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2651
Date: 2018-01-22 (Mon)
二酸化炭素の急増が火山噴火の前兆になる理由を探求して欲しい
今日の産経新聞に「箱根山の噴火に新観測、火山ガスを常時観測」というニュースがありました。
地震予知もそうですが、火山予知も「測地学的観測」を主流にしてきたために、実用的な予知は不可能となっていました。
そこで「火山ガスの常時観測」を取り入れたことは、納得の出来る前進だと思います。

しかし、何故二酸化炭素が重要なのか、何故火山活動と二酸化炭素が関連するのかについては因果関係が不明のままで「経験則」の域を出ません。
地震爆発論としては、「水素濃度の常時観測」を実施して火山活動との関連を調べて欲しいと思っています。

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箱根山噴火に新観測構想 腐食しにくいセンサーで火山ガスを常時監視…前兆検知へ

戦後最悪の火山災害となった2014年の御嶽(おんたけ)山(長野、岐阜両県)や、観光に大きな打撃を与えた翌年の箱根山(神奈川、静岡両県)の噴火。いずれも前兆を捉えにくい「水蒸気爆発」というタイプの噴火だった。地下から放出される二酸化炭素でこれを事前に察知しようと新たな試みが始まっている。(原田成樹)

二酸化炭素が急増

 噴火はマグマ自体が噴出する「マグマ噴火」、マグマが地下水などに直接触れて起きる「マグマ水蒸気爆発」、地下水が急激に温められて起きる「水蒸気爆発」の3タイプがある。水蒸気爆発はマグマの上昇を伴わないことが多く、地殻変動などで前兆をつかむのが難しい。御嶽山も噴火警戒レベル1の段階で突然、噴火した。

 火山ガスの専門家である東海大の大場武教授(火山化学)は箱根山の噴気に含まれる水蒸気や二酸化炭素、硫化水素などのガス成分を13年から毎月1回、測定してきた。

 箱根山では15年4月下旬に群発地震が始まり本格的な活動に移行。地震は5月初旬に急増し、気象庁は噴火警戒レベルを1から2に引き上げ、6月下旬に噴火が起きた。

 測定したガスを分析したところ、群発地震が始まる2日前まで変化はなかったが、地震の急増後は硫化水素などに対する二酸化炭素の比率が顕著に増加していた。群発地震が始まったころにガスの状態が急変した可能性がある

通り道が目詰まり

 大場教授は噴火のメカニズムを次のようにみる。箱根山では大涌谷の地下約10キロにマグマだまりがあり、通常はここから放出された高温のガスが岩盤の隙間を通って上昇し、地下数百メートルにある熱水を温めている。
 約800度のマグマから出たガスが上昇して約400度に冷えると、含まれている成分が固まり、通り道が目詰まりを起こす。ガスが通れず圧力が限界まで高まると、詰まった場所が破壊され、ガスが再び上昇していく。  
群発地震が起きたのはガスの通り道付近の岩盤が壊れたためで、上昇した多量のガスが熱水を温めて水蒸気爆発が発生。このとき栓を抜いたとたんに出てくるビールの泡のように、二酸化炭素が急増したと考えられるという。
 大場教授は、二酸化炭素の比率を常時観測すれば目詰まり層の破壊が分かるとみる。医師が聴診器で患者の体内を探るように、ガスで火山の体調を診るわけだ。ガスは岩盤の隙間を高速で抜けるため、地震の急増よりも早く異変を検知できれば噴火警戒レベルの早期引き上げに役立つ。

腐食しない新検知器

 火山ガスは研究者が少なく地震などと比べ観測体制も未整備だったが、御嶽山噴火を受け政府の火山噴火予知連絡会が観測強化を提唱。ガスの常時観測は15年以降、気象庁が御嶽山や草津白根山、吾妻山、九重山で始めたほか、神奈川県も箱根山で開始した。

 気象庁気象研究所の高木朗充室長は「御嶽山の噴火で、これまでの地震計や地面の動きなど物理的な観測だけでは限界があると分かった」と話す。二酸化炭素の比率で水蒸気爆発の前兆を捉えるだけでなく、二酸化炭素の絶対量の変化でマグマの動きを探る試みも今年度から始まった。

 ただ、厄介なのはガスに含まれる硫化水素や二酸化硫黄の腐食性だ。温泉地では電化製品が壊れやすいといわれるが、ガスは電極の銅と反応して腐食を招く。このため既存の常時検知器は噴気口から離れた場所にしか設置できず、安定したデータが取れない。

 そこで大場教授は、観測するときだけガスを検知器に吸引し、終われば新鮮な空気と入れ替えるメカニズムを企業と共同開発。ガスにさらされる時間を短縮してダメージを減らし、噴気口から出る高濃度ガスの継続計測を可能にした。今夏に草津白根山で試験を行い、耐久性能などを確認。来年度に箱根山への設置を目指している。

 水蒸気爆発を起こす火山は観光地が多い。マグマ噴火も初期は水蒸気爆発から始まることが多く、その予測は防災上の観点から重要だ。大場教授は「噴火予測を可能とするガス観測の手法を確立したい」と意気込みをみせる。

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地震現象も、火山噴火の現象も、両者とも基本的には「解離ガス」の爆発が絡んでいると思っています。
マグマ内部での爆発が起き、上部に乗っている地殻物質ごと吹き上げると、黒い噴煙を上げる本格的な噴火になります。マグマの上部に貯留された解離ガスの爆発がきっかけで水蒸気が吹き上げるのが白い噴煙の爆発だと思います。

記事にあるような「栓を抜いたとたんに出てくるビールの泡のように、二酸化炭素が急増」するのは、「平衡破綻型の爆発」を意味していると思いますが、「ビールに含まれる炭酸ガス」が火山活動で噴出するのはなぜでしょうか。

何故二酸化炭素が地震の前兆現象に関連するのか、合理的な説明が必要です。
もし地下にある可燃性ガスが燃えている可能性があるのなら、可燃性のガスが噴出しない火山では噴火の前兆にはならない可能性もあります。

[521]で紹介したように、地震断層でガスを採取すると炭酸ガスと水素が検出される場合があるそうです。(注1:参照)

ニオス湖の噴出では高濃度の二酸化炭素の噴出で多くの人命が失われました。したがってこれは重要な問題を含んでいます。

火山ガスの常時観測は大いに結構なことですが、説得性のある噴火現象の科学的メカニズムの解明を急ぐ必要があります。

注1:

断層から放出されるガス(杉崎教授の見解)

地震という破壊現象に際して、最も明確に現れる破壊個所が断層である。従って断層に胚胎し、もしくはそこから放出されるガスは破壊現象と関係したものと考えることができよう。図一6(省略)に示すように断層面にビニールパイプを埋設し、そこからガスを採取することが断層ガスの調査として一般に行われている方法である。筆者およびその協力者は主に中部地方の活断層中のガスをこの方法で採集分析した結果、断層ガスの種類に関してつぎの特徴が判明した。

(1)断層から放出される特徴的なガスはC02とH2である。それらはいずれも断層破砕帯の中心部に集中している。
(2)C02は主に堆積岩、それも比較的若く、柔い段丘堆積物などに多く出現する。
(3)H2は主に堅牢な基盤岩、とくに花崗岩などの火成岩や変成岩中の断層に出現する。

以上のうちC02は夏期にピークがある季節変化を示すこと、その炭素同位体比が有機物のそれと類似していることなどの理由から、主にバクテリアの作用で生成したものであると結論された。それが断層中心部に集中してみられるのは、断層破砕帯では水や空気の流通が良いので、生化学的活動が促進されたためであろう。従って、基盤岩石から発生するH2が地震現象と関係していると考えることができる。

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とあります。杉崎先生は炭酸ガスの発生を生物起源と結論されたようですが、わたし(石田)は、堆積岩地帯の地下水には炭酸カルシュウムが溶け込んでいて、水の解離反応と同時に炭酸カルシュウムの解離が起こって、二酸化炭素と酸化カルシュウムに解離したのではないかと考えています。つまり、二酸化炭素も、水素も熱解離現象によって発生したのであると考えているわけです。
 カメルーンのニオス湖地震で湖底から噴出した二酸化炭素は生物起源のものではなく、地震活動そのものによる噴出であったと考えています。炭酸ガス噴出によって羊や牛の家畜に被害が発生することは、セネカ時代から報告されていますが(注2)、カルスト台地における大地震の特徴なのではないでしょうか。


ニオス村で家畜や人命に被害があったのは、CaCO3の熱解離によって発生したCO2であると地震爆発論では考えている。

[526][1390]には

「水と炭酸カルシウムの解離温度は全く異なります。特に炭酸カルシウムは900℃近い温度によってCaCO3→CO2+CaOとなりニ酸化炭素と酸化カルシウムを生成します

炭酸水素カルシウムは、熱により二酸化炭素を発生して炭酸カルシウムの白色固体となる。これが地空で鍾乳洞のできる仕組みです。」

という読者からのコメントもあります。

火山活動でなぜ二酸化炭素が発生するのか?

そのメカニズムを究明せよ!

注2:

「ポンペイ地方では数百頭の羊が群れをなして死んだ。」というセネカの話は[187]セネカとニュートンの地震観[434]ゴールド博士から学ぶ(4)などで紹介しました。解離ガスという気体の噴出が分っていない時代から、現象そのものは観測されていたようです。

2652
Date: 2018-01-23 (Tue)
火山噴火のメカニズムは把握されていない
本日草津白根山が爆発しました。噴火予知は出来なかったようでテレビの解説を聞いていても、火山噴火のメカニズムは把握されていないようです。被害が大きくないように祈っています。

二酸化炭素の常時観測の話題に載っていた大場教授の研究を調べていたら、2011年の記事に独立行政法人国際協力機構JICAの記事がありました。ニオス湖の炭酸ガスを抜く作業を行なっているという報道ですので、紹介します。

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「湖水爆発」の謎に挑む(カメルーン)
火山国・日本の知見を生かして協力を開始−

JICAは1月21日、カメルーンの首都・ヤウンデで、独立行政法人科学技術振興機構(JST)と共催し、プロジェクト開始記念セミナーを開いた。今後、2016年までの5年間にわたってJICAとJSTが連携し、カメルーンで1980年代半ばに発生した火山災害の解明と対策に取り組む。被災地の住民は、災害から25年が経過した現在も避難生活を余儀なくされており、火山研究の先進国である日本の知見と支援に対する期待が高まっている。


災害が起きた湖の周辺には、危険を知らせる看板が立てられている(マヌーン湖周辺の集落付近で)

「湖水爆発」の被害と日本の研究活動

ニオス湖の様子。カメルーンと日本の研究者は、左手に見える白い観測小屋に泊まり込んで調査を行う

アフリカ中央部に位置するカメルーンには、標高4,000メートルを超えるカメルーン山をはじめとする多数の火山がある。この火山帯で1984年と1986年に、多くの住民の命を奪う災害が発生した。火山の火口にできた湖(火口湖)であるマヌーン湖とニオス湖で、湖底に溜まった大量の二酸化炭素が突然湖面に噴出、ガスが山の斜面に沿ってふもとの村に広がり、3つの村で約1,800人の住民が酸欠死した。現在も、湖の周辺での居住は禁止されており、約1万人の人々が先祖伝来の村を離れたままだ。

この災害に対して、いち早く取り組んできたのが日本の研究者だ。富山大学の日下部実客員教授(当時は岡山大学地球内部研究センター教授)は、1986年のニオス湖での災害直後に、JICAが派遣した国際緊急援助隊の一員として現地に入り、災害の原因究明に着手した。以来25年にわたり、日下部客員教授をはじめとする日本の研究者が、カメルーンと日本を行き来しながら研究活動を続け、1993年、地下のマグマに由来する二酸化炭素を含んだ温泉水が湖底からわき出ていること、それによって大量の二酸化炭素が湖水に溶けた形で蓄積していること、それが何らかのきっかけで爆発的にガス化し災害を引き起こしたことを突き止めた

この現象は「湖水爆発」と呼ばれる。現在も地下のマグマから途切れることなく二酸化炭素が湖水に供給されているため、ガスを除去するためのパイプを湖に設置するという対策が取られている。しかし、何が湖水爆発の引き金になったのか、二酸化炭素がどのような経路で湖水に供給されているのか——など、そのカニズムについてはいまだ解明されていない点が多い。そのため、カメルーン政府も安全宣言を出すことができず、地元住民の避難生活が長期化している。

