可能性のある話だと思います。
そのアトランティスが巨大地震によって海底に沈んだとすれば、(厚さ100キロ程度の卵の殻のように薄い)地殻の重心移動は回転体の回転軸を変化させるほどの量となり、結果として地殻が移動し、永久凍土程度であった南極大陸が極地入りして現在のように氷河に覆われるようになった・・・ということもあり得る話だと思います。
ピリ・レイスが参考にした古代の海図というのが、氷に閉ざされる前の南極を示しているということも、不思議ではないと思います。

アインシュタインはこうした展開を期待していたのではないでしょうか。


(http://www.nazoo.org/ooparts/50.htm より)

1222
2007-01-13 (Sat)
大西洋が陸地だった証拠がある
セミナー[1094]でも紹介しましたが、大西洋アゾレス諸島付近の海底から発見されたタヒライトという岩石は、その海底がかつて陸上にあった事を証明しているのですが、なぜか学者が関心を示してくれないので、アトランティスの沈没場所としては認められていません。「アトランティス幻想」第3話から、抜粋して紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 大西洋海底ケーブルの修理のさいに、アゾレス諸島付近の水深数千メートルの海底から採取された岩石が、地上でしか生成されないものだったというのです。それは熔岩の一種のタヒライトという火山ガラスで、水中で急速に冷却されたものでなく、大気中でゆっくり冷えた場合にのみ生成されるということです。しかも、その年代は1万5000年前、すなわち、その年代には陸上にあったというのです。
 そのほかにも幾つか、大西洋の海底がかつて海面上に出ていた証拠のようなものを彼らは報告していました。
 正直のところ、この話を読んだときの私は、まったく真面目に受け取る気にはなれなかったものでした。1万数千年前に陸上にあったものが、なぜ今では深さ数千メートルの海底にあるのか、その説明がつかないので、アトランティスの沈没と結びつけるには、あまりにも頼りない。
――――――――――――――――――――――――――――――
【1万数千年前に陸上にあったものが、なぜ今では深さ数千メートルの海底にあるのか、その説明がつかない】というのは地球物理学者の言葉でもあります。
一般人は学者さんが否定するから、違うのだろう程度にしか考えません。
それでは逆に、現在8千メートもある、エベレストやヒマラヤの山塊が、なぜ水底でしかできない堆積岩なのか、グランドキャニオンが何故陸上→海底→陸上という隆起・沈降のサイクルを少なくとも3回も繰り返しているのか、普段目にできない海底だけではなく、目にできる陸上の岩石に関しても学者は明確な答えを持って居ません。

実は、地球の表面は想像以上に陸上→海底→陸上・・・という激変を繰り返しているのです。ほとんどの大陸上で化石が発見されるのも、劇的な変化があったからで、斉一的な変化であるならば、腐敗するために化石はできません。
インド亜大陸がユーラシア大陸に衝突し、年間数ミリというナメクジよりも遅いスピードでヒマラヤを作り上げ、それは現在も継続している・・などということで、あのアンモナイトの化石がヒマラヤに存在するわけがないのです。


(エベレストで見つかるアンモナイトとイエローバンド)

アンモナイトや他の化石が発見されるのは、地殻移動(ポールシフト)という激変による大洪水で、一瞬にして土砂に埋まったから、腐敗しなかったということを意味しているのです。
その激変の原因は解離ガスの爆発・爆縮による巨大地震であるというのが石田理論の主張するところであります。爆発・爆縮がなぜ地殻を移動させるのか・・・それは隆起・沈降によって地殻という回転体の重心移動が起こるから・・・です。
コマのような回転体というのは、回転軸の上に必ず重心がありますが、重心が移動すれば回転軸も重心を通るように傾く性質を持っています。

ポールシフトは間違っているという方の主張は「回転体は簡単には傾かない・・・それを利用してジャイロスコープができている。」・・・と言うことですが、重心が移動すれば傾くことは、コマにイタズラをして、何かを貼り付けてやれば、グラグラとすることから分かるはずです。

反対論者はさらに言うでしょう、「直径12,700kmの地球に対して、1km程度の隆起・沈降による重心移動は無視できる程度だ」・・・と。

しかし、地球内部は溶融物質で占められているとすれば、溶融物質を除いた固体部分だけが問題となるはずです。固体部分は100km程度の地殻だけであり、100kmに対する1km程度の重心移動が生じれば、回転体を傾斜させるには十分有効な量ではないでしょうか。

ハプグッドのアイディアのように地球本体部分の溶融マントルの対流などはそのままで、地殻だけがオレンジの皮が移動するようにズルッと滑動すれば、ポールシフトと同じ現象が起こるはずであります。

むしろ、ポールシフトの説明として、ハプグッドの「地殻移動論」は優れた解説であると思います。

1223
2007-01-15 (Mon)
イースター島のモアイ像の謎解き
ハンコック氏の「神々の指紋:古代の航海士編」をDVDで観賞した。そのなかで、イースター島のモアイ像の話があり、石切り場で放置されている製作途中のものまであって、「突然、作業を中止し、道具を放り出して消えてしまった」かのように見える・・・とありました。発見されたとき、モアイ像はほとんど倒れていたそうです。

(アフ・ヴァイフ 現在全てうつぶせに倒れている。ニュートン誌1999 3月号より)