メカニズムの解明と人材育成の強化


【写真左】ニオス湖では、湖底近くまで垂直にパイプを設置し、湖水中の二酸化炭素を除去している
【写真右】湖上の筏(いかだ)で調査活動を行う、カメルーンと日本の研究者(左は日下部客員教授)。深層の湖水を採取して水質やガス濃度を調べる

今回、開始された科学技術協力「火口湖ガス災害防止の総合対策と人材育成プロジェクト」は、JICAがJSTと共同で実施する「地球規模課題対応国際科学技術協力(Science and Technology Research Partnership for Sustainable Development:SATREPS)」の一つ。地球規模課題の解決と科学技術水準の向上につながる新たな知見を相手国と共同で研究し、獲得することを目指して、2008年に開始されたODAの新しい枠組みだ。

日本は世界の0.25パーセントという小さな国土面積に、世界の活火山の7パーセントが集中しており、火山の観測・研究に関しては世界トップクラスの蓄積がある。この進んだ研究能力を生かし、カメルーンの研究機関との共同研究によって湖水爆発のメカニズムの解明、リアルタイムでの監視体制の開発、二酸化炭素除去システムの試験などを行っていく。

また、人材育成を重視し、カメルーン人研究者自身によるモニタリングと分析が可能な体制づくりを目指す。これまでも、日本人研究者は、現地での研究活動だけでなく、カメルーン人研究者の育成に尽力してきた。カメルーンでの研究拠点となっている国立地質調査所(IRGM)では、日本に留学して学んだ4人の研究者が中心的役割を担っており、日本人研究者に対する信頼は厚い。

しかし、研究機材は必ずしも十分ではなく、湖水の観測はこれまで多くても年1回にとどまっている。カメルーンの研究者が、自らの力で火口湖の観測や分析を継続し、政府が安全宣言を出せるような科学的知見を蓄積して防災に生かすことが求められており、安全宣言が出せるようになれば、被災者が元の土地に戻り、被災地域の開発、生活の改善が進むことも期待されている。

一日も早い帰郷に貢献

セミナーには、カメルーン国内の研究者、行政関係者、被災地の住民ら100人以上が参加し、カメルーン人研究者のこれまでの取り組みや、今後の日本との共同研究計画が紹介された。被災住民からは「いつになったら安全宣言が出て古里へ戻れるのか」という切実な質問が多く寄せられた。

研究者代表を務める東海大学の大場武教授は「ニオス湖とマヌーン湖の安全性を検証し、湖の周辺に住んでいた人々が一日も早く古里に戻れるように貢献したい」と意気込みを語った。また、日下部客員教授は、「協力の重要な柱は『人材育成』であり、これによってカメルーンの人々が火山研究や防災事業を自らの手で推進できるようになることを期待している」と述べた。

今回の科学技術協力では、日本から15人以上の第一線の研究者が参画し、カメルーンの火山災害の科学的解明と被害の防止に挑む。いつ繰り返されるか分からない自然災害に立ち向かうカメルーン人研究者と、今なお避難生活を送る多くの人々は、日本の支援に対して大きな期待を寄せている。

地球環境部防災二課

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ニオス湖災害については[1390]ニオス湖事件の真相に紹介してありますが、二酸化炭素の突然発泡というよりは、「地震に伴う災害」と見るべきです。

マヌーン湖とニオス湖で、湖底に溜まった大量の二酸化炭素が突然湖面に噴出、ガスが山の斜面に沿ってふもとの村に広がり、3つの村で約1,800人の住民が酸欠死した

とありますが、酸欠だけではなく、高熱の二酸化炭素ガスによる熱傷の可能性もあることが、生存者の火傷([1390]参照)から分かります。

なぜ二酸化炭素が発生するのかは、CaCO3の熱解離(800度で解離)という地震爆発論の説明が一番説得性があるように思います。「湖水爆発」の直接的な原因はCaCO3よりも高い温度で解離するH2Oから分離する水素と酸素が爆発的に化合(水素爆発)した可能性が考えられます。

[2651]の「ニオス湖のガス噴出災害の概念図」に載っている「爆発の引き金」には
@CO2が飽和点を超えた?
A湖底のがけ崩れ? Bマグマの小爆発?
が掲示されていますが、説得性に欠けるように思います。

後記:

気象庁の斎藤誠火山課長は23日、草津白根山の噴火を受けた記者会見で「噴火の前に火山活動の高まりを示すような観測データは見られなかった」として、事前に噴火警戒レベルを引き上げるなどの措置は困難だったとの見解を示した(産経新聞)。

現地に研究拠点を置く東京工業大火山流体研究センターの野上健治教授は23日、報道陣の取材に応じ、本白根山はガスの噴出など火山性の現象がほとんどなく、「前兆がないところで突然噴火したような状態だ」と説明した。(JIJI.com)

まったく想定外の噴火で、何の前触れも無かったようです。これでは二酸化炭素の常時観測体制を敷いても噴火の予知は不可能ですね。

2653
Date: 2018-01-24 (Wed)
日本海は陥没によってできた・学者は先入観でものを見るな
JAMSTECでは、おかしな議論がまかり通っています。花こう岩が存在するから、ジーランディアは大陸が沈んだのだと言っていますが([2551]参照)、それならば日本海南部のヤマト堆やブラジル沖のリオグランデも陸地だったと認めるべきです。

日本海裂開説や、ブラジル沖の花こう岩を無視する姿勢は矛盾に満ちたおかしな議論です。

まずはジーランディアに関する毎日新聞の報道から紹介します。

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ジーランディア - 海に沈んだ謎の大陸 掘削し本格調査へ

海洋研究開発機構(JAMSTEC)掘削情報科学研究開発グループの斎藤実篤グループリーダーによると、ジーランディアが大陸だったと言えるのは、ニュージーランド近海で掘削すると、大陸の特徴としてみられる花こう岩など軽い岩石が確認されるため。最初から海底なら、玄武岩など重い岩石が主体になる

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[2649]の図ー4に示されるように日本海の南部(水深が浅い大和堆付近)には花こう岩が存在します。「花こう岩が確認されるから、ジーランディアは大陸だった」と結論付けるのならば、日本海南部も陸地だったと結論付けてもよさそうです。ブラジル沖では専門家が目視によって花こう岩の崖を見ているのですが、陸地説はどこかに消えかかって、冷ややかな疑惑の眼差しが注がれています。

 佐野貴司氏の「海に沈んだ大陸の謎」(p.193-196)にある「リオグランデ海台」からプレート論者の「先入観」を紹介します。

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リオグランデ海台

 2013年5月、海洋研究開発機構は、大西洋海底で大陸の一部とみられる花崗岩を確認した、という報道発表を行いました。この発表は複数のテレビ番組や新聞に取り上げられたため、ご記憶の読者もいるかもしれません。  

 この報告は、ブラジルのリオデジャネイロの南東約1500血の沖合にあるリオグランデ海台の水深910mの地点で行われた調査結果を伝えるものでした。海洋研究開発機構がブラジル沖を航海中に、「しんかい6500」という有人潜水調査船を用いて海底を探査したのです。リオグランデ海台の地図を図5-7に示しました。

 この確認を行ったのは、海洋研究開発機構の北里洋博士です。このときの様子は、北里博士の著書『深海、もうひとつの宇宙‥しんかい6500が見た生命誕生の現場』に詳しく書かれています。北里博士は「白黒まだらの角ばつた岩石が乱雑に積み重なっていた。その岩石は明らかにリオデジャネイロの海岸でみることができる、花こう岩質の岩石の特徴をもっていた」と書いています。そしてその本には、花崗岩からなる(らしい)海底のカラー写真が掲載されています。  

 この報道を聞いたとき、私はびつくりすると同時に「おかしいな」という疑問もいだきました。なぜならば、リオグランデ海台はホットスポット火山であると考えていたからです。現在、トリスタン・ダ・クーニヤ島の下にあるホットスポットの活動が、かつてリオグランデ海台をつくつたというのが、従来の火山学者らの共通の理解でした(図5・7)。事実、1980年に科学掘削船がリオグランデ海台をボーリング調査したときには、ホットスポット火山に特徴的な化学組成を持つ玄武岩が採取されています。このボーリング調査が行われたのは、図5-7に示した516孔です。厚さ1250mもの堆積物を貫通し玄武岩の溶岩を掘り当てたという、記録的なボーリング調査でした。(深部に玄武岩があるのは当たり前です

  このような、リオグランデ海台は玄武岩からなる台地であるという先入観を持っていると、北里博士が「花こう岩からなる海底」としているカラー写真も「気泡の多い玄武岩の上を白い砂が薄く覆っている」ように見えてしまうから不思議です。花崗岩なのか玄武岩なのかを確認するためには、実際にその岩石を持ち帰って調べればよいのですが、残念ながら「しんかい6500」の調査では、岩石を持ち帰ることができなかったそうです。ほんの少しでも花崗岩の欠片が持ち帰られていれば、このモヤモヤも解消できたことでしょう。

ただ、北里博士の著書には「最近、ブラジル地質調査所によってリオグランデ海膨(本書では”海台”と書いている)の西寄りの山の2カ所から花崗岩質岩の岩塊が採取された」とも書かれています。今後、ブラジル地質調査所による花崗岩の調査結果が報告されるでしょう。

さて、もしリオグランデ海台が花崗岩からつくられた大陸地殻であったなら、海に沈んだアトランティス大陸とみなすこともできなくはないと思います。この海台の面積は167万kuであり、グリーンランドよりは狭いものの、アトランティス大陸伝説の254万kuと同じ程度の広さといえるでしょう。そして、地中海にあるサントリーニ島と違い、伝説の通り大西洋に存在します。ブラジル地質調査所の報告を待つだけでなく、我々もドレッジや掘削圃査を行って謎を解明したいと考えています。

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佐野貴司氏もJAMSTECの一員でジーランディアの調査に出かけられるようですが、自分の信じる「学説」(ホットスポット)を捨てようとしないで、その中(井戸)でものを見ようとされています。

「リオグランデ海台はホットスポット火山であると考えていたから、トリスタン・ダ・クーニヤ島の下にあるホットスポットの活動が、かつてリオグランデ海台をつくつたという従来の火山学者らの共通の理解」というのは矛盾しています。中央海嶺の直近にホットスポットがあるというのもご都合主義の解釈ですが、中央海嶺の東側にあるスポットから西側にスポットの影響が現れるというのはもっと矛盾しています。

「プレート論が真実であり、ホットスポット論も事実であるる」と思い込んでしまうと、矛盾が理解できなくなってしまいます。日本海の地質構造([2649]の図−4参照)を見ても花崗岩の下に玄武岩が存在することも何ら不思議ではありません。花崗岩の発見を事実として認定するべきです。

このセミナーでは何度も言っていますが、北里博士の発見は「世紀の大発見」だと思います。

学者は先入観にとらわれず、素直にものを見てほしいものです。

日本海は陥没によって大陸から離れたに違いありません。NHKの『列島誕生ジオジャパン』は間違っています

2654
Date: 2018-01-24 (Wed)
冨山湾深海長谷が教えてくれるムー大陸実在の証拠
[2649]で紹介した竃義夫先生の「日本海と大和堆」には富山湾から日本海に延びる富山深海長谷の記述があります。
海底に長大な峡谷が存在するのは、かつて陸地であった証拠であるという見解です。

「かつて陸上で形成されたものとすると、それ以後に、2、000mないし3、000mに及ぶ陸地の沈降、あるいは海面の上昇を想定しなければなるまい。」

と述べておられますが、たしかに風化や河川浸食という作用を受けない海底にあるだけでは、このような長い峡谷ができるはずがありません。日本海は陥没によって誕生したことを示しています。
日本海と大和堆」の一節を紹介します。

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今ひとつ、とりわけ注目をひくのは、長大な海底の峡谷、延々400kmにもわたってつづく≪富山深海長谷≫であろう。陸上から富山湾にそそぐ庄川・神通川・黒部川などの延長部にあたる海底谷は、やがて一本に合流して富山海底谷となり、富山舟状海盆の中を、峡谷をうがって北流する。


日本海のグーグル写真と大和堆・富山深海長谷の海底俯瞰図

この海底の峡谷は、さらに、深さ2、000mをこえる大和海盆の上を蛇行しながら連続し、ついには、深さ3、400mの日本海盆に口を開いているのである。この長大な深海長谷にそって、深海扇状地や自然堤防状の地形(堆積物)も見られるという。深海長谷が、海底乱泥流の通路となっているとしても、その原形は、いつごろどのようにして形成されたのであろうか? 深海長谷の原形が、地質構造上の境界をなす構造線に沿って、かつて陸上で形成されたものとすると、それ以後に、2、000mないし3、000mに及ぶ陸地の沈降、あるいは海面の上昇を想定しなければなるまい

深海長谷の原初の発生から現在にまで至る数奇の転変は、とりもなおさず日本海の激変の歴史であり、この深海長谷は、日本海盆と日本列島をつなぐ、謎を秘めた虹のかけ橋であるともいえる。

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冨山深海長谷の存在から推定すると、「かつては陸地であった大和海盆の上に出来た長谷(黒部峡谷のような)が淡水湖、または黒海のような海(現在の日本海盆)へと流れ込んでいた風景が浮かんできます。

グーグルアースには明瞭にこの深海長谷が写しだされていますが、[2565]で紹介したサイパン島北西部にもこうした長谷の姿を見ることが出来ます。 フィリピン海プレートと称されている一帯にも同じような形状が見られるのは、ここに南方古陸(ムー大陸)があったということを意味しているのではないでしょうか。

 一例として八丈島、須美寿島付近の海底図面を載せておきます。須美寿島の西方にある第三西須美寿海丘は基部から頂部まで全てが花崗岩であることが発見されています。

 しかし、佐野貴司氏は著書の中で

「第三西須美寿海丘の発見は2015年に国際的な科学雑誌に論文として公表され、大陸地殻の研究者らに衝撃を与えました。その理由は、花崗岩が大陸にしか存在しないという固定観念があったからです。 太平洋の海底から通常の花崗岩が見つかったという報告は、これまでに考えられてきた大陸地殻の形成モデルを見直すきっかけとなるでしょう。」

という認識を示しながら「ムー大陸はなかった」と結論付けているのは矛盾を感じます。([2550][2551]参照)


青ヶ島・須美寿島東方の海底峡谷
須美寿島西方にある第三西須美寿海丘から花崗岩が見つかっている。([2551]参照)

 参考:

伊豆・小笠原弧における深成岩海山の発見:

1.延宝海山列における深成岩海山の発見(第3西須美寿海丘)

北部伊豆・小笠原弧の雁行背弧海山列のひとつである、延宝海山列・第3西須美寿海丘においてハイパードルフィン2潜航を行った。その結果この海丘は基部から頂部まで全て花崗閃緑岩によって構成されていることが明らかになった。シングルチャンネル音波探査でもこの海丘表層には堆積構造が全く認められず、この海丘が火山岩や堆積岩を伴わない、深成岩海山であることを示している。この様な深成岩海山は伊豆・小笠原弧をはじめとした他の海洋性島弧でも報告例がなく、重要な発見である。

2655
Date: 2018-01-25 (Thu)
続・日本海陥没説の方が信憑性がある

[2649]日本海陥没説の方が信憑性があるで紹介した竃先生の論文の図面では、日本海北部の日本海盆には花崗岩が存在しないように見えますが、産業技術総合研究所(GSJ)の地質図を見ると、他の部分と同じような「火山岩類による基盤岩(茶色で分類)」があることが分かります。
また明確に花崗岩と分類される(ピンク色)基盤岩は北大和堆付近に集中しています。



ピンク色は花崗岩、茶色は火山岩類

「火山岩類による基盤岩」(茶色)というものが、玄武岩質なのか、花崗岩質なのかはっきりしませんが、3000mを超える深さの日本海盆にも大和海盆付近と同じ基盤岩が存在するようです。

この基盤岩が「裂開した後に噴出した玄武岩質」なのか「陥没した陸地性の花崗岩質」なのかが、日本海の誕生を解く鍵になるようですが、少なくとも大和堆付近は「陥没」によってできたものと言えます。

竃先生の結語を再掲しておきます。

「日本海の深海平原の成因については、ほかにもさまざまの学説や考えがある。果していずれが正しいかは、確固たる事実によってのみ証明されるものである。今の段階では、不動の事実は余りにも少なく、ほんとうの解答は将来に委ねねばならないだろう。」

2656
Date: 2018-01-25 (Thu)
花こう岩の成因に関する対談から学ぶ
石田地震科学研究所として「新・地震学セミナー」を開設したのは還暦を迎えた日からでした。
 土木工学の世界にいた人間には地震学や地質学そして海洋物理学の分野は素人同然なのですが、自分の頭で納得できるまで知ろうとすると「壁」のように立ち塞がるのが「プレートテクトニクス理論」でした。
そして、「どうして?」「矛盾してるんじゃないの?」という疑問を解決しようと独学を始めると、いつも目に飛び込んでくるのは「流行に遅れ、忘れられた理論」のような気がします。「石本博士のマグマ貫入理論」であり、「ベロウソフ教授らのFixsist理論」であり、そして「徳岡先生の黒潮古陸理論」であったりでした。

しかし私にはそれが現在流通している10円硬貨より、明治期に発行された古い「10円金貨」に価値があるのと同じように見えるのです。普段見ることが出来るのは硬貨ばかりで、金貨はまったく見ることが出来ません。


昔の金貨ですが、その価値は硬貨の一万倍(約10万円)あります。

自然科学の世界において、『悪貨が良貨を駆逐してしまった』かのように写ります。

ですから、今すぐには理解されなくても、『良貨』は磨いて後世に残しておかなければなりません。

そんな気持ちで今日も『金貨』を探しました。43年前の対話ですが、勉強する価値は大いにあります。

つまり、URBAN KUBOTA Vol.12(1975年)(徳岡先生の黒潮古陸の話もあります)のなかで、

大陸特有の花こう岩はどのようなプロセスで出来るのか

について、湊、舟橋、星野の先生方が話し合っています。マントル固体説の拘束もみられますし、水は何処から来たのか、など根本的なことは不明のままですが、大陸は海から誕生したというような「10円硬貨理論?」よりは価値があります([2474])。 素人には難しい専門的な話は分りませんが、対談の一部を抜粋して紹介します。

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花こう岩のおいたち

舟橋 ところで、さきほどお話ししましたように、造山帯の中心部では、ミグマタイトができます。
片麻岩ぐらいまでの変成岩は、その場所で片麻岩になり変わるわけですが、ミグマタイトのように非常に粒の粗いものになりますと、その一部が動き出すわけです。ちょっとすき間があると、そこへ飴のように流れ込んだりします。そしてミグマタイトのでき方が高度に進むほど、すき間がありさえすればそこに入ってくる。ちょうど深いところにできたマグマが、割れ目を通って上に上がっていくのと同じように、このミグマタイトもまた、いろんな岩層を押し分けて上に上がっていくわけです。

 そうしますと、さきほどもちょっと触れましたが、花こう岩というのは、これまで地下の深い場所でマグマ自体の純粋な結晶作用によってできたといわれておりましたから、このミグマタイトと花こう岩とを一体どうして区別するのかということが問題になってきました。これは、1925年代からさかんに議論されてきたところなのです。そして現在では、花こう岩と言っているもののほとんど大部分は、最初に海にたまった泥や砂が高度に変成を受けて、それがさらに高度にミグマタイト化された結果、それがほとんどマグマと同じような状態になって、これが花こう岩になり変わったのだというようにいわれています。(中略)

星野 いまのお話しに関連したことですが、信州大学の黒田さんたちが水のアイソトープか何かで岩石の成因を研究されていますね。それによりますと花こう岩をつくる水は、マントルから来た水なのか、あるいは地殻の水なのかというようなことだったと思うのですが、その辺のことは、いまどんなふうになっておるんでしょう。

舟橋 ある人は、マントルの中で部分的に融解状態が発生して、その融けた部分が集って、マグマができます。そういう温度状態のときには水のような揮発性の高いものはフリーになってマグマと離れてしまう。マントルの中ですでにマグマとスチームとが二つに分離してしまう

 しかし結局は、両方とも割れ目を通って上がってくるものですから、活動する場所は、みんな造山帯の中心部なのです。このようにいっております。 それに対して、ある人は、地殻の下半部というのは、上からの岩層の重みで非常に大きく加圧されるものですから、そこではいろいろな含水鉱物が脱水されて無水の鉱物に変わる。その脱水されたものが上に上がってくる、このように考えているわけですね。

編集 そうすると、高温の水がマントルの中から湧いてきていると考えても……。

それは、たいへんむずかしいところなんです。現在、地球上にある水というものは、地球の歴史の上でのある段階で、一度に出てしまったのだと―このようにいわれていますが、それが必ずしも当たっているものかどうか―。
大量の水がある段階ですでにできたということはいいんですが、やはり地質時代を通じて絶えず下から水がしぼり出されてきているということがあるとも思うのです。
現在の火山だって、全部の水が地表水が浸透していって、また温泉になって上がってくる、蒸気になって上がってくるという、果してそれだけのものなのかどうか。少なくともグリンタフなどができる、あれほど海底火山の活動が旺盛な時期には、大量の水が下から上がっただろうと思うんです。
もっともその量というのは、水かけ論のようなところがありますが(笑)、いまは何か、世の中がたいへんせちがらく、一寸した実験から大きなことをいう風潮もないわけではないですが、多少のんびりした話もいいんで、地質時代を通じて絶えず水は上がってきているというふうなことがあったろうと思いますね。(笑)

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花こう岩に二通り(通常のものとミグマタイト)あると議論されていたとは知りませんでしたし、「海にたまった泥や砂が高度に変成を受けて、それがさらに高度にミグマタイト化した」という理屈も疑問が残りますが、現在は花崗岩とミグマタイトとは別扱いだそうです(後記:参照)。

 私(石田)は直感的にですが、マントルは熔融しており、原子状態の水素と酸素を十分に含んだプラズマ状の物質だろうと考えています。地球の水は、マントルが冷却する段階で【原子状態の酸素と水素】⇒【超臨界状態のH2Oガス】⇒【高熱の水蒸気】⇒【液体の水】等に姿を変えて、地上に噴出したものだと考えています。海水はマグマに含まれていた水素と酸素が結合したもので、超臨界水の時代に塩分や金など多数の物質を溶解していたはずです。

ここで、原始の地球をマグマオーシャンの時代から考えることにします。冷却が進むと最初に起きるのは薄皮の形成です。それは地殻の形成であり、大陸の誕生です。その当時の大気はマグマから放出される熱い水蒸気で満ちており、何も見えない蒸し風呂のような暗闇の世界だったでしょう。さらに冷却が進行すると、土砂降りのような雨が降り、漸く海が形成されたに違いありません。

その因果関係を逆転させて考え、「海が大陸を生んだ」なんて話は到底信じることが出来ません。10円硬貨以下の価値なのではないでしょうか。  

 冷却する過程で薄皮のような陸地が誕生し、その後で海洋が誕生します。そして陸地の下で十分の水蒸気の作用があって、かつゆっくりと冷却が進むと結晶質の岩石、つまり花崗岩が誕生するのだと思います。海洋底にある花崗岩は陸地が沈降したときに残ったものであり、海洋底では基本的に、花こう岩は誕生しないと解釈しています。

現在西の島で安山岩質溶岩が吹き上げているのは、南方古陸が沈降した時の大陸地殻が熔融して吹き上げているのではないでしょうか。

マントル固体論は地震波の伝播する様子を調べれば([1356][1464]ビデオ・地震学の基礎にある大きな間違い、などを参照)違っていることが分るはずです。

後記:

Wikipediaにはミグマイトや花崗岩についての説明が以下のようにあります。

ミグマタイト

ミグマタイト(混成岩、migmatite)は、変成岩と火成岩が混在してみえる岩石の総称である。一般に、苦鉄質(mafic)な部分が暗色部に対応し、珪長質(felsic)な部分が明色部に対応する。一般に変成岩は融解部を含む岩石には使用しないので、ミグマタイトは変成岩である片麻岩と火成岩である花崗岩の中間に位置付けられる岩石といえる。