解説では最後の氷河期が終わったときの海面上昇とか、そのときの大洪水という表現があり、「当時は海面が120メートルも低くて、大きく広がる大地を眺めることができた・・・。それが最後の氷河期が終わったときの大洪水で・・・」という話になっています。
しかし何度も言いますが、氷河期というのは、人間が居住できた地域が「地殻移動」によって、寒帯に移動した大事件が語り継がれているのであって、地球全体の気温が低下したわけではありません。人の住めない寒冷地帯は逆に温暖な地域に移動したはずであります。したがって、極地の氷は溶け出しますが、一方では新しい極地に降雪・凍結が始まるので、地球全体としては、海面が180メートルも、しかも洪水を引き起こすような急激な速度で上昇・低下することはないと思います。
イースター島のモアイ像をなぎ倒し、製作の途中で放棄させた原因は、アトランティス大陸の沈没によって起こった地殻移動による大洪水が原因ではないのでしょうか。ただし、定説では築造されたのは、6世紀とも10世紀とも言われていますが、本当はもっと古いものだという気がします。
内陸部のアキビにあるモアイが西の方角に向かって立っている(たいていは海岸沿いに内陸を向いて立っているそうですが・・・)のは、それよりもっと以前に沈没したムー大陸(太平洋の西部域に存在したと言われているが、海底地形図を見ると、必ずしも否定はできない・・・)への惜別の情を表しているようにも思えます。きっと、モアイ像の築造者にとってはムー大陸が母なる大地を意味したのではないでしょうか。周辺の島々に伝わる伝説ではそのように推定できます。(後述の竹内均先生の著書参照)
沖縄の民間信仰([912])にもそのようなものがあります。


その像が、アトランティス沈没時の大洪水でなぎ倒され、築造者も一瞬にして犠牲になってしまった・・・ということのように思えます。モアイ倒し戦争という部族間の争いは、もっと時代が下ってからの出来事であり、その戦争で倒されたのではないと思います。
竹内均先生が【ムー文明は存在したが、ムー大陸は存在しなかった】(「大陸から来た日本人」:徳間書店刊 )と考えておられたのは、現在の定説地球物理学の限界であるように思います。
先生は、その著の中でムー大陸やアトランティス大陸の存在を地球物理学者として否定しておられますが、そうした学者の見解が社会に影響を与えて常識を強く縛り付けていると思います。
私はその見解を再否定したいと思っているのです。先生の“常識縛り”をその著書から何点か紹介します。

★ チャーチワードの言うようなムー大陸が太平洋に存在しなかったことは、地球物理学者の私には、初めからはっきりしていた。しかし太平洋とインド洋を含む地域に住む人たちが持つ五〇〇〇年の歴史は、これを〈ムー文明〉と呼んで何のはばかりもないものである。つまり太平洋およびインド洋地域に、ムー大陸は存在しなかったけれども、ムー文明は存在した、と私は考えるようになった。(中略)このムー文明について、世の中の人にもっと多く知ってもらう必要がある。私はだんだんとそう考えるようになった。(p.5より)

★ プラトンの直弟子のアリストテレスは、アトランティスとはプラトンが彼の理想の国を描いたユートピア物語であり、それはフィクションであって、歴史的事実ではあり得ないと述べた。これは師の心をよく知ったすぐれた弟子の発言とも言える。(P.32より)

注:すでにアリストテレスの時代から、現代のような否定が始まってしまったのは、残念なことです。「師の心をよく知ったすぐれた弟子の発言」・・・というのは全くのピント外れだと思います。

★ チャーチワードのムー大陸存在説の一つの根拠となったのは、太平洋の島々に伝わっている沈没伝説である。洪水や噴火などによって大陸や島が沈没し、そこを追われた人々が現在の島へおちついたという伝説が、ほとんどの島に伝えられている。私の考えでは、この沈没伝説には地球物理学的根拠がある。しかし十分に根拠づけられる島の沈没の速度は遅く、チャーチワードの言うように大陸全体が突然沈没するというようなものではあり得ない。 そういう意味でチャーチワードによるムー大陸の沈没の物語は、全てのSFに共通なある一つの特徴を特っている。地球上で実際に起こっていることの、時間や長さのスケールさえ変えれば、それがそのままSFになるという特徴である。(中略) すなわちムー大陸の物語は、時間スケールの縮小によってつくられたSFの一例である。(p.39より)

以上ほんの一例を紹介しましたが、別府湾の「瓜生島」の沈没に関しても、あれだけの資料が残っているにもかかわらず、(斉一的変化説を採用している「定説地球物理学」では当然の帰結ですが・・・)科学的にありえない話であるとして、一蹴しておられます。

こうした高名な地球物理学者の「お墨付き」見解が、大きな影響を社会に与えてしまっているのであり、誠に残念なことであります。

その影響を打破するには、地球上で起きる変化は激変的に変わるものであることを認識する必要があります。その激変の原動力となるのは解離ガスの爆発・爆縮という化学的爆発現象なのであり、新しい地震学への切り替えが必要なのです。しかし、一旦出来上がった社会通念を変えるのにはものすごいエネルギーを要するのであります。

この写真はヘイアルダール(最上段の青い服)が発掘したモアイで、通称ピロピロとよばれるこのモアイは、胸まで埋まっていたそうです。ラノ・ララクのふもとに頭部しか見えない状態で存在するほかの多くのモアイも掘り下げると完璧な状態であることが多いそうです。大洪水によって倒され、土砂に埋まったのではないのでしょうか。(ニュートン誌1999年3月号 より)

1224
2007-01-17 (Wed)
氷河期とは地球の横転のことである
ある友人から「「神々の指紋」の内容を肯定しているのか?」・・・と、あきれたような眼差しで質問をされました。以前「とりまき」氏からも、同じような質問[318]を受けたし、2chでは引用しただけで、研究者としては失格であるような扱いを受けますので、学会では、「神々の指紋」はタブー視されているのだろうと思います。

[1221]にも述べましたが、私はアトランティスが南極に埋もれているとは思いませんし、極移動で溶け出した水で破局的な洪水になったとも思いません。アインシュタインが支持したのも、そのことではなく、地殻移動という考え方が(「斉一説」では説明できない)地球表面に起こった激変をうまく説明できるという点にあったのだと思います。
学者は「指紋」をどのように説明したら納得できるのかに答えを出さなければいけませんが、それを出せないので、無視し続けているだけではないのでしょうか。「指紋」そのものを否定することは出来ないと思います。
さて、ハプグッド教授の研究上の後継者とも言うべきフレマス氏からの手紙を読んだハンコック氏は、「探し求めていたジグソーパズルの足りない一片を発見することになった」・・・と喜んで述べていますが、フレマス氏からの手紙を抜粋して紹介し、賛同できない点を述べておきます。

「地殻移動がもたらす結果は途方もないものだ。地殻は内部で波を立て、世界は激しい地震と洪水に揺すぶられる。大陸がうなりながら位置を変えていく中、空は落ちるかのように見える。はるか海底では、地震により大きな津波が生まれ、海岸に押し寄せ、陸を洗う。ある土地は温暖な気候に移動する一方、他の土地は極地方に押しやられ、冬の悲惨さを被る。氷原が溶けることによって、海面はどんどん上昇していく。生物はすべて、適応するか、移住するか、死ぬしかない・・・。」(「神々の指紋」p.258)
地殻移動が起こる原因は、大地震によって地殻の重心移動が起こるからであって、地殻移動が地震を誘起するわけではありません。したがって大陸は「うなる」ことなく、静かにスルッと移動するでしょう。氷原は解けても、同じ程度の氷が新しい極地に閉じ込められていくでしょうから、海面は上昇したとしてもゆっくりしたものだと思います。
「この恐ろしい地殻移動が、もしも現在の世界で起これば、数千年の文明の進歩は、クモの巣のように引きちぎられて、地球から消えてしまうだろう。高山の近くに住んでいる者は、津波を避けられるかもしれない。しかし、ゆっくりと築き上げてきた文明の成果を、低地に置き去りにしなくてはならないだろう。」

これはある程度正しいと思います。とくに移動が70万年ぶりの、180度近い完全な逆転現象ならば、大洪水で破局的なことになるだろうと推定されます。(地球はこの70万年の間にも、随分姿勢を変えているというのが、本当の姿ですが・・・)

 ここまではハンコック氏も理解していたものでしたが、手紙はさらに二つの重大なことを提示していて、その一つは「地殻移動というメカニズムを通して氷河期の始まりと衰退に何らかの役割を果たした可能性」、二つめは「南極大陸という呼ばれる巨大な陸塊を温暖な緯度から南極圏に移動させたのなら、遥か古代の失われた文明の数々の遺物が南極の3キロにおよぶ氷の下に眠っている可能性があること」・・・としています。

「博物学者であり地質学者でもあったルイ・アガシーが、氷河期という概念を一八三七年に学界に提示したとき、多くの人は懐疑的だった。しかし、アガシーを支持する証拠が集まるにつれ、懐疑的だった人々も地球が恐ろしい冬に捕らえられていたことを受け入れざるを得なくなった。だが、すべてを停滞させる氷河期がなぜ起こるかは、依然として謎だった。氷河期の年代を確定する確かな証拠も、一九七六年までは存在しなかった。氷河期は、地球の公転軌道のさまざまな天文学的特徴、および地軸の傾きによって説明された。たしかに天文学的要素は、氷河期の発生に関わりがある。しかし、これは原因の一部に過ぎない。同様に重要なのが、氷河の地形だ。地殻移動説が、謎を解き明かすのはこの点に関してだ。」(同書p.259)

この文章にある、天文学的要素とはミランコビッチの才差運動による氷河期原因説のことですが、氷河期という概念がたかだか170年前に考え出されたものであることを知って驚きました。
私としては、地殻移動を認めて、170年前に戻って欲しいと思うのですが・・・。
また、フレマス氏もハンコック氏も地殻移動を認めながら、さらに氷河期という現象をも認めているのも不思議です。
地殻移動(ポールシフト、現代の地動説)という現象を認めれば、何故起こったのかも分からない氷河期と付き合わなくても済みますし、ましてや「全球凍結」などという怪物を相手にしなくとも良くなります。すっきりと、地球表面で起こってきた歴史を解釈できるのではないでしょうか、アインシュタインの考えもここにあったように思います。