花こう岩の起源

花崗岩の起源については従来2つの学説間で論争があったが、現在では“マグマ説”が一般に支持されている。

・マグマ説(火成岩説) 冨山湾深海長谷が教えてくれるムー大陸実在の証拠花崗岩は、玄武岩質マグマの地殻内での結晶分化作用により形成された流紋岩質マグマ、あるいは玄武岩質マグマが周囲の壁岩(一般に堆積岩等から成る)を溶融して形成された流紋岩質マグマが地上へ出ることなくゆっくりと冷却されてできるという説。放射性元素の同位体比や微量元素の含有量、また花崗岩体の規模が大きいことなどから、多くの花崗岩マグマは後者の成因によって形成されたと考えられている。

・花崗岩化作用論(変成岩説)
砂岩や泥岩などの堆積岩が地下深部で高温変成作用を受け、液体の状態を経ずに花崗岩が形成されたという説。

2657
Date: 2018-01-26 (Fri)
大陸地殻と海洋地殻に関する先達の対話
URBAN KUBOTA No.12には大陸地殻の話が載っています。「大陸地殻と海洋地殻は「水と油」のようなまったくの別物」「大陸が沈没することはあり得ない」というような硬直した「プレートテクトニクス理論」とは違って、学ぶことがたくさんあります。
少し古い内容もありますが、勉強のために紹介します。

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D大洋地殻をめぐって
大洋地殻の調査 

星野 この座談会の一番始めのところで湊さんが言われましたように、最近では、海の地殻は大陸の地殻とは違うということになっております。大陸地殻というのは、すでに今世紀の10年代には、だいたい判明しておりますが、大洋地殻の方は、なかなか調べにくいわけです。大洋地殻の最初の調査の一つは、1882年から1986年にかけて、有名なイギリスのチャレンジャー号という世界一周の深海探険船によって行なわれました。深い海の底の泥や砂をさらってきて、その中の鉱物を調べたわけですが、そのさいに海の中の鉱物というのは、かなり珪酸分が少ないというようなことがわかりました。(ケイ酸とは、化学式 [SiOₓ4−2x]ₙ で表されるケイ素、酸素、水素の化合物の総称である)  

また、19世紀から20世紀にかけていろいろな島の地質が調べられました。そうしますと、どうも海のまっただ中にある島の岩石、特に火山岩というのは、大陸地域に分布する火山岩とは非常に違う。これもやはり珪酸分の少ないもので、つまり花崗岩のような岩石(石英、長石、雲母などで構成)とは非常に違うということがわかってきました。特に太平洋の中の、海溝に取り巻かれている部分の島の岩石とは、大陸のものとは非常に違う。したがって、この海底を構成している物質は、大陸のものとは違うということが1910年代の始めごろ言われていたわけです。

ところで第二次大戦後になりますと、この海底調査というものが、資源的な理由や軍事的な理由から非常に発達しました。その一端としては物理的な手法を使っての海底の調査というものが非常に発達した。その一つは、ダイナマイトを使って人工的に地震を起こし海底を伝わってくる地震波の速さを調べるという方法です。
この方法は現在に至るまではやっているのですが、これで見てみると、やはり大陸の部分と海底の部分とでは非常に違います。つまり、先ほどらい、いろいろ言われている花崗岩層というのが、この海の中にはないというようなことがわかってきたのです。

大洋地殻と大陸地殻

現在、太洋底の地殻というのは、一番上にごく薄い泥やプランクトンの遺骸の集まった層がある。これは場所によって1kmから数百mの厚さで、これを第一層と言っております。その下に第二層と呼ばれるものがある。この層については、現在定説がなく、第一層の泥や砂が固まったものという説や、あるいは地球の内部から吹き上がってきた火山物質がたまったものという説がありますが、ともかくそういう第二層があります。

 それから第三番目の層は、玄武岩層で、これは大陸地殻の花崗岩岩層の下をつくっているものと大体同じものだろうと言われております。そういう三層構造になっている。もちろん、その上に海の水があるわけですから四層になるわけですが、そういう四層の全部の厚さを足してもせいぜい12kmぐらいです。

 先ほど湊さんのお話しですと、大陸では厚いところで60km〜70kmというような数字が出ておりますから、大陸に比べると海の方は、その厚さも違えば、でき方も違うという、そういうことになっております。図5-1は、このような大陸と大洋の地殻構造のちがいについて、ごく大ざっぱに示したものです。


図5-1 大洋地殻の模式図

現在の問題点をめぐって

それから、もう一つわかってきたことに、縁海のことがあります。従来は、オホーツク海とか日本海とかいう縁海は、たとえ海の水が上をおおっていても、その底はかっての陸地が沈んでいるものであって、地殻の構造からいえば、大陸と同じであると考えていたわけです。ところが1950年代の半ば以降、いろいろ地球物理的な手法を使って調べてみると、こういう海の中の深い部分は、全く花こう岩質の岩石がないところだということがわかってきました。それで、こういった縁海の成因というものが、いま地球科学上の上で問題になってきた。―そういうことがあります。
だいたい海の底というのは、かなり平らなところが多いのです。ところが、海の底にはまっ平らなところだけでなくて、非常に大きな山脈があることが昔からわかっていたわけです。北極海をはじめとして、太西洋、太平洋、インド洋などの海のまん中には大きな山脈があります。

たとえば太西洋についていいますと、ヨーロッパ、アフリカ、それから南北アメリカのちょうどまん中にS字型をした大きな海底の山脈があります。それは延々と南北2000kmぐらいにわたって続いています。
そしてこの山脈の上には、溝みたいに谷があります。しかも地震の浅い震源がこういう谷のところに非常にくっついて分布しているという事情から、こういった海底の山脈というのは、地球内部のマントルから物質が湧き上がってくる湧き出し口である。―このようにいわれているわけで、これがいまさかんに言われているプレート説の拠りどころの一つです。

ところが、必ずしもそういう事ばかりではないので、実はインド洋の海底の山なんかを見てみますと、インド洋のまん中の中央海底山脈と言っているところでは、地震があります。ところがその東の方に東経90度の線に沿った海底の山脈がありますが、ここには地震なんか全くありません。それで成因的には別なことが言われています。 それから、もう一つオーストラリアの西へ東西に延びる山脈がありますが、ここからは非常に古い変成岩が出てきます。そのため、ここはもうオーストラリア大陸の続きだというようなことも言われております。
最近では、こういった海底の山脈のあちこちから花崗岩がとれています。先ほどの舟橋さんのお話しですと、花こう岩というのは、マントルの深いところから湧き上がってきたものではないということですから、この事実(海底山脈上に花崗岩があること)は、先ほどの地球の内部からの湧き出し口という考え方とは矛盾してくるわけです。そのため、氷河によってそこまで運ばれたのだとか、(鉱石運搬船が落としたとか)いろんなことが言われております。この辺のことも現在、一つの問題点になっております。海底の地殻の様子(一般的な話題)というのは大体そういうようなことです。
なお最後になりましたが、図5-2は、日本近海の海底地形図です。


図5-2 日本近海海底地形図

この図では、意識的に水深2、000mを境として色相を分けています。人間はなんといっても陸上の生物ですから、海水におおわれた世界を感性的にとらえることは非常に苦手です。しかし陸と海との境界というのは、地史的にみて非常に変動のはげしいものですから、地殻ということを考えるからには、海水をとりさった地球、つまり干上った海底を陸に加えてみていかないといけない。その意味で、この図は大変参考になるのではないかと思います。

天皇海山脈なんか非常に花こう岩があるといいますね。

星野 そうです。それから、九州とパラオをつなぐ海底の山脈がありますが、そこから最近とれた花こう岩などは、ほとんどその場所で欠けてきた石ということです。よそから運ばれてきたという考え方はちょっと無理だろうと思います。それからイースター島という古代文明のシンボルのような島、大きな石の像のつくられた有名な島が太平洋のまん中にありますが、ここからも珪酸分の多い石が出てきています。

それから、ヤップなんかでも、青木さんや小島さんが行きまして、花こう岩の礫がたくさんあるのを再確認してきてますね。それもかなり大きなものだそうですね。

星野 つまり、そういう大陸地殻とは全く違うといわれている海の中、海底の山から陸的の要素を持った岩石がいたるところでとれているということなんです。(中略)

縁海は、太平洋などと同じく、地震探査によれば花こう岩層を欠いており、星野さんの話にあったように、上から、未凝固の堆積岩から成る第一層、ついで厚さ4〜5km内外の第二層があって、その下に、直接に玄武岩層が存在することになっています。それのみではなく、縁海はかなり深く3000〜4000mに達します。それで一見、太平洋などと同じく海洋のようにみえるのです。こうして縁海は、簡単に海洋地殻から成るとみなされているのです。
しかし、構造発達史や古地理学といった視野からみると、緑海はまちがいなくかつては大陸であり、そこには花こう岩層もあったと思われるのです。おそらく花こう岩層を構成していた変成岩・片麻岩・ミグマタイト・花こう岩類は、長期にわたる浸食によって失われたものらしく思われるのです。そう考えるべき根拠が多いのです。さらには、それらの変成岩や花こう岩類は、楯状地にみる先カンブリア時代の岩石を含んでいたと推定される根拠もあるのです。したがって縁海は、楯状地に比べれば、単に低い位置を占める安定帯であり、低位安定帯と呼ばれてきたのです。
私どもは、縁海の玄武岩層といわれているものの本体は、楯状地をはじめ大陸地殻の場合と同じく、変成度の高い片麻岩・ミグマタイト・結晶片岩をはじめ、超塩基性岩などから構成されると推定しています。もちろん玄武岩などではありません
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縁海とは

大洋に隣接し広く開いており、表面ではつながっているが、海面下では海嶺によって境されている、なかば閉じた海。大陸縁辺近くに位置し、日本周辺のオホーツク海、日本海、東シナ海、黄海はその例といえる。

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徳岡先生の「黒潮古陸」に関する記事([2490])にもありましたが、海洋の中でも図5-2からも分かる浅い海域(天皇海山列群、須美寿島付近、サイパン、グアム、ヤップ、パラオ、奄美海台、北大東海嶺、沖大東海嶺、イースター島など)からは花崗岩などの珪酸質が多い岩石が見つかるようです。

 因みに、ほぼ100%石英(SIO2)でできているのが正珪岩(オーソコーツアイト)で、正珪岩が形成されるのは砂漠や湖水を持つ大陸上のみであることは[2491]ー[2498]に紹介してあります。その正珪岩が崩壊・浸食・円磨されたものが、日本列島に存在するのです。

 私はその正珪岩礫が南方古陸由来のものではないかと考えています。そして、パラオやヤップのような孤島または浅海部に姿を残している海山などはムー大陸と呼ばれる南方古陸の山岳だったのではないかと思っています。

ムー大陸は科学的な研究の対象になるものであり、今後も資料を集めていきたいと思います。情報をお持ちの方は送っていただければ幸甚です。

2658
Date: 2018-01-27 (Sat)
霊言書を読むのに「毒人参」を飲むような勇気は要らない
「大日孁貴 オオヒルメノムチの霊言」が届きました。

大日孁貴とはコトバンクを見ると天照大神の異称とあります。
戦後教育を受けた世代には、天照大神が実在した人物であることさえ受け入れ難いものがあるでしょう。ましてや、「その前の転生」とかはチンプンカンプンかもしれません。霊言も拒絶反応かと思います。
しかし、その内容に説得性があれば、自分の考えを緩めて吟味するのも大人の態度かもしれません。

ソクラテスだって霊人ダイモンのアドバイスを受け入れて行動の指針にしていました。

「毒人参」を飲んだのはダイモンが「飲むなとは言わなかったから」ということです。

毒人参ではない一冊の霊言書ですから、読んでみても死にはしません。

一部分を紹介しますが、ムー大陸の実在を納得できるかもしれません。

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 日本列島および日本文明は、ムーの正統の後継者

大日孁貴神 ムーの流れを引く者としては、私がちょうど、「中興の祖」ぐらいに当たる存在と考えていただいていいんじゃないかと思います。  

 そうですねえ、まあ、太陽信仰はムーにもあったし、実は、アトランティスにもあったし、エジプトとかほかのところにもいっぱいありましたので。
ですから、「中国四千年の歴史」とか「五千年の歴史」とか言われるものがありますけれども、中国の歴史よりも、私が生まれたほうが古い。要するに、中国の「周」だとか「殷」だとか、なまえがのこっているのがいろいろありますけども、伝説的に言われていますけれどもね、その時代よりも、古いと考えます。