二つ目の件に関して、ハンコック氏が
「突然すべてが見えてきた。何千年もの間、豊かな社会の拠点であった大陸が、どうやって痕跡も残さず消え失せたのかがわかった。フレマスが結論づけたように、「文明の起源の答を見つけるには氷に閉ざされた南極大陸に注目しなければならない。この忘れ去られた大陸の氷の奥深くに、答えが今も眠っているかもしれない」・・・

と述べているのは、早とちりだと思います。
南極大陸に眠っているのは、もっと古い超古代の文明だと思います。氷が溶け出せば、そのうち発見されるのかもしれません。

1225
2007-01-18 (Thu)
頻繁に起こるエクスカーション
「頻繁に起こる地磁気のエクスカーション」という論文(地学雑誌:小田啓邦著)がありました。それによると、短期の間だけ地磁気が完全に逆転するケース(イベント)とは別に、磁極の方位が安定磁極から45度以上ずれる程度の不安定な場合をエクスカーションと定義しているそうです。これが、ブルネ(プリュンヌ)期(今から約78万年前まで)の間だけでも70万年に23回(平均して約3万年に1回)も生じているそうです。

変動の原因については定説となるような明確な理論はないようですが、各ペリオド〔期〕やイベントの発生原因と同じく、大地震による地殻の重心移動が原因で地殻の移動が起こって磁極が移動する(石田理論)と考えれば、磁極が移動するたびに、(一回のエクスカーションで2度の転倒があるわけで・・・)かなりの頻度で(平均1万5000年に1回の割合)大きな洪水を引き起こしていたことになります。
[1224]に示した黒帯のブルネ(プリュンヌ)期だけでも、実はこのように頻繁な地殻移動が起こっていると考えられるのです。
このことからも、ロンドン学派や、ニューカッスル学派の研究者達が古地磁気のデータを散漫に取捨選択して、理論構築したのではないかと疑わしく感じます。偶然にもあの曲線に乗るものだけが手に入った・・・とは思えません。
膨大なデータが集まった現在では、とても一本の曲線に乗ることはなく、「大陸移動が証明された」という説明はできないと思います。なぜか学者からに否定的見解がだされませんが・・・・。
また、この論文では磁場の強度が弱くなって、極小値になるときに、エクスカーションが起こっているケースが多いと述べています。地球磁場ができる原因は溶融マントルの対流現象と密接に関係しているでしょうから、対流が弱まって地球の活動が停滞するということは、地球が姿勢を変える合図であり、地球はそのような自己調節機能を持っているのかもしれません。

つまり安定期のマントル対流が弱くなって、結果として地球内部で解離度の変化がおこり、これによって大地震が起こって姿勢を変える・・まるで太陽の光が当たらなかった両極を太陽光線に当てて、暖めたいから寝返りを打った・・・様なものなのかもしれません。
解離度を変化させて、地震を起こすのは、地球の自己調整機能なのかもしれません・・・。

1226
2007-01-20 (Sat)
地球磁場が逆転する理由
教えてgooというサイトに、地球磁場が逆転する原因を教えて欲しい、という質問があり、古地磁気学を専攻しておられるらしい方から回答が載っていました。多分地球物理学会の大方の研究者が肯定される定説的な考え方だろうと思いますので、抜粋・補足して紹介します。

【地球磁場の逆転現象】

質問:タイトルのように、数百何(万?)年に1回という地球磁場が逆転する現象がありますが、そのメカニズムについて教えていただきたいのですが・・・・。

回答:地球の内部にはあたかも強力な永久磁石があるかのように強い磁場を発生しています。ご承知のように地球の中心に当たる部分には鉄やニッケルを主成分とする金属の個体でできた半径1300キロほどの大きさの内核があり、その外側には内核と同じ成分の液体金属でできた半径3500キロほどの外核があると考えられています。どろどろに溶けた鉄やニッケルはその温度が4000度ほどで、これ自体が永久磁石になることはありません。一般に770度ほどで鉄は磁性を失います。

(磁場発生の原因として)今考えられているのはこの外核の部分に大規模なスケールで大きな電流が流れており、その電流によって磁場が発生するということです。核が熱を放出するプロセスは一様ではありません。核が接している(固体の岩石でできた)マントルと呼ばれる上部構造は長い目で見ると対流しており、その対流が大陸移動をささえる原動力なのですが、それはさておき、核の熱が外部に放出される過程で、液体金属でできた外核にも対流が生じ、その流れが電流を引き起こし、その電流が磁場を発生させていると思われるのです。(他にも外核に含まれる炭素などの軽金属が分離される過程で対流が引き起こされるなどの説もあるようです。)
 地球磁場が逆転するなどの現象の背景にはこの核内の対流現象の劇的な変化があると言われます。これは内部の熱放出のプロセスが一様ではなく段階的に起こっていること、そのたびに核内の対流がドラスティックに変化したことが原因ではないでしょうか。

以上が回答の要約です。石田見解としては、地球磁場が発生する原因はマントル(液体であると考えていますが・・・)の対流と関係して何らかのMHD発電(太陽磁場の中でのプラズマ流)が起こっているのでしょうし、地震時に地電流が流れるのも局所的にMHD発電(地球磁場の中でのプラズマ流)が起こるのであろうと推測しています。