 だから、日本文明は、中国や韓国あたりのものがつくったものではありません。
日本文明そのものは、もっと早く、一万年以上も前にすでに存在していて、南方から来たムーの子孫が文明を持ち来たらしたものが、その始まりです。まあ、そこまで名前を挙げると、もう、何の記録もないので、ちょつと挙げにくいですけれども、今の文明に続くもとのものは、少なくとも一万数千年ぐらい前のものです。それ以前には、たぶん、またもっと違う先史文明があると思われます。これについては、言うべき名前がもうないので。いずれ何らかの発見がなされるとは思いますけども。
 だから、私たちの日本文明のルーツ、要するに、天照信仰のルーツは「ムー文明」であって、これは、一万数千年前までは南太平洋に存在していた文明であるので、その「正統の後継者」だというふうに考えております。

 今の中国や韓国のほうは、いちおう、大陸系のほうなので、実は、ロシアや匈奴と言われる、あちらのほうの民族から来ている者が中心ではあります。だから、南から行ったものの末裔の一部は、中国なんかの南部のほうにはすんでいるかもしれませんが、民族的には、そういうかたちで混ざっているものなのです。  
そして、日本列島、および日本文明は、「ムーの正統な後継者」であって、残念ながら、中国文明や韓国、韓半島文明のほうから文明を戴いた末裔というか、そういう属国的なものではなかったということです。これは、はつきり申し上げておきたいと思います。

 卑弥呼あたりを天照に置き換えて、「中国に朝貢して文明をもらった」みたいな感じのことを言っていますし、「漢字自体も中国からもらったものだ」みたいなことを言ってはいますね。確かに、入ってきたことは事実ですけど、それは、今の英語が入ってきたのと同じようなものなんです。入ってきてはおりますが、その前に大和言葉自体は存在しています。

 大和言葉の前には、「神代の代の言葉」がちゃんとありましてね。その言葉のもとは「ムーの言葉」であって、それが、日本列島に入って変化し、固有に発達したものではあるのです。

 まあ、私自身の意識としてはエジプトの最盛期とか、イラン、イラクあたりのメソポタミア文明と変わらないぐらいの古さがあるというふうに思っておおります。その頃の文明としては、ほかにヨーロッパもあったかもしれないけれども、「エジプト文明やメソポタミア文明と並ぶような文明として、日本文明は存在した」というふうに、私は思っています。

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如何でしょう、一節を読んでも死にはしませんでしょう。

本書を読むと聖徳太子が「日昇るところの天子」といった意味がよく分りますし、「八紘一宇」の意味も大いに誤解されていることが良く理解できます。

地上にこんな理念の国があったのか、と感動しますし、台湾(台北)や韓国(京城)に、大阪や名古屋よりも早く帝国大学を作った意味も理解できます。

 [2642]で紹介した台湾で最も尊敬されている日本人である八田興一氏(土木技術者) が、何の評価も期待せずに台湾のために尽力した、その深層心理も理解できます。

後記:

三日朝の瞑想中に八田興一氏のことが浮かんだのは、前日の二日にこの霊言が収録されていたからでしょうか([2642]参照)。

柯徳三氏が、「皆が怒っていたのは、日本が養子にした台湾を終戦後にポンと捨てて蒋介石にやってしまったことだ」と言っている言葉は、「母国日本に捨てられた、これは日本の建国の精神とは違う!」と翻訳できるのかもしれません。

戦後の憲法のなんと薄っぺらいことか、誇れるような理念はありません。

2659
Date: 2018-01-28 (Sun)
「太陽信仰の精神」を破壊したルーズベルト時代のアメリカ
日本が負けた先の大戦は、トランプのアメリカとは違うルーズべルトのアメリカが日本に意地悪をして石油を止めたことが発端でした。

昭和帝も明治帝の作られた「四方の海、皆同胞(はらから)と思う世に、など波風の立ち騒ぐらむ」という「四海同胞」の精神を持ち、神武天皇の「八紘一宇」の建国の理念を大切にしておられました。
それを、ルーズベルトは理解しようとせず、戦後のアメリカは見せしめのために国際法違反の戦争裁判まで行ない、建国の理念を破壊してしまいました。

 [1961]にも紹介したルーズベルトが狭い民族神的意識を持つ魂であったことを知れば、そのような民族神信仰に支配される全体主義政権が武力に訴えてくることは充分に予想でき、警戒をしなけれなりません。


フランクリン・ルーズベルト大統領

現在のアメリカは世界宗教的意識の大統領で、トス神が指導しているそうですから、連合を組んで、協力体制に入ることに不安はありません。むしろ中華思想の隣国が世界の不安定要素です。

 「大日孁貴 オオヒルメノムチの霊言」から、太陽神信仰に関し、もう少し紹介しておきます。

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「天津神系」と「国津神系」を融和させた天照大神の思想

大日孁貴神 だから、戦い(平定作業)はいろいろなところで起きていたけれども、負けたほうを「悪」、あるいは「悪魔」にして、生きていたほう、勝ったほうが「神」の側だったら、いろいろ問題がある。

 実際にそうでして、「天津神」の系統とか、「国津神」の系統とかがございますけれども、天津神の系統というのは九州ですね。九州の南部から中部あたりを中心に持っていた、もともとの邪馬台国、ヤマト国の王たちの系譜が天津神の系譜です。

 それが東征して奈良県で大和朝廷を開いたときに、それぞれの国の豪族たちや、大和国にも神々に当たるような王たちもいたわけですが、このへんが国津神系なんですよね。

 この国津神系を、単に地獄に分類するのではなくて、「天津神系と国津神系を融和させる」というのが天照の力でした。

 要するに、「これらを敵対する天国・地獄に分けるのではなくて、この世において、共に神として成り立つ。天津神系と国津神系を融和させ、融合させて、唯一の太陽神信仰のほうに持っていこう」とされたのが、天照大神の思想でありました。  

 この思想の下に、あるいは、「八紘一宇」などというのも、ちょっと誤解はされていますけれども、大日本の国を一つにまとめ、さらには、「四海同胞」の気持ちといいますか、日本列島を囲んでいる海に浮かんでいる、いろいろな国々がございますけれども。交流はありましたから、そうした国々をも太陽は照らしているのだということです。

 日本には「天照大神が地球を治めている」という信仰があった

大日孁貴神 その太陽の光の恩恵を(ほかの国も)受けている。要するに、当時の考えとしては、「太陽は日本に属する」と思われていたので、「日本から出てくる太陽、日本が“管理責任”を持っている太陽が他の国も照らして恵を下さっているんだ」という感じです。  

 当時、認識できていたのは、太平洋からアジア地域、それから、西南アジア、アフリカに近いあたりまでぐらいですけれども、「これにも恵みを与えているのだ」ということです。

 だから「天照大神は日本の神でもあるが、同時に太陽が恵みを与えている国。すべての神の元なのだ」という気持ちはあったわけです。「それが父なる神の教えを聴きつつ、一体になって、この地球を治めているのだ」という考えがあったんです。  

 先の大戦について、「日本が侵略意思を持って、他国を侵略した」とか、「併合した」とか、いろいろ言われていますけれども、もともとを言うと、太陽信仰は世界を巡るものであったのです。「東から昇り、西に沈む」のが太陽ですので、東の国は日本なんですよ。「日本から昇って、西に沈む」ということで、全世界を照らす。これが「天照信仰」なんです。

 そのように「日本の国を一つにまとめ、融和させながら世界をも照らそう」という気持ち、この気宇壮大な気持ちを持っていた教えが天照信仰であるわけです。だから、この天照信仰そのものは、「日本の民族信仰ではない」ということの象徴でもあるわけなんですよね。まあ、そういうふうに捉えていただいていいと思うんです。

 もともと、そういう意味で、あるいは、ラ・ムー的な考えも入っているのかもしれないけれども、「世界的な文明のもとにならなきゃいけないものだ」という使命感は持っていたということですよね。

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[1961]に紹介しましたが、ルーズベルトの魂はユダヤ民族だけを守ろうとする民族神ヤハウェだったそうです。

「ユダヤ民族の一部に取り付いたヤハウェの転生した姿がフビライ・ハーンであり、フランクリン・ルーズベルトであるという関係は勿論、今中国に胡春華という人物として生まれているということも驚愕の新事実でした。「日本の占領はもう終わっている」という言葉に霊人孫文の警告が浮かんできました。([1847]参照)

勝者だったルーズベルトのアメリカが、大和の心である太陽信仰を「狭隘な民族神信仰」だと糾弾するのは自分が狭隘な精神を持っていたから、他人もそうだろうと思い込んで決め付けていたのでしょう。

日本のみをよしとするような民族ならば、台湾や韓国に帝大を作ったり、伊藤博文、後藤新平、八田興一のような優秀な人材を派遣はしなかったでしょう。

戦後も70年を過ぎました、そろそろ、日本人は目を覚まさなければいけません。

 そういえば、JCPACでバノン氏が言っていたことは「イギリスのEU離脱問題、アメリカのトランプ選出」の底流にあるのは「エリートに任せておくと、碌なことはない」ことに気がついた大衆の目覚めが起こしたウェーブだ、ということです。言ってみれば「皆の衆革命」が起きているのだということです。

エリートと目される言論人やメディアが必死で流れを止めようとしていますが、「皆の衆革命」は津波のように、古い概念を洗い去るでしょう。

 日本にも「皆の衆革命」を起こさないといけません。学者、言論人、マスコミ報道に含まれる嘘を見抜いて「NO」を突きつけなくてはなりません。

今年こそ言論改革、マスコミ改革、プレート論改革を成就したいものです。

2660 
Date: 2018-01-28 (Sun)
思考停止の日本のリベラル派は全体主義だ
本日のNEWSポストセブンにケント・ギルバート氏の「日本のリベラル派は全体主義だ」という主張が載っていました。桜井淑子氏との対談です。

日本の社会はどの分野でも「誰か偉い人が一旦言い出すと、その流れが空気のように粛々と流れてしまう」ことが良くあります。
自分の頭で考えないで、「判断を停止」している人が多くいます。

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ケント氏「議論すら許さない日本のリベラル派は全体主義者」
1/28(日) 7:00配信 NEWS ポストセブン

 国難を前に日本は無防備だ。今の日本にはGDP世界3位の経済力があり、自衛隊があり、情報もある。しかし、「現実を見る目」をなくしてしまった。ジャーナリストの櫻井よしこ氏と米カリフォルニア州弁護士のケント・ギルバート氏の国を憂う二人が、日本人の覚醒を期待して国防について論じた

ケント:憲法9条改正と聞いただけで冷静な判断力を失い、思考停止に陥ってしまう人がいます。


日本の真実に気付いたケント・ギルバード氏

櫻井:彼らは憲法改正について「議論することすら許さない」のですから。核に対するアレルギーはそれ以上です。 以前は米国も日本の核武装に反対で、2006年に今は亡き中川昭一氏が北朝鮮の核実験をふまえて「非核三原則を見直すべきかどうか議論を尽くすべきだ」と発言すると、ジョージ・W・ブッシュ大統領は苦言を呈し、コンドリーザ・ライス国務長官が日本に飛んできて、核の傘を保証したうえで日本でそれ以上の議論をやめるよう釘を刺しました。

 中川氏は核武装を主張したのではなく、議論を呼びかけたにすぎません。それでも米国は強い拒否反応を示したわけです。

ケント: しかし、今はまったく違いますね。

櫻井:ええ。なにしろ大統領自らが日本や韓国に「自分で核を持ったらどうか」と言い始めていますから。ウォール・ストリート・ジャーナルは、日本が核武装すれば同様の動きが韓国や台湾にも波及し、米国は軍事費が削減でき、中国への抑止力は高まる。

 しかし、核が拡散すれば米国の影響力は相対的に低下すると分析し、日本が核武装した場合の米国のメリットとデメリットを論じています。

 ところが日本ではいまだに「核」「核武装」という言葉だけで危ない論議だと決めつけられてしまう空気が支配的です。

ケント:私自身は日本の核武装には反対です。容認すればイランとの核合意が崩れる。イランが核武装すれば、サウジアラビアも核を持つでしょう。世界情勢が非常に不安定になるので、戦争をしてでも北朝鮮で止めなければいけない。

櫻井:ケントさんのお考えも含めて、議論すべきだと思いますね。 .