その地球磁場が完全に逆転したり、エクスカーションという不安定な移動をする原因として、上記の回答では、「核内の対流がドラスティックに変化したことが原因」としています。

定説論者の方が、地球表面の変化に関しては斉一的な変化を主張する一方で、地球内部ではドラスティックな変化を採用されるのは何故なのか理解に苦しむところです。
ドラスティックに変化する原因は何なのか、それらしい理屈は無いように思います。
【地球磁場が逆転する原因】は解離ガスの爆発・爆縮による地殻の重心移動、それによって生じる地殻の移動(ポールシフト)が原因である・・・というのが石田見解です。このほうが地球表面で起きる変化の歴史をスッキリと説明できるのではないでしょうか。氷河期という謎も解けますし、洪水伝説の謎、化石ができる謎、南極や北極近くに化石や遺跡が見つかる謎などなど多くの謎が解けてきます。それがアインシュタインが「地殻移動論」を熱烈支持した理由ではないのでしょうか。

1227
2007-01-20 (Sat)
「神々の指紋」批判への批判
[1225]では、エクスカーションという磁気変化が3万年に1回という頻度で起こっていることを紹介しました。(「ブルネ(プリュンヌ)期(今から約78万年前まで)の間だけでも70万年に23回(平均して約3万年に1回)も生じている」・・・)
これは、反転(半転?)現象が平均して一万五千年に一回起きていることを意味しますが、産業技術総合研究所の「旧研究所のページ」には「最も最近のエクスカーションは4万年前です」と明記して、「神々の指紋」の記事を批判している方があります。
http://www.aist.go.jp/GSJ/~yagi/FOG/FOG_1.html
http://www.aist.go.jp/GSJ/~yagi/FOG/FOG_8.html
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「北極の移動」の嘘

地軸は地磁気極

下巻p282でハンコックは地磁気の逆転に付いて触れ、

「地殻が地理的な極の上を移動した場合でも、同様の考古磁気学の測定結果が得られただろう」

と述べています。「得られただろう」とハンコックはとぼけていますが、ではハンコックが主張するような古地磁気学データがあるのでしょうか?
当然古地磁気学の研究者は数多くの測定を行っており、1万2千年前ごろに逆転はおろか、緯度にして30度もの移動があったという測定結果はどこにもありません。
それに地磁気の逆転についても数多くの研究がありますが、はっきりとした逆転は約78万年前(ブリュンヌ・松山境界)です。これより短期間、地磁気が弱くなるエクスカーションと呼ばれる事件もありますが、最も最近のエクスカーションは4万年前です。(中略)
下巻証拠12に挙げられた、「北極の移動」も歪曲がなされています。元論文(Munk and MacDonald, 1960,Markowitz, 1968)を見ると、この移動した「北極」は地磁気極のことです。ハンコックが論じている自転軸のことではありません。
ここでみたような、地磁気の逆転を「地軸の逆転」とわざと言い換える手法も、多くの擬似科学本に引用されています。(中略)
ここでもハプグッドとそれを引用したハンコックは勝手な間違った解釈をしています。「関った科学者たちは有名であり、まず間違いはないが」なんて自分が間違っていることを棚に上げて、責任を他人に押し付けているのです。
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以上が抜粋ですが、研究者(研究所のページだから研究者でしょう)がどうしてこのように激しく「神々の指紋」を攻撃されるのか、不思議です。

エクスカーションはブリュンヌ期だけでも23回も起きているのですし、磁極と回転極(真の極)は数千年の平均を取れば一致するから、古地磁気の研究においては区別する必要はないと言われているはずです。これは[教えてgoo]にも次のような回答があります。
「これらの変動を数千年以上という長い期間で平均すると、双極子磁場の軸の傾きや非 双極子磁場の割合は無視できるようになって、地磁気を完全に自転軸と一致した磁軸 をもつ双極子(地心双極子)とみなすことができるようになります。」
研究者が、このように激しく批判されると、知識のない一般読者は「神々の指紋」というのは科学的にはやっぱり「トンデモ本」なのか・・と誤解してしまいます。内容がすべて正しいわけではないですが、指紋自体は否定できませんし、どのような経緯で指紋が残されたのかを探求するハンコック氏の努力には敬意を表すべきであると思います。

むしろ、指紋の謎を解明する使命は研究者のほうにあるはずなのに、科学を専攻していないものが科学に口出しすることを、「黙れ!」と一括するような傲慢さを感じます。一昨年暮れのテレビタックルでも「科学者じゃないのに、科学に口を出すな!」と言っていた有名な学者がいたことを思い出しました。(セミナー[1167]参照)

世界中でベストセラーになった本を、このように誹謗するのは大人気ないことだと思います。[1074]きましたが、感情的とも思える批判のあり方は正しい地球観と正しい地球の歴史観を構築する弊害になるような気がします。

1228
2007-01-22 (Mon)
生物絶滅の理由
「地殻移動」による大洪水は何も「ノアの洪水」伝説のようなもの一度だけではなく、過去に何度も起こったものであって、それが恐竜や、アンモナイトのような化石を残したのだと思います。そうした洪水の痕跡について語っている「消えた先史文明」(レニ・ノーバーゲン著)の一節「大洪水の痕跡」を抜粋して紹介し、石田見解をのべてみます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【大洪水の痕跡】

(前略)古生物学者は、洪水後の形成の不規則な岩層のなかに初期の生物の化石が無数に閉じ込められている事実に、依然として首をひねりつづけているが、洪水伝説をとらないかぎり、説明のしようがないのである。(中略)

いくつもの文明と無数のさまざまな植物と動物が全面的に消失するといった、前例を見ないことがおこったからには、熱心に探せばその痕跡が見つかるはずである。
 ではそうした痕跡は、どこにあるのか。(中略)
 この激変はすさまじく、地上の最大の山脈・・・ロッキー、アンデス、ヒマラヤ、アルプス・・・に今もって、数千年前に生存していた海産の貝類や他の証拠物件が残っている。こうしたものいわぬ証拠は、エジプトやバビロニアの記録よりはるかに古いものだが、どれほど先行するものであるかは科学的な論争の的となっている。進化論者は、何百万年ものへだたりがあると信じている。大洪水説を支持する地質学者たちは、千年単位のへだたりにすぎぬと主張している。いずれにせよ、地球全体をおおったこれほどの洪水となると、新たに形成された水域の底に大量の沈澱層をもたらしているのは明らかで、大洪水が全地球的なものであったとみなされている以上、さまざまな地域でそうした沈澱層の残存を発見することが可能なはずである。まさしくそのとおりに、発見されているのである。地球の表土は、所により多少の増減はあるものの、七五パーセント以上が沈澱物によっておおわれている、と科学的に推定されている。実験の結果、アメリカの沈澱層がたいへん深く、カリフォルニアとコロラド台地で特に顕著であることが明らかになっているが、これまでに確認された一番深い沈澱層はインドにある。その深さは、約一万八〇〇〇メートルである。<br> これほどの沈撤層の形成は、侵食がゆるやかにすすみ、百万年以上にわたって徐々に堆積していったとする進化論では、とうてい説明しきれないだろう。(中略)
たとえばロッキー山脈などは、科学者の矛盾だらけの主張では、まぎれもなく説明かつかない。ロッキー山脈には、波頭の跡や無数の三葉虫の化石が、分解の兆しをまったく見せていない他のデリケートな化石とともによく保存されている。これらのものは、他のこともさることながら、ゆるやかに静かに堆積したためではなく、恐ろしい大変災か何かによって、一挙に堆積したことを強力に示唆している。(中略)
 非正統的な見解の持主であるがゆえにとかく論争の的となっている研究家、イマニュエル・ベリコフスキーは、水成岩に閉じこめられた魚を調べた。その結果、彼がえた結論は、大異変説を全面的に支持している。
「魚が死ぬと、その死体は水面に浮くか底に沈むかのいずれかで、さほどたたないうち、それも数時間のうちに、他の魚に食べられてしまう。ところが、水成岩のなかに発見した魚の化石の場合、骨が全部そろっているものがきわめて多い。広い地域にひろがる、総数が何十万匹にものぼる化石と化した魚のいくつもの群が、苦悶の状態で発見されたが、腐肉あさりに襲われた形跡はまったくなかった」
 多くの発見者が、この事実を裏づけている。南アフリカのカルー盆地では、約八〇〇億匹の魚の骨が発掘されたものと推定されている。
地質学者のヒュー・ミラーは、イギリス諸島の大半の地域をおおっているデボン紀の岩層について書いたおりに、「歴史上のこの時期に、端から端までが少なくとも一六〇キロないしはそれ以上の広がりをもった区域の魚が、突然、命を奪われる、空恐ろしい異変がおこっている。スコットランド東沿岸のクローマチの場合と同じく、オークニのデボン紀の岩層にも魚の死骸が分厚くとじこめられているし、これまたまぎれもなく突然の死を物語っている。遺骸はねじれ、おしひしがれ、曲っている。多くの場合に、尾が頭のところへきていて、背骨が折れて突きでている。ひれはみな、痙學をおこしながら死にでもしたように、いっぱいに広げられている」とのべている。ミラーがふれている地域は、決して狭くはない。強大な破壊力を受けたありとあらゆる証拠がそろっているこの地域は、一万六〇〇〇平方キロにもおよんでいるのである。全米地質調査(USGS)のハリー・S・ラッドは、もう少し具体的にのべている。「平均体長一五ないし二〇センチの魚が、一〇億匹以上もおよそ六・五平方キロの湾の底で死んだのである」(中略)
大洪水伝説を長年にわたって研究してきた私の手元には、この解明しがたい出来事に関する情報でふくれあがったファイルがいくつもある。たとえばドイツのガイゼンタールのいくつかの褐炭層で興味深い発見がなされている。世界のあらゆる気候帯の植物や昆虫、それに他の動物が一緒に堆積している場所が発見されたのである。場所によっては、葉緑素がその緑色を失っていない新鮮な状態で堆積している木の葉が出土したために、発掘作業をすすめるあいだ、その地層は「緑の層」と呼ばれた。昆虫のなかには腸の内臓をふくむからだの柔らかい部分がそっくりそのまま保たれている、色の美しい熱帯産の甲虫がまじっていた。通常の状態では、死後二、三時間のうちにそうした部位は腐るし、色は変わってしまう。したがって、嫌気性で防腐力にとんだ地層に一挙につつみこまれたばかりでなく、この地層の保存は完璧であったということになる。