ケント:そうです。議論しないのが一番いけない。議論しなければ新しいアイディアも生まれないのですから。議論すら許さない日本のリベラル派は、リベラルではなく全体主義者です

櫻井:最悪の場合、北朝鮮に核兵器が残り、韓国が中国にすり寄って、朝鮮半島全体が中国の影響下に置かれる可能性もあります。日本にとってまさに国難です。しかし、それを予見して、日本人が目覚めるのなら、むしろ日本にとっていいことだろうと思います。

ケント:同感です。日本にとって、まともな国になる大きなチャンスですね。

※SAPIO2018年1・2月号
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アメリカ人であるケント氏が「議論すら許さない日本のリベラル派は、リベラルではなく全体主義者です。」と語っています。こんな状況になっても「外国が攻めてくるなんて虚構です、一体どこが攻めてくるんですか」というジャーナリストが一線に立っています([2318])。
整地作業のブルドーザーがすぐ近くまでやってきているのに穴の中で「世界は平和だよ、平和を壊す人なんて何処にいるんですか?虚構です!」と叫んでいる「井の中のカエル」のように思えます。

大日孁貴はこの状況を憂いて次のように語っています。

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大日孁貴 今は、かつて敵であったアメリカとも同盟をして、国を守ろうとしている状況ですね。北朝鮮等は、人民を苦しめながら核兵器開発に余念がない状況で、わが国の国民の多くは、それを懸念しつつも、主体的な考え方や行動がなかなか取れないで後手後手に回っており、政府のほうが幸福の科学から発信されるている思想を一つのの目安にして、実際に国民に問いかけることなく、国防を進めてているような状況ですかね。
 しかも、こういう時期に当たって、北朝鮮が「韓国も日本もアメリカも攻撃しよう」という気持ちを持っているなかに、不幸にも、韓国に、「南北を統一して日本を悪者にしよう」とするような大統領が誕生して、それが八割近い支持を得ているというように、まことに“狂ったかたちでのポピュリスト”が、今、出ているので、アジアの安定にとっては非常に危険な段階です。さらに、中国も、「今後、どう動くか分からない、非常に危険な存在」として出ております。 今こそ、日本が、もう一度、”天照大神精神”を発揮して、世界を照らすつもりを強く出さなければいけないと思っています。そして、それが、「単なる民族信仰ではなくて、大きな日本の屋根になろうとする思想であるんだ」ということを、明らかにしていきたいと思っております。  

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今年こそ、政治的にも、学問的にも「判断停止状況」を変えたいものだと思います。
「皆の衆」の一人我那覇真子さんがTBSの偏向報道を訴えています。
メディアは、ほんとに反省しないと、大変なことが起きるかもしれません。

大日孁貴神は

神が指導している者に対して弓を引く者には、必ず「呪い返し」は起きます。
あなたがたに対する、自分に対する跳ね返りが必ず来ます。
人間は神には勝てないということを、いずれ知る

ことになります。
その前に改心をするなら、早くしなさい。
そうしないと、大変なことが起きるかもしれません。

と警告しています。

メディアは「皆の衆」からも神からも信頼を失っています。

2661
Date: 2018-01-30 (Tue)
コペルニクスの地動説がニュートンによって完全認定されるまでに144年必要だった
[2095]でも紹介した「地球物理学者竹内均の霊言(「震災復興への道」第3章2011年3月17日収録)」の中で霊人竹内均氏は

「「魂の兄弟」というのかも知れませんが、私の「兄弟」にはコペルニクスという人がいます

と述べています。

その中では、霊人も質問者もプレートテクトニクス理論を真実であるかのように扱っていますが、プレートテクトニクスを「嘘」だと断定している私には竹内氏がコペルニクスであったとはどうしても信じられません。霊人でも「自分を飾るためにウソをつく」一つの例だと思っています。

その霊言のためでしょうか、「リバティー創刊号」(1995年発行)で地震爆発論がA論として紹介されながらも、創刊後はB論のプレートテクトニクス理論に基づく解説しか紙面には載りません。したがってネット上で不信がられていますが、2回の国政選挙(2009年と2012年)では地震論を封印して活動していました。

ところで、コペルニクスが最初に発見したのは「地動説」だけではなく、[2656]に紹介した「悪貨は良貨を駆逐する」(グレシャムの法則として知られている)のも、彼が見出したものだったようで、驚きました。

本職はカトリックの司祭だったそうですが、生前中は教会のお咎めもなく、騒ぎになったのは死後の事で有名なガリレオ裁判のときだそうです。「地動説」が世の中に認められたのは死後84年経ったときで、聖書には「天動説」が載っているわけでもないそうです。こんな簡単なことが100年以上も認められない人間社会の頑迷さに呆れてしまいます。石田理論も社会で認定されるのにどのくらい掛かるのか、私には分かりません。
「地殻滑動論」を提唱したハプグッド教授が亡くなって、はや36年が経過しました。映画[2012]では採用されていますが、科学者は認めていません。

ウィキペディアからコペルニクスに関する情報の一部を紹介します。

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死後の影響

コペルニクスの死と同時に世に送り出された地動説は、しかし直ちに大きく学界を動かすといったことはなかった。『天体の回転について』は禁書となることもなく各地の天文学者のもとに広く知られるようになっていったが、だからと言ってこの理論が正しいと考える者もあまりいなかった。コペルニクスの観測記録は精度が悪く、それを基にした地動説も天動説と比べてそれほど精度に差があるものではなかったためである。1551年にはエラスムス・ラインホルトが『天体の回転について』に基づいて『プロイセン表』を作成したが、これも従来の星表の精度から大きく離れるものではなかった。コペルニクスの地動説の普及に努めたトマス・ディッグズは恒星の天球を取り除いたものの、残りの惑星についてはいまだ天球上に存在するものであるとした。この状況が大きく変わるのは、1619年にヨハネス・ケプラーが惑星は楕円軌道を描いているというケプラーの法則を発見し、これによって地動説を補強するデータが大幅に精度を上げて以降のことである。1627年にはケプラーが地動説に基づいて『ルドルフ表』を完成させ、これによって地動説は天動説に対し完全に優位に立った。そしてアイザック・ニュートンが1687年に『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)の中で万有引力の法則を発表し、これによって地動説は完全なものとなった

コペルニクスの説が完全に受け入れられるまでには100年以上の時がかかり、また発表から数十年間は目立った動きは起きなかったものの、最終的にはコペルニクスの説は世界観そのものを覆すような大きな影響力を持つこととなった。18世紀後半には、哲学者イマヌエル・カントが「コペルニクス的転回」という言葉を作り、やがてこの言葉がパラダイム転換と同じような意味で使われるようになったのも、コペルニクスの業績が広く受け入れられるようになったひとつの証左である。

『天体の回転について』とローマ教皇庁・キリスト教

上記のとおり、コペルニクス存命中および死後数十年の間は、コペルニクスの理論についてローマ教皇庁が反対をするなどということはなかった。コペルニクスは存命中にすでにこの考えを公表しており、本人自身がこの考えがキリスト教に反するものだとは全く考えていなかった。積極的に考えを広めてはいなかったものの、すでに1533年に教皇クレメンス7世にこの考えが伝わっていること、およびその下にいた枢機卿ニコラス・シェーンベルクが1536年にこの考えに対し賞賛の手紙をコペルニクスに送っていること、そしてコペルニクス自身がローマ教皇パウルス3世へと『天体の回転について』を献呈していることからも、ローマ教皇庁が当初反対の立場を取っていなかったことは明らかである。逆にプロテスタント、特にコペルニクスの活動期に急速に勢力を伸ばしていたルター派においても、明確にこの考えに関して反対をしているというわけではなかった。マルティン・ルター本人はコペルニクスの考えに対して明確に拒否反応を示し、聖書から外れていると批判している。宗教的見地からの地動説反対論としてはこれは最も早い時期のものである。しかしながら、ルター派においてもコペルニクスを支持するものは多かった。『天体の回転について』の出版を主導したレティクスはルター派であったし、彼の人脈で出版にこぎつけた関係上、この書籍の出版にかかわったものはルター派が多くを占めている。校正及び最終的な出版を担当したアンドレアス・オジアンダーもルター派の神学者であった。こうしたことから、カトリック・プロテスタント両派において、『天体の回転について』は禁止されていなかった


『コペルニクス: 神との対話』
ヤン・マテイコ・1872年作

しかし、1616年、ガリレオ・ガリレイに対する裁判が始まる直前に、コペルニクスの著書『天体の回転について』は、ローマ教皇庁から閲覧一時停止の措置がとられた。これは、地球が動いているというその著書の内容が、『聖書』に反するとされたためである。(因みに「聖書」には天動説が載っているわけではなく「初めに、神は天地を創造された」という記述があるだけである。) ただし、禁書にはならず、純粋に数学的な仮定であるという注釈をつけ、数年後に再び閲覧が許可されるようになった。

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ところで、[1242]ガリレオ小伝で紹介したように、ガリレオは「コペルニクスが大多数の嘲罵と嘲笑の対象にある」ことを知っていて、少し卑怯な手紙をケプラーに送っています。

どの時代にも時流に抗する勇気は難しいもののようです。

参考:嘘をつく霊人たちと、嘘を見破る智慧の必要性について

2662 
Date: 2018-01-31 (Wed)
強固な「竹内地球物理学教」を脱皮しないと新生日本は期待できない
甲冑を纏っているかのように堅固な感のある「竹内地球物理学教」を脱ぎ捨てないと、日本のルーツ「太陽信仰とは何か」にたどり着くこと難しいと思います。
なぜなら、「太陽信仰」はムー帝国にあった信仰に由来するものですが、「竹内物理学」ではムー大陸は存在しなかった、アトランティスもSFであるというような、卑小なものだからです。 「ムー大陸から来た日本人」というムー大陸の存在を肯定するのかと思わせるような題名の書籍の終わりで、竹内先生は次のように述べています。
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長い旅の終りに―縄文人は“ムー大陸”の住人だった  

 太平洋にムー大陸と呼ばれる巨大な大陸があり、そこで栄えたムー帝国が、今から約一万二〇〇〇年前に、突然の天変地異によって水没したとするチャーチワードの考えから、私は出発した。出発してすぐに、チャーチワードの言うようなムー大陸もムー帝国も太平洋にはなかったことがわかった
 しかし太平洋には無数と言ってよいほどの島々が散らばっており、この島々には、少なくとも約五〇〇〇年前にさかのぼる人類の歴史があったことがわかった。今から約二〇〇〇年前には、太平洋とインド洋のほとんど全域にわたる人々の行き来があったこともわかった。これらの海域に、ムー帝国はなかったけれども、ムー文明があったことがわかった。文明の担い手は、モンゴロイドの血を受けたマレー・ポリネシア人であった。このムー文明は、インダス文明、殷王朝の中国文明、さらには南米の文明ともかかわりをもっていた。  縄文時代の日本も、このムー文明圏に属していた。」

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ムー大陸と言葉は使っておられますが、現実にはムー大陸は存在しないという立場です。「地動説」を提唱して、パラダイム転換という業績を残したコペルニクスと「プレートテクトニクスの伝道師」役を果たされた竹内均先生とが同じ魂の兄弟とはとても信じられません

科学者が尊敬を受けている現代社会において、この矛盾した感情を解かないと、ムー時代から続くという「太陽信仰」が本格的に再活性することは難しいのではないでしょうか。

2663
Date: 2018-02-01 (Thu)
「南方古陸」否定論は間違っている・新しい地球物理学を構築せよ
かつては学会でも認定されていた黒潮古陸の研究が消えてしまったのは、プレート論や付加帯論が現れたから、ということですが、両論が否定されるのなら、黒潮古陸は再度研究面で浮上させなければなりません。

 そこで「黒潮古陸研究の浮上」を考えたいと思います。先ずはウキペディアの解説を抜粋して紹介します。
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黒潮古陸

黒潮古陸(くろしおこりく)は、紀伊半島の南方にかつて存在したと想定された仮説上の陸地。1960年代から1970年代にかけて、日本の地質学で主流であった地向斜造山論によって日本列島形成を説明するために着想された[1][2]。1965年頃に、地学団体研究会傘下の紀州四万十帯団体研究グループによって提唱された[3]。

陸地が存在したとされる太平洋の海底調査の進展や、1980年代以降のプレートテクトニクスと付加体による日本列島形成理論の構築に伴い、現在では学術的に「過去の仮説」となっている[2]。