(ニュートン誌1983/April Vol.3 No.4 より)

 こうした無害な生物の命を奪った恐ろしい出来事は、プレシオサウルスやメソサウルスをはじめとする大型の海棲の爬虫類も絶滅においやった。荒れくるう海の猛威にあまりの激しさに、生き残ることができなかったのである。逃げのびることができずに、海棲の恐竜たちも地上の仲間と同じ運命をたどった。この死のワナには、開張翼の長さが七メートルほどもある翼竜類のプテロサウルスも捕えられた。大空もまた、犠牲をささげたのであった。こんな現象は、全世界的な、あらゆるものをのみこむ大変災をもってしか説明かつかない。こうしたさまざまな種の絶滅は、ほかのどんな説をもってしても絶対に説明できない。すべてのものが根絶やしにされ、地球上のほぼ全部の大陸の深い地層に埋められてしまったのである。
ありとあらゆる生物が死に絶えたのである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
以上が抜粋記事ですが、魚とカエルの生き生きとした姿のままの化石写真を載せておきます。両方とも、瞬間的に土砂に埋もれてしまったことが推定されます。

(出典http://www.concentric.net/~hnori/earth2.htmより)

上記の記事では、洪水が何時起きたのかと言うようなことが問題になっているようですが、恐竜を絶滅させた大洪水とマンモスをシベリヤに氷詰めにした大洪水とは、当然時期が違います。洪水は地殻移動のたびに何回も起きていると考えれば問題なく解釈できると思います。

セミナー[737]に紹介しましたが、これまでに5回もの生物絶滅事件があったようで、5大絶滅というそうです。
・オルドビス紀末 (4.38億年前)の大絶滅
・デボン紀末(3.60億年前)の大絶滅
・ペルム紀末 (2.48 億年前)の大絶滅
・三畳紀末(2.08億年前)の大絶滅
・白亜紀末(.65 億年前) の大絶滅
それぞれの大絶滅期には、地球が180度も転倒するような地殻移動(ポールシフト)が起こったのではないでしょうか。地殻移動を認めていない科学者の理解では、

「たしかに1980年代以降の絶滅仮説はどれもそれなりの&quot;物的証拠&quot;を提出してはいる。その意味ではただの空論だとは言えないかもしれない。しかし、簡早に欠点を指摘できるような仮説や推測的な前提条件に立って主張されるシナリオでは、生物大絶滅についての理論として受け入れることはできない。そのような議論は、いかに有名な研究者によって展開されていようと、われわれが科学理論と呼び得るものに対して抱くイメージや信憑性からは遠い。」([737]参照)
という見解で終り、絶滅の謎が解決することはありません。
なお、ノーバーゲンの記事にある
「水成岩のなかに発見した魚の化石の場合、骨が全部そろっているものがきわめて多い。」
という事実からも分かることですが、堆積作用によってできるとされる水成岩というのは一年に数ミリずつ形成されていく・・・というようなものではないことが分かると思います。魚や動物の死体を含んだ泥流が洪水の収束とともに短時間に、数メートルのオーダーで堆積し、水成岩を作っていくように思われます。

スマトラ大地震による大津波、長野県西部地震で発生した御嶽山での土石流、関東大地震で起こった根府川での山津波などで流され、埋没してしまった生物などが、何万年後には化石となって発見されるのだと思います。

[1099]にも紹介した「複数の地層を貫いた木の化石」は、大洪水やこうした異変によってできたものだと考えられます。

1229
2007-01-28 (Sun)
オーパーツを説明できる地球物理学への脱皮
来月で正真正銘の高齢者入りをする・・・という歳になると、郷里で一緒に遊び、学んだ仲間とのネット交流が楽しみの一つになってくる。
先日、賑やかな交流掲示板の中で以下のような「切り干し大根」の話を友人が載せていた。

「(切り干し大根)は太陽の光を浴びることで、 カルシウムは15倍、鉄分は32倍、ビタミンB1・B2は10倍と、同量の大根と比べた場合、栄養価は非常に高い。」

検索するとだいたい同じようなことが書いてあり、「太陽の光を浴びることで、生にはない栄養素が生まれます。」とあった。
32倍にもなる鉄分は一体どこから生まれたのだろう?水分が蒸発して相対的に鉄分が増えただけなのか?それならカルシュウムも32倍になるはずだが・・・。
この記事を読んで、「生体内では酵素やバクテリアの介在によって一つの元素がまったく別の元素に転換する」というルイ・ケルブランの「生体内原子変換」の話を思い出した。
彼の問いかけは

「ニワトリの雛(ヒヨコ)は、もともと卵にあった量の4倍も多い石灰分(カルシウム)を含んでいる(誕生後の殻に含まれるカルシウムの量は変化がなかった)。その増えたカルシウムはいったいどこからきたのだろうか?」

というもので、生体内では原子が別の原子に変換しているという主張です。そのような錬金術のような反応は現代科学では決して認められるものではありません。
彼の論文は現時点では「正統な科学者」が決して目を向けるものではないのですが、かといって、「正統な科学者」はこうした「事実」を説明することができません。「正統な科学」というものは、「事実」を説明できない頼りのないもののようです。
頼りのないのは、「正統な地球物理学」も同じことです。