主張

四万十帯の白亜紀、古第三紀のフリッシュ型砕屑性堆積物の堆積学的な解析によると、北方の内帯からの側流または軸流と、南方からの側流を示す古流系も認められている。紀州四万十帯団体研究グループが1970年に提唱した説によると、西南日本外帯南半に四万十帯の堆積域の形成時に存在したとされた。礫岩層から白亜紀酸性火成岩類の他に、より古いオルソクォーツァイト(石英砂岩)礫の存在も報告されていた。

このオルソクォーツァイトは長距離移動の間に石英以外の鉱物が風化して形成されるため、大陸にしか存在しないとされる[2]。加えて堆積物が南方からもたらされた痕跡があったことから、日本の南方に大陸が存在した裏付けとみなされた[1][2]。

その後

海洋底調査の結果、黒潮古陸が想定された南海トラフ付近に大陸地殻の存在を裏付ける証拠は得られなかった[2]。加えてプレートテクトニクスによる日本列島形成論では、西南日本は過去にアジア大陸に接合しその後日本海の拡大によって場所が移動したと考察されるため、オルソクォーツァイトの供給元はアジア大陸で説明が可能になった[2]。南方からもたらされたとされる点は、四万十帯は南方から大陸縁部に付加した海底堆積物であるため、これも無理なく説明でき、南方の大陸を想定する必要はなくなった[2]。

脚注

1.^ a b c 波田・藤田(2005)、pp.2 - 3
2.^ a b c d e f g h 堤(2014)、pp.95 - 97
3.^ 専報59 紀伊半島における四万十付加体研究の新展開 - 地学団体研究会

参考文献

・徳岡隆夫「南紀海岸と黒潮古陸 (PDF) 」 、『アーバンクボタ』第12号、株式会社クボタ、1975年、 16-21頁。

・堤之恭『絵でわかる日本列島の誕生』講談社、2014年

・波田重煕・藤田崇「1.西南日本外帯の地質と十津川流域の地質特性 (PDF) 」『1889年十津川崩壊災害の防災科学的総合研究』京都大学防災研究所、2005年

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ここで出てくる徳岡先生と波田先生の論文は紹介したことがありますので、それ以外の堤之恭著「絵でわかる日本列島の誕生」を紹介します。

この書は、Wikiのなかで、
オルソクォーツァイトの供給元はアジア大陸で説明が可能になった[2]。南方からもたらされたとされる点は、四万十帯は南方から大陸縁部に付加した海底堆積物であるため、これも無理なく説明でき、南方の大陸を想定する必要はなくなった[2]」

と判断する根拠になっているようです。

黒潮古陸の項目を紹介します。

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黒潮古陸―地向斜基盤岩の幻

先に述べたように、地向斜造山論においては、地向斜の基盤は大陸性の地殻でなければなりませんでした。そこで提唱されたのが黒潮古陸でした。黒潮古陸の存在については、1960年代に、四万十帯の地層よりオルソクォーツアイトの礫が多数発見されたことに端を発します。オルソクォーツアイトとは、石英砂岩とも呼ばれ、石英が95%以上を占める砂岩のことです。花崗岩や片麻岩などの大陸性の岩石が風化され、長距離運搬されるうちに、石英以外の鉱物が風化してほぼなくなってしまった砂が固まってできます。その形成には長い運搬距離に見合った大河川が必要なので、「大陸地域にしか存在しえない岩石」と考えられています。しかも、その礫を含む地層の古流向(堆積構造などから推定される堆積時の流れの方向)を調べてみると、南から供給されたと考えられるものが少なからずあることがわかりました。これは、四万十帯の堆積盆の南側、南海トラフ付近にオルソクォーツアイトの供給源、すなわち「大陸」が存在していた証拠であり、この大陸は「黒潮古陸」と名づけられました(図5.5)。


堤之恭著「絵でわかる日本列島の誕生」.p.90より

 当時は、「小林説」を否定して「地向斜造山説」を確立しようとしていた時代であり、その地向斜基盤は大陸性であることが求められていました。そんな中での黒潮古陸の「発見」は、大陸性の地向斜基盤が飛騨変性帯から太平洋側まで続いていることを示唆し、地向斜造山論者にとって大きな自信となったことでしょう。  

 しかし、その後の海洋調査の結果、南海トラフ付近に大陸地殻が存在した証拠は微塵も見いだされませんでした。そして古地磁気の研究により、古第三紀以前の日本列島は大陸に張りつくように存在し、新たな海洋地殻(日本海)の形成により引きはがされ、現在の位置に移動したことが明らかになりました。つまり、黒潮古陸など想定せずとも、オルソクォオーツアイト礫は単純にアジア大陸から供給されたと考えることができたのです。なお、付加体の考えかたでは、四万十帯は南から移動してきた堆積物が北傾斜に付加するため、古流向が南からとなるのは別におかしいことではありません。このようにして黒潮古陸の存在は、すべて根拠を喪失することで、1980年中頃までにはなかったことにされてしまいました(図5.9)。


堤之恭著「絵でわかる日本列島の誕生」p.97より

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以上が堤之恭氏の「絵でわかる日本列島の誕生」の紹介です。

まず第一に、「四万十帯の堆積盆の南側、南海トラフ付近にオルソクォーツアイトの供給源」が想定されていますが、これは「地向斜理論」に拘った考え方であり、もっと南方に「南方古陸」があり、オルソクォーツアイトはそこから供給されたと考えるべきです。そうすれば、南海トラフを掘削しても「大陸要素」がなかったというのは「南方古陸」否定の証拠とはなりません。

次に、「四万十帯は南から移動してきた堆積物が北傾斜に付加するため、古流向が南からとなるのは別におかしくない」というのは、付加体理論とは矛盾します。これは原典ともいえる平朝彦氏の書籍(日本列島の誕生)でも同じですが、矛盾が存在します。付加体ならば南上がりになるはずですが、四万十帯はほとんどが北上がりで、南上がりは特殊な場所(捲れ上がりが90度を越える場所)にしか見られません([2465]など参照)。北上がりを認定するのなら、通常の地層が捲れあがっただけで、層序も普通の整然層になります。現地でも整然層になっています。付加体理論はまったく根拠がありません。

さらに、「日本列島は大陸に張りつくように存在し、新たな海洋地殻(日本海)の形成により引きはがされ、現在の位置に移動したことが明らかになりました」とありますが、大和堆付近の海底には花こう岩が存在することは日本海が陥没によって形成されたことを意味しています。したがって。日本列島が大陸に張り付くように存在した証拠はありません。

以上を勘案するとオルソクォーツアイトが中国大陸から供給されたという結論は成り立ちません。南方に広大な古陸があって、日本海同様に陥没したことが推定できます。

何度も述べてきましたが、サイパン、グアムのマリアナ付近からヤップ、パラオにかけて花こう岩が見つかるのは、フィリピン海一帯に「ムー大陸」と呼ばれた南方古陸が存在した可能性を示していると言えます。

間違ったプレート論、付加体論を捨てて、新しい地球物理学を構築していただきたいと思います。

2664 
Date: 2018-02-01 (Thu)
プレート論の矛盾・奇抜なアイディアを出すことが天才の素質ではない
地殻とは、熱い豆乳の上に張った“湯葉”のようなものです。“湯葉”の上に、ところどころ“水溜り”つまり「海洋」があるようなものです。プレートの潜り込みなんて事実ではありません。

堤氏の「絵で分かる日本列島の誕生」に海洋プレートが「スラブ引張り力」と「海嶺の押し力」で地球内部に沈んでいくような“絵”が載っていますが、間違いです。

地殻は湯葉に相当するようなもので、厚いのが大陸地殻で、水溜りが載っていて薄いのが海洋地殻です。

スラブ引張り力と書いてありますが、潜り込んでいる(という)スラブが長大な地殻を「テーブルクロスのずり落」のように、引き下ろせるわけがありません。スラブを1とすれば、中央海嶺までの地殻の長さは19倍もあります。


地殻とは豆乳の表面にできる湯葉のようなものです。
薄い湯葉が厚い湯葉の下に潜るようなことはあり得ません。



堤之恭著「絵で分かる日本列島の誕生」p.15とp.20より

また、海嶺の押し力という表現もありますが、日本海溝(約1万メートル)と1万3千キロメートルの長さがある地殻を斜面(?)に見立て、“すべり台”に模して説明するのは、学徒を洗脳するようなものです。熔岩や水のような熔融物質ならば、流れるでしょうが、固体になった地殻が1対1300という勾配を「滑り降りる」とは信じられません。「押し力」が生じるとはとても考えられません。

地球物理学は突飛な「アイディア」だけを発表すれば「仕事ができた」というのでは困ります。
[2313]で紹介しましたが、地球科学の分野にある「名誉欲」という「欲心」で仕事をしている雰囲気を是正しなければいけないように思います。

[2313]から一部を再掲します。

子: 山が潜ることはないよねぇ、確かに何でもアリの雰囲気だなぁ。 そういえばね、ネット上に考えさせられる告白文があって、僕もショックを受けたことがあるよ。それは日本の大学院生が書いたものでね、 「「つくる」んだよ、業績もデータも、そうアドバイスを受けたときの衝撃は今も忘れません」という書き出しで始まってね、「論文は考え方を提示するだけでいい、再現性のあるデータが必要なのは、医薬品とか安全管理とか企業の仕事だ、有名な教授の多くが、思いついた内容で先に論文を書いてしまって、 穴埋めを学生にやらせて教授になってきたんだ。(だから)「考え方を提示する」、それを目的にしなさい・・・」 と、先輩からアドバイスされたということだよ。  それで、「結局ポジションをつかまえるのは才能ではなくてテクニックだと分かり人生が変わりました」と結んでいるんだ。 

父: それは地球物理学という分野に根付く悪習かもしれないね。ゆで卵のたとえを書いた著名な学者がね「最初の仮説が奇抜であればあるほど、それが実証された場合には、自然科学に、より大きな進歩をもたらす。そういう仮説を提案した人こそが、自然科学に於ける天才である」と書き残しているんだよ。 天才と認定されたい願望が強すぎる空気は悪習だね。その前の世代の石本先生(注:参照)はね、「天才は辛抱という一つの優れて大なる才能に外ならぬ」というフランスの科学者の言葉を紹介しているけど、科学者のモラル低下もあるんだろうね。

ゆで卵のたとえを書いた著名な学者とは誰か・・・お分かりだと思います。名誉心というのは鈴木正三が戒めた、度の過ぎた出世意欲「江湖頭欲」「転衣餓鬼」です。武士から一介の修行僧に転じた正三には若い僧侶達の勉強する姿も「智慾餓鬼」と見えたようです。

 心の修行で一番難しいのが「名声欲からの解脱」、つまり「心解脱」であることは釈尊の時代から言われてきた事です。

注:

「フランスの科学者、ブッフォン Buffon の言葉」
「科学への道」

2665
Date: 2018-02-03 (Sat)
プレート論の矛盾:テーブルと滑り台(マントル)も動くのか?
[2664]に紹介した堤氏の解説を読んで、改めて頭が混乱してきました。

「プレートは対流するマントルの上に乗ってベルトコンベアのように移動する」という解釈は海洋底拡大説が提唱された初期のものであり、現在の知識とは違う、現在ではプレートを動かす力は「スラブ引張り力」と「海嶺の押し力」で説明できる、という点に関してです。プレートは自らの重みでずり落ちているという解説についてです。

それならばら、マントルは対流していないのか、固体マントルが対流する原因とされる「固体だけれども長い年月では対流する」というレオロジーは否定するのか、海洋底は拡大していないのか、アーサー・ホームズのマントル対流論はどうなるのかなどです。


アーサー・ホームズの「一般地質学L」p.712に載っている図
ホームズの考えはプレート論、プレートの潜り込み、付加体理論などを支持するものではありませんでした。

 しかし続く文章では、「マントル曳力もはたらいている、プレート運動も大局的にはマントル対流の一部と考えることができます」 ともあり、従来のマントル曳力も認定されています。

 プレートの下のテーブルや滑り台という構造物まで動くのでは“滑る”という現象ではないはずです。

 たしか、マントルの曳力は小さすぎて、プレートを動かせないという結論だったはずで、その矛盾を解決するための「自重による移動論」ではなかったのでしょうか。

「地球物理学の視点からのプレートテクトニクスの一部と考えることが出来ます」とありますが、自己矛盾が露呈してきているのではないでしょうか。

卯田先生の予言的な言葉が現実になってくるのを感じます。「ほころび始めたプレートテクトニクス」の一部を再掲しておきます。

「プレートテクトニクス」に生じたひび割れやペンキのはげた跡

思いつきが十分な吟味もされずに既成事実となり、検証するデータもほとんどないのに、いつしか定説となる。そして気がつくと、どこまでが観測事実もしくは調査結.果で、どこからが単なるアイディアなのか区別ができなくなっている。単純明快な概念が非科学的で醜悪な寓話と化してしまう・・・・。こうしてプレートテクトニクスは、いまやそのモデルとしての有効性に限界がきているように見える。

自己矛盾を引き起こしているプレートテクトニクス

だが、地球科学的な観測が進むと、プレートには内部変形と考えられる地質現象が存在し、また可塑性的な挙動も見られることが認識されるようになった。そこから、プレートが剛体的に作用するという運動形態はきわめて特異であって、じつは変形するプレートの方が一般的であるという考えも出された。ここに至ってプレートテクトニクスの原理は自己矛盾を起こしてしまい、どの程度までの変形が"剛体"として容認できるのか、という主観の問題になってしまったのである。

2666 
Date: 2018-02-03 (Sat)
まったくお粗末なプレート論(地殻物理学)
堤氏の解説では「プレートを動かす力」が何なのか、よく分かりません。最後に「地球物理学」の視点でのプレートテクトニクスに関しては、本書と同じシリーズの「絵でわかるプレートテクトニクス」に詳しく解説されています、とあります。
仕方なく、取り寄せてざっと目を通しました。以前から言っていることですが(ANS概論(1))、改めて、

こんな馬鹿げた物理学はない!

というのが感想です。

大学入試でも受験生を苦しめている「アイソスタシー」の計算ですが、土木工学的には零点です。図に示しましたが、A点とB点で圧力が同じになるというのは流体力学の中の静水圧の問題です。固体力学ではA点とB点の圧力が同じになるわけがありません。


是永淳イェール大学教授著「絵でわかるプレートテクトニクス」より

山や地殻そしてマントルも熔融しているのなら分かりますが、固体であるのに同じレベルで同じ圧力になるわけがありません。これが成立するなら世界中の鍾乳洞は全て潰れている筈です。

どうしてこんな馬鹿げた物理学が横行しているのでしょうか、呆れます。

「おわりに」では、「肝心なことは何一つ解明されていないことがわかったと思います」、「わからないことだらけなのです」と書いてありますが、力学そのものが、まるで解かっていないのです。

地球物理学、なかでもプレート論や地殻論を扱う人たちには猛省を促します。アルキメデスに笑われますよ!

2667 
Date: 2018-02-03 (Sat)
竹内・上田両先生の「地球の科学」から脱皮しよう
それにしても、どうしてアイソスタシーがおかしいと学者は気付かないのか不思議でなりません。

 実はブログ「大陸はなぜあるの?」の中でS氏が次のような疑問を投げかけています。
JAMSTECの田村氏、上田先生、そして金森氏に質問状の形で送られたようですが、3氏ともおかしいとは思っておられないようです。

それ以外の学者でも誰も答えられないでしょう。疑問は至極全うなもので、プレート論、アイソスタシー論、付加体論、ホットスポット論、などが間違いであるとして捨て去るべきであることを意味しています。

考える材料として三つの疑問を転載させていただきます。

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3a. 大陸が花崗岩質でマントルや玄武岩層の上に浮いているとしたら、インド他、広大な洪水玄武岩が後から大陸の上に噴出してくるのをどのように説明するのか? 同様にして、付加体の形で重い玄武岩が、軽いはずの大陸の一部になり得るという点も理解し難い。

3b. ホットスポット説によるハワイ島など、海洋底から突出している無数の火山島に、アイソスタシー説は適用できるだろうか? 玄武岩の火山島にも、それなりの根があるのだろうか? 

3c.「玄武岩も安山岩もマントルよりは軽いです」というならば 、玄武岩はマントルに沈み込めないはずである。更に最近では、堆積岩もプレートと共に沈み込むと説明されたりもする。堆積岩は玄武岩以上に軽いはずなのに、不思議である。

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答えられない原因を推定すると、それには、「犯すべからざるバイブル」のような存在があるからではないのでしょうか。
バイブルとは竹内均先生と上田誠也氏が書いた「地球の科学」(NHKブックス)という聖典(?)のような存在です。その中に次のような一節があります。

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この様にして、大陸塊は比重の小さい岩石からなり、大洋底は比重の大きい岩石からなりたっていることがわかったが、大陸下の軽い物質の厚さがどのくらいであるかということについては次のような著しい事実が見出された。


NHKブックス「地球の科学」p14、15より

 つまり、重力測定の結果をくわしく検討した結果によると、第4図に示したように、シアル殻の厚さは、地表上に山などの形でシアルが突出しているために余計に重くなった分の質量をちょうど補うように、その下ではシマの中にシアルがのびていると考えればよいことがわかったのである。

  いいかえれば、軽いシアルからなる大陸塊は、重いシマの上に、まさにアルキメデスの浮力の原理に従って浮いていると考えられるのである。この様子は海に浮かぶ氷山と似ているといえよう。この現象は、アイソスタシーとよばれている。ウェゲナーのころには大陸塊の厚さは平均的にはおよそ一〇〇キロメートルと推定されていた。

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大先生が解説する書籍中でアイソスタシーを認定しているのです。
「地殻論」は「信仰」のようなもので、「不磨の大典」となっているのではないでしょうか。

また、[1182]プレートテクトニクス否定論への反論を吟味するで紹介したように、上田先生が「プレートテクトニクスに対する反論を検討する」という論文の中で次のように、反対論を封じる様な発言をされていることも大家の言論として影響が大きいのかもしれません。一部を再度紹介します。

「中学・高校でもプレートテクトニクスをうんと教えるとよい。世界の学問はどんどん進んでいて、プレートテクトニクスの限界は日に日に明らかになりつつあり、次への改革・脱皮がおこる日は遠くないだろう。しかし、それはプレートテクトニクスからの発展なのであって、いつまでもプレートテクトニクスは仮説か、理論か。仮説なら教えない方がいいかもなどといっていては遂にどうにもならないことになる。

このように次の段階は「プレートテクトニクスからの発展」であると決め付けておられるところが、「プレートテクトニクスの否定」を困難にしているように思われます。

やはり、竹内・上田教のような扱いになっている学問を自由発想の世界に戻さなければならないと思います。

大御所学者の影響を排除せよ!

学問を自由な世界に取り戻せ!
 

2668
Date: 2018-02-04 (Sun)
太平洋プレートの進行方向が変化した証拠はない
すでに[1541]ホットスポット論には矛盾があるなどでも、紹介してきましたが、太平洋プレートが4300万年前に移動の方向を変えたことが「ハワイ海山列」と「天皇海山列」とが「くの字」に折れ曲がっている原因だ、という話には証拠がありません。

[絵で分かるプレートにクス]p.63にもこの話が載っていますが、残留地磁気の縞模様からは証拠なしとして否定されます。

著者の是永教授は「もしくはマントル内の流れが変化してプリュームの上昇のしかたが変わったためと推定される」としていますが、プリュームの存在も確認できていませんし、たとえ何千年前からプリュームがあったとしても、海山列の並び方に影響があるとは考えられません。

また、海山列は北西ないし北北西に向かって並んでいますが、磁気の縞模様は西南西に向いていて、方向がまったく違っています。 太平洋プレートの進行方向が変化した証拠はない これでは、「ハワイ海山列」と「天皇海山列」の形成原因とホットスポットとの関連を説明することはまったくできません。

このように、プレートテクトニクス理論には、矛盾がいっぱいあることを知り、冷静に理性的に判断していただきたいと思います。

2669
Date: 2018-02-05 (Mon)
プレートが時間とともに厚くなる、なんてことは有り得ない、御伽噺である
是永教授の解説では「熱的アイソスタシー」という概念まで登場します。その解説記事でも図3.8のように、A点とB点の圧力が等しいとしています。再度いいますが、固体を扱う分野に静水力学の知識を適用してはいけません。

こんな馬鹿げた物理学はない!

解説の途中までですが、青字で示すように「熱伝導の微分方程式を解くと、プレートの厚さは時間tの平方根に比例するそうで、最終結論では100万年の海底は350m、1億年の海底は3500mになると解説してあります。


是永淳イェール大学教授著「絵でわかるプレートテクトニクス」p53より

[2666]まったくお粗末なプレート論で紹介した図2.7でもそうですが、なぜ同じ深さの(固体内部での)圧力が同じになるのでしょうか、まったくナンセンスです。

また、どのような微分方程式かは知りませんが、結論として「プレートの厚さが、時間と共に増える」というのは理解に苦しみます。子供の成長とは違うのですから、プレートが成長して厚みを増す、という解釈は滑稽でしかありません。

「厚みを増しつつ進行する?」という現象が本当に起こっていると信じているのでしょうか。もはや理解不能の世界です。

確かこのような問題が大学のセンター試験に出ていたように記憶していますが、受験生の科学的な思考能力をスポイルしているのではないでしょうか。

そんなことをさらに学んで研究論文を作り、研究業績として認定される世界は「低級な宗教」のようなものです。自然科学とはもはや到底認められません。

繰り返しになりますが、「このように、プレートテクトニクス理論には、矛盾がいっぱいあることを知り、冷静に理性的に判断していただきたい」と思います。

科学の世界にも「自浄能力」が必要です。汚染が進まないうちに【自裁努力】をしてください。

2670
Date: 2018-02-05 (Mon)
火星の磁気縞模様から海とプレートテクトニクスの存在を導くことはできない
「絵でわかるプレートテクトニクス」には火星の磁気縞模様の話が載っています。このセミナーでは[1789]月や惑星の残留磁気から分かることで紹介してありますが、是永教授の話は火星にもかつては海があって、プレートテクトニクスが機能していた時代があったかもしれないという解説になっています。海はあったでしょうが、プレートテクトニクスは存在しません。

 私は、地球にも火星にもプレートテクトニクスは機能していないと考えています。確かにかつては火星にも海があったでしょう。しかし残留地磁気が残っているのは、プレートテクトニクスの証拠ではなく、内部から流出する熔岩が斜面を流れ、キュリー温度以下になったときにそのときの磁場を記録するからで、縞模様になるのは球体である地球や火星の地殻全体が滑って動いたから(ポールシフトと同じ事)です

抜粋して紹介します。


是永淳教授が解説する火星の磁気縞模様p.102〜p.104

このセミナーでの見解を[1789]月や惑星の残留磁気から分かることから(補足を加え)、抜粋して紹介します。

「惑星が誕生した直後はどの惑星もマグマオーシャンであったはずです。

 その後、冷却するうちにマグマ内部の解離水が結合水に変わり、海洋が誕生するはずです。

現在は地球にしか海洋が存在しませんが、他の惑星にもかつては海洋が存在したこと、地球と同じような遍歴を辿ったであろうことは蓋然性のある推定でしょう。

ただし、記事にあるように海洋が存在したこと、磁気の逆転を刻み込んだ岩石が残されていること、などをもってプレートテクトニクスがあったと考えることはできません

現在地球上にプレートテクトニクスがあるということも誤解であります。海洋底拡大説の根拠となっている海洋底の残留磁気の縞模様は、溶融マントルが海嶺から噴出し、山麓方向に流下する間にキュリー温度以下に下がってその場の地磁気を刻み込んだという姿を表しているのではないかと私は推定しています。

 それはちょうど、月の海と呼ばれている地域が玄武岩で埋め尽くされたのと同じです。中央海嶺から流れ出した溶岩が、海底の小山や谷を埋め尽くしてなだらかな形状を作ったのだろうと推定しています。現に西太平洋の海底は海山なども多く起伏に富んだ形状をしていますが、ここには大量に溶岩を噴出する海嶺や火山が存在しなかったからでしょう。

太平洋や大西洋にみられる中央海嶺から左右に流れ出る熔岩が魚の背骨のように見えているのは、熔岩が流下している姿だからであって、プレートが誕生して移動している姿ではありません。」

海洋の存在や磁気縞模様の存在は

プレート論と何の関係もない

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