グランドキャニオンが少なくとも、3回もの隆起と沈降を繰り返してきた事実を説明することができません。隆起と沈降を繰り返してきた原因が何であったのか、分からないのです。
説明不可能な発見物があると、それはオーパーツ (OOPARTS:Out Of Place Artifacts) として科学的な検討の対象から除外され、無視されてしまいます。未熟な「現代科学」では説明できないというだけなのですが、「場違いな遺物」扱いで、それを説明しようとすると、トンデモ科学とか疑似科学とかの言葉で揶揄するのが常です。

オーパーツ扱いされる物の一つに一億三千万年前の地層から発見された写真のような鉄製ハンマーがあります。

(「恐竜と人間は共存したのか」南山宏著より)
同じ地層からは、「恐竜と人間の足跡」が同じ岩盤の上に残っているのです。定説では人類が誕生していない時代の遺物になってしまうのですが、科学はこれを説明できるだけの「信頼できる科学」にならなければいけません。(セミナー[1099]参照)

石田見解は、オーパーツ扱いしないで「証拠」として忠実に解釈すべきであるというものです。鉄製のハンマーを使用していたという証拠を否定することはできないと思います。したがって、人類の誕生は少なくともこの一億三千万年前のことであるということになります。人類は類人猿が進化して、狩猟生活や石器時代を経て、ようやく現代人のレベルまで漸進的に進歩してきた・・・ということではないと思われます。

人類はこの時代に鉄を使用していたことは事実でしょう、その後地殻移動という激変に襲われて、科学レベルも石器を使用するまでに退化してしまったこともあるでしょうが、何度かの文明レベルの進歩と退化を繰り返してきているのではないでしょうか。オーパーツ扱いされている証拠の中には、科学レベルの相当に高い時代のものがあるようです。そうした人類の残した証拠を説明できるような「真に正統な地球物理学」に脱皮・発展させなければいけないと思います。

脱皮を妨げている別の要因はセミナー[1094]でも述べましたが、旧約聖書の世界から抜け出せないキリスト教世界の拘束があるのかもしれません。そうであるのなら、科学的に説得できる地球物理学でないといけないでしょう。

そのためにアインシュタインが支持した「地殻移動」(ポールシフト)説を受容すべきであると私は考えています。

1230
2007-01-29 (Mon)
超古代の科学レベル
28日のNHK番組「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」で放映された世界最大10mの高山植物「プヤ・ライモンディ」に関する番組を見ていました。
解説版から抜粋して紹介します。

「南米ペルーのアンデス山脈で、100年に1度開花する世界最大の高山植物「プヤ・ライモンディ」の不思議に迫る。「プヤ」とはスペイン語で「やりの穂先」を意味する。(中略)

今回、日本とペルーの植物学者の合同チームは特別な許可を得て、1本のプヤ・ライモンディを切り倒して解体した。すると、先端には砂糖、根元には大量のデンプンが蓄えられていることなど、意外な事実が次々と明らかになった。」


(出典:http://www.asahi-net.or.jp/~xw2t-tnk/hanare/hana/foreign/puya.htm

肥料となるようなものは何も無い高山の荒地で、よくも大量のデンプンができるものだと感心して見ていました。農作物にはそれに見合った肥料を施さないと栄養分が切れて栽培ができなくなる・・・というのが現代の常識ですが、それが疑わしくなるような「事実」を見せられました。
考えたら、あの巨体を誇るパンダでも、笹しか食べないでよくもあの大きな体を作れるものです。笹にはカルシュウムなど無いと思われるが、パンダの背骨はカルシュウムがなければできないはずだから、これも不思議な「事実」であります。

ケルブランは鶏に長い間カルシウムを全く与えず、硬い殻の卵を産めない状態にしておいた後、アルミニウムとカリウムから成る「雲母」をエサとして与えるという実験をしたそうです。すると、たちまち硬い殻(カルシウム入り)の卵を産むようになった、というのです。こうした実験などから、生体内で原子の転換が行われていることが証明されるというのです。

自然界では、きっとこのような現代科学(化学)では常識外とされてしまうオオパーツのような「事実」がたくさんあるのでしょう。プヤ・ライモンディの不思議をみながら、改めて「現代科学」の未熟さを感じました。

植物でも動物でも成長するという生命活動の中には、新しい元素まで作り上げるという知られざるエネルギー活動があるのではないでしょうか。現代人は何回もの地殻移動による洪水でそのエネルギーのことを忘れてしまったのかもしれません。超古代にはそのエネルギーを取り出して利用していた人々が存在したのかもしれません。ピラミッドに関しても、不明な点が多いわけですし、巷間伝えられるピラミッドパワーなるものを利用していた人々がいたということも、本当のことかもしれません。

不思議なオオパーツを見ていると、現代よりも進んだ時代があったとしても不思議ではない様に思えてきます。少なくとも、全ての面で現代社会は最高に進んだ文明であるという傲慢さは捨てないといけないと思います。


(「古代の人は空を飛んだのか?」南山宏著より)

写真はコロンビアで発掘された黄金シャトルと呼ばれるものですが、ライト兄弟によって初めて飛行機が発明された・・・というのは「最後の洪水から後では・・・」という注釈が付くのかもしれません。

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